13. 生贄:But the clown dance
瓦礫の散乱する廊下。大理石の壁から突き出た枝葉。煌びやかな内装や美術品すらも荒れきっている。電気系統が破壊されたのか、照明は無く視界は薄暗い。もはやかつての栄華は見る影も無いほどに破壊し尽くされていた。
この館がこれほど短時間のうちに荒れ果ててしまった元凶は、刀条が発現させたあまりにも巨大すぎる大樹。あれほどの植物を一気に発現させることが出来たのは、橘波流の心臓を喰らい、莫大な天力エネルギーを取り込んだためだ。
なんとか視界が保たれているのは大樹で突き破られた壁や天井から日光が差し込んでいるからだろう。もっとも、その日光も本来なら今は夜の11時であるということを考えれば偽りの太陽だ。
一体この世界は、どこまで狂っていくのだろうか。
「くそっ、螺旋階段はぶっ壊れてるし、瓦礫の合間を縫ってちょっとずつ降りていくのもめんどくせぇな……」
すると天夜の視界には、ふらついた足取りで荒れ果てた廊下を歩く男が一人。黒い一張羅に身を包んだ金髪の男、銀牙だった。足をもつれさせ、その場に倒れこむ銀牙。
「おい! 大丈夫か!」
「あぁ……天夜、はん……。どうやら頭を強く打ってしもたみたいでな。左目もガラスが刺さってしもたみたいで、使い物にならんのや」
「立てるか?」
銀牙に肩を貸し、なんとか立たせる。
「天夜はん……ひねくれジャック、いや……須田冬真は、多分地下に行こうとしとる」
「分かるのか?」
「あぁ……。あいつは、うちの地下に隠されたモノが最初から狙いやったんや。あれを開くための“鍵”が、白亜ちゃんやったってことや」
「地下には何がある? それにその鍵ってのはなんなんだ?」
銀牙は息継ぎを何度もしながら、言葉を紡ぎ出そうとする。早く手当をしなければ危険な状態だ。
「うちの地下には……“神門”がある」
「神門だと?!」
星村のアニムス、ヴォルガルドが口にしていた神門という存在。ヴォルガルド曰く、人としての誇りと尊厳を捨てなければ神門へと辿り着くことは出来ないという。
「そうや。それを守る神霊獣が、うちのじゃじゃ馬なやかましいペットっちゅーわけや。こんなこと匡冥獄に報告したら一発でガサ入れ喰らうし、俺ら一族が代々守り通すべき秘密やったけど、もうここまで来たらそんなこと言っとられへんな」
「神門と神霊獣……それと白亜が、何の関係があるって言うんだ?」
「……白亜ちゃんは恐らく、その神門をこじ開ける“鍵”と呼ばれる特異点を持っとる。だから奴は故意に白亜ちゃんを呼び寄せた」
神門も神霊獣も、お伽噺や都市伝説の類だと天夜は思っていた。いや、誰もがそう思うだろう。征乱者や調律者は確かに人知を超えた存在ではあるものの、そんなものを信じる根拠は無い。誰もが眉唾だと思う程度の話だ。
「つまり奴は、神界へ行くつもりってことなのか……?」
「あぁ、多分な……神界に行って何をするつもりかは知らん。せやけどあれは、人が手を出して良い領域やない。あれの存在を知り利用しようとすれば、必ず災いを産む。だからこそ俺ら九道一族は、代々あの神門を神霊獣と共にこの屋敷の地下に秘匿してきた。そんで神霊獣を制御するには俺のこの力が必要や、この能力も代々受け継がれてきたものや」
「待て、お前のその征乱者としての能力は受け継いだものってことか? 自然発現したんじゃないのか」
「なんや天夜はん、知らんのか。どうやらオーサライズ・チューナーにもある程度の情報統制っちゅーのが敷かれてるみたいやな」
天夜は自分がここまで無知であったのかと少し落胆した。まだまだこの世界は広いらしい。しかし今は現状を受け入れ、打破するしかないのだ。否応無しに次々と入ってくる新しい情報を整理しようと、天夜は混乱した頭を酷使する。
「征乱者の能力は儀式を行えば、受け渡しができる。俺のこの能力は大戦時、九道 牙懺が最初に発現させ、代々儀式を用いて当主たちから受け継がれてきたものや。儀式が成功するにはある程度“適性”はいるけど……まあ九道家の長子は子々孫々血の気が多いらしいから、一番お盛んなガキのうちに継承させてこの能力で理性をコントロールできるようにしてるっちゅうことらしいわ。俺は未だに使いこなせてへんけどな」
