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「『ブーストラップ』より『カイロス』。5秒後跳躍後、cと合流し、指定の時間位置座標へ跳躍せよ。彼らの全滅を修正する……なお、重要登録対象の出現が確認されている。十分に注意せよ」
「……何だって?」
紫苑のミッションが片付くと同時に送られて来た、新たな指示。
思わず聞き返す。
紫苑も管制の返答は期待していなかったし、現に、管制からの反応はなかった。
c対応グループ、つまり、彼女自身も便宜的に所属する『12モンキーズ』を含むグループ。
これが全滅していた――生死と関係なく『全員行動不能』となれば全滅と表現されるものだが、大抵の場合、『全員死亡』を意味していた。
そしてもう一つ――『ORE重要登録対象』
TiNaTOAのデーターベースにおいて、ORE構成員として特に重要視されている人物。
つまり、『幹部または幹部と目される者』の事であった。
小さな松林に挟まれた曲がりくねった道。
途中に小さな神社が建っている。
そこに十人近いORE構成員と、倒れたエージェント達の姿があった。
地べたの仲間の一人一人を見ない様にしながら、紫苑は跳躍する。
開けた数十秒前の視界。
全滅した筈の6名はまだ全員揃っていたが、同時に、視界全てにORE工作員の陣形が整然と広がっていた。
およそ12~3人。
さっき聞いた人数よりも、今見た数十秒後の人数よりも多い。
それは、虐殺の始まる一瞬前の光景。
紫苑は声も上げずに、砂利道を敵へと疾走する。
「『ゴインズ』より『カイロス』へ。『ドニーダーコ』『エヴェレット』被弾にて死亡確認。指定座標に飛び、背面支援にて阻止しろ」
「了解」
「その後で、『12モンキーズ』を助けてくれ」
どこかに隠れて応戦中らしい、この時間の橋爪からの通信に答えると、目の前に浮かんだリンクに触れる。
彼女の視界は歪み数十秒前の別の場所へと切り替わる。
目の前に二人のエージェントの男女。
こちらに背を向けて、小さなブリキ小屋の陰から前方の敵へ応戦している最中だった。
「『タンブリング・バーレル』で片付ける。連続跳躍レベルS4を許可しろ」
「緊急度を送れ」
「救命だ」
「了解」
すぐさま振り返ると、数個の赤枠を表示させて出現した敵へと無音銃を撃ち込む。
1秒の区切りで過去と未来への移動を繰り返しながら、計算通りの銃撃を繰り返す。
一つの時間軸の中ではその動きも視認出来ない、時間軸上のアクション。
応戦しかけたOREの武装工作員は倒れもせず、赤枠ごと消失した。
まるで、始めからそこに現れなかったかの様に。
敵は紫苑からの反撃に倒れ、更に跳躍して来た仲間からの指示によって、事前に結末を知らされ襲撃を断念したのだ。
「『カイロス』より『ゴインズ』へ。二人の死は回避された。先の座標へ戻……助けに行く」
「了解。作戦指導部が出て来ると厄介だ。この先連続跳躍は使わず、モジュールのゲージは溜めておいてくれ」
橋爪の言葉に、紫苑は自分のモジュールの短軸跳躍ゲージグラフを見直す。
基礎エネルギーが半分近く減っていて、出力ゲージも少し危うい。
仮にもう一回、連続での短軸跳躍技を使ったなら、あと数時間は短軸跳躍が出来なくなる。
「了解」
彼女の援護に気付かないまま、戦い続けている『ドニーダーコ』『エヴェレット』に構わず、リンクを押して、彼女は先程の時間に戻った。
倒れた筈の……倒れた様な気がする……敵や味方が、気が付くとまた何事もなかった様に銃を構えている。
自分もひょっとしたら、この銃撃戦で「何度か死んでいる」のかもしれない。
そんな事をふと考えた。
しかし、解けた三つ編みが、「いつのまにか元に戻っている」事はなかった。
戻った時間では、十メートル程前で、女性のエージェント隊員が身を屈めながら駆けて行く所だった。
時代に合わせて黒く染めたショートカット、気の強そうな目元。
姫月あやめだ。
数発の空気音。
その姿が紫苑の目の前で煙と血しぶきを立てて跳ね上がった。
「――!」
あやめの身体は進行方向へゆっくりと倒れ、一度だけバウンドしてそのまま動かなくなった。
