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証人のタイムライン  作者: ゆらぎからす
1.「改変」
2/21

1-1



 ――― 1 ―――


 

 早瀬(はやせ)さざれはいつもの通りに、ベットのそばに画面が浮かび上がり、徐々に音量を上げる空間モニターで目を覚ました。

「――ソウルでは今夜、202回目の平和慰霊式典が行なわれます。1950年代の朝鮮戦争で、今日10月22日、元山市に最初の原子爆弾が投下されたのを始めとして、アメリカ・ソ連双方によって五発の原子爆弾が使用され、直接の死者は合計で百万人以上と――」

 目覚ましに専門チャンネルのワールドニュースを見るのは、子供の頃からの習慣だった。

 彼女の『職場』でさえ、そんな朝っぱらからニュースを見ている者は稀であるにもかかわらず。

「早瀬さんって、まじめですよね」

 同僚からはよくそう言われる。

 それは彼女にとっては、驚く事だった。

 子供の頃からこの仕事に就きたいと思っていた彼女は、その為には「今の世界で起きている事に、いつも関心を持っていなければならない」と、ニュースを見るようになったのだから。

「大統領は式典を前に、核攻撃の惨禍に見舞われた13ヶ国で合意された核兵器凍結国際宣言が、今年2162年で180年目の節目を迎える事にも触れ、世界初の被爆国として宣言の継続に努め、未だ核保有を続けているとされるアメリカ、中国、パキスタン、イスラエルへの核廃絶の呼びかけを継続すると――」

 しばし画面を見つめてからシャワーを浴びに行く。

 戻って来ると、ニュースは別の内容に変わっていた。

「半年前に欧州各国で大量消失が確認された、ロケット砲、機関銃、自動小銃などの前世紀の小型兵器が、15日に香川県の山中で数点発見されました。これらは非常に損傷が激しく、調査の結果“数百年放置されていた”と判定のあったものもあり、“特定時間組織”の関与が疑われています」

 さざれは再び映像を凝視する。

 これはきっと、今日の職場は大騒ぎになる。自分のような平職員でも忙しくなるかもしれない。

 テーブルについて、あらかじめ温めてあった朝食を口にする。

 バタートーストにジャーマンポテトとビーフ、きゅうりサラダと牛乳。

 彼女の年齢で、きちんと家で朝食を取るというのも、この時代では珍しい事だった。

 数十年ばかり前から、一人暮らしの者のみならず一般家庭でさえも、朝は栄養剤か、パンやおにぎり1、2個で済ませるのが普通となっている。

 彼女の両親も祖父母も、「朝はやっぱり食べないと力が出ない」と主張する少数派で、彼女はそれを受け継いでいた。

 何でも、先祖代々そうだったのらしい。

 戦中戦後の食糧難の時代も、大昔の飢饉の時代でさえも、朝食を欠かさなかったのだと言う。

 前者はともかく、後者は流石に盛り過ぎだろうと、彼女も思っている。

 そんな話を周囲にすると、やはり「早瀬さんって、まじめで変わってますよね」とか言われてしまうのだが。


 身支度を終え、何も持たず玄関に出る。

『お忘れ物はありませんか?』

 壁の手前の空間に文字が浮き出る。文字の下のチェックボタンに触れ、表示を消す。

 この時代にモニターなどの機器は殆ど存在しない。

 メディア設備もネットやコンピューター上の作業も、室内セキュリティも、インフラ管理、通販やデリバリー対応なども全て、空間投射設備によって画面が立体表示される。

 投射設備は屋内外を問わず国内の都市では隈なく設置されている。投射設備のない場所では携帯型の端末モニターを使う事が多いが、「薄いサングラス」の様な外見にまで小型化された専用バイザーによって、視界に立体画面を投影する事も可能だ。

 そんな未来の技術の部屋でも、一人でしか住めない様なワンルームのせまっ苦しさは相変わらずだった。

 さざれは時々、実家が懐かしく感じる。

 彼女が鞄を持たないのは、決して忘れたのではない。

 まずそこが彼女の職場で用意した「職員住宅」であるという事。

 そして、彼女の職場では外からの物品の持ち出しも持ち込みも厳重に制限されているので、持って行く荷物は、必要なデータ全てを入れておける職員用モジュールを除いて、原則無いという事。

