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証人のタイムライン  作者: ゆらぎからす
2.「跳躍」
12/21

2-4

 ――― 4 ―――




 昭和20年8月2日、午前7時40分。

 三田尻(みたじり)駅(今の防府駅)からも離れていない、市街地の裏の狭い路地。

 紫苑は石造りの壁を背にして、バイザーへの通信を待っている。




 あらかじめ言われていた事だが、エージェント隊員の夜間の招集はなかった。

『この時代では、夜中に街中を出歩くのは隠密行動にならない』

 鴨川と別れた後、同じ防府市内のどこかにいるだろう班長の橋爪を通信で呼び出してみた。

 彼に聞くと、やはり今夜は動かないという答えが返って来た。

 管制にも確認したが、これまた同じ返事だった。

「……逆に凄く目立ってしまうでしょうねえ。どんなにこの時代の格好しても、複数の職業も年齢もバラバラの男女が夜中集まっていたら。それは『あちらさん』にしても同じでしょうし」

 横で通信を聞いていたユウジさんにまで諭されて、ようやく鴨川を疑うのを止めた紫苑だった。


 橋爪からの展開指示が彼女のバイザーに届いたのは、翌朝、午前5時40分。

 少し早い目覚まし代わりだった。

 7時までに所定の場所にポストインして、通信をミーティングモードで開く様にという指示。

 飛び起きた紫苑だが、既に起きていたユウジさんとコトコさんから、朝食に誘われる。

 昨夜と同じちゃぶ台を囲んでの食事。

 ふりとは言え本当に、この時代の女学生と伯父夫婦の普通の朝みたいな光景だった。

 こんな作戦前らしくない朝でも、指示された場所への配置には間に合ってしまう。

「ごめんなさい……お誘い頂いたのに、ご一緒できる時間はない様です」

 ふと、紫苑はユウジさんにそう声をかける。

 昨夜話した、街の散策や映画館の事だと、すぐに気付いて彼は首を振った。

「ああ、気にする事はないですよ。それぞれのお仕事があります……ただ……」

 ユウジさんは何か言おうとして、言葉を濁した。

 紫苑が首を傾げながら彼の顔を見ると、躊躇いながらも続きを口にする。

「未来の後輩に、あまり危ない目に遭ってもらいたくないってのはありますね……僕らの時間移動も、紫苑さんから見れば凄く危険だったのかもしれないけど、そういうのとも違う……」

