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この時代にしては大きめの、4階建てのビルの裏。
表通りと比べると道全体に影が差して薄暗く、通行人の姿もない。
道向かいには木造の民家が並んでいたが、裏手となっていて人が出入りする様子はない。
紫苑にとっては好都合だった。
通話を双方向モードに切り替える。
「『カイロス』より『ブーストラップ』。移動中周囲に現地人なし。目的地での対処円滑の為、マップ表示を戻す」
「了解。くれぐれも一目に注意せよ。対処も指定の時間域内にて実施せよ」
バイザーの機能レベルを上げ、画面表示を復活させる。
浮かぶマップを確認すると、この先の角を右におよそ7メートル。
そこからまた角を左に8メートル。
そして、T字路を右に――1~2メートル。
青い円2個が点滅している。そして、赤い円2個がT字路から出て来た。
赤い円はそれだけじゃない。その後ろに3つ。
さらにぽつんと1個、何もない所から突然現れて、3人の仲間を先導している。
『ORE―UNDERCOVER』『ORE―UNDERCOVER』『ORE―UNDERCOVER』
『TRSP』
『ORE―UNDERCOVER』
『SUSPICTION』『UNKNOWN』
先頭の男だけ、表示が他の者と違っていた。
チカチカする青い円は、少しも動かずT字の先に留まっている。
その意味する所は、紫苑も、他のエージェント隊員達も分かっている。
『あと7秒で対象と接触。短軸跳躍は接触直後に発動せよ――対象の人数と顔を確認』
角を曲がると日射しが視界に降り注ぎ、マップやテキストが薄れる。
こうなると自分も見にくい反面、傍目からも殆ど見えない。
紫苑は画面表示させたままで、行き交う人を縫って小走りに進む。
左折と同時に、女性のものらしい悲鳴が響いた。
「誰か! 人が、人が倒れてます――今の人に刺されたん」
声は数メートル前から聞こえ、目の前をマップの赤円と同じ配列で、数人のワイシャツ姿の男がこちらへと駆けて来る。
先頭の男に、どこか見覚えがあった。
男も紫苑を見ると、口元を緩めてへらっと笑う。その表情で、紫苑は更に彼の事を思い出す。
男が手元の消音銃を紫苑へ向けるより先に、彼女の視界は暗転した。
『cd:leap dir:past tm:00.05.36.04』
視界が戻った時、全く同じ風景に、男達の姿だけがない。
モンペ姿の中年女性が前からT字路へと向かっている。
きっと、『2秒後に、悲鳴を上げた女性』だろう。
じじじじじじっ!
曲がり角へ踏み込む直前、空気の焼ける音と臭い。
自分へ何かが滑って来る。
目の端でそれがブラスターナイフの刃だと認識するよりも前に、紫苑は身体を捻ってそれを躱す。
口ににやけた笑みを貼り付けた、赤茶けた短髪の細い優男。
肘と手首を返して、波打つ様なモーションで刃が返って来る。
『ORE―UNDERCOVER』
――『OPLS』
男の顔の横に浮かぶ文字。
それを視界の端に留めつつも、紫苑はブラスターホルダーの握られた男の右手を左手で押さえ、一歩踏み出して懐まで詰め寄る。
右腕を上げると、肘で胸、顔の順に強打し、続けて顎と鼻と目に掌底。
その後、男の右手からブラスターホルダーを奪い取ると同時に、股間を蹴り上げ、次に左膝の皿へ蹴り降ろす。
手応えはあったが、男の倒れる姿は見えなかった。
次の瞬間、男はその場から忽然と消えていたからだ。
「――ちっ!」
紫苑は思わず舌打ちをし、奥歯を噛みしめながら男の消えた空間を睨みつける。
その向こうでは、この時代の人間の服装をしたORE構成員達が、こちらからの増援数名に銃口を向けられ、両手を上げている所だった。
軍人の格好をした男が、勤労奉仕の学生に銃を向けられ降参していたりするのだから、この時代の人間から見れば物凄く奇妙な光景だが、未来人達の関知する所ではない。
倒れているエージェント隊員の姿はなく、彼らもOREの拘束に加わっている。
『過去からの救助』に成功したのだ。
そして、さっきの男は、モジュールを押収される前に『未来からの逃亡』に成功したのだろう。