 さざれは玄関を出ると、施錠音も聞かずに廊下を小走りに駆け始めた。

 テキパキ動いたとはいえ、風呂と朝食まで取っての出勤には、かなりギリギリなスケジュールだった。


 さざれの職場は、彼女の住む居住区タワーと隣接する、複数のタワービルや建物で構成された一帯全てだった。

 正確に言うなら、職場である「時間航行条約機構管理局(TiNaTOA(ティナトア))・日本支局」本庁舎を中心に、その関連施設が何棟もの高層タワービルとなって放物線状に囲んでいる。

 タワーの中には一棟につき数か所、時速20キロで移動する横移動エレベーターのステーションがあり、さざれは停止中のボックスの一つに乗り込むと、走行ボタンを引く。

 ボックスは静かに、タワー館に貼り巡らされたチューブ内を、庁舎へ向かって滑って行く。

 庁舎内へと入り込み、エントランスロビー内のターミナルで停止する。

 横移動エレベーターを降りると、慣れた動きで職員用ゲートを通過する。

 脳波認証チェックシステムは彼女を識別し、迅速にゲートを開いた。

 ゲートでも、そして通路の至る所でも、手荷物や金属、熱源の所持は様々なカメラやセンサーで審査される。

 各階エレベーターの出入口にもゲートがある。

 廊下と様々な部署のあるオフィスフロアとを隔てる出入口通路には、両端にゲートが置かれ、通路内に機関銃を装備した警備兵が立哨していた。

 『総務部フロア セキュリティ・レベル4』と警告表示されたその最終ゲートも、さざれは通過する。

 警備兵に会釈しながら、さざれは自分の所属する部署へと到着した。

 総務部は、横80メートル、奥行き150メートル以上という大型のフロアを細かな部署や用途別に仕切った造りになっている。

「おはよーございます……って、わわ、やっぱり皆さん大変なことに」

「早瀬さーん、遅いとは言わないけど、もうちょっと早く来てほしかったです」

 顔合わせ早々恨みがましい声の同僚に手を合わせて、さざれは自分の席に着く。

 彼女が椅子に座ると同時に、彼女の処理すべき無数の案件が、机上の立体画面に浮かび上がった。

 彼女の仕事は立体画面の中だけにある訳ではない。

 紙にプリントされた書類のファイルもそれなりに積み重なっている。

 この時代でも、多くの記録は紙に残して保存されるものが多かった。

「うわあ……」

 さざれの声にも泣きが入る番だった。

 呆然とする彼女を見て、同僚は言わんこっちゃないと言う顔をする。

 気を取り直して、ファイルの処理に取り掛かるさざれ。

 数件目を通している内に、彼女は今何が起きているのかを確信した。

「ね、やっぱりあれですか? 起きたんですか……時間改変」

「だろうね。起きたって言うか、起こされたって言うか」

「どこですか? やっぱり例の“ORE”ですか? それとも最近、技術秘匿疑惑が出た、中東の――」

「その辺の情報は流れて来てませんね。建前として部外秘でも、大抵ここまでは情報来るものだけど……まだ、調査中なんじゃないかな」

「今朝のニュースで出ていた、山の中のライフルやロケット絡みですか。という事は、もし改変があったとすれば、場所は日本……」

「多分ね。さっき、各時空域で駐留中の“エージェント”にも召集かかって、ポイントから呼び戻されたって言うし」

「エージェント……ほ、本当ですかっ!?」

 突然、のけぞりながら首を後ろに回して叫んださざれに、同僚はぎょっとした顔を浮かべる。

「一体何ですか。びっくりするじゃない」

「あ、す、すみません」

 顔を赤らめてデスクの画面に向き直る。

 さざれが興奮したのには二つの理由があった。

 一つは、単純に今回の案件が「エージェント隊員が一旦招集される」程の大事件だった事への驚きだ。

 自分の時代(・・・・・)で事務作業や管制や設備管理、その他バックアップ業務に携わる、さざれの様な一般職員。

 彼女達とも違い、情報部、調査部、対策部、対処部の4部門に所属し、直接に他の時代へ送られる、時間航行監視任務遂行要員(TMP)・通称『エージェント』は、特別時間航行資格を持ち、民間や政府の調査団よりも簡易な手続きで時空航行が許可される。

