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ニセガミ ー双黒の調律者ー  作者: ぽみしま れい
最終幕:超越せし者
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2. 憧憬:No longer the impossible dream


 青年は――九道銀牙は、ただ懊悩していた。

 ここまで来て、自分は何も出来ないのかと。

 ここまで来て、まるでボロ雑巾のように扱われ、蔑まれ、抑圧されるのかと。

 目の前には自分の部下、そして何より母と弟を殺した相手がいるのに。一切歯が立たない。

 友と呼べそうな(テンヤ)と出会えたと言うのに。その男が殴られていても、殺されかけていても、なす術が無かった。

 助けようとしてものらりくらりと躱され、ただ無力感と敗北感に打ちひしがれた。


 ――憎い。殺してやりたい。憎い。殺してやりたい。


 理性を抑えることなどできるものか。この獣のような衝動を我慢などできるものか。この身体には、人を何千何万と殺せる一騎当千の力があるはずなのに。

 あの重力操作で押さえつけられた時、殴られ続ける天夜を助けようとした時。まるで相手になどされていなかった。

 何も、できなかった。この身が引きちぎれようが、この魂が地獄へ落ちようが、どうということはないはずなのに。

 意識の根底から滾る復讐心と殺意は紛れもなく本物のはずだ。

 それなのに、どうしてこの体は動かない?

 どうして自分ではなく、か弱い少女が奴と相対している?

 そんな懊悩と絶望ばかりが、胸を侵す。


 ……けれど青年の耳には、希望のノイズが響いた。


「聞こえるかい、ギン君」


 高周波音と呼ばれるものだった。犬などの動物にしか聞こえない周波数の、人間には認識できない音。その音を生み出して、どこからか響いた声。理屈は分からないが、音の征乱者である彼女にはこれくらい朝飯前なのだろう。


「まさか、明鏡ちゃんかいな」


「そ、当たり。獣の聴覚を持つキミなら聞こえるんじゃないかと思って試してみて正解だったね」


「なんや、臆病者の俺を笑いたいんか」


 少しばかり遠くで、冬真がいると思われる方向に向き合う明鏡を見やる。出方を窺っているのか、動きが見られない。冬真にはバレないよう囁き声で返答する。


「はは、それもイイね。でも今はそれどころじゃない。奴を止めるには、キミの力が必要なんだ」


「どういうことや、俺の攻撃は全部躱される。不意打ちを喰らわそうにも今のあいつは無色透明や。鼻で追おうにも、神霊獣の死体の残り香が強すぎて分からん。天力と覇力の気配も奴は消せる。間違いなく詰みや」


「そんなことだろうと思ったよ。だからボクがサポートするのさ。奴の場所をキミに知らせてね」


「明鏡ちゃんにはあいつの居場所が分かるんか⁈」


「今こうして会話できてる能力をなんだと思ってるんだい? 音はすなわち空気の波。簡単な話さ。トウマっちの居場所だけじゃない。ボクは彼の呼吸音、心拍音、骨の軋み、筋肉の収縮音だって聴き分けられる。……話が逸れたね。時間が無い、手短に話そう。ボクが奴を挑発し、隙を作る。その瞬間、キミに出来ることはたったひとつだ。いや、これはキミにしか出来ない。それは――」


 獣は、眼を見開いた。その作戦は賭けでしかない。自分の能力でそこまですることが可能なものだろうか。理屈は通ってはいるが、決死の手段と言ってもいい。挑発の度が過ぎれば少女が即死するリスクもある。息を合わせた連携が必要だ。


 いや、それ以前に下手をすればあるいは――。


「トウマっちは明らかにこの状況を(たの)しみ、その気になればすぐにでも殺せるはずのボクたちをいたぶってる。これは不幸中の幸いとしか言いようがない。あいつが油断し慢心している今がチャンスだ、一撃で仕留めろ。たとえ殺すまでは出来ないとしてもキミの能力なら奴の思惑を阻止できる。けどそれが成功しなければ、全てが終わる。いいね?」


 けれど、それでも、これしかない。

 銀牙は覚悟を決め、もう一度己が闘志に火を焚べた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 鮮血が飛び散った。

