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入院からすでに一ヶ月近くが経ち、季節も四月初旬、病院の窓からは、公園の桜が満開をむかえ、春の花々が咲き誇っている。ときに肌寒い日もあるが、ここ何日かは暖かな日差しが病室にも差し込んでくる。体調とは反比例して、外の世界は華やいだ季節になった。
僕自身は、抗がん剤の影響で髪の毛はすっかり抜け落ち、ニット帽子を被っているのが当たり前のようになってしまった。体調もけだるい状態が続き、一日の大半をベッドで横たわっている。
食欲も無く、吐き気はしょっちゅう。ベッドで齊藤さんに身体を拭いてもらう時、骨と皮だけの自分の胸や腹を見ては、ため息がもれる。
一ヶ月は掛かると聞いてはいたが、抗がん剤の効果について、吉田先生から具体的な話はない。
不安ばかりが募ってしまう。
その日の昼食は、いつものようなお粥に梅干、それにおひたしと薄めの味噌汁。食欲は全く
と言って良いほど無いが、齊藤さんから少しでも食べなさいと言われ仕方なく、梅干でお粥をすすり、お腹を満たす。食べるのにもこんなに体力を使うなんて思わなかったな、そんなことを思いながら、うつらうつらしていた。
すると、突然目の前が回りだした。あの時と同じだ!と思った瞬間、身体がまっ暗いトン
ネルの中に吸い込まれて行った。
今度は、前回以上のスピードで、暗黒から光の世界に吹き飛ばされるような感覚に身を委
ねていた。
そして、眩しさから開放され、目を開けると、またあの薄ぼんやりと明るい白い雲の中の
ような場所にいた。
(また来ちゃったよ、どういうきっかけでここに来るんだろう?)
そんなことを思っていると、
「しゅんさ~ん」
レイちゃんの声が聞こえた、と思ったら横にレイちゃんがいて笑って僕を見上げていた。
「おっ!びっくりした」
「何びっくりするんですか?」
「そりゃするでしょ、いきなりまたこの世界に呼び出されて、声がしたと思ったら、レイちゃんが隣に突っ立てるんだから」
「そうですか、すみません」
ここにいる僕は、病院で治療しやせ細っている僕では無い。
点滴の管につながれてはいないし、それほど痩せこけてはいないような気がする。しかし、髪の毛は無くニット帽を被り、パジャマ姿ではある。
意識はかなりはっきりしている。
「やはり信じられないんだよな。これって本当に起こっていることなの?」
「わたしとこうやって再会したのですから、夢じゃないことはわかるでしょ」
「夢の続きを見てるような感じもするし、薬の副作用でこんな現象が出たりするかもしれないし。しかし、意識はいつも以上にはっきりしているんだよな」
「まあとりあえず、しゅんさんがどう思っても結構ですよ」
「そういう言い方はないんじゃない」
「そうですか、信じる者は救われるって言いますよ」
「それなら、またレイちゃんと会えたということは、再び何かが起こるってことなのかな?」
レイちゃんは優しく僕に微笑み、両手を自分の口もとの前にひろげ、息をフーっと吹いた。
前と同様に、目の前に大きなモニターが現れたと思うと、三・二・一とテロップが流れ映像が現れた。
小田急線の電車の中、グレーのポロシャツと、紺のジーンズ姿の青年が、つり革につかまっている。左手に「試験にでる英単語」という本を広げながら、一生懸命読み耽っている。どう見ても、浪人時代の僕だ。
「しゅんさんの浪人時代、なかなかの好青年ですね」
「ありがとう、でもぜんぜんもてなかったし、侘しい浪人生だよ」
「こういう光景が写し出されるということは、大学受験で何か後悔したことがあったのですか?」
高校時代は、遊び呆けていて、勉強なんてほとんどしていなかった。高校は県立大野高校、地区の中では上から二番目の進学校で、野球部は県立高校の中ではかなり強い学校だった。学校は自由な校風で、受験勉強に打ち込む雰囲気は全く無く、学校自体に浪人するのが当たり前という雰囲気があった。
レイちゃんがくれた新しい記憶では、野球部に入り甲子園を目指したが夏前に肩と肘を故障し、結局野球を断念することになった。昔の記憶も新しい記憶も辞めて半年は、悔しくて自暴自棄になったりもした。野球部を辞めたあとは、好きだった絵を描き始めた。二年から美術部に入り、将来デザインナーになりたいという新たな夢を描き出した。美術大学へ進学しようと決めた。浪人中、母さんに頼んでデッサンの専門学校に行かせてもらっていた。
