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10. 壊理:Dying the World

少し長めです。

伏線回収等が多いので1万5千文字ほどになりました。

 九道蒼牙という第四の犠牲者。彼の血と能力によって部屋一面に描きだされた巨大な五芒星。これが聡明な蒼牙のダイイングメッセージである以上、真犯人へと繋がる手掛かりであることは明白であった。

 弟の死に、怒りと悲しみからか体を震わせる銀牙の眼差しは一人の男へと向いていた。


「お前か……お前が俺の弟を殺したんか……?」


 その言葉の矛先は、大剣を担ぐ大男、星村昂鬼だった。


「あぁ? 何言ってやがる! 俺の能力の何処に、そんな殺し方を可能とする方法があるってんだ⁈」


 星村は今にも暴れだしそうな挙動を見せ抗議するが、それを制止せんとギリウスがすぐさま羽交い締めにする。


「ですが……この状況であなたは圧倒的に怪しい。最初に蒼牙さんとこの部屋に一緒にいたのはあなただけ。この部屋、あるいは蒼牙さん自身の肉体へと何かしらの細工をする時間は十分にあった。そして極め付けに、ダイイングメッセージは星。あなたの名字の頭文字です。あなた以上に怪しい人間など他にいません」


「確かにギリウスの言う通りよ。あなたの金属の能力を使えば、金属をワイヤーのように細く顕現して張り巡らせ、締め上げることも可能なはず。その辺、どうなのかしら……?」


 ギリウスと白亜が問い詰める。銀牙の目つきも、どうやら星村を疑ってやまないらしい。

 確かに順当に考えていけば彼がひねくれジャックなのかもしれない。だが天夜だけは、まだその答えに納得がいかなかった。結論を出すには、あまりにも短絡的すぎる。

 何かが、何かが引っかかているのだ。形容しがたい違和感のような物が取れるまでは、この謎に答えを出すわけではない。

 そもそも星村には、犯人たり得ない根拠がいくつかあるのだ。それを主張せねば、この悪い流れはひねくれジャックの思うつぼとなる。


 しかし――長考している場合ではなかった。


「死ねェ!! ひねくれジャック!!」


 怒りの沸点が臨界値を到達したのか、弟の死を受け入れられない銀牙の爪が、牙が、筋肉が獣と化し、疾風となって星村へと飛びかかった。


 あまりにも咄嗟の出来事で、三人とも反応が遅れてしまった。

 音速と喩えるに相応しい瞬発力。銀狼と呼ぶに相応しい荒々しさ。殺意の塊としか思えない爪と牙の連撃は瞬く間に星村を壁際へと追い詰めてゆく。星村は手にしていた大剣でこれを凌ぐも、鋼鉄すら削ぐほどの鋭さとスピードを持つ獣にはそんなものどこ吹く風らしい。剣脊が抉られるほどの衝撃に、踏ん張る星村は身体ごと大きく後退する。


「んだテメェ! ふざけんな!」


 星村は右足をあげ、前方に強く踏み込んで大剣による突きを繰り出した。だが獣の動体視力を発揮した銀牙にはスロー映像にすら見えるのだろう。軽々としゃがんで回避され、下段から坂を駆け上がるかのように星村の脇腹を裂かんとする。

 しかしそれは、銀牙にとって悪手だった。唐突に大理石の床が隆起し始めたかと思うと、先端が鋭く突起した高さ1メートルほどの石の山脈となって銀牙に襲いかかった。姿勢を低めていた銀牙は、避けきることは不可能と判断したのだろう。紙一重で胴体は躱すも、銀牙の左腕をその鋭い突起物が貫通する。

 先ほどの踏み込みの瞬間、おそらく足から天力を床に流し込んで大理石を変化させた。そしてあの大振りな突きはブラフだったということになる。己の能力と戦闘スタイルの特性を理解しているからこそ成せる技だ。


「ガアアアアアアアアアアアアッ!!」


 もはや理性を失い獣と化した銀牙は雄叫びをあげる。腕などくれてやると言わんばかりに大穴を穿たれ流血する腕を横薙ぎに振り抜き、骨肉を断ちながら突起物の拘束から抜け出す。ばっくりと裂けた腕からは多量の血が溢れ、内側から肉と骨が露わになった。


「なんつう執念だ……!」


「おやおや、これでは手が出せませんね」


 床、天井、壁。これら全てを重力の縛りなど無視したかのように跳躍し、駆け巡り、猛攻を再開する銀牙。彼の目には星村という標的しか映っていないようだ。あまりのスピードと膂力に、付け入る隙がない。この勢いで下手に手を出して混戦すれば、巻き込まれて致命傷を負うのは確実だろう。