「この街でも、若い子がいっぱい戦地に送られてましたからね。分かっていた事だけど、最近ではこの辺でも、機銃掃射や空爆があるようになって……」

 コトコさんが微笑んだまま、少し遠い目をして言った。


 エージェント隊員間での事前の集合はなく、ミーティングはバイザーの通信のみで行なわれた。

 表通りも、裏路地も既に人通りの少なくない時刻だ。

 人気のない場所で何度も立ち止まっては、送られてくるマップや資料に目を通す形で、紫苑もそのミーティングに参加する。

 人が近くを通る時は、バイザーの表示をミュートする。

 彼女の目の前2~3センチに浮かぶ光の粒や文字や画面が消えれば、この時代の人間が彼女らのバイザーを肉眼で確認する事は出来ない。


『確認されたOREの物資移送ラインは、四本。別々の方向で市外へと伸びている』

『この四本を45分以内に急襲。物資を押収し人員を検挙しろ』

『一本につき一班が当たり、残りの班は、所定位置で担当班のバックアップを行なえ』

 紫苑と彼女の所属する橋爪班(12モンキーズ)に、直接相手するOREの移送ラインはなかった。

 この商店街の一画で、ORE移送工作員(トランスポートクルー)を追尾する他班のサポートが、彼女達に割り振られた分担だった。




 音もなく彼女の顔の前で、画面が灯る。

 紫苑は指を伸ばして、マップをずらした。

 彼女の三つ編みに国民服ともんぺには、耳の上のピンサイズのモデムと顔の前に浮かぶ映像、超未来の端末設備が甚だしくミスマッチな取り合わせとなっていた。

 管制より転送されて来たファイルが、視界を自動的にスクロールする。

 アイコンの一つに触れると、防府市内の地図が浮かび上がった。

 その中に一か所、赤い円の浮かんでいる箇所がある。

 マップを拡大するにつれて、赤丸は密集する3つの円に増えた。

 その一つに触れると、顔写真とそれぞれのデータが弾かれた様に浮かぶ。

 一見未来人には見えない、国民服を着た青年。

 背広姿の初老の男性。

 リヤカーを引っ張っている、もんぺ姿の中年女性。

 しかし、それぞれの画像の横には、『ORE―UNDERCOVER』と黄色く強調された文字。

 OREの潜入工作員である事を示す表示だ。

 これが『疑いがある』段階なら、ここに『SUSPICTION』と付け加えられる筈だが、それもない。

 つまり、これは『確定情報』という事になる。

 情報記載ボックスには、それぞれが現地で名乗っている名前が載っていたが、本名欄、で登録したORE構成員ファイル番号欄は空白のまま。

『短軸跳躍信号あり 非合法帯域P6 網膜・顔認識ORE-LIST該当なし』

 つまり、TiNaTOAで詳細が把握されていない人物だという事になる。

 一番下には彼らの出現予定(・・・・)時刻、3人とも(・・・・)今から4分後だ(・・・・・・・)