路上に転がって紫苑に取り押さえられたであろう彼が、何分後に装備解除を振り切ったかは知らないが、最後の到達点がさっきの時間だったのだ。
周囲に突然出現した様な駆け足の音は聞こえない。
それ程の距離を取っての跳躍だったとなれば、今からの追跡は諦めるべきだろう。
「『ブーストラップ』より『カイロス』。当作戦従事中の行動について。Bレベルの指示違反。危険行為が4件。Cレベルの無視と誤認が7件。『12モンキーズ』班長より訓告を受けよ。処遇は後日決定する」
影の様に現れた確保者移送班によって、捕えたOREメンバーがどこかへ連れて行かれた後、紫苑のバイザーに短く音声通信が入った。
市内で存在を確認されたOREの移送ライン4件、その中の3件が制圧された。
1件は制圧タイミングが調整出来ず、最終的に市外へ逃がすしかなかった。
そして、実際にあった移送ラインがこれだけだったという保証もない。
それでも、想定上、この結果はまずまずの成績だったと言える。
視線を巡らすと、防火水槽の傍らに橋爪が立っている。
バイザーで何かの書類を処理しながらも、彼女をじっと見ていた。
紫苑が橋爪の前まで歩いて行くと、彼は目の前で動かす指を止め、彼女へ声をかけた。
「何の話かは分かってるな?」
紫苑は答えず、肩をすくめる。
「何だあの態度は」
「マジで分かってないんじゃないの、馬鹿だから」
ぼそぼそと交わされる彼女を罵る会話は、姫月あやめではなく男のものだった。
近くで二人を見ていた男性エージェント3~4人が、冷たい視線を紫苑に向けている。
あやめも別の所で紫苑を横目で見ていたが、彼女は無言で自分の作業に取り掛かっている。
その向かいで心配げな顔を向けているのは、紫苑を慕う小石川はやて。
紫苑を擁護しに行きそうになっているのを、あやめに牽制されている感じだった。
紫苑を見て、周りの仲間の様子を一瞥してから、橋爪は言葉を続ける。
「援護班のあんたが思いっきり先制攻撃してたな。そして、攻撃に何を使った? 自分の口で言ってみてくれ」
「ブラスターガンナイフHR10」
「向けた先の荷物に何があった?」
「自動小銃、予備弾倉と弾丸、携行型ミサイル『バルキリー・シューズ』弾頭」
橋爪はその答えに、無表情のまま頷く。
紫苑が答えた後に、橋爪をじっと見ながら言葉を続けた。
「だけど制圧は成功した」
「だから訓告止まりになってるのさ。失敗してたら、あんたは既にここにはいない。結果オーライで済む話じゃないのは、さすがにあんたも分かってるよな?」
橋爪の後ろまで近寄って来ていた男性隊員達が、抑えた笑いを漏らす。
「班長も認めざるを得ないか、この頭の悪さ」
紫苑は、首を縦にも横にも振らず、橋爪を見返したまま、再び口を開く。
「ああしなければ、取り逃がしていた」
「その方がずっとマシだった」
橋爪は溜息交じりに紫苑の抗弁を一蹴する。
「マシ?」
「そう、マシだ……あんたの行動が引き起こしたかもしれない展開と比べればな」
「街中でのミサイル弾頭爆発?」
「分かっているじゃねえか」
紫苑の問いに、少し意外そうな顔で橋爪は答える。
「歴史影響度が、ちょっと揉み合った、ちょっと発砲したどころのそれじゃない。いくらこの時代は、日本の歴史上唯一『街中での爆発』が不自然じゃない所だと言ってもだ……小手先の調整じゃどうにもならない、こっちの作戦を丸ごとこの時間から消さなくちゃならなくなる」
「その時はそれでいいじゃない」
「……何だって?」
「あるべきでない歴史が生じたら、いつだってそうやって対処するのが機構よ。眼前の歴史改変に、何もしないで放置する事よりその方がよっぽどマシじゃない?」
橋爪は絶句して紫苑を見返す。
紫苑は彼の表情が固まるのも意に介さない様子で、更に彼に質問した。
「どっちがマシか、どっちが重大かなんて、そんなもの私達にとって何の意味があるの?」
「何の意味って……それが俺達の任務の……」
紫苑は言い淀む橋爪の呟きを遮って、淡々とだが言い放つ。
「私達にとって意味のある事は、たった一つ。今目の前にある任務を片付けるという事だけ」
「な……何言ってんだ……こいつ?」
周囲にざわめきが響く。
数人の隊員は、あからさまに橋爪と紫苑を凝視していた。