つまりアニムスを移植するかのようにして能力を受け継ぐということなのだろうか。
天夜は初めて知ったその事実に、戸惑いと微かな不安を感じた。 調律者としての能力は幼い頃に発現したものだが、自分の征乱者としての能力は生まれつきと聞かされている。
儀式によって能力を受け渡しすることが出来るとすれば、もしかすると……。
――いや、今は自分の能力について考えても仕方がねぇな。
「俺とは違って蒼牙の能力はある日突然、発光現象と同時に発現したものや。確か、あいつが5歳の頃やったかな。あの頃から親父は日本中を飛び回ってたから、その時は俺ら家族も親父に付いて回ってた。一番長く過ごしたのは大阪やった。ゴミゴミしたとこやったけど、俺は意外と嫌いやなかったし、お陰で今でも関西弁が抜けへん」
彼が何故この崩月にいながらも関西弁を使うのかはずっと気になっていたが、幼少期の頃にそのルーツはあったらしい。
「でもあいつは大人しい性格のせいか、同級生にイジメられててな。俺が守ってやらんとあかんと思ってた。せやけどある日、イジメがエスカレートして……俺の眼の前であいつは川に突き落とされた。助けるために飛び込もうとした瞬間やった。水の中でもがいてたあいつの体は急に光り始めて、そんで気付いたらあいつは川の水を支配下において操り、自力で陸上に上がってきてた。まさか弟にまで能力が発現するとは思わんかったから、皮肉にも俺は兄として誇らしいと思った。兄弟で、二人で、九道財閥を引っ張っていこうと余計に思った。まああいつは昔から何かと多才な奴やったけど、ちょっと人と接するのが苦手でなぁ。せやけど俺より頭が回るもんやから、俺が当主の座を正式に継いだ時には……右腕としてアドバイスもらったりして、一緒に、頑張るつもり、やった……………せやのに……せやのにっ!!」
溢れ出す涙。こみ上げる怒り。その執念は凄まじい。だからこそ、天夜は直感していた。あのバケモノと対峙し、打ち倒すには銀牙が必要であると。
須田冬真は……いや、ひねくれジャックは怪物だ。並大抵の精神では、奴には勝てない。絶対に折れない強固な心が求められるだろう。
だからこそ、天夜は今の状況を正直に話す決意を固める。
「……落ち着いて聞いてくれ。あと一時間で、地球は太陽と衝突して消滅するそうだ」
「なんやて……?!」
「恐らく奴の能力のせいだろう、地球の軌道が大きく捻じ曲げられたそうだ。その影響で、各地じゃさっきみたいなフィーネの夜のバケモンが人を襲ってるらしい。同じくオーサライズ・チューナーの姉貴からそう聞いた」
「まさかあいつ、神門を確実に開く触媒として地球上の人間の魂を生贄にしようとしてんのか! ……だとしたらあのアホみたいにデカい樹も説明がつくな。冬真はんの天力を効率良く伝導・散布させ、惑星丸ごと操るためのアンテナみたいなもんってことか。
それやったら天夜はんは俺なんかに構ってる場合やない。手負いの俺なんか置いていけ! もう時間が無いんやろ!」
「……なぁ、強大な敵に立ち向かう時に、一番必要なもんってなんだと思う?」
置いていけと言う銀牙に対して天夜は少し黙ったかと思えば、あっけらかんとした口調で問うた。
「……?」
「勇気や度胸なんかじゃあない。いや、それも当然重要だ。けど本当に必要なのは目的を達成しようという意志、つまり想いの強さだ。壁ってのはデカけりゃデカいほど、人の心は戦う前から諦めやすくなっちまう。そうなりゃ待ってるのは敗北だ。けどお前は今、折れない心を持ってる。復讐心であろうが、それは立派な武器だ。お前の力が無けりゃ、冬真は止められねえ。だから、ついて来てくれないか?」
視線が交錯する。銀牙の瞳には、天夜が何処か自信無さげに見えた。いやそれどころか、何かに対する尋常ならざる恐怖を抱いてるかのような相貌。
「どういうことや、天夜はん。なんでそんな顔してるんや。まさか一人で戦うのが怖いわけちゃうやろな」
