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白く殺風景だった空間は闇に閉ざされ、すぐにバイザーから投射される仮想現実の映像に入れ替わる。
恐らくは20世紀前半の日本国内、木造住宅の並んだ未舗装の通り。
想定された情報が、視界の横で指に合わせてスクロールされる。
『ORE通常工作員:4名』
『ORE武装工作員:2名』
『現地都市内を物資移送中。武装工作員は通常工作員をサポート』
『時間跳躍モジュール:Dタイプ4th装備』
『武器:携帯型レールガン装備』
『任務:対象集団を包囲、急襲し、死者を出さず2名以上確保せよ』
「フォーメーション構築完了。行動に入れ」
通信で耳に飛び込む男の声。
紫苑の前方数メートル、曲がり角の所に作業服や国民服姿の男性が固まって歩いている。
街並みと同じく本物の人間ではない。
彼らの頭上に赤いアイコンが浮かんでいる。
紫苑は足を止め、彼らの視界に入らない位置から、踏み込みのタイミングを計る。
「出る。合図を送れ――」
言いかけた紫苑は、集団の一人が、背後の物陰から覗いている男へ視線を向けたのに気付く。
「察知された。4秒前へ飛ぶ。Cパターンで」
「ちょっと、待ちなさい!」
『cd:leap dir:past tm:00.04.00.00』
紫苑は時間跳躍モードを操作し、『4秒過去への跳躍』をセットしていた。
彼女を女の声が咎めたが、その時には彼女の視界は少しぶれて、変わらない筈なのにどこか違う風景に移り変わった。
まず、先程までいた集団の位置が少しおかしい。
そして、視界の上に浮かんでいた時間表示が、4秒前に変わっている。
その1秒後、集団の位置が音も動きもなく、唐突にずれた。
そこにいた彼らが消えて、1メートル程離れた場所に出現した。
『検出:短軸跳躍による粒子NIS振動』
まるで『存在を上書き』したかの様に。
紫苑は彼らへ向けて、一発ずつ撃ち込んで行く。
彼らが腰や肩に装着している、時間航行モジュールを狙って。
視界の端に突然現れた人影が、赤いアイコン持ち――味方ではない事に気付き、紫苑は再び時間跳躍モードを操作した。
「2秒前へ飛んで、15時方向の2名排除後、3秒後へ飛ぶ」
『cd:leap dir:past tm:00.01.00.00』
呟く様に通信を送ると、返事を待たずに視界を切り替える。
「だからやめろってんのよ! 皆ついて来れてない! あんたやられるよ!」
「武装工作員を捕捉出来ていない! 小石川のモジュールが撃たれた!」
切り替わった視界の先で、自分のモジュールが破壊された事を、赤いダメージ表示が警告する。
そして、アイコンを頭上に浮かべた架空のORE工作員が、彼女へ銃口を向けている。
その向こうでは、同じ様に銃を向けられ膝をついている、他の班員達の姿が見えた。
こちらは実際にいる部屋は別々だが、実在の人間だ。
『Operation failed』
視界中央に大きくそんな文字が浮かぶと、仮想空間は消失し照明が点灯する。
紫苑のいたトレーニングフロアでは、訓練用バイザーとモジュールを装着したエージェントが数名、十分な距離をおいて並んでいた。
その中の一人が、自分の着けていたバイザーを投げ捨てて叫ぶ。
「全然ダメじゃない! 連携が滅茶苦茶! 嫌になんのよ、バカが一人混じってるとこのザマだから」
通信で、紫苑に何度も怒鳴っていた女の声。
紫苑よりも頭一つ分くらい背が高い。
彼女が歩きながら喚くと、赤毛のショートヘアーが激しく揺れた。
「姫月、先輩にそれはないだろう? こう言っちゃ何だけど、そもそもは橋爪班長が見つかっちまったのが――」
赤毛の女と同じくらいの若い男性隊員、小石川颯が、こちらもバイザーを脱ぎながら彼女を咎める。
「だからって、勝手に動いていいってマニュアルでもあんの? このバカの頭の中にはあるんだろうけど、私らの部隊では聞き覚えがないわね!」
「橋爪班長だけではない。姫月綾芽、あなたも私が跳躍した時点で、敵に捕捉されていた」
「はあ!?」
いつの間にか、そのショートヘアの女性――姫月あやめの前に来ていた紫苑が、無表情のまま言う。
「そして今言われるまで、その事にも気付いていなかった……誰かが、あなたの知覚よりも、班長や敵の知覚よりも早くアクションを起こさないと、敵にイニシアチブを奪われる」
