その⑤
翌朝、夏休みであるから遅刻の心配はないが、つい癖で時刻を確認してしまう。
どうやらいつも通りの時間に起きたようだ。
鏡を覗くと、偽者も今起きたところらしい。
嫌々ながらも、ふと浮かんだ疑問を向こう側の自分に尋ねた。
「ここには俺以外の人間はいないのか?」
ここに来てから恭也は自分以外の人間とあっていない。
鏡の前に立てば、誰だって自分の姿が映るはずなのに、だ。
「普通の鏡に映るのはただの虚像。『呪いの鏡』に映った時にその人間の分身ができるんだよ」
さも愉快そうにクックッと笑いながら「君みたいにね」と付け加えた。
恭也は驚きのあまりにその言葉に怒りを露わにすることもできなかった。
自分が今まで生きてきた世界にたった一人。
いつまで続くか分からない、もしかしたら永遠かもしれない孤独。
想像しただけで怖気が立った。
偽者が部屋を出ていこうと体の向きを変える。
「待ってくれ! 頼む、ここから出してくれよ!」
恭也がどれだけ叫んでも、目の前の自分はにやにやと恭也を見つめるだけだった。
「出すも何も、君の世界じゃないか。存分に楽しんでくれよ」
扉の開閉音だけが虚しく響いた。
恭也は家の中を引っ掻き回すようにして、自分の携帯電話を探していた。ダメもとで千尋に連絡を取るつもりだった。
それは昨日彼女に呼び出されたときに家に置いてきてしまったのだ。
左右が違うだけのこの世界ならば見つかるはず、そう考えた。
しかし、机の上に置いたはずのそれはいくら探しても見当たらなかった。おそらく偽者が出ていく前に隠したのだ。向こうの世界の動きはこちらにも干渉するらしい。
しかし逆に言えば、わざわざ隠したということはそこに希望があるということ。
だがいくら探してもそれは出てこない。
恭也は左手に付けた銀色の腕時計に目をやる。自分と千尋の二人は全く同じものを左手につけていた。クリスマスに二人で購入したのだ。
はたから見ればありふれた形状の、何の変哲もないただの時計。今それは、光を受けて鈍く銀色に光っている。
安価だったが、自分にとっては大切なものだ。
「千尋……」
二人で過ごした時間を思い出すように、それをゆっくりと手で包み込む。
その時、聞こえるはずのない彼女の声が聞こえた気がした。
「私が最近使ってるサイトで見つけたんだけどね、『呪いの鏡』っていうのが近くにあるんだって!」
昨晩出かけるときに電話越しに聞いた、彼女の第一声がそれだった。
彼女は『呪いの鏡』に情報をそこで手に入れたのだ。
不意に恭也の頭にあるアイデアが浮かんだ。
恭也は自室へと走った。そして机の下段の引き出しを開ける。そこには長い間使われていなかったパソコンが眠っていた。
千尋のアドレスなどは分からない。だから偽者はこれを隠さなかったのだ。
「サンキュー千尋。おかげで何とかなるかもしれない」