2-2
――― 2 ―――
紫苑は通信を終えると、林の中へ入る。
山林と言っても、市街地からそんなに離れていないらしい。
しかし、夜中に小道を通りがかる者もいないだろう。
茂みの陰で手早く着替えを済ませ、レールガン、ブラスターガンナイフを鞄の中に収める。
二つのゴムで、さっき聞いた通りに横で髪を縛って、下げた。
指を宙でスライドさせると、目の前に地図が浮かぶ。
現在地、そして目指す街へのルートはすぐに確認出来た。
バイザーは人前で装着している事は出来ない。
再び外して、武器と一緒に灰色の肩掛けに入れる。
紫苑は、肩掛け鞄を背負い上げ、斜面を注意深く下り始めた。
8月6日にミサイルが発射されたのは、この辺りではなかったが結構近くだ。
OREには、TiNaTOAの到着も察知されている。
時間航行を持ってしても、人員その他のリソースにそれほど自由が利く訳でもないだろう。
だが、敵が、どんな戦略を取りどんな行動に出るか分からないのに変わりはなかった。
斜面の終わりに、土を平らに均しただけの山道があった。
車も通れそうな割と幅広い道で、地図でもあらかじめ確認済みだ。
紫苑はその山道を、ふもとへと進む。
木々に囲まれた光景に、田畑や木造民家の混じり始めた頃には、空は薄く藍色に染まり始めていた。
鶏の声が何度か響いた。
22世紀では、国内に数ヶ所しかない限定的な超大型養鶏センターの周辺以外で、それを聞く機会はない。
紫苑は任務で訪れた幾つかの時代で、朝を告げるその声を知っていたから、それほど驚きはなかった。
まだ暗いにもかかわらず、農家からは家の人間が出て来て、何か朝の仕事をしているのが見られ始めた。
人々は暗い中で畑仕事の支度や、炊事をやっている。
電柱と電線は多少通っている様だが、あまり十分なインフラには見えない。
そして、単に資源やエネルギーが不足しているだけではなく、この時代の習慣として、照明はあまり使わないのだろう。
住民と道ですれ違う事も増えたが、呼び止められもしなければ注目もされなかった。
自分の来た方角、山々の向こうから光の筋と共に、ゆっくりと太陽が姿を現し始めていた。
土を均しただけの道は、やがて砂利道に変わり、畑や農家も町の風景へと変わって行った。
農家ではない住宅や商店の集まりが、次第に増える。
遠くに、汽笛を伴う車両の駆動音が聞こえた。
紫苑は周囲を広く見渡してみるが、彼女の所からはあの白煙を噴いて走る黒い汽車は見れなかった。
太陽が顔の上へ上り切った頃、道の地名表示や標識から、防府市内に着いた事を知る。
街では既に多くの人が道を行き交っていた。
自分と同じ様な大きな肩掛け鞄や、リュックサックを背負っている人も多い。
確か、この時代では、食料や日用品は配給制だが僅かな物しか手に入らず、大半はブラックマーケットの違法売買でまかなわれている。
そして、学校や一般企業の多くは兵器工場などでの労働に回されていて、通勤通学の殆どはそこへ向かっている。
そういった、この時代の知識を思い出しながら、紫苑はすれ違う通行人を見送る。
道沿いや、建物の前に『戦争への参加』を呼びかけているらしい、独特なデザインのポスターや立て看板も多く見かける様になった。
横書きも、元の時代の左からではなく右から流れるもので、紫苑にはむしろこっちの方が読み慣れてしまっていた。
道沿いにあった雑貨店のガラス戸から、奥の時計を見て時刻を確認する。
大体の予想通り、8時半を少し回った所だった。
連絡員は、三田尻駅(後の防府駅)前でエージェントを見つけ、向こうから接触して来ると聞いていた。
紫苑も連絡員との接触は過去の任務で経験済みだった。
彼らは自分と同じ時代の人間の場合が大半だが、そうではない場合も稀にある。
今回は、あらかじめ別時代の機構と協力体制を取ると言っていたから、その可能性は通常より高くなるだろう。