「チィ……! ウゼェぞ!」


 剣脊のガードだけでは防ぎきれないと判断したのか、星村は再び足元から天力を流し込み、大理石の床を変化させて突起攻撃を繰り出す。銀牙も咄嗟に身を翻して後退する。先ほどのカウンターで学んだのか、深追いはしなかった。


 が、その判断がまたもや銀牙には仇となった。


 生み出された大量の突起は、間髪入れずに鉄格子に形を変え、銀牙を包囲し、即席の牢獄となって幽閉した。瞬間的に二段変化を起こせるのは稀有な技術だ。そう安易に身につくものではない。


「女! コイツを撃てェ!」


「言われなくても!」


 白亜は不機嫌そうに引き金を引く。射出されたのは明鏡との戦いで使ったゴム弾。驚異的な精度で飛翔するゴム弾は吸い込まれるようにして格子の間をすり抜け、銀牙の顎に着弾。脳を揺らし、気絶させることで銀牙の自由を奪った。


「――よし、これで落ち着いて話が出来るぜ。調律者さんたちよぉ」


「なぁ、さっきの話……」


「俺がひねくれジャックの可能性が高いって話か? んなもんありえねぇに決まってんだろ。そもそもあんたらは、俺の記憶を審問でキッチリ調べたはずだ。今まで暴力沙汰は何度も起こしたが、能力で法を侵すようなことはしてねぇことが分かってんだろ?」


「これは仮説でしかないのですが、アニムスによる犯行であれば話は別になるのではと……。アニムスには審問をかけていない、いえ、かけられない。彼らの記憶には解析不能のプロテクトがかけられているという。だからこそアニムスに命令すれば、完全犯罪が――」


 ギリウスがそこまでつらつらと言葉を並べたところで、すぐに天夜がその言葉を遮る。


「いや、そもそもアニムスが宿主の命令を聞けるわけがない。アニムスが実体となって具現化している時、宿主は意識を喪失するんだから、意思の疎通は不可能なはずだろ」


「……そうですね、失礼しました。では仮に星村さん本人がひねくれジャックであると仮定すると、殺害方法はどのような物が想定出来るでしょうか」


「天夜、私は彼の能力でも充分にひねくれジャックのような殺害が可能だと思うわ。金属をワイヤー状に変化させ、部屋に張り巡らせて人体をねじるように巻きつければ視認が困難な凶器の完成よ。どうやって審問まで誤魔化したのかは分からないけど」


 どうやら二人とも情報が錯綜しすぎて疑心暗鬼に陥ってるのか、星村を疑ってやまないようだ。天夜は諭すように、それでいて呆れたように息を漏らした。


「本当にそう思うか? お前ら揃いも揃って、寝ボケすぎだ。荒瀬真希の遺体にも橘の遺体にも、そして蒼牙の遺体にも……どれひとつとして、そんな細いワイヤー状の物を巻きつけた痕跡なんざ無かった。それだったらもっと特徴的な内出血、あるいは肉を切りつけたような切創もあるはずだがそんな物も見られなかった。

 星村……確認したいんだが、金属を出来うるかぎり限界まで細めて顕現してみてくれ」


「あぁ、分かった」


 天夜に言われるがまま、星村は限界まで金属を細めて顕現させる。できあがったのは太さが1センチほどの金属棒だ。


「これが限界だ。これ以上細くするとなれば脆くなっちまってすぐぶっ壊れる。ましてやワイヤー状なんて器用なもん作れるわけがねぇ」


「あぁ、そうだろうな。お前は繊細な形状の物を生み出すのは不得意なはずだ。それは資料のデータにもあったし、俺自身、お前のアニムスと戦ってそれは分かってる。お前の能力は細々とした繊細な形状を創ることには向いていない。そういった点から鑑みても、星村にあの手口の犯行なんざほぼ不可能ってわけだ」


 天夜が断言する。

 だがそれを覆すように、部屋に入ってくる者がもう一人……いや、二人。

 倒れていたはずの冬真と、またもや気を失っている刀条の二人だった。


「そんなことはない! 僕は見たッ! 彼のアニムスが、刀条さんを殺そうとしたのを!」


 彼は聖霊の間に入ってくると共に猛々しく叫ぶ。背には刀条をおぶっている。激しく息を切らしながらもここまで上がって来たようだ。


「さっき彼のアニムスが、僕たちの目の前に現れて、得体の知れない力で殺されかけた! その時にまた刀条さんは気絶しちゃって、僕が連れて逃げてきたんだ! 明鏡さんは囮になって僕たちを逃がしてくれて……」