 その他にも、余計な情報を一切与えられずに過去へ送られ、現場での短時間の作業や戦闘にのみ従事する、特別工事班、特別武装班なども存在するが、エージェントに認められている時間航行資格はそれらとも別格だった。

 22世紀初頭に突如、時間航行技術が発見された。

 様々なトラブルと議論を積み重ねた果てに、2135年、国際条約によって一国による技術の独占を禁じ、同時に民間や条約非加入国への技術流出を防ぐ為の国際機関「時間航行条約機構管理局」が設立される。

『エージェント』は長い期間、それ以前の時代の各ポイントに駐在していた。

 彼らは定期的に、複数の時代ポイントを巡回したり、駐在時点を移動したりする事によって情報を交換し、歴史のずれや改変の早期発見に努める任務に就いている。

 一度異常が発見されれば、ずれや改変されたポイントと変化内容を調査し、その結果に応じて、それが起きた時間域に赴いて、改変そのものを『未然に阻止』する。

 一体どれだけのポイントに、どれだけの過去に遡って、エージェントが常駐しているのか、一般職員では知る事が出来ない。

 そして、現在だけでない――『どれだけの時代拠点からの』エージェントが、時間を行き来しているのかも。

 一つの事件に対応するエージェントの数は、その事件の規模や犯人の規模に左右される。

 現代――『この時代ポイント』だけに限っても、彼ら全員が招集されると言うのは、かなりの高レベルの事態であると言えただろう。

 例えば、「歴史が大きく塗り替えられる改変を、一国の機関または、国際犯罪組織が技術を入手して関与している」場合だ。

 さざれが一昨年、難関試験を突破してこの機構の一般職員に就職した時から今に至るまで、そんな案件は一度も起きていなかった。

 彼女にとっては、初めて体験する大事件となる。

 興奮するのはある意味で当然だった。

 もっとも、彼女以外の同期、あるいは一年後輩に当たる職員達の多くは、彼女同様に初体験となる筈の大事件に、興奮どころかげんなりした顔を浮かべてさえいたが。

「早瀬さん、何か……顔、輝いてません?」

「えー、そうですかあ?」

「うん、羨ましいですよ。早瀬さんこういうのにワクワクするタイプでしょ? 私、最初あなたの事、ただの堅物だと思ってたけど、最近分かって来た」

「だって、こういう歴史や時の流れのトラブルに直面するって、それが現実になっても、やっぱり凄い事じゃないですか? 昔だったら小説のネタになる位のロマンですよ」

「昔は昔です。私は量子学専攻していたから大学で勧められて入っただけで、大事件対応なんて、疲れる仕事が増えただけとしか思えないからね」

 やれやれと言った様子で呟く同僚に、さざれは小首を傾げる。

 “あの人”は本当に、どんな理由でここに……“あそこ”に入ったのだろう。

 彼女が興奮したもう一つの理由。

 まだ言葉を交わした事も数えるほどしかなかったが、自分の班がサポート担当となっているエージェントに、気になる人がいた。

 今回の案件で、きっとその人も戻って来る。

 久しぶりに会えて、話をする機会もあるかもしれないと思ったのだ。

 そして、『その時』は、彼女が期待していたよりも早く訪れた。


 上階エリアに書類を届けた帰り途。

 廊下を一人で歩く、その細い背中を見つけた。

「……紫苑さん!」

 さざれが大きめの声で呼びかけると、相手は歩みを止めて振り返った。

 暗赤色のユニフォームブルゾンを着た女性が、長い黒髪を揺らしながら頭一つ背の高いさざれを見た時、微かに驚くような表情を浮かべた。

「お久しぶりです。駐留先ではお元気でしたか?」

「……」

「今、戻ったばかりなんですか?」

 話しかけても彼女は返事をしない。

 まつ毛の長い瞳で、無言のまま、さざれを見返している。

 教育制度とカリキュラムの変化によって、18歳で大学卒業が出来るこの時代。