衆人環視の中でバイザーも着けずに、どうやって潜伏中のエージェントを見分けるのか。
紫苑には全く分からなかったが、どの時代でも彼らは確実にエージェントへコンタクトを取って来る。
駅前の通りをしばらく歩いた時、紫苑は周囲の人々の視線に違和感を覚えた。
気のせいではない、やっぱりじろじろ見られている。
女性やお年寄り、十歳前後の子供さえも、明らかに不審者を見る目だった
何事かひそひそと囁き合っている者もいる。
紫苑はそれらの視線を意識しない風に装いつつ、フルスピードで自分の状態を再確認する。
どこかおかしい所でもあるのだろうか。
彼女は下から上まで自分の服装を見直してみるが、心当たりは全くない。
姿勢や動作を確認する。
やはり不審な所はない。
内心首を傾げながら歩く彼女の足元に、突然影が射した。
顔を上げると、彼女の前には二人の男が立ち塞がっていた。
一人は白いワイシャツに、この時代の国民服と呼ばれるカーキ色のパンツ。
もう一人は灰色の軍服に『憲兵』と書かれた腕章を付けていた。
ワイシャツの中年男性の胸には『防府高等女学校』と書かれているが、どこをどう見ても生徒じゃないのは明らかだった。
「貴様、このご時世に何じゃそれは!」
憲兵は、おもむろに紫苑に怒鳴りつけた。
慌てた表情で、もう一人の男は憲兵の前へ立ち、紫苑を困惑した表情で見つめながら尋ねる。
「ええと……今から工場へ行く所だったのかね。方向が違う様だが……それに、もうとっくに集合時間は過ぎている」
「勤労の始まっとるこん時間に、町を徘徊して何をしている?」
再び憲兵が男の背後から、尊大な口調で詰問する。
「……何ですか」
「何ならそん態度は!」
ワイシャツの男は困った様子で紫苑と憲兵を見比べていた。
「貴様、どこの家じゃ。教務、女学校の規律に乱れがあるのじゃないかね?」
「い、いえ、そのような事は……」
「私に何か、問題ありますか」
「何をすっとぼけて……その袋は何だ。闇屋にでも行こうとしとったのかあ?」
紫苑は自分の鞄を見て、周囲を一瞥する。
さっきまでこの辺りにいた、自分と同じ様な大きな鞄やリュックの民間人は、殆ど道から消えていた。
一人大きなずだ袋を担いだ女性が角から現れたが、憲兵の姿を見ると、すぐさま路地裏に隠れる。
紫苑は内心で舌打ちする。
『この時代で違和感がない』と言ったって、『犯罪を犯そうとしている不審な人間』として違和感がないんじゃ、潜入も何もあったもんじゃない。
絶対に、あとで管制に文句を言ってやる。
憲兵は、怒りで顔をひくつかせながら、紫苑を指差して声を張り上げた。
彼の気に入らなかった点は、時間と鞄だけじゃない様だ。
というより、それらの物より問題視している様にも見える。
「それに、何なんじゃそん頭は!」
「……頭? 頭が何ですか?」
紫苑が聞き返そうとした時、街中にサイレンが鳴り響いた。
ほぼ次のタイミングで、どこかからラジオの割れた音声が流れて来る。
『空襲警報、空襲警報、中国軍管区発表、敵機3機、瀬戸内海へ侵入、山口県方面へ北上……』
古いスピーカーがもう一度原稿を読み上げていた時、微かなエンジン音が重なり合いながら空に響いた。
始めは遠かったのが、見る見るうちにこちらへと近付いて来る。
やがて、サイレンの音すら押し潰す程の重低音となり、機関銃の連射を伴いだす。
町の人々は、その音から逃れる様に、めいめいの方向へ駆け出し始めた。
憲兵と教務も、空を見上げて音の迫る方向を確かめている。
その隙を突いて、紫苑は彼らの横をすり抜けた。
「あ、こら待ていっ!」
呼び止める声を無視して走る。
二人がそれ以上追って来る様子はなかった。
同じ方向へ駆ける住民達は、空いている手近な防空壕へと次々飛び込んで行く。
振り返ると、空に三機の機影が大きく揺れていた。
突如、機銃の音が響き、一瞬後には建物や電柱や地面が次々と煙を弾けさせる。
