暗殺人、島風の兆次
氏平による雅包囲網は予想以上だった。
行く先々で待ち構える天狗や河童たち。関わった遊女さえも無残に殺害された。
恐怖に震えながら、ひっそりとした社に隠れ、朝を迎えていた。
「誰だ」
差し込む朝日に目覚めた雅の前に、一人の男が腰掛けていた。
「よう」
根岸色の革手袋を嵌めた手の中でクルクルと手裏剣を回しながら。
「久しぶりだな、雅」
男はゆっくりと立ち上がり、見下すように笑った。
「らしくも無い」
優しげな目には少々釣り合わないような涼しげな口元。茶色がかった長髪が風に揺れている。
「ひでえザマだな」
雅はゆっくりと身体を起こした。
「お前…し、島風の」
◆ ◆ ◆ ◆
―島風の兆次、二十四歳―
漁師の次男として琉球に生まれたが七つの春、海に出ていた家族もろとも嵐に遭い船は転覆。
唯一生き延びた兆次は島津の朱印船に拾われ、やがて蓮池藩「細作組」に育てられた。
「お前には才能がある、三国一の腕前になるぞ」
細作組とは忍の集団。
島原の乱で暗躍した後、歴史の舞台裏でひっそり生きる忍の一門。
ここで兆次は暗殺人として育てられた。
十七歳のある日、とある闇商人の抹殺指令が下った。
しかしその標的は彼が密かに恋仲だった娘の父親だった。
「無理だ…どうしても無理だ」
兆次は任務を放棄した。そして親娘を連れ出して逃げた。
「細作組の恥知らずめ…許さん」
追跡の手が伸びた時、兆次は親娘を庇って戦っていた。仲間たちとの殺し合い。
「止めろ、止めてくれっ」
親娘も、仲間たちも屍と化した荒野。一人兆次は立ちつくしていた。
悲しみにくれながら行商人として暮らしていたが、運命の非情がその安寧を許さなかった。
次々に襲い掛かる細作組。彼の周囲には常に血が流れていた。
命を狙われつつ諸国を放浪するうち、兆次は暗殺人としてしか生きられないことに気付いた。
「ああ、やってやるよ。所詮、俺は世界の裏側に生きる男だ…」
◆ ◆ ◆ ◆
「二年ぶりだな兆次。こんなとこで何やってるんだ?」
「そりゃこっちの台詞だ。何だ一体、コソコソ隠れて…」
声を潜める雅。
「悪いことは言わねえ、すぐ立ち去れ。今の俺に関わるとロクなことが無え」
ニヤリと笑う兆次。
「ふっ、雅がそう言う時は…たいていオイシイ仕事を独り占めしようと」
「バカな」
「いや去年、上州の口入屋の一件は」
「違う、後でちゃんと話そうと思ってた。ところがお前が先走って」
「いいや信じないね…」
雅は立ち上がって声を上げた。
「いい加減にしろ。去年の話なんかどうだっていい」
兆次をジッと睨む。
「ヤバいんだ、とにかく今回は。普通じゃねえ。お前の為に言ってるんだぞ、関わるな」
首を傾げる兆次。
「どうした? マジな顔しやがって。お前がビビるなんて…」
「今回は特別だッ」
青ざめる雅。
その顔を覗き込む兆次の視界の端に、サッと動く影が見えた。
「んっ」
だが見失った。
「何だ、今の…」
一瞬、朝日が陰った。
風切り音に気付いて見上げると、何者かが鳥居をヒョイと飛び越えてくる。
ギラリと陽を受けて光る手槍の刃が見えた。
「マジか、いきなり襲撃かよ」
兆次は咄嗟に手裏剣を投じた。伸ばした腕の延長線上、刃の軌跡が朝もやを切り裂く。
「クアアッ」
甲高い声は、そのまま断末魔の叫びに変わった。
「な、なんだ。こいつ」
あえなく落下し首の骨をひん曲げながら絶命した来訪者を前に、兆次は目を丸めた。
「バ、バケモノ…」
頷く雅
「天狗だ。言ったろ、今回の相手は普通じゃないって」
「敵は妖怪…?」
「悪いか?」
「…良くはない、な」
「ん?」
二人は、素早い影がさらに幾つも迫ってくるのに気付いた。
「とにかく、すでに俺は関わっちまったようだ」
目を合わせ、二人は慌ててその場から走って逃れた。
■ ■ ■ ■
吉備路をひたすら東へ。辿り着いた街道沿いの小さな飯屋。
「そういう経緯か…あつっ、あちちっ」
出来立ての手延べうどんをすすりる兆次。
「あちっ、あっ、ああ。後には引けねえ」
雅は柔らかい麺を舌の上で転がしながら兆次の顔を見た。
「…俺は、な」
「お前だけじゃねえよ。俺もさ」
ふっと笑う兆次。
「さっきお前と一緒のとこを見られた。すでに面が割れて…あっ、麺じゃねえぞ、面が」
「んなこたぁ知ってる」
「面が割れた以上、殺るか殺られるか…」
首を振る雅。
「いや。こんな面倒に巻き込まれる必要は無え、早く姿を消せよ」
「はあ?」
兆次は呆れ顔を突きつけた。
「この期に及んで何カッコつけてんだ。さっきだって俺がいなきゃお前は死んでた」
「あんなのは俺一人で殺れたんだ。だいたいお前が来てごちゃごちゃ言うから見つかったんじゃねえか」
「ちょいと…」
店の奥から白髪の老婆が箒を手に出てきた。
「うるさいんだよ、あんたら。他の客の迷惑も考えろってんだ、あ?」
「あ…」
「す、すんません…」
すごすごと店を出る二人。
「ほら、ちゃんとお代を払っていきな」
頭を掻きながらそれぞれ十六文を老婆の手に。
「で、続きだが…」
兆次が言う。
「えっと、どこまでだったかな…そうそう、お前は銭を独り占めしたいだけだろうが」
呆れる雅。
「まだ解らねえのか。問題はカネじゃ無え、相手がヤバ過ぎる。だが、今回の標的は生かしておけねえヤツなんだ」
「じゃあ…」
兆次は無理やり雅の手を握った。
「取引成立、だ」
「あ?」
「俺はとにかくカネが欲しい。で、お前はカネに興味は無いが仕留めたい相手がいる。ほら」
微笑む兆次。
「お互い、断る理由が無えじゃねえか」
「ん…?」
考え込む雅の肩をポンと叩いた兆次。
「面倒くさい野郎だな。とにかく決まりだ。早速どう仕留めるか作戦だ」
しょうがねえな、と頷く雅。
「そうだな…氏平って野郎の屋敷は…」
吉備路。街道から逸れるとすぐ山道。急な冷え込みが木の葉を紅く染め上げる。
もっとも彼ら二人には、舞い散る葉を眺めるほどの心の余裕は無いようだが。
山小屋で頭を抱える二人。
「無茶だぜ、雅。そりゃ死ににいくようなもんだ」
「だがやるしかない。俺は命がけで…」
「カッコつけるのは構わん。だが俺はもうちょっと長く生きていたい。犬死はゴメンだ」
兆次はパチンと指を鳴らした。
「アテがある」
「アテ?」
「命知らずで凄腕で、たまらなくカネが欲しい男。そんなヤツを少なくとも二人、知ってるぜ」
ほう、と雅は身を乗り出した。
「そんな奇特なヤツがいるのか?」
「いる。同業だ」
つづく