 汗を垂らし、必死の形相で訴える。何かから、命からがら逃げてきた様子だ。


「ふざけんなクソガキ! テメェ俺が犯人だって言いてえのか?! 誰が護衛してやってたと思ってやがる!」


「あなたは嫌そうにしながらも、僕たちを殺す機会を伺っていたんだろう! そんなこともう分かってるんだ!」


「どっちかが嘘をついている……ということですかね、コレは」


 次々と溢れる情報。対して天夜の中には、ずっと残ったままの違和感が膨れ上がっていた。それと同時に、まだ誰にも話していない仮説が成り立ちつつあった。それはまるで、パズルのピースが当てはまっていくような感覚。

 すると不意に、天夜は冬真に問いかけた。


「冬真……それは……赤い服を着たアニムスだったか?」


 天夜は目を細め、突き刺さるほど鋭い視線を冬真に向ける。


「いえ違います! 鎧と仮面をつけた大柄な男で――」


 一層犀利に研ぎ澄まされる天夜の視線と気迫。何かを確信した眼差し。襤褸(ぼろ)が出たなとでも言わんばかりの強い語気で言葉を返す。


「冬真ッ! ――星村の審問の場にいなかったお前が、何故星村のアニムスの容姿を知っている?」


 赤い服、という質問は嘘であり誘導尋問。さらに矢継ぎ早に問いかけてゆく。


「お前はそもそも一般人だ。征乱者のことすらほとんど無知だったお前がアニムスの存在を知っているという時点でおかしい。どういうことか説明してみせろ」


「えっ、と、それは、その、刀条さんに教えてもらって……」


「ならアニムスが宿主から抜け出ている間、宿主は意識を喪失するということも教えてもらったはずだよな? どうすれば、俺たちと今までずっと一緒にいてずっと喋っていた星村から、アニムスが発現するんだ?」


 一気に質問攻めで畳み掛ける。

 天夜の中に残っていた疑念と違和感が確信に変わる瞬間であった。


「な、何を言ってるんですか! 落ち着いてください!」


「俺は冷静だ。だが俺の中での仮説は証明されつつある。最初の被害者である荒瀬真希が死んだ夜の午前4時半頃。お前は体調不良でふらついて天力を通すパイプに頭を打ち、そのそばに倒れていたと、お前と刀条と橘は証言していた。アリバイがある以上お前ら3人は犯人の可能性が低かった。

 だが……俺たちがこの部屋へ来る途中、お前はさっきもパイプにもたれかかっていた。そこで伸びてる銀牙曰く、ひねくれジャックはこの屋敷のパイプから天力を通して能力を発現させ、殺したに違いないってことだそうだ。見ての通り、今しがた俺たちの目の前で九道蒼牙が死んだ。さっきまでパイプのすぐそばに居たってことは……もう、ひねくれジャックの容疑者はお前しかいないんだよ」


 まくし立てる者と慌てふためく者。 確信する者と弁解しようとする者。 対照的であり一方的。逃れられはしない。


「ぼ、僕が……? 何を言ってるんです! 僕は奴に恋人を殺された! 僕はその復讐のためにここへ来たんだ! ふざけないでください! それにあなたたちは調律者や征乱者特有の気配を感じ取れるんですよね! じゃあどうして僕からは何も感じないのですか! 僕にそんな力などあるはずが――」


「そうよ天夜、あなたどうかしてる。落ち着いて。それに彼の近くにはどちらの場合も刀条がいた。それなら刀条も怪しいはずよ」


「いえ、白亜さん……刀条さんが能力を使っていたなら橘さんも力を使っていたことに気付いてそれを証言していたはずですし、何より彼女の能力では不可視の物質を生み出せない。蒼牙さんを捻り殺したのは視認も感知も出来ない力だ。彼女には樹々によって体を捻じることは出来ても、視認も感知も不可能な物質は生成困難と言えます。もし出来るとすればそれは……我々にとっては未知の能力」


 天夜が突拍子もないことを言い出したせいか、白亜の目には天夜の気が狂ったように映っている。だが天夜には、須田冬真が一般人を装っていることを看破できる仮説があった。


矛盾者(パラドクサー)だ」


「え……?」


「これは一部の人間しか知らないし、恐らくは俺だけだろうと思っていたんだが……お前はどうやら、俺と同じのようだな」


「な、何を言って……」


 明鏡と別れる寸前、彼女が言っていた言葉を天夜は思い返す。


 『きっと全ての答えは、君自身にあるはずだ。君自身の中にある力こそがこの事件の答えになると僕は直感している』


「これはあくまで推測の域を出ないんだが……俺と同じで、お前は天力と覇力のどちらも扱えるんじゃないか? あれだけの犯行を行えば、犯人の特徴くらい何か見えてきても良いはずなのに、何一つ見当たらない。分かることと言えば“ひねくれジャック”という存在が“征乱者”であるということだけ。なのに能力の正体は見えてこない上、定期審問に召集された誰の能力にも該当しない殺害方法……。だがそれがもし、完璧な比率で体内の天力と覇力を均等に練り上げ、体外へと放出される力の気配を相殺することで完璧に隠していたとすればどうだ。もしこれが可能であれば、ただの一般人を装い、俺たちに征乱者や調律者であると悟られることなく犯行を行える」


