8. 晩餐:Chat
食堂に入ると食欲をそそる匂いがたちこめる。
嗅覚を刺激されるだけで満足できそうな良い香りだ。
しかし、そこには先客が居た。
既に席に着き、慌ただしく大量の料理を平らげてゆく者が居る。
まるで獣。皿と顔の距離は皆無。
ゼロ距離食いである。
「ん? あれは……明鏡臨哭じゃないか」
「みんな遅いねー。早くしないとボクが全部食べちゃうよ?」
そこには満面の笑みで、山のように積み上げられた料理をかっさらってゆく少女が居た。
金髪のセミロングで、右サイドを三つ編みに結った髪。彼女の見た目からして、年は中学生くらいだろうか。チェスの盤のようなモノクロのワンピースという奇抜なファッション。
さっき聖霊の間から先に消えたのはこの少女だった。
明鏡のその食べっぷりを見て、全員の腹が同時になる。女性陣は顔を伏せてククッと、それを聞いた銀牙は声を上げて笑った。
「ほらほら、はよ席に着き。食おうや」
銀牙に促され、各々は各自席へ着いた。
しかし……明鏡の食い方といい、食うスピードといい、獣としか形容できない。
「明鏡、そういえばさっき、いつの間に聖霊の間から居なくなってたんだ?」
天夜は明鏡の食べるスピードと食い方も気になったが、それ以上に先程のことが気になった。
「ん? あぁ、あれね。あの時誰もボクが部屋から出る事に気付かなかったのは、ボクが‘‘音の征乱者’’だからさ」
得意気な顔で肉とサラダを同時に頬張りながら彼女は話し続ける。
「ほら、音ってのはさ、要は空気の振動による波じゃん?」
「あぁ。確かにそうだな」
「ボクはそれを自由自在に操れる。つまり、空気を自由に振動させたり止めたりできる。それだけじゃないよ。音を消す事だって簡単だし、音の原理を応用して動く時に発生する空気の振動だって無理矢理せきとめて、気配を消せるのさ」
「なるほどな。それでさっきはあの場の全員が全く気付かなかったのか」
聖霊の間での現象に納得し、目の前の豪勢な晩餐にゴクリと生唾を飲み込む。ナイフとフォークを手に取ると銀のヒンヤリとした冷たい感触が掌を覆う。
天夜がまず目を付けたのは、目の前のステーキ。これほど高そうな肉は天夜も初めて食べる。
フォークを肉のど真ん中に突き刺し、ナイフを入れる。分厚いのに思いの外簡単に切れ、肉汁が溢れ出た。そのまま口に運ぶと、今まで食ったことの無い濃厚な味わいが広がった。
他の者達も、その料理の味に感嘆する。
「うめぇ! なんだこりゃ! 一体なんの肉を使ったんだ⁈」
「人肉やで」
九道邸邸主の悪戯っぽい声音の一言で、その場の空気が一瞬で凍り付いた。
橘などナイフとフォークを床に落としてしまい、銀と大理石の床がぶつかり合う音が食堂に反響する。それを聞いてもなお、料理を貪る明鏡。お前どんだけ意地汚ねえんだよ。
「じょ、冗談やって! なんでみんな揃いも揃ってビビってんねん!」
銀牙は大笑いする。
意外と子どもじみた一面があるのだろうかと、天夜は呆れた笑いを浮かべる。
「それにしても調律者さんよ、なかなかやってくれるじゃねえか。調律者なんざ口ばかりの連中だと思っていたが、そうでもねえんだな」
食事にがっつきながらニヤける星村の悪人ヅラ。行儀悪いことこの上ない。
そのあまりの教養の無さに呆れるギリウスは、ゴミを見るかのような目で睨みつけながらも、賞賛の言葉を返す。
「それはどうも。あなたこそ私の剣を受け続けるなんて、中々根性があるじゃないですか、少し見くびっていました。口だけじゃないかと思っていたのはお互い様のようですね」
「ほらよ、俺も少し熱くなりすぎた。すまなかったな」
悪人ヅラの凶悪な笑みこそ変わらないままだが、星村はギリウスに手を差し伸べる。互いに手を交わし、この件は手打ちとなったようで丸く収まった。
天夜は面倒事を嫌う。血の気こそ多いものの、報告書に書くようなことが少しでも増えるのが極端に嫌なのだ。
おかげで平和的に解決できたことに、天夜は少し安堵する。
「あなたたち、下らない喧嘩を手打ちにするのは良いけど、少しは自分たちの行動を慎みなさい。特にギリウス。あなた、仮にも秩序を保つ調律者なら、無闇に喧嘩を買う様な行為は改めた方が良いわよ」
「それを止めなかったあなたも同罪です」
白亜閃の注意など知らん顔で反駁し、微笑むギリウス。言い返す様子も無く、白亜はただただ、無言で冷淡な視線だけをギリウスに突き刺した。
そんな重苦しい空気から打って変わって、銀牙は思い出したように天夜に顔を向けた。
「なあ、調律者さん。今日はもう夜も更けてきたし、定期審問は明日にせえへんか?」
「うーん……それもそうだな。分かった」
確かに皆今日の出来事で精神的にも少し疲弊しているかもしれない。
定期審問の行程では、征乱者はかなりの神経を磨り減らすのでーー調律者には完全に理解できない苦労だがーー体調は重要だ。
彼の判断は強ち間違っていないため、天夜はその提案を承諾した。
「そういうことなら僕は先に寝させてもらうよ。もう眠いんだ」
「ん? 蒼牙、もう寝んのか」
「まだ9時だけどね。オヤスミ」
そう言うと蒼牙は、早くこの場から立ち去りたいとでも言いたげに食堂を出て行ってしまった。
その後約一時間、三ツ星レストラン顔負けの食事を皆そろって貪るように食べた。
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冬真も比較的平然と食事を共にし、銀牙に襲いかかった時のような荒々しい雰囲気はもう無かった。
「ふぅ〜、食った食った〜」
「ご馳走様でした」
天夜とギリウスは椅子に座ったまま、揃って同時に軽く伸びをする。
「良い食事だった。礼と言ってはなんだが、今度是非我が家の宴にも招待したい。よいかな?」
刀条は金持ち同士の社交辞令のような口調でそう言う。
「ほな楽しみにしとくわ」
微笑みを向けながら、短簡とした口調で銀牙は承諾してしまった。
「そう言えば……刀条は警視総監の娘さんだそうだけど、何故こんな地で定期審問を?」
天夜は口直しの水を口に含みながら問うと、刀条の口からは女らしからぬ返答が返って来た。
「私は、刀条家の娘として、警視総監の娘として、強くあらねばならないのだ。そのために此処3年ほどはこの地で武者修行のようなものを続けているのだ」
「へぇ、まるで武士の家系みたいだな」
「みたい、やなくて。ホンマに武士の家系の末裔やねんな? 確か」
「え、らすとさむらい?」
「ま、まあ……そんなところだ……」
その言い方は少し恥ずかしいのか、照れたように刀条は返し、席を立つ。
「それより、私も今夜は早く休みたい。宿泊用の部屋を案内してくれぬか?」
「ほんなら、全員の部屋も一緒に案内するわ。どうせ客室は全部二階やしな」
邸宅の主と共にその場の皆が立ちあがる。
銀牙は大量に連なる鍵をクルクルと回しながら、一同食堂の出口へと向かった。