作業の手も止め、この時代に溶け込もうとするのも忘れて。
時折辻から現れるこの時代の通行人も、そこにいる人々に違和感を覚える程だった。
「いかれてる」
隊員の一人が紫苑を横目に苦笑しながら、こめかみの横で指を回す。
あやめがこっそりとだが額を手で押さえている。
「私達の任務の後には何も残らない。成果も、過ちも、何一つ。そこに残るのは唯一の歴史だけ」
紫苑は右のお下げを軽く指先でつつく。
いつも指で軽くすく後ろ髪がないのに、少し違和感を覚える。
いつもよりも自分の近くにいて、色々と文句を言って来る同僚達にも。
「だったら、そこにある仕事に取り掛からない私達に、存在意義はこれっぽっちもない」
「あのさ、仕事って、まず言われた通りの事をきちんとする事じゃねえかな……」
「当然よ。だけど、私達は歴史を守る側として、これが改変だと説明を受け、戻す為にこうしろと任務指示を受けている。一番大事な事はそこにある。行動の一つ一つに歴史への影響を心配する事なんかじゃない」
橋爪と紫苑の会話に、再び周囲から失笑が湧く。
「ダメだ、やっぱり訳分かんねえ」
「歴史に変な跡を残したら、我々の任務は台無しに決まって……」
「やっぱりよ、こいつ『バグ』じゃねえの」
不意に聞こえた不快な単語に眉を寄せながらも、橋爪は念を押す様に紫苑へ尋ねた。
「あんたのその発言……上に報告する事になるが、構わないか?」
「どうぞ」
「あんた、多分、疲れてるんだよ……俺は正直、あんたを次の作戦に投入したくない」
むしろ自分が疲れていそうな声で、橋爪は言った。
「しかし、プラン上、俺の独断であんたは外せない。後藤のおっちゃんも何て言うか」
「『ブーストラップ』より各局。指定時刻より2分後へ跳躍し、その後各局ごとの指示に沿って短軸跳躍し、速やかに撤収しろ」
最後の移送手続き送信を終了すると、管制より文字表示での指示が入る。
「撤収後、指示あるまで待機。『コネチカットヤンキー』『カイロス』『プロテウス』はその場に待機し、通行人を確認後撤収しろ」
エージェント隊員も班ごとに手で合図を送りながら次々と姿を消して撤収する。
ぱっと掻き消える者もいれば、現れた後、早足で離脱する者、何度か点滅する様に出没する者もいた。
2分後に一斉に出現し、最後に消えて、現場には紫苑を含めて3人の隊員が残された。
女学生姿の紫苑に、国民服を着た30代と50代の男。
さっき彼女に険悪な視線を送っていた隊員ではないが、それ程親しい隊員でもなかった。
3人は一度だけ目配せすると、互いに知らない者同士を装う。
辻から出て来る人の気配があった。
紫苑は横目でその様子を確認しようとした時、表情が固まる。
「……むっ?」
現れた男もはっきりと彼女を見ていた。
視線を外す事もなくずかずかと彼女へ向かって近付いて来る。
紫苑は踵を返して駆け出した。
「まあた貴様かっ! 頭は直しても懲りもせんと徘徊しちょるからに!」
憲兵に追われて逃げる紫苑を、残り二人のエージェント隊員は呆気に取られた表情で見送った。
バイザーに表示されるナビゲーションに従い、街外れに待機していた木炭車のトラックの荷台に乗り込む。
憲兵を撒いた後、紫苑は指示された無人の商店に入って、昼過ぎまで待機していた。
日用雑貨を扱っている店の様だったが、商品もなければ営業していた形跡もない。
何もない商品棚の上に戦意高揚ポスターが埃を被って貼り付けられている。
バイザーのナビは、そこが今回の作戦用に設置されたTiNaTOAエージェントの為の会議、待機スポットの一つである事を表示していた。
TiNaTOAに『本来存在しない施設』を現地に置く技術なんて存在していたか、紫苑には疑問だった。
しかも、現地で怪しまれない様に。
銃撃や爆発にさえあれだけうるさく言う組織に、実現出来る事ではない筈だった。
そして、トラックの運転席にいた男にも、紫苑は見覚えがなかった。
見た感じ、22世紀のTiNaTOAのエージェントには見えない。
それ以外の時代所属という事になるが、未来か過去かは分からない。
車は不安定なエンジン音と共に走り出した。
「木炭エンジンは見かけだけだから。エンストとかはないから安心して」
人気のない山道に入ると、運転席から男がそう声をかけて来た。