今の状況から考えて、彼女が死んだまま放置される事はあり得なかった。
放っといても、誰かが救援に向かい阻止し、今の瞬間そのものをなかった事に出来るだろう。
「連続跳躍レベルS5を許可しろ」
「おい! あんた、ゲージ……」
「緊急度を送れ」
「『ナナセ』複数被弾。即死状態――『時系列をまとめて織り直す』」
橋爪の制止の声を無視して、紫苑は管制へ連続跳躍の申請を行なう。
救命条項に関する理由だった為か、すぐに承認の信号が返って来た。
「発動――『ブローバック』」
次の瞬間、紫苑の姿がぶれた。
そして、消音銃の電気音が、本来不可能な筈の速度での連射となって響いた。
紫苑はぶれた姿のまま、前方へと身体をスライドさせる。
更に次の瞬間には、後方へ姿勢を変えないまま、正反対にスライドしていた。
彼女の背後に出現し、狙おうとしていた敵数人が弾け飛ぶ。
彼女の動きは、その動作のコードネーム通りに、銃の遊底の反動に似ていた。
細かな跳躍によって、小刻みの時間で前と後ろへの発砲を繰り返す、時間跳躍能力を応用した双方向攻撃の一つである。
彼女が敵の隊列の真っ只中に出現した時、数人のエージェント隊員がほぼ同時に出現した。
OREの隊列は割れ、数十メートル離れて彼らを挟む様に再編され、応戦を始めた。
そこへ更にエージェントが一人、二人と出現し、増えて行く。
OREも、エージェント隊員も、点滅する様に出現と消失を繰り返し、静かに銃弾の飛び交う激しい銃撃戦の中でも倒れる者は出ない。
何度となく、撃たれる事が仲間によって「未然に阻止」され続けているのだ。
4秒前、あやめのすぐ目の前で、紫苑の一連の動作は終了した。
彼女と向かい合う様に突如出現した紫苑へ、彼女は顔を歪めた。
そして目の前に構えられた無音銃を凝視する。
紫苑の視線は、あやめにではなくその背後へ出現する赤枠に向けられていた。
紫苑は赤枠の一つ一つへと、正確に銃撃を加えて行く。
あやめは背後を振り返り、再び紫苑へ向き直った。
「あんた……」
「今は撃たれていないわね? 右にもいるわ。集中しなさい……前は引き受ける」
赤枠が消失し、再出現がないのを確認してから、紫苑は前へ視線を向ける。
あやめは右を向いて銃を構え直し、撃ち始めた。
「恩を着せるつもりなら……」
「知らないわ。仲間を救出するのはエージェント隊員の最低限の義務。そして……私があなたを見捨てたなら、その事実は、時間軸が変わろうと私から消えてなくなったりはしない」
憎々しげに言うあやめへ紫苑はそう返した。
しおんの返答に、一瞬あやめは彼女をぽかんと見つめる。
「言ったでしょう。集中しなさい」
「わ、分かっているわよ!」
右へと向き直るあやめ。
紫苑は前方の敵が排除されたのを確認すると、また跳躍する。
前方、祠の後ろで敵が数人列を組んでいる。
紫苑の出現と同時に、一斉に銃口を向けて来た。
人数が多いだけじゃなく、明らかに、今までの工作員と動きが違う。
もう連続跳躍は出来ない。
単発の短軸跳躍だって、飛べる時間、回数はかなり限られて来る。
彼女は一歩前へ踏み出しながら、ベストのタイミングを量ろうとした。
およそ半数が掻き消え、残りが通信で何事か話しながら銃口を構え直している。
彼らが連続跳躍の発動を警戒しているのだと気付いて、紫苑はフェイントで、偽の発動態勢を取ろうとする。
「――タンブリングバーレ……」
その時不意に、長いブザー音を伴って視界の全てが赤く染まった。
敵の時間跳躍者が至近距離に接近した事を告げる警告だった。
「――おひさしぶりだね、しおんちゃんっ」
「……お前はっ!」
すぐ目の前からの声に、紫苑は叫ぶ。
彼女から数センチの空中に、両手を後ろに組みながらふわりと舞い降りた人間がいた。
流暢な日本語だったが、この時代のこの国で公然と歩ける姿の人間ではなかった。
波打つブロンドヘアに緑の瞳、紫苑よりも更に背が低い。
幼い顔立ちは15歳以上には到底見えない。
この時代の日本に潜伏していなかったのは、服装から見ても明らかだった。
黒と白のサテンがひらひら揺れる、ゴシック風のドレス。