「そ、そんなのあり得ないです! 二つの能力を持っているなんて、デタラメすぎる!」


「あぁそうさ、デタラメさ! 俺もこのデタラメな力に振り回されたことも一度や二度じゃねえ! だがテメェは見事にそのデタラメなじゃじゃ馬を乗りこなし、俺たちを欺きやがった!」


 最初に会った時から、違和感は覚えていた。自ら危険な橋を渡ろうと天夜とギリウスについてきた時点で、そして銀牙がひねくれジャックだと思い込んで襲いかかったところも、思えば彼自身の意思というよりも、彼自身が別の何かに騙されているかのような違和感をずっと抱いていた。


 空気が、変わる。パズルのピースは当てはまった。星村を疑っていたギリウスも白亜も、そして星村も、疑いの眼差しは完全に須田冬真という青年へと向けられていた。


「お前は……誰だ? お前からは、須田冬真という人間が見えてこねぇ。奥底からもっとドス黒い何かを感じるぜ! 正体を晒せッ!」


 天夜の手に、瞬時にフィーネの夜で構築される漆黒のナイフ。怒号に合わせて投擲されたそれは、冬真の眉間目がけて飛翔する。


「やれやれだ――」


 冬真が気怠そうに呟く。周囲の空気がずしりと重くなったような気がした。いや、確かに身体全体にのしかかるような僅かな重圧を、その場にいる全員が感じた。

 黒いナイフはピタリと冬真の眼前で時が止まったかのように静止しており、ベキベキと音を立てながら崩壊を始めていた。冬真は指一本ナイフに触れてはいない。彼の両腕は背負う刀条を支えたまま。まるで、魔法でも使ったかのような光景であった。


「どうして、俺の中身が冬真でないと気付いた?」


 口調や声色、顔つきまでもが、今までの温和な好青年からは豹変していた。ニタリと歪んだ笑み。冷酷な瞳。そして圧倒的な見えざる力で、ナイフを捻じ切り粉微塵にして地に堕とす。その残骸を踏み潰しながらおもむろに一歩踏み出す冬真であった者。


「まあそんなことはどうでもいい、か。貴様も矛盾者(パラドクサー)とやらであるというのは誤算であったが……どうやらもう誤魔化しは効かないようだ。起きろ、刀条。予定が少々狂った。始めるぞ」


「そうですか……やはり、無理やり押し通るしかないみたいですね」


 どうやら刀条は気絶したふりに過ぎなかったらしい。

 彼女は冬真の背からするりと降り、少し着崩れした着物を整える。凛とした面持ち、すらりと伸びた姿勢、しなやかな指先の所作。どれを取っても美しい仕草の彼女は、腰元に据えられた得物を抜刀する。

 鍛え上げられた抜き身の刃。白刃が(まばゆ)く光を反射する。力強くも美しいその刀は、まるで彼女の現し身であるかのようだ。


 ――だがその刀条は、ひねくれジャック……もとい須田冬真の共犯者であった。


「アニムスが宿主から出る時、意識を失うというのは初耳だ。少々リサーチ不足だったな。だが……この俺の正体を看破した褒美として、貴様らにいくつか種明かしをしてやろう。まず俺が星村のアニムスの姿を知っていたのは、この“樹の征乱者”である刀条から聞いたのだ」


「道場の外から木壁に感覚器官を同調させ、中を覗き見ることなど造作もありません。あなたたちの情報を得るには十分な戦いでした……。しかし、アニムスについての伝達不足は申し訳ありません。貴方ならこの程度のことは既に知っているかと勘違いしておりました」


「俺のせいにするのか? 言い訳など聞きとうない、その浅ましい口を閉じろ。……いずれにせよ、我が目的は確実に前進した。もはやこいつらも用済みよ」


 つまり星村のアニムスであるヴォルガルドと天夜の戦いは全て視られていた、ということになる。


「なるほどな……色々と合点がいったぜ。波流ちゃんが死んだあの夜、俺の姉貴から電話があった。匡冥獄のサーバーをハッキングして盗み見、挙句データの改竄まで行った奴がいたとよ。姉貴がその痕跡を割り出してみると、そいつは公安警察のサーバーからアクセスしてたらしいぜ。警視総監の娘さんよ」


