7. 応用:Medical
やっと息を吐いた皆の安堵の表情を見計らって口を開いたのは、九道邸の主である銀牙だ。
「あー……すまん、ちょっとええか? なんかもう晩飯が出来たみたいなんや。定期審問は後にして、先に飯食わんか? もう腹が減って死にそうやわ〜」
「ん? なんでそんなことが分かるんだ?」
辺りを見回すが、メイドがお食事の用意が出来ましたと言いに来た様子は無い。
「それはなー、あの管や」
部屋の隅っこを銀牙は指指す。
金属製のパイプオルガンの管のように伸び、先端はポッカリと口を開けた奇妙な造りだ。
「あの管、屋敷全体に張り巡らせてあってな、厨房の方からも匂いが上がって来るねん。あれから匂いがしたら飯時やって分かるっちゅうわけや。それ以外にも結構便利でな。特殊合金の特別製やさかい、通気口の役割もしとるし、俺の力があの管からよく通るんや」
「力が通る……? どういうことだ?」
「俺の力は理性を操る。理性を操ることでペットを飼い慣らせる。まあ……ちょっとばかし手の掛かる特殊なペットやさかいな。その管からなら、そいつのとこに力が屋敷のどこにおっても送れんねん。最近よく暴れるから特に重宝しとるんや」
つまり、あの管は屋敷の至る所に巡らされている。どうやら複雑な造りの屋敷らしい。
「はよ行こうや。蒼牙も腹減った言うとるしな」
蒼牙、というのは 銀牙の弟であり、‘‘液体の征乱者’’のことだ。
無口な上に、元からこの場では殆ど喋ってない彼だが、どうやら腹の虫はかなり活発なようだ。
「そ、その前に、星村さんの手を治療した方がいいと思うんですけど……」
幼女のような声でオドオドしながら星村の身を案じたのは、橘 波流だった。その言葉につられ、星村の手に視線が集まる。
星村の手は血まみれだった。皮がズル剥けで、筋肉繊維が丸見え。何故こうなったのかは、先ほどの攻防が原因と推測できる。
ギリウスのレイピアによる突きの恐ろしさは、そのスピードだけではない。
本当に恐ろしいのはその破壊力。
レイピアは剣尖の接地面積が小さい分、威力が一点に集中される。それに加え、ギリウスは体の扱い方を知り尽くしている。
それらが掛け合わさり、異常な威力が発揮されるのだ。
防いだ衝撃は、彼の大剣を握っていた手に途方もない激痛とダメージを伴ったはずだ。
だが並の剣の達人であっても、ギリウスのように相手の手の皮をズル剥けにする程の威力を生み出すに至るには、相当な慣れと訓練が必要なのだ。
それほどまでにギリウスの攻撃は常軌を逸していた。
「私と刀条さんで治しましょうか? 一応私‘‘天力の征乱者’’なので……。調律者さん、いいですよね?」
橘の言う“天力”とは、征乱者の力の源と定義付けられているエネルギーの総称である。征乱者は、征乱者だけの体内に流れる天力を用いて能力を発動する。
征乱者たちはこのエネルギーを各々の能力に見合った形として顕現し、行使しているのだ。
基本的に征乱者の能力はその者だけのオリジナルで、似たような定義の能力を持つ者はいても、他人が全く同じ能力を持つことは無い。
だが稀に橘のような、天力そのものを増幅させたり減衰させたりする征乱者が既に世界各国でも複数人確認されている。
他の征乱者と組むことで意味を成す故に、とある地方の暴動では天力の征乱者が他の征乱者の力を強化し、調律者を三日三晩圧倒し続けたという事例もある。
許可無く能力の発動は許されていないが、法や征乱者に課せられた特殊規定にさえ抵触しなければ何の問題も無い。
「ああ、大丈夫だ。俺の付き添いが手加減しないせいで、手間を掛けて悪いな」
天夜の言い草に不機嫌そうな顔一つ見せず、ギリウスは涼しげな微笑みを保ったままだった。
「いえ、ありがとうございます。では、刀条さんは自然治癒力のある植物を発生させてください。私が天力を増幅させれば、すぐに治るはずです!」
「そうだな、それがいいだろう。星村、手を見せろ」
刀条は星村に促すと、渋々手を差し出す。
「チッ、さっさとしてくれ……。手が千切れそうだ……」
そこに九道蒼牙も割って入ってくる。
「僕にも手伝わせて。僕は液体を扱う。植物を活性化させる液体ならいくらでも発生させられるからね」
「お? 蒼牙が積極的なんて珍しいやんけ」
「客人だからね、当然だよ」
そうして三人は星村の手の治療を始めた。
「まずは局部麻酔と消毒、それから止血だね。その手じゃ、痛覚神経が剥き出しだから、痛みでショック死するよ」
蒼牙の手が青白く光り、透明のゼリー体を生成する。
「限りなく固体に近付けた液体麻酔だ。僕の特別製だから、効力は信用していいよ」
「……ッ!」
「漬ける時は染みるだろうけど、我慢して」
星村の手にゼリー体の麻酔を漬けさせる。
さらに、消毒用のエタノールを発現させ、星村の手を包む。
「では、次に私が」
刀条が青白い光を伴い、能力を発動する。
先程レイピアを食い止めた黒い屈強な植物とは打って変わって、生命力が具現化したかの様な、優しい黄緑色の植物を生み出す。
その植物は星村の手に絡み付き、傷を癒してゆく。同時に傷を癒しながらも植物のちょうど良い締め付けによって止血。
自然治癒力のある植物は、どうやら細胞の組織の再構成を、劇的に促進させる効果を持つようだ。
その植物の天力を橘が増幅させ、治癒効果を上昇させる。
なんとも驚くべきことに星村の手はものの二、三分で完治してしまった。
「よし。これで大丈夫だな」
「サ、サンキューな……」
そっぽを向いて星村が礼を言い、三人は少し笑って顔を見合わせた。
「さーて、ほんなら飯食いに行こか」
部屋を出ようとしたその時、天夜は何か違和感を感じた。
居ないのだ、1人。
この部屋には後から入って来た冬真を合わせて10人居たはず。
だが、9人しか居ない。
天夜は疑問を抱きながらも、食堂へと9人は向かった。