しかし父親は、僕の美術大学への進学は反対だった。浪人中何度か進学のことで衝突をした。
浪人が決まってすぐに、
「お前、高校時代は勉強もせず絵ばかり描いていて、何やってたんだ。兄ちゃんはしっかり勉強して、現役で大学に入っただろう。それに引換え、美術大学に進みたいなんて、父さんは絶対に反対だからな。絵を描いて、飯なんて食えるわけ無いだろう。もっと現実を見ろ」
夕飯を食べながら、父親がいきなり怒りだしたことがあった。
兄は、高校受験に失敗して、二次募集で日本大学の付属高校にかろうじて入った。そんなこともあり、高校に入ってからは人が変わったようにコツコツと勉強し始めた。その結果、学年でトップクラスの成績をとり続け、付属高校でも入るのは難しい日本大学の理工学部に、そのままエスカレーター式に入学した。兄のこともあり、父親は、僕に厳しく当たってきた。
「すみません、一年間頑張って武蔵野美大に入れるように頑張るから、お願いします」
初めは素直にお願いしていた。しかしそのうちには、
「今の成績じゃ到底無理だし、考えが甘すぎる」
と僕の意見なんか全く耳を傾けなかった。
「何で、そこまで言われなきゃいけないんだ」
「本当に考えが甘いんだよ、父さんは尋常小学校しか行ってないから、お前たちにはちゃんとした大学を出て、それなりの学歴をつけて貰いたい。浪人までして美術大学に行きたいなんて許せるわけないだろう。経済学部か法学部にでも行って、ちゃんとした企業に勤められるように考えろ!」
「わかったよ!」
カッとなって怒鳴って僕は、自分の部屋へ逃げ込んだ。
確かに甘いところがあることは自覚しているが、あまりに一方的に言われて、とても悔しかった。
そんなことを思い出しながら、
「そりゃ、多くの受験生が多かれ少なかれ後悔はあるんじゃないかな」と言うと
「そういうものなんだ?」
レイちゃんが、何か考え込むような仕草をしながら返事をした。
そんな話をしていると、画面が自宅の茶の間を映し出した。
僕と両親がテレビを観ている。画面にはTBSの「八時だよ!全員集合」が映っている。食後のゆったりした雰囲気の中にも変な緊張感が醸し出されていた。
(これは、夏休み前に美術大学への受験を諦めた決定的な親子喧嘩の場面だ、これから父親の一言で喧嘩が始まる)
そう考えた瞬間、何かに身体が引き込まれる感覚に襲われた。
一瞬頭がクラッとして目を瞑ると、僕は茶の間でテレビを観ていた。
一番戻りたくない状況に引き戻された。でも、もう二度と会うことが出来ないと思っていた両親が目の前にいる。僕は、それだけで涙が出そうになった。父親が、どうした?という顔で見ている。そのまま無視してテレビを観ていると、父親はまた普段の難しい顔に戻った。晩酌のあとの赤ら顔で、ドリフターズのコントを面白いのか面白くないのかもわからない顔でだ。
僕は、この時の喧嘩がきっかけでデッサンの専門学校へは行けなくなったことをしっかり覚えている。喧嘩後から一ヶ月程憂鬱な日々を送り、結局美術大学の進学を諦めた。父親が怒って専門学校に連絡をして、辞めさせられてしまったのだ。結局父親の言うとおりに経済学部の大学をいくつか受験した。そんな状況で辛うじて受かったのが専修大学の経済学部だった。それからは大学生活の四年間を何となくやり過ごして、今の中堅の広告代理店に就職をして現在に至るわけだ。
父親は頑固一徹な人だった。一度決めると誰の言うことも聞くような人では無かった。それでも、本当に行きたかったなら、なぜ僕は真剣に説得しなかったんだろう? と思うのだ。
そんなふうに当時のことを考えていると、
「お前どうなんだ?」と父親の声が聞こえた。
始まったという気持ちになり、
「どうなんだって何が?」
とつい言い返した。
「何がって受験のこと以外にあるか」
「受験のことって漠然に言われたって、返事しようがないよ」
「あと半年だろう、少しは現実的に受験先を考えてるのか」
「だから、武蔵野美術大学と多摩美を受けるつもりだよ」
どんどん勝手に言葉が出てくる。あのときと同じ会話だ。
「父さんが言ったように、経済学部とか法学部の大学受験は考えないのか?」
当時は、もうその時点で父親が一方的に怒り出し、僕の話しに耳を向ける感じでは無かったが、少し様子が違った。
あのときの気持ちを思い出して、