 刀条の父は警視総監ということは彼女の口から聞いたことだ。であれば、その娘である刀条華煉が公安警察のサーバーを介してハッキングなど容易い。だが痕跡は綺麗さっぱり絶たれていたために、そこからアクセスされたということ以上は解析のしようが無かった。


「俺たち調律者が複数組、同じ定期審問に派遣されるというのは規則上あり得ねえ。匡冥獄は常に人手不足だからな。だが俺たちが此処で会ってしまったということは、お前らが差出人を匡冥獄と偽った特務要請のメールを白亜に送りつけ、白亜の特務状況を書き換えてまで此処に呼びつけたんだろう。だがそれは何故だ? わざわざお前たちの計画の邪魔になるような調律者を指定してまで呼びつけて何をするつもりだ?」


「黒霧天夜よ。貴様は、錠前の付いた扉があり、その向こうに自分が渇望する物があるとする。さて、その鍵を他者が持ち、誰にも渡さんとしていれば貴様はどうする?」


「質問を質問で返すんじゃねぇ! 何を意味不明なことを……そんなもん鍵を奪うしかーー」


「その通りッ! 他者が鍵を隠し持つなら奪えばいいッ! その女、白亜閃は正真正銘、文字通り“鍵”なのだ! だから呼び寄せたッ! しかし……貴様ら他の調律者まで同じ日時に来るというのは何の手違いなのやら。我らは白亜閃のみを呼び寄せたつもりだった。ま、とんだ誤算だったが、上手くこの屋敷に入り込める口実に利用させてもらったぞ」


 その言葉に、白亜の身体が強張る。なぜ奴が“鍵”の存在を知っているのかと戦慄し、白亜の顔は青ざめた。


「ついでだ、他にも教えてやろう。この館のメイドであった荒瀬真希。奴には橘を始末する算段を刀条と話しているところを見られたからな……口止めの為に殺した。あのカスのお陰で予定が狂った。そして、橘波流の死体を腐らせ死亡推定時刻を早めたのも刀条だ……もっとも、それを検死したのも刀条だから大した意味はないがな」


「私の能力は朽ちた木と葉で構成された腐葉土も生み出せますので。異常発生した腐葉土には大量の微生物--いわゆるバクテリアがいます。それを大量発生させました。バクテリアは生態系における分解者……つまり有機物を分解する。それによって遺体を急速に腐敗させ、死後2週間に近しい状態にしました」


 橘の死体を見た時の刀条はもっと怒り、悲しみ、取り乱していた。今の彼女は波一つない水面のように冷静で淡々としている。まるで人が変わったように、死者への冒涜に何ら嫌悪を感じてなどいない。むしろ当たり前のことをしただけという表情だ。


「全て演技だったってわけか、刀条」


「目的を果たす為、ですから」


「フン、遺体を腐らせるよう命じたのには特に深い理由など無いのだがな。貴様らを混乱させ、俺の能力を完全に悟らせないようにしただけだ」


「人の身体を弄びやがって……!」


「それで、その肝心の貴方の能力は重力操作というわけですか。確かに強力ですが、その分貴方は莫大な天力を消費する。今までの事件発生ペースから鑑みて、人体を捻り殺すほどの力を使えば、自分の中の天力をほとんど使い切ってしまう。如何に強力な能力であろうが、能力を使うための燃料でもある天力を失えばただの人。貴方は計画的に毎晩一人ずつ確実に殺すことで、この屋敷の人間を皆殺しにしようとしていた。だがそれでは時間がかかりすぎる……それで天力の征乱者である橘さんの心臓を奪ったわけですね?」


「ほう……よく俺の力に制限があると気付いたな燕尾の調律者よ。いや、流石に気付くか、クク……。だがな、重力操作だけと侮っているから、そして俺の目的がただの殺戮と勘違いしているから、貴様らは俺に騙された。俺があの幼気(いたいけ)な少女の心臓を奪ったのは、ただ殺戮を楽しむというつまらない理由ではない。偉業を成し遂げるためだ」


 重力操作が冬真の能力の実態であるというのであれば、橘が殺された吹雪の夜、犯人の足跡と思しき物が無かったという不可解な現象に説明もつく。何せ犯人は重力操作で宙に浮くことが出来たのだから。

 しかし、ここまで分かっても彼の本当の目的は一切見えてこない。天夜はただの快楽殺人であると考えていた。だが彼の口ぶりや、わざわざ屋敷に調律者と同時に乗り込み計画的犯行を行うという非合理的な行動を振り返ってみれば、そこには何らかの意図があったのだろう。


