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証人のタイムライン  作者: ゆらぎからす
2.「跳躍」
11/21

2-3

 ――― 3 ―――




「……私の知っている『昔の縛って下げる髪型』は、これしかない」

 1940年代、第二次世界大戦末期の日本、時代に合わせた潜伏用の服装。

 白のブラウスに、もんぺに―――――ツインテール

 そんな組み合わせの紫苑は、頬を少し赤くしながら口を尖らせる。

「どれ、ちょっといいかい」

 鴨川はひょいと彼女の背後に回り、右側の髪を一束手に取った。

「な、何。勝手に触らないでっ」

「そのまま下げるには君の髪は長過ぎるんだ。だけど、編むとなるとちょっと難しくなる」

 紫苑が慌てながら怒鳴るのも構わず、彼はもう一束手に取り、頭の上から順番に編み込み始める。

「何をしてるの……私の髪で」

「いいからいいから、じっとしてて」

「……」

 紫苑は身をよじりながら抗議するが、やや強引に諭されると、きまり悪げに黙り込むしかなかった。

 下まで編んで、先端をゴムで縛る。次は、左半分を同じ様に編んで行く。

「はい。どうかな?」

 作業を終えた鴨川は紫苑の手前に来ると、室内に立ててあった姿見へと彼女を促す。

「あ……」

 鏡に映ったのは両横に三つ編みを下げた、全く違和感のない当時の女学生(・・・・・・)の姿だった。

 別人の様にさえ見える自分の変貌に、つい見入ってしまう。

 確かに、こんな髪型の女性は途中で何度か見かけたかもしれない。

 鏡の中で、窺う様に彼女を見つめている鴨川と目が合った。

 鏡越しににこっと笑いかけて来た彼に尋ねる。

「これで……問題ないのね」

「勿論。お気に召しましたかな?」

 個人的な感想を持つ余裕はなかったが、とりあえず先に言うべき事は紫苑も分かっていた。

「あ……ありがとう」

「どういたしまして」

 紫苑の謝辞に微笑みながら一礼した後、彼は姿勢を正した。

「僕の立場は心得てますよ。22世紀のTiNaTOAの活躍なくして、24世紀の僕らの組織はないのだからね」

 連絡員の立場と義務というものを再認識してもらう。

 さっきの紫苑の言葉に対する答えだと、思い出すのに少し間があった。

「だけど、君の方にこそ連絡員協力というものについて、再認識が必要じゃないかと僕は思うんだ」

「……どういう意味?」

 眉をしかめながら、視線を鏡から彼本人に移す。

 彼女を見返す鴨川は、もう笑みを浮かべていなかった。

「直接行動するエージェント(きみら)は、過去からの協力員(かれら)にとっては『未来』であり、未来からの協力員(ぼくら)にとっては『過去』なんだ。ただの、親切や同系機関のよしみ(・・・・・・・・)での協力だと思ったら大間違いだ」

 鴨川は紫苑と鏡から離れると、ゆっくりと装飾の過剰な窓へ近付く。

 ガラス越しに、200年以上昔の終戦間近の地方都市の風景が見える。

 空襲警報はとっくに解除されたのか、大通りを行き交う人々は元通りとなっていた。

「僕らは何としても、自分の手ではなく君達に、君達の任務を成功させなければならないんだ……最悪、操り人形にしようともね」

「……!」

 紫苑の肩に力が入る。

 鴨川は振り返った、今まで見せなかったような鋭い目つきで。

「君……米軍のパイロット、撃とうとしていたね?」

「それは――」

時間航行上の(・・・・・)緊急度はさほど高レベルでもなかったのに」

「潜伏する時代の服装も、常識レベルであらかじめ把握しない、ちょっとからかわれたぐらいで感情の制御も崩れる。そういうエージェントだと、色々と不安が残るんだよね」

 鴨川は笑みを消して、冷たく紫苑を見据えた。

 その視線に一瞬気圧される紫苑だったが、抗う様に彼を見返す。

「貴方みたいな人に嫌味ったらしく手取り足取り操られるには及ばない。そういうの、性に合わないの」

「まあそうだろうね……だから、僕が出て来たんだけど。君がもっと素直な子だったら、もっと善人な担当がついただろうさ」

 挑む様な紫苑の視線を受け止めていた鴨川は、不意にその表情を崩した。

 その笑い顔は日向ぼっこ中の猫を思わせる。

「まあそうカリカリしないでくれ。僕だって、頭ごなしの説教で君とのファーストコンタクトを費やしたくはない……嫌味なのは謝るよ、僕の性分なんだ」

 そう言うと、棚からトレーを取り出し、テーブルへと持って来る。

 銀色のティーポットと、紙で覆われた白い陶器の皿。

 皿には、甘い香りの強い、シフォンの様な焼き菓子が載っている。

「おやつの時間だ。君にはこのケーキをご賞味頂きたいと思っていたんだよ」

「これ……あなたが作ったの?」

「驚く事に配給物資だけで作れたというのに、この時代では、近所の人に振る舞うって訳にも行かなくてね、食べてもらえる人をずっと待っていたのさ」

 しばらく彼を見据えていた紫苑は、注意深く椅子に座ると、皿の上のお菓子の一つを手に取る。

 鴨川は彼女へ向けて掌を上に向けて見せ、勧める様なポーズを取る。

「……おいしい」

 一口食べた彼女が思わず呟くと、彼はとても嬉しそうに笑った。

 この遠い未来からの使者は、色々とおかしい所もあるが、どうやら不快なだけの人間ではない様だ。




「どうだい?」

「……そっちへ向かったゲートルの巻き方が深い男と、消防団のリヤカーを押した二人組。旧式モジュールの信号を発している。帯域確認済み……OREの使用するエリアだった」