「いや、そんなことは……。ただ、俺は奴の力の前に手も足も出なかった。なす術もなく、白亜が連れて行かれるのを見ていることしかできなかった……まるで、お前は何もない人間だって言われたみたいで……」
天夜はあれほどの力を持っていると言うのに、何に対して畏れを抱くのか、銀牙には理解し難かった。
力、とは。己の困難を打ち破り、未来を切り開くための物だ。天夜はそれを持っているはず。しかし天夜自身はその力があろうとも、その力の使い方を本質的には理解していない。本当にその力を向けるべきは一体何処なのか、何も分からないのだ、と。銀牙は理性の征乱者故か、瞬時にそう解釈した。
それと同時に、銀牙は諦めなのか呆れなのか、どちらともつかない溜め息を零した。
「……まあええ。どうやら、なんか考えがあるみたいやんけ。しゃーなし命懸けで付き合ったるわ!」
「銀牙……」
その言葉に、救われたような、それでいて自分が情けないような微妙な心持ちで天夜は微笑む。
「任せとけ、俺は九道財閥次期当主やで。何もかも終わったら、また殴り合おうや」
「はっ、そいつぁ良い。お手柔らかに頼むぜ」
「次は負けへんからな。さて、このままやったら間に合わん。ペース上げんで!」
引きずるような重い足取り。しかしその歩みは確実で、そして加速していく。未来を切り拓く意志を持って。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
九道邸の地下深く。
野望の黒い炎を滾らせる男は佇む。
目の前に対峙するは、見上げるほどの巨大な獣。それも人知の及ばぬ、醜さと神秘を纏った禍々しくも神々しいような、そんな矛盾した姿を持った獣。薄赤の体毛、九つの邪眼、双対の捻れた角。優に20メートルは超えるであろう巨軀に歪な形態の四つ足、大きく裂けた口腔とノコギリのような牙、長く垂れた尾からは汚臭を放つ体液を排出している。常人なら腰を抜かすであろう、まさに異形の出で立ち。
けれど、異形の獣と向かい合うその男の立ち姿に恐怖や焦りや不安は無く、ただただひたすらに、目的への執念だけが男を包んでいた。
この男もまた、異形。
欲望が服を着ているかのような、そんな錯覚すら覚えるほどの覇気。その曇天の如き眼光は既にこの世界になど向けてられてはおらず、五次元の彼方を見つめていた。
「来たか! おぞましき災いよ! 人の皮を被りし悪魔よ! こうなると我は予期していたぞ!」
獣の声帯から発せられた人語は、なんとも言えぬ不気味な不協和音。
「フン、やはり神霊獣か。道理で鳴き声がうるさいわけだ」
「この館の主である小僧に、貴様を殺すために早く出せと言っていたのだがな。ここまで来てしまったのなら、全力を以って貴様を抹消せねばならん」
「やれるのか? お前のような獣風情に」
「我を愚弄するか悪魔風情が……。貴様の目的はなんだ?」
「それを聞いてどうする? お前はこれから死ぬのだぞ? まあ良いが……強いて言えば、“神殺し”。いや、もっと分かりやすく言えば……“次元上昇”。俺は神を超越する!!」
「フン、稚拙な野望なり。この場所、神門の“鍵”となる女、次元上昇の存在……誰に吹き込まれたかは知らぬが、貴様は所詮踊らされているに過ぎぬ道化だ。そのちっぽけな理想に、我が引導を渡してやろう!!」
獣の咆哮は怒りを含み、大空を、大地を、大海を裂くような、轟音となる。
冬真はそれを聞いてなお身じろぎもしない。これから襲いかかってくるであろう巨獣を目の前にしても古ぼけた外套を脱ぐつもりすらないのは、余裕を持って打ち倒せる相手だと踏んでいるからだろう。
「獣のくせにベラベラと五月蝿い奴だ、すぐに黙らせてやろう。神門開闢の贄としてやる!」
「ほざけ!!」
巨大な爪を振り翳す獣。 図体に似合わぬ豪速。だが冬真はそれを軽々躱す。大きく抉られた大理石の床は破砕され一瞬で瓦礫が飛散し、大穴が穿たれる。冬真が回避するたびに、攻撃は激しさを増し、その巨体とは裏腹なスピードが露わになる。