「偉業だと? 人を殺して達成される偉業など、何一つあってたまるかよ」


「フハハハハハ!! 愚かだな黒霧天夜! 人類の歴史など殺戮で血塗られた物ばかりで綴られているではないか! それらは善悪など関係無しに歴史として刻まれている! これを偉業と呼ばずして何と呼ぶ!!」


 哄笑するひねくれジャック。彼は古ぼけたコートの内側から立方体のガラスケースを取り出して掲げる。ガラスケースの中には、満たされた液体と橘の心臓。既に一部を食したのか、齧ったあとのような欠損が見てとれる。


「俺は貴様ら偽物の神など眼中にあらず! 俺が欲するは真なる神の魂魄! 真なる神の血肉! 真なる神の力!」


「何をするつもりだ……!」


 身動きが上手く取れないことに気付く。おそらく奴の能力による拘束だろう。白亜も銃のグリップに手をかけているが、ホルスターからすら抜き出せないようだ。星村は大剣を構えたまま動けない。そしてどうやら人間離れした膂力を持ったギリウスですら例外ではなく、過度に緊張した筋肉が小刻みに震えている。


「俺は誰よりも神へと近づく。否、神を殺し、捩じ伏せ、超越する」


 ガラスケースから心臓を取り出した彼は、邪悪な微笑みを湛えながら口吻に近づける。


 ――そして冬真はその心臓を、リンゴを齧るようにして貪り始めた。


 汚らわしく飛び散る血肉。生々しく響く咀嚼音。人の心臓を貪り喰らうその姿は、人のなりをしてはいても、もはや異形の怪物であった。

 3分の2を食い終えたところで残りを刀条に渡すと、刀条もそれを躊躇いなく喰らい始める。


「ほう――素晴らしいッ!! 力が全身に(みなぎ)るのが分かるぞ……!」


(あるじ)よ、準備完了です。“種”への天力伝達も可能です」


「そうか。では、始めるとしよう」


 刀条は切先を床へ突き立て、柄頭に手を置いて目を瞑った。


「生命を司りし大樹 そなたは輪廻の一端を担う者 絶え間なく呼吸せよ 絶え間なく搾取せよ 創造を以って破壊せよ

 ――空穿ゼーベリエンス仙樹アルマンドリオ


 詠唱の数秒後、巨大な地鳴りに合わせて床が揺れ始める。いや、大地そのものが躍動し始めた。


「地震かこいつぁ?!」


「バカヤロー! おそらくこいつらの能力だ! 下から何か来るぞ! 足元に気をつけろ!」


 床を突き破り、螺旋を描くようにして現れた大樹。大きい、いやあまりにも大きすぎる幹と枝葉。幹の太さなど、一体どれほどなのか計り知れないほどの異常発達した巨木。樹齢で言えば2000年や3000年レベルのそれは、一瞬にして床から天井を突き破ってめきめきと成長してゆく。


「銀牙!」


 星村に拘束されたまま気絶していた銀牙は、大樹が床を割って出たため生じた瓦礫の隙間から下層へと落ちてしまった。


「神塔が壊されるのは想定済みだったぞ。全て計画通りだ」


 冬真は一瞬にして現れた一本の巨樹に照準を合わせるようにして手の平を向け、両腕を伸ばす。

 そして紡がれるのは、滅びの詩。


「星よ! その身を焦がせ! 廻れ! 進め! 軌跡の理から背け! 世界は我が物となりながら燃え尽きる!

 ――輪転フォルテリオンせし惑星バガッド!」


 冬真の掌からは溢れんばかりの蒼白の光が巨樹に照射される。巨樹に吸収された莫大な天力は、すぐさま天地に流れ行くのを全員が感じ取った。絶大なエネルギーの脈動が、世界を支配せしめんとするかのような感覚。