「これで、何人目かな」

「八人……どこへ向かっているのかしら。行き先がバラバラだけど」

 鴨川の問いに紫苑が小声で答える。

 木材を積んだリヤカーを傍らに止め、二人は行き交う人々に目を配っていた。

 紫苑の示した一人と二人は、遠目にはこの時代の人間しか見えなかった。

 男は角を曲がって、二人組は車の列の向こうへ進み、そのまま紫苑の視界から消えている。

「どう思う?」

「調査資料にあったよりも、この町に潜伏しているORE工作員の数が減っている」

「うん」

「そして、ここでOREは皆、ここから東へ……恐らくは岩国市とここを往復していた筈だけど、彼らは北へも西へも向かっている」

「北や西、つまり山口市や宇部、下関だろうね」

 鴨川は紫苑の答えに、そう補足する。

 昼過ぎまで、この時代、この付近でのOREの動きとエージェントの活動予定について、鴨川の持っている情報と紫苑の持っている情報で照合確認と行ない、今後の事を打ち合わせた。

 その後、今までいた洋風の建物を出て、防府市内へ偵察に来たのだ。

 紫苑は耳の上で最小限に畳んで付けたバイザーを、網膜表示モードで展開する。

 グラフやマップには向かないが、数値の列程度ならギリギリ見られる最小の表示形態だった。

 耳の上の異物を除けば、外から全く見えないという利点がある。

 紫苑は眼球で捉えたものが発する、時間航行モジュールの信号の有無を読み取っていた。

 それをしっかり見ないと表示されないので、ある程度の注意力や直感が必要とされる探知方法だ。

「それに」

 紫苑は商店の一つから出て来た割烹着姿の女性を、目で追いながら呟く。

『短軸跳躍信号あり 非合法帯域P6 wh52drwi40iu 網膜・顔認識ORE-LIST該当なし』

 女性の傍らに浮かぶ赤いフォント。

「顔ぶれが、資料と全く違っている……リスト該当も二人ぐらいしかいなかった」

「リストってあれだろ、写真に撮られたか一度捕まった事のある人。そんなにいるのかな」

「時間改変と機構への攻撃は、極刑もある重罪。だけど検挙されたORE構成員の7割が半年以内に、9割が一年以内に釈放される……理由は、あなたも知っているでしょう」

 紫苑は横目で鴨川を一瞥しながら、素っ気なく聞き返す。

 とぼけた様な顔で、彼は肩をすくめる。

「まあね……ところで、この日ここにいる筈の工作員の顔が違っているという事は」

「前回の観測以降、TiNaTOAの動きに合わせて、この時間域の総入れ替え(・・・・・)が行なわれたのよ」

「おお、じゃあ、今日ここで行なわれる筈だった物資移送は」

「きっとない。そこでどこかの隣組を装って合流し、十数人規模で移動する予定だったんでしょう」

「じゃあ、今日この町を徘徊している彼らは何だろうね」

「知らないわ。でも、その移送が行なわれない筈はないわ……彼らの作戦にとって必要最低限な手順よ。きっと今夜か明日に、予定通りの人員で行なわれる……それにプラスして、彼らがついている」