「出来れば美術大学だけで受験をしたいとは思っている」と言ってみた。
「だから、その考えが甘いって言ってるんだよ。美術大学ってそういくつもあるわけじゃないし、全部落ちたら、また浪人するつもりなのか?」
父親が言っていることは正論だ。僕もそのことは考えていた。夢もあるけど、現実を全く無視して受験し続けるわけにはいかないって。
「絶対受かるかって言われたら、自信があるわけじゃない。でも、合格する気持ちで受験しなければ、受ける意味も無いでしょ。父さんと母さんに一年間は甘えさせてもらっているけど、僕もそれ以上甘えるわけにはいかないとは思っている。だから、本当は経済学部もいくつか受験するつもりでいるし、そのために、世界史の受験勉強はしてる」
僕は、あの頃の自分の考えを素直に話した。父親に言われると、すぐカッとなっていたが、落ち着いて話すことができた。
「そう考えているなら、そう言えば良いじゃないか」
あれ、何か、あの頃の父親じゃないみたいだ。少し戸惑いを覚えた。
「夢を持つことは良いとは思う。しかし、現実社会は厳しいから、お前の考えたとおりにはいかない。美術大学に行って、絵でどうやって食べていくつもりなんだ?」
「絵と言ったって、僕は画家になりたい訳じゃないんだ。どちらかと言えば、デザインの仕事がしたい。広告とか、マスメディア関係の会社に入れたらいいなって思ってる。それでも、まだまだ漠然としてるけどね」
「そうか、そういう仕事もあるんだな。父さんの時代は、食べることだけで精一杯で、何がやりたいなんて考える余裕も無かったよ。高校に行く人だって限られていたし、大学なんて、全く考えもしなかったからな。行けるだけで、それ以上何を望むのかがわからない。しかし、今は大学に行くのもあたり前で、更には、将来の仕事に夢を持つ時代なんだから、日本も豊かな国になったもんだな」
父親は、感慨深げに自分に言い聞かせているようだった。そういう気持ちを聞かされるのも初めてのことだった。
父親は尋常小学校を卒業して、一六歳でいすゞ自動車に就職し、ずっと働き続けてきた。工場の製造ラインで機械の修繕を仕事としている。区長として、現場の五十人の部下と、一緒に頑張っている。朝は八時に家を出て、夕方の七時には帰って来る。お風呂に入って汗を流し、晩酌をしながら夕食をすませる。テレビを観ながら、うとうとしていると母さんに起こされ、九時前には布団に入ってしまう。月曜日から土曜日まで毎日その繰り返しで、僕が幼い頃は、日曜日に、たまにはキャッチボールなどして、遊んでもらった思い出くらいしかない。週替わりに夜勤なので、翌週は夕食を六時に食べ、自動車で出て行くと朝方の八時に家に戻ってくる。僕は学校に登校しているので、父親がどうしているのかは知らない。学校から帰って来ても、あまり顔を見た記憶が無い。夕方になれば、また夕食を食べ、母さんが作ったお弁当を持って出掛けてしまう。父親とは、そうやってずっと働いているものだと、子供ながら思っていた。
父親は、五年前七十五歳で亡くなった。最後まで、本音で話し合ったことが無かった。ずっと遠い存在だと感じていた。僕は、子供を持ったことは無いので、親の気持ちは、よくわからない。
「お前の考えはわかった、自分なりに目標を持って受験に取り組んでいるようだし、駄目な場合も考えているようだから、父さん、これ以上は言わないよ。とにかく結果を出せるように頑張りなさい」
「ありがとう、自分も偉そうなことを言ってごめん。頑張って、結果を出すようにします」
そういうと、両親への思いで涙が溢れ出てしまった。
「お前、さっきから変だけど、何泣いてんだ?」
父親にそう言われると、子供みたいに泣きだしてしまった。
「おいおい、もう小さな子供じゃないんだから、そんなに泣くな」
少し呆れたような顔をして僕を見ていた。
しばらく泣き続けると、気持ちが落ち着いた。
僕の様子を見て、父親はもう眠くなったと二階へ上がっていった。
「父さんもわかってくれて良かったね」
母さんが、優しい笑顔を向けて僕に言った。
「うん」
僕はまた涙を潤ませていた。
大喧嘩になるという思いと、両親に再会出来た思いで僕の頭の中は混乱していた。父親とちゃんと話しが出来たことが、とても嬉しかった。そして、自分が言ったことはしっかり現実のことにしなくてはいけない、と心に誓った。もし人生がやり直せるなら。