「白亜閃……いや、“鍵の継承者”よ。貴様は俺と共に来てもらうぞ」


「な、何をする気?!」


「待て、テメェ! 白亜に手ェ出すんじゃあねえ!」


 身動きの取れない天夜の怒号など一切聞こえていないかのように無視する冬真は、白亜を重力操作で木に叩きつけ気絶させ、その身体を浮遊させる。


「やれやれ、よく吼えるな人間。必要なのはこの女だけだ。そもそも俺の計画に必要なのはこの女と橘波流だけだったのだ。貴様など儀式に使えぬ、失せよ」


 身体を押さえつける重力が更に強まり、天夜は膝から崩れ落ちて地に伏せる。


「刀条よ。その命を燃やし尽くしでも、此処で奴らを足止めせよ。良いな」


「はい、主よ。私は貴方の剣として忠を尽くすのみです」


「フッ、良い返事だ。では我が剣よ、全力を以って事に当たれ」


 冬真は刀条が作為的に生み出したと思われる、大樹にぽっかりと空いた(うろ)へと飛び込む。その直後、穴は傷口が塞がるかのように消えた。


「白亜ァァァァァァ!!」


 その叫びは虚しく木霊するだけで、白亜の耳に届くことは叶わなかった。


「クソッ! クソッ! クソォッ!!」


 重力操作の解けた身体を持ち上げ、すぐさま地を蹴る。巨樹へと駆け寄り、覇力を練り上げ、拳に集中させ、巨樹を何度も何度も殴りつける。だが大樹は傷ついた場所から次々と自己修復されていく。苛立った天夜はフィーネの夜で長剣を形成。斬りつけ、抉り、突く。しかし、それでも異常な生命力を有するその巨樹はどう破壊してもすぐに再生した。


「無駄です。橘波流の心臓から得た膨大な天力で練り上げたその樹は決して揺らぎません」


 無慈悲な宣告。すると打って変わって天夜の携帯端末からは、突如として場違いなほどにけたたましい着信音が鳴り響いた。


「あーもう、うるっせぇな! なんだよ!」


 ディスプレイには“クソ姉貴”の四文字が浮かぶ。こんな時にあのブラコン姉の相手をせねばならないのかと辟易しながらを応答のアイコンを押す。


「あーはい、こちらお仕事真っ最中で大ピンチの黒霧天夜、忙しいので用件を5秒で伝えてどうぞ」


『ちょっと天夜! あなた無事?!』


 突然怒鳴る携帯端末。声の主は天夜の姉である千夜(ちよ)だ。


「千夜姉、心配してくれるのは有り難いんだが、いくら電話になかなか出ないから死にかけってことはないんだから安心しろ」


『そういうことじゃなくて! その様子だと何も知らないのね?! いいから外見て外!』


「あぁ? 外なんて見ても今はお星様とお月様しかいねぇだろ。寝ボケてないでさっさと寝ろ。つかそもそも今閉じ込められてっから外すら見れ……な…………――は?」


 そう言うや否や、まるで示し合わせたかのように巨樹が突き破ったことによってひび割れた天井の一部がボロボロと崩れ落ちてくる。その隙間から見えたのは、あり得ないものだった。天夜もギリウスも星村も、思わず言葉を失う。夢でも見ているかのような光景に。


『その様子だと外がどうなっているのか確認できたみたいね。落ち着いてよく聞いて。今、地球全土に(かい)()現象が起きているの。(かい)()()500オーバー、大天災クラスの壊理現象よ! その影響で各地で自然の摂理が崩壊、あまりの摂理の乱れによってフィーネの夜がヒトの形を成して次々と人間を襲ってる! 日本の匡冥獄を含め、世界中の調律者機関が対応に当たってるわ!』


 摂理の乱れの程度を数値化したものは壊理値と呼称されており、100や200を超えるだけでも相当な影響を及ぼす。大きな壊理値を叩きだすと、伴って周囲には甚大な環境の変化をもたらすためそれを壊理現象とも呼ぶ。記録上、征乱者が最初に現れた第二次世界大戦の最中、最も軍事利用され最も大きな壊理現象を起こしたのはこの頃だと言われているが、その時代の最大壊理値は理論上300ほどとされている。

 だが今回のこの事象は、その数値すら軽く上回る。これが何を意味するのかは明白だろう。


「ギリウス……今、時計の針は何時を指してる?」


 懐中時計を開いて見ると、ギリウスは溜息をこぼす。


「午後11時、ですね」


「なぁ、俺の頭はおかしくなっちまったのか?」


「ともすれば、私も同じく狂ってしまったのかもしれませんね」


「どうしてだ……どうしてこんな時間に、太陽が昇ってやがる?!」


 夜の11時。太陽など顔を出して良いはずもない時間だ。それであるというのに、あの巨大な天体は、煌々と輝き、この星を照らしている。


『早急な対応による観測と分析で、地球の進む軌道そのものが変化していることが分かったわ。そして軌道計算の結果、本来の軌道から大幅に逸れた地球はこのままだと約1時間後…………地球は太陽に衝突するわ』


「そう……か。そういうことか……! 九道蒼牙! あいつは死に際に、気付いていた! 身を以て体感した、奴の能力の正体に!」


 悟った。確信した。

 蒼牙が死に際に残したダイイングメッセージの意味が。そしてひねくれジャックこと須田冬真という男の能力が、ただの重力操作ではないということを。

 蒼牙が血と液体操作の能力で床に描いた五芒星。あれは犯人のことを示唆したのではなく、ひねくれジャックの能力の正体を示したのだ。奴の能力の本質は、“惑星という巨大すぎる性質そのもの”を操ることにある。重力操作など、その一端に過ぎないのだろう。いくらなんでも地球の惑星軌道を操作するなどデタラメすぎる。