 マップのモードを切り替えると、更に様々な線や丸が地図上に出現する。

 自分と同じく市内各地に待機しているエージェントが十数個の青円。

 ORE移送工作員の移動予定ルートが赤いライン。

 伸びては消えてを繰り返す白い曲がりくねったラインは、担当班の各エージェントが彼らを捕捉するまでに辿るルートの指示。

 それぞれが市の出口や、他の赤円へと向かっていて、味方の青円も指示されたルートを持ちながら他の青丸やOREの追尾へと向かっている。

 味方のマークの上をカーソルでなぞると、そのコードネームと識別番号が表示された。

 『ゴインズ』橋爪の名前も、『ナナセ』姫月あやめも、その中にある。

 TiNaTOA情報部が、防府市内に潜伏していたOREの動きを察知。

 調査部、対策部との連携で可能な限りの工作員のデータを収集。

 彼らの用意している移動パターンと検挙予測を、更に予測する(・・・・・・)という作業を行ない、何重もの『予防』に基づいたプランを立てた。

 資料には、『昨日の』検挙者のデータがあった。

 紫苑は昨日にORE工作員の検挙があった事自体、ここで初めて知った。

 昨夜、広島市で3人、宇部市で1人、ずっと離れて東京都内で1人、ORE構成員の身柄が確保されたという。

 そこからも、今日のこの動きについて新たな情報が得られている。

 『検挙されるのを、先の時間で妨害するのを、更に先の時間で検挙するのを、更に先の時間で妨害するのを、更に先の時間の――』という事である。

 この気の遠くなる程の先回りの積み重ねが、『組織的な時間航行犯罪』への対策の基本だ。

 言い方を変えれば――それは、『組織的な時間航行犯罪の基本』でもあったのだが。

 勿論、無限にこの先回りを続けるつもりはない。

 一人一人、敵の時間跳躍装置を破壊し確実に身柄を拘束する事で、敵勢力の妨害能力を奪い、先回りに終止符を打つ。

 その終わりも含めての『作戦内容(プラン)』だ。

 跳躍能力をなくした者は、装置を破壊された事実が「取り消される」までは動けない。

 そこへ向かう応援勢力の装置も破壊されていたなら、その時点で先回りできる者は減少する。

 増援の補充能力とプランの厚さという点において、『ここでのORE工作員達が相手』なら、圧倒的にTiNaTOAが有利だった。

 今、紫苑に回って来ている指示は、『3度目に当たる先回り妨害への更なる先回り』であった。

 既に、管制では彼らによる先回りの成立が確認されているという事だ。

 彼女がいたのは白く表示されたルートのスタートポイント。

 指示された時間までの待機だった。

 情報を一通り確認するとバイザーを外し、鞄に収める。

 代わりにブラスターガンナイフを取り出し、安全装置を解除してから手の中に隠す。

 手の中で柄だけの金属の円筒はキュイィィンと短く鳴ったが、やがて静かになり、細く刻まれた溝から紫の光を放つのみとなった。

 モード切り替えで、2000度の熱線を一直線に放つ熱戦銃と、刃渡り12センチの熱線の刃とに使い分けられる。

 無音銃と並ぶエージェントの基本装備だった。

 ミーティングが終了し、紫苑にはバイザーの低レベル化指示が出た。

 この指示が出た者は、画面表示も見られず、管制とも他の隊員とも通話が出来ない。

 一方的に通話を聞く事のみとなる。

 追尾班の全員と、自班では班長の橋爪だけが発信可能だった。

 それまで当たり前の様に見ていた、右隅の時刻も消える。

 紫苑は、もんぺのポケットから懐中時計を取り出すと、注意深く針を見つめた。

 秒針が指定の時間を指したと同時に、駆け出す。

 ここから標的と追尾班の接触予定地まではおよそ300メートル。

 人気のない裏道を複雑な経路で150メートル近く走り抜けると、大勢の防府市民が行き交う大きな通りに出た。

 彼女は一旦走るのを止め、早足での歩きに変える。

 歩きながら注意深く、目の前の通行人を観察する。

 変化はすぐに起きた。

 戦時中とは言え、日常通りの朝、工場や学校への道を急ぐ人々の大半の目には気付かない。

 ごくたまに、偶然見てしまい、ぎょっとした顔を浮かべる者もいた。

 だが、気のせいか見間違いだと思いながら――自分に言い聞かせながら、通り過ぎて行く。

 『誰もいない場所から』突然に出現し、脇目も振らず歩き始めた二人の男を、紫苑は尾行する。

 徐々にその距離を詰めながら。


「――その女だ、走れ!」


 背後から怒鳴り声。

 紫苑に向けられたものではない。

 前方の二人が振り返り、彼女を注視する。

 後ろの声の主が、自分に接近してくる気配を感じる。

 男達と紫苑はほぼ同時に走っていた。

 ルートは変える事なく、予測通りの路地の入口へ向かって。

 背後の気配が消え、複数の足音と揉み合う音。

 一度だけ振り返ると、1人の青年が3人の軍服姿の男に両横から押さえられ、裏道へ引きずり込まれようとしている所だった。

 3人は本物の軍人ではなく、別の所に待機していた他班のエージェント隊員だった。

 男2人と紫苑が路地に飛び込むと、ほぼ同じタイミングで、前方の曲がり角から二人のエージェント男性隊員が吹っ飛ばされて来た。