頑強な鉱物であるはずの床は、次々とチョコレートのように呆気なく砕け、瓦礫ばかりが増える。どの攻撃も軽くあしらわれ、獣は体の良い掘削機にされている。
「ちょこまかと……!」
次の一撃を繰り出すために前足を持ち上げようと力を込めた獣。だがその前足は何かに縛り付けられたかのようにピクリとも動かない。それどころか獣は、一切の動きを封じられた。
「どうした獣よ。何を止まっている、俺を殺すのでは無かったのか? フハハッ! 今のお前は良い的だな!」
まるで高みの見物とでも言わんばかりに空中へと浮遊した冬真。同じく見えない力で持ち上げられる数々の刀剣や戦斧や長槍。天井は所々壊れており、恐らくこれらの武器は上層から落ちてきたもの。冬真はそれらを獣の真上に浮き上がらせ、狙いを獣の全身に定める。
尚も獣は動かない。いや、動けないのだ。その全身を重力という呪縛で捕らわれたが故に。跳躍どころか、歩行も出来ない。
「き、貴様ァァァァ!!」
咆哮と同時に背部から剥き出しにされる肋骨。さらにそれらの肋骨はパズルのピースが重なり組み上げるかの如く、肉を守らんとする堅牢な盾となった。
「ダーツの時間だ!!」
凶器の数々は、豪雨のように降り注いだ。何倍もの重力を付加されて落下した刃は、骨で編み上げられた盾にめり込む。
異常な重力による負荷を掛けられ、その盾はめきめきと嫌な音を立てる。徐々に食い込んでゆく刃。遂に肉へと到達した切先は、そのまま勢いに任せて奥深く捻じ込まれる。噴き出す紫黒の血が、骨盾の隙間から止めどなく溢れた。
「下種、め……!」
直角にゴキリと曲がる首と、九つのおぞましい眼球。目の群れは冬真を睨めつける。
そこから放たれたのは、九本の切り裂く光線。のらりくらりと空中を飛び回り、冬真は全て回避する。
「天力を眼に集束させ、エネルギーを膨張させて一気に放つ魔眼か……面白い」
「甘いな小僧」
巨獣のおぞましい口角がニタリと歪む。直後、冬真の頭上には大理石の槍が降り注いだ。魔眼から放出された光線は天井の大理石を鋭く切り出し、犀利な槍に変えてみせたのだ。
「失せい!」
再びその九つの魔眼からは、鋭い光線が飛来する。大理石の槍と九本の光線の挟み撃ち。まるでスコールのような死の軍勢が、冬真を穿たんとする。
「やるじゃあないか……だが、甘い」
冬真は光線を回避しつつ、能力の一端である重力操作で、天井から降り注ぐ大理石の槍をピタリと停止させる。更にすぐさま槍を操り座標を変えた。
冬真は槍の座標を光線がちょうど来る場所へと移動させたのだ。当然ながら光線と槍は衝突。槍は一方的に消滅を余儀なくされた。
「フン、この程度か。そろそろ終わらせてやる。辞世の句くらいは聞いてやろう」
獣を縛り付ける重力の枷は、更に重みを増す。もはや指一つ動かせないほどに。地に這い蹲るその姿は、敗者そのものである。
「下種が……この我が、小蝿如きにィ!」
下から大槍--上層のどこかにあった物が地下まで落ちて来ていたのだろう--、大理石の柱、巨岩の順に、見えざる手によって宙に持ち上げられた新たな凶器。緩慢な動きで浮遊するそれらは、狙いを獣の頭部へと定めた。
指揮棒のように振るわれる冬真の指先。それに伴い、大槍、柱、巨岩の三つは獣の頭目掛けて急降下する。
頭蓋を突き破る大槍、大槍ごと頭蓋を叩き潰す柱、柱ごと上から圧し潰して獣の脳へと捻じ込まれてゆく巨岩。おぞましい獣は、生き物とは到底思えない紫の血を垂れ流す。 守護者である獣は断末魔を叫ぶ間もなく、物言わぬ肉塊に成り果てた。巨大な生命の灯火は、いとも容易く吹き消されたのだ。
「フハハハハハッ! ハットトリックだ!!」
圧倒的な暴力、圧倒的な殺戮に酔い痴れるその姿は、まさに悪魔。だがその力は、何人たりとも寄せ付けぬ絶対的な神の力。
矛盾した存在が、満を持して地へと降り立つ。
「……呆気なかったが、我が偉業を成し遂げる前の良い余興にはなったぞ。さぁ、ここからが本番だ! 儀式を始めよう!」
とうとう世界の終わりの秒読みが、始まった。