 さしずめ“惑星(ホシ)の征乱者”とでも言ったところだ。

 数日前から徐々に太陽に近づいていたということは、この日の為に少しずつ能力を地球そのものに行使して軌道をずらしていたということだ。だからこそ人一人を殺すためだけに力を割くのが容易ではなかったのだ。

 そして惑星の軌道が変化した影響がもう一つ。昨晩の強烈な吹雪から一転して、昼間は快晴。かなり汗ばむほどに気温が高まっていたことの裏付けでもある。

 フィーネの夜の集合体が、異形の群れとなって襲いかかってきた理由も見当が付く。恐らくは天力をあらかじめ一定量神塔を触媒として蓄積させ、地球に向けて拡散・放出し、地球という惑星を本格的に動かすトリガーを引く前準備のためだ。

 奴は神塔が破壊されることも想定済みだと言っていた。だからその代わりとなるアンテナを生み出す用意をしていた。それがあの巨大すぎる仙樹。

 あらゆる事象が、繋がった。

 ひねくれジャックもとい須田冬真は、こうなると分かっていて、全てを計画していたのだろうか。


「地球が太陽に衝突……ね。B級SF映画でも、もうちょいマシなシナリオにしてくれるぜ。もう色々ありすぎて頭がどうにかなりそうだが……なんとかしてみるさ」


『はぁ?! なんとかしてみるって、天夜あなた……何か知ってるの?!』


「知ってるも何も、今回の超特大壊理現象を引き起こしてくれた張本人に一杯食わされたとこさ。そして今からそいつをブチのめしに行こうと思ってたとこだ。世界中の調律者どもが大忙しって言うなら、こっちに救援は必要ねぇ……。すぐにでも動きださなきゃ時間はねえしな。あばよ、千夜姉。生きていたらまた連絡するぜ」


『ちょっと待って! 何を言って――』


 天夜は無理矢理通話を終わらせて携帯端末をしまうと、刀条に向き直る。


「オイ刀条。あんたの主ってのは、この地球ごと破壊して何がしたい? ぶっ壊した後何処へ行こうってんだ? 火星に移住するにはまだ早えぜ」


「ふん、貴殿はひねくれジャックの正体を看破したが、我が主の本質を見抜いたわけではない。もはや止められはせぬのだから教えてやろう。我が主は既に須田冬真ではない。そして人間でもない。故に、この人間の世界でなくとも生存は可能だ」


「アホらしい。人間を超越したとでも?」


「超越も何も、そもそも人間ではない。我が主は我々人間が俗に、“悪魔”と呼ぶ種族に当たる」


「なっ……! テメー、冗談言ってんじゃねえだろうな?」


「冗談を言っている暇など無いのは互いに同じこと……貴殿たちには此処で死んでもらう」


 彼女は抜き身の刀身を威嚇するように煌めかせると、ゆったりとした動きで構えを取る。


「さっさとお前をぶっ倒して、冬真の所に行かせてもらうぜ」


 天夜が腰を低め、ファイティングポーズを取る。気魄に満ち溢れたその眼光からは、ただならぬ闘志が漂う。

 だがそんな天夜の前に、遮るようにしてギリウスが立った。


「何してやがるギリウスッ! そこをどけ!」


「天夜、道は開けておきました。あなたは早くひねくれジャックの元へ」


 見れば先ほど銀牙が落ちてしまった穴は大樹の根や枝が侵食して塞いでしまおうとしていたが、それらはギリウスの覇力で押さえつけられていた。


「此処は任せなさい。時間が無いのでしょう? あのひねくれジャックというバケモノを倒せるのは、同じく矛盾者(パラドクサー)であるあなただけです。……それと、死ぬことだけは許しませんからね。私はあの方との約束……いえ、最後の命令を破る気は決してない」


「……そりゃこっちのセリフだ。お前のご主人様の遺言を全うしろ。そんで俺のもとに戻って来い。こんな所でくたばったら承知しねぇからな」


 二人は直感していた。今自分たちが直面しているのは、長く短い一生の中で数度とないほどの生命の危機であると。命を、人生を、全てを賭した戦いになるであろうと、そんな予感がしてならない。

 この地球そのものを巻き込んだ戦いに敗れれば、何もかもが終わる。負けることなど許されるはずもない。


「では、後でまた会いましょう」


「おう!」


 二人は握り拳を突き出して互いにぶつけ、天夜は下層へと続く瓦礫の隙間に飛び込んだ。

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