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初日程ではなかったが、二日目以降の座学でも揉め事は頻発した。
一番は、OREが当時の日本にどれだけの設備を運び込んでいるのか、それはどうやって準備されているのか、情報部も調査部もその手がかりを全く掴んでいない事からの不安だった。
規模も、計画も分からない相手を、現地で一人一人捕まえて露わにして行かなければならない。
摘発などはその先の行動になる。
『既に先手を打ち終えた案件』の摘発に行く事ばかりだった対処部にとって、前代未聞の状況だった。
そして、全てを暴いた後の摘発も、これまでにない規模であるだろう事は容易に予想できた。
俺達はどこへ行けばいいのか、何をすればいいのか、何から始めればいいのか。
そんなレベルの話で、何度もミーティングルームは紛糾した。
そんな中、普段から情報量の少ない状況での先行活動の多かった、紫苑などの単独行動組は比較的落ち着いていた。
単独行動の経験のあった橋爪や小石川も、『まず誰か捕まえる。何か入手する』という捜査スタイルには覚えがあったが、班行動でそうする経験はない。
他の隊員達の言い争いに巻き込まれる形で、ヒートアップしてしまう。
確かに落ち着いてこそはいたが、集団行動で色々準備して動く経験自体が少ない紫苑には、あまり発言権はなかった。
だが、最終日に起きたトラブルは、こんな不慣れな作戦についての議論とも全く異なるものだった。
「好き嫌いで任務してんじゃねえよ。特性を考えて配置してんだからよ」
「私はバカと組まされて割食うのが嫌だって、何度言わせるのよ!」
何がきっかけだったかは定かじゃないが、紫苑の事で綾芽が橋爪に食ってかかったのだった。
綾芽の言う通り、実際に彼が決めた配置だったらしいが、彼女の言い分に苛立った声が返って来る。
そんな彼にも、綾芽は怯む事なく更に食い下がる。
「あんたも手柄に騙されたクチなんでしょう。近くにいれば分かるわ。頭悪過ぎるのよ、あいつ」
「客観的に見てそんな事ねえよ。足りない所はお互いさまって奴だ。補い合う事考えろよ」
「補い合うって何よ。バカは足引っ張ってこっちに尻拭かせるしか出来ないじゃない」
取り付くしまのない綾芽に、紫苑が声をかけた。
「あなたが私の事、嫌いだってのは分かるわ」
「何なのよ、横から入って来ないでよ!」
「彼は一番効率を考えていると、私も思う。自分の事ばかりじゃなくて、彼に負担かけない事も考えてもらえないかしら……私だって、好き嫌いであなたに文句言った事、ないでしょう」
「おい、路辺……言い方」
橋爪が紫苑の方に注意する。
明らかに「私もあなたが嫌いだ」と綾芽に言っている様なものだった。
「良い効率なんてあんたの頭で分かるの? あんたはいつも通り、一人で突っ走って、自己責任でどうとでもなってれば良いじゃない。それが一番適材適所でしょ。上にもそこを買われているんでしょう? 私、班長にもっと苦労しろなんて言ってない。もう少し頭使ってくれって言ってるだけよ!」
紫苑の言葉は綾芽にとって、火に油を注ぐものでしかなかった。
更に激昂した綾芽は、全方位に自己主張を炸裂させる。
「配置を決める人間が頭使わないって致命的なのよ。機構もそんなだったから、『あり得ない所』から『あり得ないバカ』が湧いて来たんじゃない!」
「姫月!」
橋爪が青ざめた顔で叫んだ。
しかし、彼の声よりも早く紫苑が綾芽の前に立っていた。
次の瞬間、その片手は彼女の顔を捉え、勢い良く張り飛ばす。
「やったわね!」
「『あり得ない所』ってどこ? はっきり言ってみなさい……!」
そう低い声で告げる紫苑の顔には表情がなかった。
目だけが光を揺らめかせて、綾芽を見据えていた。
綾芽はそんな紫苑の目にも怯む事なく、睨み返して更に言い返そうとする。
「ああ、言ってやるわよ、あんたはあり得ない、ある筈のなかった――」
「いいからやめろ!」
二人は掴み合いを始め、即時に、その場にいた対処部エージェント隊員総出で引き剥がされた。
かえせ
かえせかえせかえせかえせ
わたしのせかいをかえせ
