1−1: ニー・バンスマン、ハイディ・マーシパル
北米大陸南東部の空港から四種人類連合ビルに向かう地下鉄でポールに掴まりながら、バンスマンは資料を確認していた。周囲の多くの乗客に比べると、眉弓の盛り上がりが目立つ顔立ちではあったが、ほとんどの乗客はそれを気にしている様子ではなかった。バンスマンは、もう何度めかということもあり、資料の確認とは言っても左耳にかけたデバイスからの簡単な要約と説明の音声を聞いているだけだった。
「停止」
バンスマンはそう言うと、車両の壁から天井にかけての、すくなくとも柔らかいとは言えない色使いの、何枚もの広告を眺めた。
「リーマン、つまるところ発端はなんなんだ?」
「なにを発端とみなすかということですか?」
デバイスからは落ち着いた声が返って来た。
「みなす、みなす…… 結局そういうことなのか?」
「直接の発端ということであれば、南部連邦の兵士による、北部連邦の領土に向けての発砲ですが」
「クローからの報告は、南北ともにそれで一致してるにしてもだ。じゃぁ、なぜ発砲した? そもそも両軍がメキシコで睨み合ってたのはなぜだ?」
「そして、その経緯が報告にないのはなぜか、だろ?」
ふいに後ろからかけられた声に、バンスマンは振り向いた。
「マーシパル!」
二人はハグをし、それから握手をした。マーシパルの顔立ちもバンスマンと同じく眉弓が目立つものだった。ただ、バンスマンの肌は明るいのに対し、マーシパルの肌は黒かった。
「リーマン、パーキーとの接続を承認」
バンスマンの言葉にマーシパルはうなずいた。
「あぁ、来た。パーキー、リーマンの要約の要点を頼む」
数分バンスマンもマーシパルも黙っていた。
「すくなくとも、君の疑問は、リーマンに問題があるわけじゃない。問題は、そもそもの報告のほうだな。パーキーの分析も、結局そう言っている」
マーシパルは自分の左耳にかけたデバイスを指先で叩いた。バンスマンはうなずいた。
「この前、キューバ危機があったばかりじゃないか」バンスマンは言った。「なのに、なぜそれにすら触れられていない? メキシコで睨み合っていたのだって、その結果の一つだろう? じゃぁキューバ危機はどうだったのかと言えば、軍拡と文化戦争によるものじゃないか。そして、どうしてそういうことになったかといえば……」
「三百年前の、フロー開放に対する北部と南部の対立の話になるし、七百年前のフロー発見の話になるし、そして千年前の君たちニーの米大陸到達とクローとの接触の話になる」
マーシパルはそう言葉をつないだ。その言葉にバンスマンはやはりうなずいた。
「まだ千年ということか」
「そう、まだ千年ということだ。たった千年ではカーペンターの性向はわからない」
「私たちネアンデルターレンシスと、君たちハイデルベルゲンシスはよく似ている。DNAの分子時計で見る限り、フィロソファーもストーリーテラーも、そしてカーペンターも、分化の時期に大きな違いはない。ゲノムの変異だって0.2%近辺じゃなかったか?」
「ゲノムの違いはわからないが。分化の時期は化石からもそうだと言われてはいるな」
「なら、クローの振る舞いをどう説明できる? 地理的に分断されてからも二万か? 三万年か? それだけの分断で説明できるのか?」
マーシパルは車両の中の、眉弓の目立たない人々を眺めた。
「そこは、むしろ逆なのかもしれないな。私たちストーリーテラーが住むアフリカと、君たちフィロソファーの住むユーラシアは、隔絶されていなかった。結局地続きだし、地中海は、最初は冒険だっただろうが、船が行き交った」
「ハイディとニーを分けるのは、肌の色の違いだけだという説もあったな。分子生物学で否定されたが」
バンスマンはうなずいてから、言葉を継いだ。
「だが、そう言われるほどに、ネアンデルターレンシスとハイデルベルゲンシスには交流の歴史がある。遺跡を見ても二十万年ほどのね」
「それと千年は…… 比べられないよなぁ」
バンスマンはつぶやき、マーシパルはうなずいた。
「カーペンターとも分かり合えると思っているんだが」
バンスマンが言った。
「それは私たちもそう思っているよ。フィロソファーとカーペンターが出会ってからの文化の発展は間違いなく明らかだ」
マーシパルの言葉にバンスマンはまたうなずいた。
「そう。だから分かり合えると思ったんだが。ハイディとニーほどにとはいかなくても。早く理解できるだろうという希望はあるんだが。それでも、まだ時間が足りないのか」
「そういうことだろうな。ただ、時間があればの話だが」
バンスマンは大きくため息をついた。
「そう、時間だ。それこそが必要なのに。クローは」
バンスマンは顔をマーシパルに近づけた。
「これは、種としての成熟うんぬんでは言い逃れできないことだからな」
「あぁ、種分化が同時期とすれば、ニー、ハイディ、そしてクローの年齢も同程度ということになる。この点で特別な扱いをしなければならないのは、フローに対してだけだ」
「やはり、種としての性向なのかなぁ…… それにしてもフローと比べてさえ違いすぎるように思えるが」
地下鉄が、連合ビルの近くに止まった。
バンスマンとマーシパルは大きな荷物を車両の荷物置き場から悠々と持ち上げ、下車した。
「会議はハイディが進めるだろうが、なんとかうまくできないか?」
「うまくねぇ。クロー関係で、それを期待するか?」
バンスマンはまた大きくため息をついた。それからもう一度ため息をついた。
顔を上げ、胸を張ったバンスマンは、話題を変え、マーシパルと気候やフルーツの話を始めた。そのまま連合ビルの一部であるホテルのレセプトへと、二人は歩いて行った。