 彼らは撃たれてはいない様だったが、吹っ飛ばした犯人は姿を見せない。

 角の向こうに人の気配すらしなかった。

 通信で誰かが言っていた――強い跳躍信号が残留していると。

 男達は、少し顔に安堵を浮かべながら角の先へと走り込んで行く。

 紫苑は足を止めて、角の向こうの様子、そして周辺動向を出来る限りで確認する。

 最初、遠ざかる男達の足音以外は聞こえなかったが、程なくゆっくりとした車輪の音が微かに入って来た。

 追尾班は半分以上が負傷して、回収されているらしい。

 紫苑は角の向こうへ踏み出した。

「おい!」

 通信から橋爪の呼び止める声。

 それと遠く響く、あやめを含む男女数人の罵声。

「路辺が! またスタンドプレーだ!」


 道の向こうから、リヤカーを引いた中年女性が現れた。

 道幅いっぱいの、しかもかなり重い積荷らしきリヤカーを大変そうに引いて来た彼女は、それでも周りに引っかけてしまう事もなく、滑らかに角を曲がり切る。

 彼女はハンドルから両手を離し、素早く無音銃を両手に構えた。

 銃口はまっすぐ紫苑に向けられていた。

 男達は後ろから追って来た紫苑に構わず、ひたすらにリヤカーへと向かっている。

 紫苑は手の中の円筒の先を彼らの足元の地面に向けた。

 設定は『ガンモード』。

 放射ボタンを一度押しする。

 目を焼きそうなほどに強い光の筋が白く走り、2人とリヤカーの間に一瞬の白い炎と大量の火花を散らした。

 もう一度押す。

 今度はリヤカーのタイヤに向けて。

 再び火花が上がって、タイヤはゴムを黄色く燃やしながら弾け飛ぶ。

 周囲にゴムの焼ける臭いが立ち込める。

 中年女性の顔色が変わった。

「――馬鹿! 何てこと……!」

 青ざめた顔で詰りながら紫苑へ発砲する。

 熱線銃の1発目で足止めされた男達は、2発目がリヤカーを狙ったのを見て、道の両端へ飛び込む様に身を伏せていた。

 男の一人は、早速バイザーらしきものと、黒い流線型の機械を鞄から取り出し始めていた。

 跳躍するつもりかもしれない。

 3人の反応からリヤカーの『中身』について、一層の確信を持つ。

 紫苑は、身を屈めてリヤカーへ駆け出す。

 駆けながら、女性めがけてブラスターガンを発射する。

 当てるつもりはない。

 白い熱線は、彼女の顔の横をすり抜けて空へと消えた。

 熱さと光で彼女の顔が歪む。

 当てないとは言え、顔に軽いやけど位はあったかもしれない。

 構えた銃への集中が切れ、銃口が下を向く。

 紫苑はブラスターのモード設定を、ガンからナイフへと切り替える。

 ボタンを長押しすると、筒先から10数センチの長さで、白光が放たれ続けた。

 その光で目の前まで迫っていた銃へと切りつける。

「ひゃあっ」

 女性は熱と衝撃に耐えきれず、銃を手放す。

 銃は赤く溶けながら真っ二つに千切れ、地面を転がった。

 続いて左腕を彼女の首に押し当てながら、右手のナイフを彼女の腰に下げた巾着袋へと突き出す。

 白い光に貫かれた袋は燃えながら落ち、中から男が持っていたのと同じ流線型の機械が姿を見せた。

 機械は熱線の刃で破壊されていた。

 女性が壊れた機械を見て顔をこわばらせる。

 紫苑は、そのまま首に当てた腕を押し、左の肘で彼女の肩を突く。

 中年女性は紫苑と共にリヤカーの上に倒れ込んだ。

 リヤカーの上を覆っていた布が重みで大きくずれる。

 紫苑は、ナイフを彼女の首の横に少し離して見せながら、布を更に捲り上げた。

 そこにあったのは、無音銃数丁と予備弾装20本の入った箱。

 その下に、前世紀型の自動小銃が列を作って並べられ、小銃用の予備弾装がやはり20本ずつ数箱積まれている。

 しかし、それだけではない。

 紫苑は更にライフルを1、2本除けてみる。

 更にその下、台車の下半分以上のスペースに整然と並んでいたのは、全長数十センチの円筒。

 21世紀の携帯型高高度対応地対空ミサイル『バルキリー・シューズ』弾頭だった。

 彼女はその積み荷ゆえに、熱線の攻撃を過剰に恐れたのだった。

 これが、OREのこの街での予定だったという事。

 彼らはどこかからどこかへ、このミサイルを始めとした様々な武器弾薬を、小分けに移動しようとしていたのだ。

 背後を見ると、男二人は、新たに到着したエージェントによって地面に押さえられていた。

 エージェント達は、本来の、この移送ラインに対応する班のメンバーだった。

「『カイロス』より“『ブーストラップ』。運搬者一名、合流者二名、連絡者一名確保。被疑者は武器弾薬運搬中。無音銃、旧式小銃、携行型ミサイル弾頭あり。至急検品と確保者移送を要請する。それと通信ミュート指示の解除を」

 紫苑は、発信能力のある彼らに管制への通信を代行してもらう。

 すぐに返事は来た。

「了解。『ブーストラップ』より『カイロス』。現場を担当班に引き継ぎ、指定する位置へ移動せよ。移動後、5秒前(・・・)へ跳躍。当該地点にて同様の弾薬運搬確認、検挙は難航中」


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