 何もない空間から血が噴き出る光景は奇怪でしかなかったが、それはひねくれジャックという怪物に攻撃が届いたことの証明に他ならない。

 執念に取り憑かれた男の鋭利な爪。九道銀牙の、ありったけの想いが乗った一撃。明鏡にばかり目が行って隙だらけだったからこそ、上手く捉えられた。

 明鏡を拘束していた重力は消え、冬真の透明化も解かれる。

 不意打ちに勘付かれたのか、それとも透明な相手であったため位置がズレたのか、その一撃は肺や心臓にはわずかに届かず肩口を抉っていた。お世辞にも致命傷とは言い難い。

 だが、これだけで充分だ。今の奴の思惑を止めるには、銀牙の攻撃が一撃当たるだけで充分だった。


「どうしてだ……どうしてこの俺の居場所が分かった。この虫ケラが!」


 冬真はいつの間にか宙空に居たのだ。だがその高度には獣の跳躍力であれば易々と届き、その居場所は音の少女が正確無比な情報を与えてくれた。


「黙れや‼︎ 今からお前の意思を、俺が捻じ曲げるッ‼︎ お前が俺の家族にそうしたように‼︎」


 銀牙は振り解かれないように奴の首に左腕を回し、両脚は腰をホールドしてしがみつく。銀牙の全身から溢れ出す赤黒い光。それは彼の右手に収束し、冬真の傷口へと濁流の如く流れ込む。


「これ、は……!」


 矛盾者(パラドクサー)である冬真は、銀牙の天力の奔流を覇力によって相殺せんとする。だが奴が橘の心臓を喰らって得たのは天力だけだ。覇力は並みの調律者と大差ない。

 であれば、数値に大差のない戦いで勝敗を分けるのはひとつだけ。

 執念の強い方が勝つ。シンプルにして絶対の掟。

 赤黒い怒りに青白い抵抗は掻き消され、冬真はその奔流を一身に受ける。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッ‼︎」


 気魄とも怒号とも区別がつかない、その咆哮は執念の権化。

 執念を己に焚べ、自身ごと焼き尽くさんとする炎で怨敵を灰燼に帰す。

 己に理性などいらない。ただ相手の理性を操り、喰らい、壊し、己が物とすればいい。自分さえ良ければそれでいいとする完全な功利主義。幼き頃から網膜に焼きついた弱肉強食の世界。それこそが銀牙にとっては全てだった。

 人当たりの良い性格を演じながら、本当はそれが世界の真理だと気付いていた。そして憧れた。

 ――強者となることに。


「屈服しろ、俺の意思に‼︎」


「いい加減にしろ、この獣風情が……!」


 冬真は銀牙の首根っこを掴み、ぎりぎりと締め上げる。ズルリ、と抜ける獣爪。

 だが、銀牙の眼は死んではいない。

 腕を引き寄せ、そのまま冬真の喉仏に喰らいついた。食い込む牙。噴き出る汗と血。止まることなく流し込まれる天力。

 銀牙にはもう人としての理性は残っていない。あるのは獣を獣たらしめる能力と執念のみだ。


「まさか、そうか、そういうことか!」


「その通りだよトウマっち。今更気付いたところでもう遅いさ」


 眼下にはふらふらと立ち上がり、したり顔を浮かべる明鏡がいた。


「ギン君の能力は知ってるでしょ? 彼は理性を操る征乱者だ。キミの“地球の軌道を捻じ曲げて太陽に衝突させる”という能力を行使せんとする意志を彼は、“その意志を更に捻じ曲げ、元の軌道へと戻すようにキミの脳と理性へ直接命令する”。デタラメだけど、理屈は通ってるはずさ」


 銀牙に許された、ただひとつの能力が意思を、摂理を、法則を捻じ曲げてゆく。


「ふざ、けるな! 落ちろォォ!」


 冬真にのしかかる重圧。だが、首根っこに喰らいつく飢えた獣を簡単に引き剥がせるはずもない。それに下手に負荷をかければ自分ごと落ちる。

 今下へ降りるのは冬真にとって非常にマズい。下には明鏡がいる。こうして能力行使の意思を捻じ曲げられるような力を流し込まれている状態では、一人の動きを拘束する程度が限界だ。二人同時に相手などできない。