「あんた一人で頑張ってれば良いじゃない。いつも通り。何で今回に限って集団戦に出張って来てんのよ」
綾芽は馬鹿にした様に言い返すと、無言で紫苑を睨み返す。
班長の橋爪祐希――30代前半位の、今度の任務に合わせて最近坊主頭にした男――が、二人に割って入る。
「その辺にしとけ。小石川の言う通り、大本は俺のポカだ。そして、敵を上回る対応速度以外に、それを挽回する道はねえのよ。路辺の行動は、俺らに必要なものだったって思うぜ」
橋爪は砕けた調子の声で姫月をなだめ、そして、紫苑にも言う。
「だけど、俺はあそこでの対応はD2パターンでの、左変則陣形だったと思うぜ。あんたはあんた一人で、自分の考えたフォーメーションに俺らを組み直そうとして……失敗した。違うか?」
「……」
「どうしてあんたが今回こっちが多いのか、姫月も聞いてたけどな。あんたも何故なのか考えた方が良いぜ……今までのやり方じゃ通用しないかもしれないって思われてんだよ」
紫苑は現地での中途合流という形でだが、今回、集団行動の班にも組み込まれていた。
単独行動で終始する事の多い彼女の有事任務として、これは珍しいケースだった。
その為、こちらでの滞在期間中に彼らとの顔合わせを行ない、ミーティングと訓練も一緒に行なう事になっている。
橋爪という班長の指揮するそのチームは、登録名を『12モンキーズ』と言った。
「……12人いないけど?」
「そういう名前なんだよ」
チーム名を聞いた紫苑は間髪置かず突っ込んだが、橋爪は気にする様子もなく答えた。
隊員やチームのコードネームは、時間航行に関係した過去の小説や映画、マンガやアニメから持って来るのが通例となっていた。
橋爪個人のコードネームも、班名にした映画の登場人物から『ゴインズ』だった。
橋爪を始めとする『12モンキーズ』の面々は、紫苑にとって知らない顔ではなかった。
それも彼女が配置された理由の一つであったかもしれないが、知っているが故に起きるトラブルもあった。
その一つが、最初に会った頃から仲が悪いままの後輩、姫月あやめだった。
彼女とは今回の訓練開始から、こんな感じだった。
姫月は、他人の失敗や欠点に対して、特に厳しい隊員ではない。
どちらかと言えば、班長という立場でもある橋爪の方が、口うるさい位だっただろう。
――紫苑が相手の時を除けば。
最初の会議から出発までの数日間、エージェント隊員達のスケジュールは、皆同じ様なものとなっていた。
午前中にランニングから縄跳び、その他筋力トレーニング各種を各自こなす。
昼過ぎから各種フォーメーションや作戦、その他の現地での行動について、指導を受けたり打ち合わせたりする座学の時間。
その後、夕方に、集団での作戦行動、その他時間跳躍に対応した戦闘技術のスキルトレーニングが行なわれる。
仮想現実による訓練も、このスキルトレーニングに属するものだ。
同じ仮想現実での訓練でも、集団戦ではなく、時間跳躍前後の動作訓練というものもある。
上下する床と床の間を、指示に従って飛び移りながら、光景の移り変わる仮想空間上の状況に対応する。
攻撃を回避し、確認内容を報告し、標的を撃ち倒す。
時間跳躍時における出現ポイントの状況変化に対応する訓練だ。
紫苑はこちらの成績は、全隊員の中でもトップクラスだった。
そして、紫苑を交えた『12モンキーズ』の集団訓練の成績は、対処部内のチームでも極めて低迷し続けていた。
午後の座学は、第一日目から大荒れだった。
予定通りの教本指導を行なおうとした担当教官は、対処部所属のエージェント隊員達に詰め寄られ、集中砲火を受けた。
「この日本には、通常の軍隊があるのか? しかも核を配備して――中東に投下しただと?」
「どうしてそういう一番重要な事を、最初に言わねえんだよ! 黙ってて何の得になるんだ?」
殆どの隊員が、各自の個人的な調査で『この歴史での日本』について知るに至った。
そうなると、一番最初の会議で、最も重要な筈のそれを伏せていた機構――TiNaTOA――の上層部へ、疑問は向けられる。
「恥ずかしかったの? こっちの歴史で起きた事を、私達に話すのが?」
「……いいや、どっちかつうと、その逆なんだわ」
初老の担当教官の前へ来ると、冷たい目で尋ねた紫苑。
彼女に答えたのは、騒ぎを聞いて教官を助けに来た、対処部部長の後藤標士だった。