――――た……行こう……
――――らせて―――ろう、俺たちの――――
その夜も、紫苑は飛び起きた。
黒のスカートワンピにざっくりとしたグレーのカーディガンを羽織ると、IDカードを首から下げる。
片手を顔の周りでひらひらと揺らして、自分にだけ見える外出手続きと室内セキュリティー設定を行なうと、暗い部屋を後にした。
人気のないチューブラインを、今夜もTiNaTOA庁舎へ向かう。
夜間警備ゲートでも彼女は容易に通行出来る。
エレベーターに乗り込み、最下階のボタンを押す。
降下が始まるとガラス張りの壁から、上へと流れて行く各階のエレベータホールとセントラルロビーを見る事が出来た。
1階を過ぎ地下3階まで降りると、外界は見えなくなる。
なおも降下を続けるエレベーターに、「SECURITY LEVEL 6」の表示が浮かび上がった。
ここから先は、エージェント隊員とその各部門の統括、機構上層部の指定役職と特別許可者以外の立ち入りは出来ないエリアとなる。
認証されない者が乗ったエレベーターは、その直上階で強制停止となり、該当者が降りるまでは決して動かない。
先日の対策会議やミーティングも、このエリア内にある会議室で行なわれた。
そして、地下1.5㎞の最下階にTiNaTOAにとって最も重要な設備、「時空航行射出ターミナルおよび回収ターミナル」と管制通信センターがある。
最下階で降りた紫苑は、ターミナルエントランスのゲートで入場手続きを行なう。
通常、業務時間外の真夜中にターミナルエリアに入場する事など、誰であろうと許可されない。
だが、出発直前のエージェント隊員に限り、外周フロア限定で見学に入る事が特例許可されていた。
勿論、入場者は射出装置への接近は出来ず、24時間体制で機能する警備や管制センターの監視下にある。
案内に従って通路を進み、ターミナルの天井部、ドームの円周に沿ってガラス窓越しに見下ろす展望バルコニーに来てみる。
すると、眠れなかったのかまでは定かじゃないが、同じ事を考えていたらしいエージェント隊員の先客が数名いた。
紫苑を見て片手を上げて挨拶する者も、特に顔を向ける事もない者もいた。
射出装置は巨大な機械の中央に、小さな乗用のカプセルが3台、別に1台の貨物用コンテナがあった。
レールの先は、奥の加速用チューブに続き、チューブはターミナルドームの端に口を開けている地底トンネルの中に伸び、その先は全く見えなかった。
時間航行用の加速トンネルは、東京から沖縄本島付近の地底数キロまで続き、射出時には凄まじい加速によって45秒以内にその手前まで到達する。
音速を超え、重力圏脱出速度もとっくに超えてトンネル内を疾走する射出ポッドは、その莫大な移動エネルギーを粒子変換される事によって、トンネルのゴール手前で時間を超える。
トンネル内を監視するモニターでは、射出の瞬間、カプセルやコンテナが光の矢に変わって、大量の火花と共に走り抜けるのを見られるという。
移動後に摩擦熱で炎上しながら減速し、ゴールギリギリで静止した「入れ物」の中身は、空となっている。
何度これに乗り込んで時間を超えたか、紫苑もはっきりとは覚えていない。
だけど、最初にこれに乗り込んだ時の事はよく覚えていた。
そして、彼女にとって最初の『時間改変案件の任務』で乗り込んだ時の事も。
ぼんやりと射出装置を眺めていた紫苑は、ふいに横からの視線を感じた。
心地よい位の無関心に包まれているこの場所で、他人の視線は強く際立ってしまう。
横を向いた紫苑は硬直する。
彼女の目の前には、制服ではないオレンジのジャケットに細身のスカート姿のさざれが立っていた。
何故ここに、そんな疑問が浮かぶよりも先に、紫苑は踵を返そうとした。
「待って下さい!」
「あなたに話はない……どうして、こんな時間にこんな所にいるの」
「業務特例です。管制センターの資料更新作業で、参照局も地下に降りての徹夜……」
さざれの言葉が終わる前に歩き出そうとする紫苑。
さざれの呼ぶ声が追いかけて来た。
「紫苑さん」
「仕事があるのなら、戻って続けなさい。それだけ早く終われる」
「私、紫苑さんを傷付けてしまったんですね」