負傷したのかどうかは分からないが、あちこちから悲鳴が上がっていた。
紫苑は反射的に身を屈め、走りの動線をジグザグに変えて、弾丸が当たりにくくする。
気が付くと走っているのは彼女一人となっていた。
手近な防空壕も見当たらない。
今にも追い付きそうな戦闘機は、彼女だけを狙っている。
着弾の威力を見た限り、下手に木造住宅に逃げ込んでも、壁を貫通しそうだった。
今走っている辺りには、そんな木造の平屋しか並んでいない。
あえてその中の一軒に縁側から、中に上がり込む。
予想した通り、その家の住人は避難中だったが、天井から容赦なく12.7ミリ弾が降り注ぎ、瞬く間に居間も仏間も蜂の巣になって行く。
屋根に大きく開いた穴や、縁側の空から3機のムスタングは紫苑の姿を捕捉している。
想像していた以上の低空飛行だった。
操縦席からはっきりと見えるパイロット達は、紫苑を見て笑っていた。
最近退屈なルーチンワークになって来ていた都市攻撃で、逃げ損ねた若い少女を追い詰めて仕留めるという、嗜虐的で少し猟奇的な娯楽にあり付けたのが、とても嬉しかった様だった。
しかし、彼らが見失っていた僅かな間に彼女は、鞄からバイザーを出して装着していた。
心の中で平屋の住人に謝りながら、再び道に飛び出し、時空を越えた通信の量子ゲートを開く。
「通信モード、『カイロス』より『ブーストラップス』へ。現地戦力の追撃を受けている。恐らく米海軍艦載機3機、執拗に私を狙っている。跳躍の申請を――」
『その申請は却下する。該当機は純粋な現地戦力であり、OREの介入はなし。支援を回す、合流まで逃げ延びろ』
「何だと――」
『万が一の時は、相応の保障対応を取る。死なせっ放しにはしないので心おきなく走れ』
「ちょっと待て、管制には言いたい事がかなりある、潜入用の装備にしても――」
それ以上の通話続行は無理だと、蛇の様に高速で地面を這い迫って来る土煙を見ながら判断すると、紫苑は横っ飛びに道の角へ転がり込む。
そのまま、狭い路地をジグザグに駆けて行く。
途中で、空きのありそうな防空壕は何度か目にしたが、もう入る気にはならなかった。
彼女の入った防空壕へ、上空の3機はそのまま掃射するだろう。
そして恐らく、ロケット弾か投下爆弾を打ち込む。
いっその事、ダメもとで『反撃』してやろうか。
そう思ったのは、操縦席の笑顔があまりにも不快だったからという感情的な理由もあったと思う。
この時代の戦闘機で、この距離なら――屋根の上から、レールガンでパイロットの頭とタンク部分をきっちり狙い撃てれば――落とせる。
無謀な賭けかもしれなかったが、このまま逃げ続けるのと大して変わらない気もする。
ダメもとで構わないんだ。
管制だって『万が一には相応の保障対応を取る』『心おきなく』と言ってるんだから。
「こっちだ!」
紫苑の思考を中断させたのは、他に人もいない路上に響いた鋭い声。
表通りへ出る所から、一人の男が紫苑に向けて手を振っている。
外見は二十代半ばぐらいだろうか。
この時代にしては少し伸びた髪を真ん中で分けて、国民服ではないワイシャツとスラックス、どことなく学者みたいな雰囲気のある男だった。
彼女が向かっていた、駅前――かろうじて鉄筋や石造りのビルが並んでいる駅前方面とは、正反対の方角だった。
そして、男が現れたタイミングも、その外見も、良く考えたら避難者の誘導としてはおかしな点ばかりだった。
だが、直感で紫苑は男に従う。
紫苑が彼の所まで行くと、彼は狭い裏通りを先導して駆け出した。
状況はあまり変わっていない。
低空飛行のムスタング機は迎撃も来ない低空をゆったりと往復しながら、男と紫苑を狙い続ける。
どこか明確な目的地へ向かっているのかに見えた男は、何と、最初の角に戻って、また同じ道を走り出した。
それに気付いた紫苑が、問い詰めようとした時、男は呟きながら唐突に立ち止まる。