「グガアアアアアアアゥ! アアアァ!」


 理性を完全に振り払い、全身全霊を以って冬真を殺さんと、その意思を捻じ曲げんとする。


「いいかい、トウマっち。これはキミの慢心が招いた敗北だ。断言しよう、キミは九道銀牙に“負けた”んだ!」


 冬真は悟った。もはや足掻いても無駄だろうと。既に地球の軌道が元に戻りつつあることを、自分が最もよく分かっていた。


「そうか……なるほど」


 冷静さを取り戻す冬真。己の首を噛み千切らんとする獣のことなど意に介さない。


 そして――


「……いや、見事だ。だが、その代償は貰うぞ」


 ボン、という何かが爆ぜる音がした。


「こふ……ッ!」


 銀牙の口元から血筋がつぅ、と零れる。

 それが、奴の重力によって内臓を圧縮された音だと気付くのに、一秒もいらなかった。どこか大事な、生命維持に必要な何かを潰されたのだ。

 重力で全身を捻じ切るよりも、こちらの方が効率は圧倒的に良いはずだ。


「柄にもなく取り乱してしまったな……。よもや獣風情にここまで追い詰められるとは。歳月をかけて少しずつ操作してきた惑星軌道を元に戻されては、再度それを今すぐに捻じ曲げるほどの天力も残っておらん……」


 致命傷を受けても、銀牙はその顎を緩めることはない。もはや惑星軌道の修正は始まっており、地球の安全は保証されたというのにも関わらず、獣はなけなしの天力を絶え間なく注ぎ込み続ける。

 もはや唸るばかりで言葉すら発せない。その瞳には何かを執拗に追い求めるような光のみを(たた)えていた。怒りや悲しみや恨みやなどという陳腐な言葉では処理しきれぬほどの並々ならぬ感情の破裂。我を忘れ、家族への情念も忘却の果て。

 死を目前にして、九道銀牙はある意味で真なる獣と化した。


「アウウゥゥ……!」


「いい加減にしろ。貴様の執念の強さは確かに分かった。だがお前の死は確定事項だ。とっとと家族の元へ……いや、違うか。まあいい。俺にはどうでもいい事だ」


 一蹴。強烈な苛立ちを含んだ蹴りがその身体を引き剥がし、獣は地に失墜した。地面とぶつかる鈍い音が響く。


「ギンくん!」


「……にしても、お前は血の匂いが濃すぎる。ハナから仇打ちのつもりなど無かったのだろう? 九道銀牙よ」


 此処に、ひとつの生命は終焉を迎えた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 青年は、死にゆく意識の中に幻影を見る。それは愛していた家族の姿などではない。ただ幼い頃から自分が一心に憧れた、獣の姿。

 本州から戻ってきたばかりの頃、つまらないと感じていたこの北の大地で、ようやく見つけた気高き光。その獣は悠々と大地を踏み締め、雪の丘からこちらを見下ろしていた。

 其れは他を喰らい、自を磨き、山を制する、絶対的な捕食者。雄であれば誰でも一度は憧れるであろう“最強”を体現した獣。

 その双眸はひと睨みで他者を屈服させ、咆哮は群れを統率し、鋭き爪と牙で何もかもを己の物とし、疾走する強靭な四肢は雪原を自由に駆け回っていた。

 銀狼という強大すぎる存在に惹きつけられ、彼がそれを目指す“理想”となるまでにそう時間はかからなかった。

 同じ頃、儀式によって父から“理性の征乱者”としての能力を継承した。最初は戸惑った。だがじきに、これが自分の理想を叶える力だと確信した。


 ――そうしてこの崩月に、新たな獣が成った。


 九道財閥は表向きは様々な事業展開をし、巨万の富を築いていた。だが当然のことながら、手を広げれば手を広げるほど、クリーンな面とは裏腹に汚れた面とも付き合わなければならないのが組織の常だ。