 20歳になったばかりのさざれにも、小柄なエージェント隊員、路辺(みちべ)紫苑(しおん)は、彼女より更に幼く見えた。

 実年齢は全く分からない……さざれより年下の筈はなかったが、どう見ても彼女の外見は16~7程度だった。

 じっとこちらを見ている紫苑に、さざれはようやく自分が相手にとっては、『何度か喋った事のある一般職員』でしかないという事に思い至る。

「あ、し、失礼しました。総務・参照局の早瀬さざれです。前回の任務ではお世話になりました」

「あ……うん」

 名乗られて、紫苑は初めて返事を返して来た。

 彼女が驚いたのは、やはり覚えていなかったからだと、さざれは納得する。

 しかし、その直後、紫苑の顔に浮かんだ表情にも気付いた。

 それは一瞬の事だった。次の瞬間には、いつもの彼女の顔――感情を見せない、それでいて意志の強さを思わせた顔に戻っていた。

「大変な事になったみたいですけど、今回も一緒に頑張らせて頂きますのでよろしくお願いします」

「……どうして?」

「え?」

「どうして、知っているの……『大変な事になっている』って」

「そりゃあ、私みたいな雑用でもTiNaTOAですから。表の報道でまで、時間犯罪を匂わせる武器の紛失と発見が発表されて、庁舎中で大騒ぎじゃないですか。事件が起きてる時って、裏方でもこうですからね。今回はそれにしても桁違いですが」

「表の報道……そう、ここでは“そういうこと”に、なってるのね」

「……え?」

「いえ」

 少し、意味不明な呟き。

 さざれからの聞き返しに紫苑はかぶりを振り、少し間をおいて尋ねた。

「資料室から出て来たみたいだけど、これから戻るの?」

「はい。紫苑さんはこれからどちらに?」

「会議よ」

「という事は、地下エリアですね。エレベーターまでご一緒してもご迷惑じゃありませんか?」

 紫苑は微かに、さっきの様な顔でさざれを見た。

 今の言い方が、ちょっと他人行儀過ぎたのだろうか。

 さざれはそんな心配をして、もっと普段通りに彼女に接しようと思い直した。


 普段……今まで……この人と、どんな感じで話していたっけかな?


「向こうでは、朝ごはん、ちゃんと食べてましたか?」

 エレベーターを待っている時、さざれがそんな事を聞いた。

 これはよく覚えている。紫苑と以前話した時、彼女も朝食をきちんと食べる派だったと聞いて、親近感を覚えたのだ。

「うん、時代に生活習慣を合わせるのはエージェントの基本だから。私の場合、他の隊員と家族を装って子供役をする事もある。食糧難の時代でもない限り朝食を食べない家なんて、不自然すぎ――」

「もう、そんな事じゃなくて、仕事関係なしに食べないと力出ないよって話です。紫苑さん、前もそんな事言ってて、私も言ったじゃないですか」

「そして、私はこう答えた……そうは言っても、飢饉の時代に十分な食事をしている者なんていたら不自然でしょう。仕事関係なくという訳にも行かないよ……って。あなたの言う朝食の考えは正しいと思うよ」

 やはり自分の記憶は正しかったし、紫苑も自分との会話を覚えてくれていた。

 さざれは先程までの漠然とした不安から、少しだけ解放されたのを感じる。

「こっそりでいいから、そんな時代でも食べましょうよ。体壊したら任務どころじゃありません。いくらエージェントでも神様じゃないんですから」

 さざれの提案に紫苑はクスっと笑う。

 今日再会してから初めて見る彼女の笑顔だった。

 エレベーターが到着し、二人で乗り込む。

 それぞれの行き先を押してドアが閉まると、音も重圧もなく階数表示だけがするすると減って行く。

「神様じゃない、か……私は、そんなに弱そうに見えるかな」

 エレベーター内で、呟くように紫苑が尋ねて来る。

「見た目が骨と皮だけになっても、内部に体力を維持するパワードラッグもエージェントにはあるのだけど、あなたの言っているのはそういう栄養摂取の話じゃないのでしょう?」