「今聞いて、俺もこいつが大きな違いかもしれねえって気付いた位だ……実を言えば今でも、実感が持てていねえ。俺らにとって、これは当たり前の事でしかねえんだ」
後藤の巨体が前に立つと、さすがにエージェント隊員達の多くも冷静さを取り戻す。
「逆にな、お前らの知っている、憲法で戦争を放棄した日本とか非核三原則とか言うのが、俺らには理解出来ねえ。一つの国がそんなもの持って、守り続ける事が出来るなんていうのが、こっちの人間にとっては常識外過ぎるんだ」
教官に代わって壇上に立つと、後藤は自分の担当部署のエージェント達に、『変わってしまったこちらの歴史』についての補足講義を始めた。
「情報部さんも昨日言ってたけどよ、こっちじゃ、本来以上の酷い事がいくつも起きてて、それが当たり前の歴史なんだ。死者だって何倍も出た。日本だって20年そこらで、さっさと軍を復活させて核武装まで踏み切って……結局、落とす側に回っちまった訳だ」
後藤が話しながら右手を軽く振る。
まるで手についた汚物を払う様な振り方だった。
同時に、エージェント達の視界の隅に、古い形の動画データが再生される。
子供や女性、そして老人が、一瞬の閃光で着物柄を肌に焼き付かせ、あるいは垂れ下がった全身の皮膚を引きずって煙の中を彷徨っている写真。
半ばアスファルトと一体化した黒焦げの死体の列。
但し、それは1945年の日本の二つの都市の写真ではない。
その数年後の日付けが記され、日本以外の耳慣れない都市名が表示されていた。
スライド式に移り変わって表示されるそれらの写真に、動画は視聴者のコメントを乗せている。
前世紀初頭に人気のあった、動画表示形式だ。
『日米関係に栄光あれ』
『米軍の皆様、ヒトモドキG駆除作業、お疲れ様です』
『いつの時代でも、半島のニダニには広域焼却が一番効果的だな』
『半端に焼け残ってる死体やガキとか汚い。もっと火力がほしかった』
そこに乗っている日本語は、いずれも米軍による原爆投下に肯定的なものだった。
そして、惨状の中にいる人々を嘲り、その苦しみを喜んでいるものだった。
「『こっち』の日本人は、俺も含めて、核の酷さなんて言われても、お前ら以上に大して分かんねえ。熱線で焼けただれた子供の写真見ても、隣の国の事だからって理由で笑い転げる様なゲス野郎が今でもそこらにいる有様だ……お前らには、想像も出来ない話かもしれんがな」
エージェント隊員達も、それらの映像資料にしばし絶句していた。
その手の日本の負の文化は、彼らの知る歴史にもあり、22世紀になっても完全になくなってはいないものだった。
だけど、その嘲笑や悪意の矛先が原爆の犠牲者に対して向かうものなど、彼らの知る所にはない。
「これが……原爆投下を体験しなかった日本だと……言うのか」
「そう思うかよ?」
受講席から上がった一人の声に、後藤は聞き返した。
「……え?」
「こんな歴史を辿ってるから、本来の歴史に戻すのは正しいと思っちまったんじゃねえのか?」
後藤の問いに、呟いた隊員は声を詰まらせる。
彼以外の数人にとってもそれが図星だったのか、顔を強張らせる者がいた。
「正しい歴史と正しくない歴史があるなんて考え自体が、奴らの撒餌なんだよ」
機構が、エージェント隊員が取り戻さなくてはならない『正しい歴史』とは、1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下された歴史。
彼らが沈黙する中、後藤が珍しくトーンを落とした声で、ぶっきらぼうに呟いた。
「俺達がこんな事言うのもなんだが、『何が正しい歴史か』なんて、俺達にも分からねえんだ。機構が今やっている通り『何一ついじらねえであったままにしておく』のが本当に絶対正しいのかどうかさえもな」
後藤の言葉に、エージェントの多くがぎょっとした顔で彼を注視する。
後藤は顔を伏せて、くくくと笑う。
気弱な声とは裏腹に獰猛な感じもする笑顔を上げ、一人一人の顔を見渡す。
「OREの連中だって分かってねえのさ。どこをどう作り変えればもっと良い歴史、最高の歴史になるのかなんて。当てずっぽうを闇雲に繰り返しているだけなんだ。誰も分かってねえから誰も教えてくれねえ。誰にもベストプランはねえ。誰もその責任を背負えねえ。だから、俺達は奴らのやろうとしてる事は一つ残さずぶっ潰し、誰にもいじらせねえし、いじってはいけねえって言い続けるだけなんだよ」