髪に差した、ドレスと同配色のカチューシャ。
彼女がたった今、他の時代からやって来たばかりだという事を明らかにしていた。
彼女は紫苑に笑いかけると、軽やかなステップで後ろへ下がった。
「『レッドキャンディ』……ORE楽園委員会、作戦指導部指導官、ロッテ・ファン・ダイク!」
「また会えて嬉しいなっ。ね、しおんちゃん、二人の再会の記念にね……ちょっと死んでくれる?」
少女が笑いながら両手を揺らめかせると、次の瞬間、そこに古い短機関銃を構えていた。
その銃口は真っすぐ紫苑の額に向けられている。
「――路辺隊員!」
「――アドバイザー・ロッテ!」
二人の間に、何人ものエージェント達とORE工作員達とがばらばらに出現し、互いに銃を向け合いながら割り込んで来る。
あやめも、半ば取り押さえる様にして紫苑を足止めしていた。
「やだなあ、冗談冗談。だって、こういう場所で音出しちゃダメって、みんなに教えるのが私のお仕事なんだよ?」
「私ごときに貴女の意図は忖度しかねます。アドバイザー・ロッテ」
無表情でロッテの引き金に掛けた手を押さえている男に、彼女はつまらなさそうに口を尖らせる。
紫苑のバイザーは、その長身短髪の男もOREの幹部クラスである事を告げていた。
エージェントの誰かが、緊張した声で彼の名前を呟く。
「ORE第4工作局エリアマスター、イシガキイチロウ……!」
ORE武装セクションの一つである『第4工作局』
そのトップであるこの男が、今回の計画の中心人物である事はほぼ間違いない様だった。
もう一人、この『作戦指導部』所属でOREの中枢『楽園委員会』のメンバーでもある少女とともに。
「ふん、貴様ららしくもないな。機構管理局……全て、お開きだ」
「アハハハ、おーひーらーきー。分かってるなあイシガキさん。私が来たのも、終了のお知らせなんだよー。あと4分でね、ここを通りがかりの人が見つけちゃって大騒ぎになっちゃうんだよっ」
ロッテの言葉に、エージェント隊員達は顔を見合わせる。
ORE側も殆どの工作員達はぽかんとしてそれを聞いていたが、イシガキが手で合図を送るとある者は消え、ある者は合図を出し合って固まって道の奥へと走り去る。
バイザーに通信が入ったのはその直後だった。
「――『ブーストラップ』より各局、20時46分、現地住民に戦闘が目撃される。対策部よりこの先の状況継続が不可能と結論。エージェント総員現場より撤収し目撃を回避しろ。繰り返す――」
ねっ、と言いたげにロッテは小首を傾げて微笑む。
「いくら無音銃だからって、夜こんな静かな町で、延々こんな撃ち合いやってて、誰にも見られないって無理でしょって」
ORE構成員の姿はすっかり消え失せていた。
エージェントとの交戦で時間航行装置を破壊された者、身柄を確保された者を除いて。
「押収された武器と……捕まった仲間は置き去りで?」
「あー、何割かそうなるのは織り込み済みだもん。運びたい分はもう運んじゃったから問題ないの」
紫苑の問いに、イイ笑顔でロッテはあっさりと答えた。
「結局死人も出なかったし、TiNaTOAは捕まえた人を拷問なんてしないんだから、その点も安心だよねー。奪還とか交渉とかは後々考えればいい訳だし、ねっ」
敵味方構わず見回して答えを振るが、ロッテのその言葉に異を唱える者は皆無だった。
彼女の言う通り、OREは必要な武器や資材の移送に成功し、TiNaTOAは決して少なくないORE工作員の検挙に成功していた。
「一勝一敗の痛み分けで一件落着って所かなっ……でもねえ……」
ロッテは言葉を切ると、また軽やかに紫苑の前に立つ。
紫苑の目の前で浮かべていたのは、目の笑っていない酷薄な笑みだった。
指でドレスの襟元をずらして、左肩を僅かに見せる。
その小さく白い肩に、弾丸の貫通した様な抉れた痕が僅かながら残っていた。
「体感時間では大分前だったけど、結構痛かったんだからね……しおんちゃんは絶対マジで殺す」
「一昨日、山で機関銃撃って来たのは、やっぱりお前か。ロッテ」
ロッテはねめつける様な眼で紫苑を一瞥する。
問いには答えず身を翻すと、次の瞬間、その姿が跡形もなくかき消えていた。