 裏社会の住人たちとのコネクションや付き合いも多々ある。そういった面々と関わっていれば自然、殺し合いに巻き込まれることも少なくはなかった。宗教家を名乗る狂人や異能の者たちが闊歩する今の日本には、治安の整った場所など既に無い。法治国家をなんとか存続してはいるが、もう限界だろう。そんな世情でアンダーグラウンドな方へと踏み込めば、血を見ない日などあるはずがない。

 だが彼は、自らの手が血で汚れていることを弟の蒼牙には知られたくなかった。弟は自分の聡明な参謀のような存在ではあったが、ただこの事だけはひた隠しにした。言うべきかどうか迷いもした。

 けれども、己の意思に反する血を流すことは好まなかった。それが家族であれば尚更だ。せめて彼だけは巻き込むまいと、必死で隠し通した。

 それでも殺し合いを待つばかりでは理想へは近づけない。

 そう考え、非合法なファイトクラブに時間を見つけては出場したり、わざと恨みを買って襲われれば返り討ちにして容赦無く殺した。積み上げられる死体と流れる血。それらに酔い痴れ、自分が強くなってゆくことを実感した。


 人の上に立つ身として帝王学や人心掌握術は一際熱心に学んだ。巨大組織のトップとなる以上これらの技術は必要であるが、理性的に人を動かすことで熱に浮かされたように暴走する殺衝動を少しでも抑え込もうという意図でもあった。

 だがそれでもやはり、魂が最も求めたのは純粋な闘争であった。しかし闘争を繰り返すたび己が強くなってゆく実感に伴って増すのは蒼牙への罪悪感ばかり。


 ――この壊れた理想の追求を止めることなど、誰にも出来ない。


 メイドが殺され、ひねくれジャックがこの館に現れたのだと分かった時、銀牙は喜びに打ち震えた。ひねくれジャックという規格外の存在を打ち倒すことで、理想に近づけるのではないのかという歪んだ欲求が芽生えた。

 橘が殺された時、どうして自分を狙ってくれないのかと少しガッカリもした。いつの間にか、ひねくれジャックへの執着が膨れ上がるあまり感情の抑えが効かなくもなっていた。

 しかし、蒼牙が殺された時の感情は、混じり気のない怒りと悲しみ。理想への一筋の想いを抱いていたがゆえに、心底悲しみ怒る自分には少しばかりの驚愕を抱いた。

 そうして理想と弟への想いが混じり合ってできた、不純な執念。思えば酷い矛盾だ。


 そんなものが彼を()き動かし、この地下空間まで足を運ばせたのだ。己が理想を後押しできる強敵がすぐそこにいるというあまりの興奮に、理性が飛びそうだった。それで無意識に獣化していた自分もいた。

 他者を己の欲望のために殺してきた人間が、自分の家族を殺された途端に仇だなんだと騒ぐ資格など無いとも初めから分かっていた。口では家族のためと言いつつ、その本心では自己満足の為と完全に割り切った。それでも弟の死に怒りを覚えずにはいられなかった矛盾。


 戸惑った。弟の死を目の当たりにして何の為に戦うのか、分からなくなった。だが迷ってしまってはその闘志すら見失ってしまう。自我だけは死なせまいと、あえて理想を母や弟の仇という想いで上塗りし、己を騙した。騙したつもりになっていた。


 けれども、やはりそれだけでは足りなかった。冬真の喉笛に喰らいついた瞬間、己が欲望の原点を再び思い出した。

 いつか、同じ景色を一緒に眺めてやるという一方的な誓い。その理想を叶えるために、自己満足を最優先した。

 

 ――そう。最初から、誰の為でもなく、俺は、自分の為に――――


「あァ、銀狼……今、いク……」


 口唇は青ざめ、白い吐息すら立ち昇らない。

 寒い、寒い、寒い。

 まるで銀狼を初めて見た、あの饒舌な吹雪の日のように寒い。この理想と本懐は誰にも知られることなく、雪の嵐に(さら)われて消えるのだろう。

 そして幾許(いくばく)かの後悔を胸に、男は静かなる眠りについた。


 雪原の王との逢瀬を夢見て――


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