「彼らが自分達の過去まで改変した理由は」

「私達ね……もっと言えば、私かもしれない」

「到着した時にあったっていう、待ち伏せかい?」

「管制には何度も確認した。私以外に、到着を待ち伏せされたエージェントはいなかった」

 鴨川は紫苑へ頷きかける。

「『レッドキャンディ』かな……?」

「――!」

 弾かれた様に鴨川へ顔を向ける。

 少しの間、彼を睨む紫苑だが、諦めたように顔を伏せて答えた。

「わからないわ……その可能性は高いだろうけど」

 彼が何を使って、この町の時間航行者の状況を観測しているのか、紫苑には全く分からなかった。

 しかし、彼には彼女と同じもの――あるいはそれ以上のもの(・・・・・・・)が見えている様だった。


「どうする?」

 穏やかな声で鴨川が再び尋ねた。

 紫苑は静かに答える。

「今夜にでも、あの中から一人捕まえる。まずは情報を入手しないと何も――」

「明日でいいと思うよ」

 彼女を遮る様に鴨川はのんびりと言う。

「君の宿泊先も紹介したいし、今夜はゆっくり寝て、明日からがんばろうよ」

「それは、『明日にしろ』って指図?」

「どうして?」

「明日でもいいだけなら、あなたはわざわざそんな事言わないと思うから」

「ふふ、今夜に頑張っても、明日にまた入れ替わっちゃうからね」

 意味ありげに鴨川はそう言って笑う。




「……おじゃまします」

「どうぞどうぞ。紫苑さん、ご飯まだでしょう。大したものないというか……食べ盛りには厳しいかもしれないけど、それなりに揃えましたから召し上がって下さい」

 灯火管制で廊下は暗く、奥の部屋の明かりも薄暗いものだった。

『コトコさん』という叔母役の女性が、上がったばかりの紫苑を茶の間へ誘う。

 叔父役の『ユウジさん』は、紫苑の後に靴を脱ぎながら言った。

「任務上、未来の話とかは話せないだろうけど、この時代の事とか時間旅行についてとか、聞きたい話も色々ありますからね」

 二人とも、説明がなければこの時代の普通の夫婦にしか見えない。

 だが彼らは、紫苑の所属する時代とも違う、22世紀初頭からのTiNaTOA常駐調査員だった。

 『エージェント』の呼称もなく、部署名も紫苑の聞いた事のないもので、ただ『調査員』と名乗っていた。

 何となく、今(22世紀後半)の『調査部』『研究局』に似たものなのかとは思った。


 日が沈みかけた頃、二人でリヤカーを引きながらその場を離れた。

 さっきの洋風建築――玄関に『鴨川商会』なんて看板があった――に戻るのかと思ったら、民家の並ぶ通りを正反対の方向に進み、道の途中で彼らと合流した。

 互いに手を上げて挨拶する様子から、鴨川と彼らは面識があった様に見えた。

「君は、疎開して来た彼らの姪だという事になっている……彼らの家に滞在し、指示あるまで単独行動はそこを拠点とする様に……という指示だったと思うけど」

「大丈夫よ。そんな指示はこっちでちゃんと受け取ってるから、いちいち言わなくても」

 ウザそうなのを隠そうとせず紫苑が言うと、鴨川はどこか得意げに返す。

「それを確認するのも連絡員の仕事だからね」

 ドヤ顔の超未来人は取りあえず無視して、目の前の二人『コトコさん』『ユウジさん』に会釈すると、彼らはにこやかに紫苑に礼を返した。


 畳の部屋に座って囲むテーブル……『ちゃぶ台』とかいうらしいが……での夕食。

 黒い紙で光を抑えた電球の下、少ない食材を工夫して作ったこの時代特有のメニュー。

 米以外の穀物を色々炊き込んだご飯に、豆腐と大根の薄味の鍋、焼き魚。

 紫苑の好みにも近く、興味深い味だったが、毎日こういうのしかないとなれば話は別だろう。

 この時代ではこれでもかなり贅沢な方だというのも分かっていた。

 恐縮しながらも珍しそうに箸でつついて食べる。

「そうだ、紫苑さん。空き時間とかあったら僕らとこの時代の街を散策してみませんか。時代を直接見られる、これが時間旅行の醍醐味です。紫苑さんも分かりますよね? ああ、映画とかは興味あります? 映画館もあるんですよ……やってるのは国が嘘の戦果ばかり並べている様な映画だけど、これが捨てたもんじゃない。何しろ、ゴジラを撮る前の円谷英二の作品なんですから」

 次々と話しかけて来る叔父役のユウジさんに、紫苑は反応しきれず戸惑う。

「もう、お父さんったら、紫苑さんがびっくりしてますよ。それに、この時代の一家の長はもっと威厳見せるものでしょう。若い人にそんな映画オタク丸出しで迫るものじゃないですよ」

「この時代のと言ったって誰が見てますか。それに、この時代だって僕みたいな人くらいいましたよ……たぶん」

 細かな部署名は知らない紫苑でも、初期の時間航行というのがどんなものなのかは知っていた。

 機構の黎明期、今の様に対時間犯罪の要素は殆どなく、むしろ開拓者・冒険者的な色合いが強かったと。

 そもそも、時間犯罪という概念自体がなかったと言っても良い。

 歴史を変える事や歴史を保つ事など、議論の中の話でしかなく、どこまで行けるか、何を見て来るかだけを追求していた時代。

 ユウジさんとコトコさんはそんな時代の時間航行者だった。

「だけど……お二人とも、本当にこの時代の人みたいですね。雰囲気とか。それに……本当の夫婦みたいで」

 紫苑の言葉に、二人は顔を見合わせて笑った。

「よく言われるんですよ。長くい過ぎたんでしょうかね、この時代にも……二人でいる事にも」

「あと半月で終戦が来て、そこで私達も任務満了です。帰ったら、結婚する予定なんですよ、本当に」

 紫苑も思わず目を丸くして聞き返してしまう。

「本当ですか?」

「いくら22世紀でも普通より遅いみたいですが。二人とも、紫苑さん位の娘がいてもおかしくない年ですから」

 ユウジさんが言うと、そうですよねえと、コトコさんがくすくす声を出して笑った。


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