紫苑の足は止まる。
「何を……」
「紫苑さんも言ってましたね。痛みはいくら味わっても慣れないって――」
「そんな事じゃないわ。あなたが私について何も知らないだけ」
抑えた声だが、さざれの言葉を遮る様に紫苑は答えた。
「だから、教えてほしかったんです」
「そんなもの知らないでいいの。私の痛みなどあなたが関心を持つ事じゃない。これ以上あなたは私に関わらない方がいいのよ」
「どうして」
さざれの更なる問いかけを振り切って立ち去りたかったが、足が動かない。
バルコニーには誰もいなくなっていた。
ただうるさいと思ったのか、彼女達に気を使ったのかまでは判別出来ないが。
「あなたが私を知っても絶望しか残らない。それだけ知れば十分だわ」
言葉を区切る様にそう言うと、ようやく動いた足を一歩前へ進める。
自分でも分かっていた。
さざれが苦痛なのではない。さざれを拒もうとする事が苦痛なのだ。
だからこそ、彼女と関わりたくないし、この場からすぐに離れたいのだと。
一歩、もう一歩と足を進めながら紫苑はもう一度告言う。
「知らない方が幸せな事だってある。あなたが本当に私を、私の任務を知れば――」
『改変された歴史を元に戻す』というのが本当はどういう事なのか。
さざれが知ればきっと絶望する。
自分の苦しみなど、彼女に同情される価値なんかない事を理解し、きっと彼女は紫苑を。
「あなたを呪う様になる――と思いましたか?」
紫苑の足はまた止まった。
振り返ってしまうと、二人の視線が交錯する。
さざれは紫苑の顔を見て、にっこりと笑いながら言った。
「何度も言ったじゃないですか。こう見えても、私だってTiNaTOAなんですよ」
その言葉の意味がすぐには理解出来なかった。
数秒経って、顔から血の気が引くのを感じた。
息を呑んで、目の前のさざれの微笑を凝視する。
「紫苑さんが優しいって言ったの、私、訂正しませんから」
さざれは射出装置を見下ろしながら言った。
「前に言いましたよね。私は……機構に入る為に一生懸命勉強したって」
展望窓を眺めながら、紫苑は彼女の話に耳を傾けている。
装置周辺には数分程前から、約二十人の機器保守班が入って点検作業を始めていた。
展望バルコニー内には、その音や話し声まで聞こえて来ない。
静まり返った中に、さざれの声だけが響いていた。
「ちょっと、頑張り過ぎちゃったみたいで、気が付いたら……周りに、誰もいなくなってたんです」
展望窓には薄く、視線を落とすさざれの姿が映っていた。
「友達はいたんですけどね……その子の思ってる事とか悩んでる事とか、聞いてあげられなくなって、そのうちに、何も分からなくなっちゃってたんです。その子も全く怒ってなくって、私の事も応援してくれて……今でも仲良いし連絡も取り合ったりしてますけど……私はずっとその事を後悔しているんです」
「それなら、誰もいなくなった訳では……」
紫苑が口を挟むと、さざれはうつむいたまま首を横に振った。
「私の中で誰もいなくなっていたんです。分からなくなって、分かろうともしなくなって、いる事を感じなくなったら、それはいないって事です」
紫苑は小さく顔を上げる。
窓を見下ろしていたさざれも、彼女の視線を見返した。
「だから、私は本当は、とても冷たい人間なんです。だから、紫苑さんが優しいって分かるんです」
「どうして、そんな事言えるの……あなたは、もう分かっているのでしょう?」
「紫苑さんは私とちょうど正反対ですね。紫苑さんには誰もいなくならない……私だって」
さざれは問いかけた後、じっと紫苑の顔を覗き込んだ。
彼女の表情の変化を答えとして受け取ったのか、笑顔を浮かべて言った。
「そうだ。紫苑さん、一つ約束事しましょう……戻って来た時、私に『ただいま』って言ってあげて下さい」
「え……」
「どの時代に行っても覚えていて下さい。迷った時には思い出して下さい。紫苑さんが『ただいま』って言ってくれるのを、私がここで待っているって」
紫苑に背を向けて、さざれは窓から離れて1歩、2歩と足を進める。
立ち止まると、くるりと振り返って頷きかけて言った。
「私はずっと、ここにいるんです」