「私だって知ってますよ。そういう体力維持はかなり辛いって。体は動くのかもしれないけど、お腹は空いたままだとか」

「うん……」

「ほら、朝ごはんって栄養だけじゃないです。今日も一日がんばるぞーって言う、気持ちを作るっていうか、ね?」

 エレベータの表示階は、もうすぐさざれの総務部エリアという所まで来ていた。

 彼女は思い切って尋ねる。

「あの……向こうで、何かありましたか?」

「え?」

「紫苑さんって時々、すごく……仕事をするのが辛いというか、悲しいというか、そんな感じの時があって」

「仕事が……悲しい?」

 さざれは小さく頷く。

 彼女の事が気になっていた一番の理由。

 さっきさざれに会った時も、彼女の顔にまず浮かんだのは、悲しみの表情だった。

 何がどうして悲しいのか全く分からない。

 だけど、遠慮がちに呼びかけた時も、それ以外のふとした瞬間にも。紫苑は、こちらの時代に戻って来た時、人や物をぼうっと見つめてよくそんな顔をする。

 一般職員から、のみならず外部の時間航行に関心のある世界中の人間から、羨望と尊敬を集める、機構のエージェント隊員。

 この世界に憧れ、機構で働く為に子供の頃から猛勉強して夢を叶えたさざれにさえも、手の届かない雲の上の世界だった。

 どんな人間がどんな資格を認められてなるのか、どんな理由でなるのか、機構の一員となっても尚、その多くが謎に包まれていた。

 過去の任務から招集されて帰還した紫苑を初めて見た時、想像通りの「エージェントに選ばれる」人間だと思った。

 見た目は自分よりも小さく見えたが、底知れない能力と精神力を感じさせ、端正な美貌を持ち、何もかもが謎めいているエリート中のエリートだと。

 しかし、何度も顔を合わせて行く内に気付いた事がある。

 任務の後、ここへ戻って来た時の彼女は、いつも頂点の誇りや最前線の充実というものとは全く違う、どこか「無理のある」空気を漂わせていた。

 任務に失敗している訳でも、満足な成果を出していない訳でもない事は、庁舎に回ってくる情報からも分かる。

 彼女が対応した案件は、いつも優れた成果を伴うものであり、むしろエージェントの中でさえも特に優秀と評価されているらしい事は明らかだった。

 それでもだ。彼女はエージェントの任務を、「機構」の仕事を嬉々としてこなしている様には見えない。

 弱音を見せているのとも違う。何か「苦行」の様なものとして受け止め、それを受け入れようとしている。それが彼女の任務への態度として一番しっくりくる見方だった。

 そんな紫苑の姿を見ている内に、憧れや垣間見せる親近感と相まって、さざれの中に一つの疑問が生まれる。

 この人は、どんな経緯で、どんな動機でエージェントになったのだろうという問い。

「そんなこと……言われた事なかったな(・・・・・・・・・)

「え?」

「そうか……それが、あなたの(・・・・)感じた事なのか……」

 紫苑が不意に呟いた。

 さざれは彼女の呟きを、「誰にも言われた事なかった」という意味だと捉えていたので、次に言った事の意味はよく分からなかった。

「あの、紫苑さんは、どうしてエージェントになったんですか?」

 紫苑はまた笑みを浮かべた。先程の笑いとは違う、淋しげな、どこか諦めた様な微笑だった。

 微笑んだまま彼女は、エレベーターの扉を指差した。

「着いたよ」

 扉は開き、表示階はさざれの行き先階を示している。

「あ、答えたくなければいいですから! 今度、お話しましょう。私も自分の話聞いてほしかったんです」

 慌てて降りながらさざれが降りると同時に扉は閉まり、エレベーターは再び降下を始めた。

 


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