改めて耳を澄ますと、耳慣れない木炭炉の音に混じって、彼女には聞き覚えのある電気駆動の音が聞こえる。
「電気はどうしてるの?」
「予備なら十分あるよ。こんな車、そんなにいつも使ってる訳じゃないから」
紫苑の問いに男は答える。
エンジン音の他に、揺れでもガタガタうるさい中、大声での会話だった。
顔を良く見ていなかったが、男はあまり若くない様だった。
トラックは防府市を出て、山口市中心街へ向かっていた。
他にも様々な手段で、多くのエージェント隊員が移動している。
彼女と同じ様にトラックに乗って、あるいはバスに乗って、あるいは軍用車で。
防府市内での作戦から数時間後、次の任務が山口市郊外で予定されていた。
山道も終わり、沿道に人も出て来たので荷物の陰に紫苑は身を隠す。
トラックに乗り込んだ時には真上にあった太陽も、今では山の上に近付いている。
バイザーの時刻表示は16時を指していた。
「……え?」
トラックが減速し、荷台の縁からこっそりと顔をのぞかせた紫苑は、思わず声を上げた。
前方に誰かが立っている。
ワイシャツにスラックスのホワイトカラーっぽい服装。
トラックの運転席に手を振ってから深く一礼した。
運転席の男が鷹揚に手を振り返す。
男は彼の部下でも――24世紀所属でもないという事だろうかと紫苑は思った。
トラックが停まり、紫苑は荷台から飛び降りる。
彼女はそのまま鴨川の前まで歩いて行くと、彼は彼女にも手を振った。
「こっちへ来ていたの」
「勿論、君を待っていたんだよ」
紫苑の問いに彼は、ニコニコ笑いながら答える。
「あの待機所も、ひょっとしてあなた達――」
「その質問に僕が答えると? 君は現地住民や、あるいは過去の機関員に自分の装備の説明を」
「はいはい、わかったわかった」
「あのお店や鴨川商会を君達が気兼ねなく使って良いのは、間違いないよ」
ニコニコというよりニヤニヤという感じに変わって来た笑顔の鴨川へ、紫苑は再度尋ねる。
「それで、今度は何の連絡? 私達の次の作戦をあなたが指示するの?」
「いいや、前も言った通り、作戦とかは22世紀にお任せだよ。僕が来たという事は、つまり君の事だよ」
紫苑は無言で、鴨川を睨む。
「お察しの通り、さっきの件さ」
「あなたも24世紀を代表してお小言を言いに来たの?」
うざったそうに紫苑は彼から顔を背けつつ尋ねる。
彼女の問いに小首を傾げる様にしながら、彼はその細い背中へ尋ねた。
「本当は、自分でもまずかったって思ってるんでしょ?」
鴨川の質問に紫苑が振り返る。
「図星か。でも、多分僕だけが気付いてるんじゃないと思うけど」
鴨川は紫苑の表情に、納得した様子で頷きながら指で何かを弾く。
次の瞬間、紫苑のバイザーにアラートが入り、確認も入らず画像が表示された。
「君は彼らを追う事に、今、強い焦りを感じている。そして仲間にもそれを隠している」
その写真に紫苑は顔を強張らせる。
見覚えのある小柄なシルエット。
「その原因は、やはり『彼女』かい? 『レッドキャンディ』がそこまで迫ってるのを感じた?」
画像は紫苑が口を開く前に閉じ、ファイルごと消失していた。
紫苑達の使っているバイザーにこんな現象は存在しない。
そして、『彼女』のこんなに鮮明な写真も、機構内の資料には存在していなかった筈だ。
鴨川はいつの間にか笑顔を止め、怜悧な視線を彼女に向けている。
「それとも、エージェントの誰もがどこかで抱え込んでいる問いが、君にも圧し掛かっているのか」
「問い?」
「『彼らは、本来よりも良い歴史を作ったんじゃないか』っていう問いがね」
紫苑は答えない。
彼女の沈黙にも鴨川は特に不満も見せず、言葉を続けた。
「あるいは――」
「あなたは、24世紀の機構は、全部お見通しだって言うの……その上で、私から何を聞きたいの?」
彼の次の言葉を遮る様に、紫苑は声を挟んで尋ねる。
「それも買い被りさ。いくら未来人でも、他人の事なんて殆ど知る事なんて出来ない」
鴨川は微笑みながら、彼女の問いを否定する。
そして、少し黙って考えた後に、一言こう加えた。
「僕が知ってるのは、今回のこの案件が、君の過去と未来の形を決めるだろうって事だけだ」