「……まあ、いいか」
「ちょっと――な」
『何』と言い切らない内に、周りの光景がセピア色に変色して、何もかもがその動きを止めた。
土煙も、空中の弾も、飛行中の米軍機も。
男も、紫苑も。
なのに、紫苑は背中を軽く叩かれたのを感じた。
次の瞬間、紫苑の目の前に、この時代でも少し古めかしげな洋風建築の玄関がそびえ立つ。
もう一度背中を叩かれた時、セピア色だった視界が元の色に戻った。
玄関で、何事もなかったかの様に男は扉の前に立ち、がちゃりとノブを回す。
その建物のある場所は、さっきの所からそれ程離れてもいない、駅の近くの大通り沿いらしかった。
だけど、米軍機のエンジン音も、機影もどこにも見えなかった。
「今、何したの……?」
紫苑の問いに、男は振り返らずに答えた。
「知らない方がいいし、知るべきじゃない。22世紀には、まだ『固定技法』はなかった筈だ……いいや、ないだろう?」
「つまり……あなたが支援連絡員」
「正解。そして君は22世紀のエージェントだね」
男は振り返って、笑みを浮かべると紫苑へ軽く会釈する。
「改めて自己紹介させて頂くよ。『高度歴史管理国際委員会』所属の鴨川悟留だ。僕の時代では、機構は一部そういう名前になっている」
「高度歴史管理国際委員会……24世紀ね」
紫苑は緊張を解かない声で呟く。
24世紀では、機構は目的や性質の異なる3つの組織に分裂していて、対立や協調を複雑に繰り返しながら、時空管理を行なっているとは、少しだけ聞いていた。
具体的にどんな違いを持っているのか、どんな事で対立したり協調したりしているのかまでは知らされていない。
24世紀のエージェント達も、その殆どを22世紀のエージェントには教えない。
その辺は、紫苑達が過去の時代の人間に、時間航行や機構の存在を教えないのと同じ事だ。
紫苑の反応に男――鴨川は満足げに頷いて言った。
「そう。よろしくね、可愛らしくて、少しお間抜けな大先輩殿」
「まっ……!?」
紫苑は一瞬耳を疑う。
出会って二、三分の男からはっきりと間抜け呼ばわりされる心当たりはなかった。
その前に『可愛い』とも言っていたが、あまりいい意味ではない――『間抜け』とセットで言っているのは明らかだった。
「24世紀では下らないジェンダーバイアスが復活しているのかしら。初めて知ったわ」
冷たい声で言いながら紫苑は鴨川を睨む。
黙って首を傾げて見せる彼へ、続けて言った。
「……あまり舐めた態度を取られるのも困りものだ。任務の障害とならない様、連絡員の立場と義務というものを再認識してもらう必要があるか」
紫苑の視線を一時は無表情で受け止める鴨川だったが、3秒と持たなかった。
堪え切れずにくくくと吹き出し、顔を伏せてしまう。
紫苑が距離を詰める前に、笑いながら言った。
「僕らの時間航行者を識別する技術は君達以上だ。だけど、君にはそんな技術も不要だった……一目でわかったよ……分かりやす過ぎた……急いで君を救出しなければならなかった僕には、助かるけど……潜伏にはどうなのかな、それ」
「何がおかしい。服装は問題ない筈。髪型だって……」
鴨川に、紫苑は鋭い目つきのまま尋ねる。
彼は笑いの合間に短く聞き返して来た。
「髪型について、管制は何て?」
「長過ぎる髪は縛って横で下げろと」
「そうだね、うん。でも…………この時代に、ツインテールはないなあ。可愛いけど。そりゃ憲兵だって飛んで来るよ」
彼を見上げている紫苑は、長い黒髪を確かに、ゴムで縛って両横から下げていた。
管制からの指示通りに。
しかし、その縛る位置は頭の上で、前髪もサイドも長く垂らしている。
この時代には絶対存在しない筈の髪型、ツインテールになっていた。
「そんな事言われても……縛って下げると言われたら、私はこれしか知らない」
言い返す紫苑の声は、かなりトーンダウンしていた。




