9. 混戦:Third Victim
九道邸3階に存在する“聖霊の間”。本来、定期審問が行われる予定であった神聖な部屋には、その場に相応しくない異形たちが群がり、二人の征乱者を追い詰めんとしていた。
「なんだこの黒いバケモンどもは! 斬っても斬っても復活してきやがる! 何か分かんねえのか、蒼牙お坊ちゃんよぉ!」
星村は大剣を豪快に振り回し、得体の知れぬ敵を薙いで屠りながら叫ぶ。蒼牙は水柱の激流によって敵を吹き飛ばし、壁際へと追いやり叩きつける。
異形たちは四肢を持つ人のなりをしていながらも全身が濃厚な黒い靄に包まれた出で立ちだ。群れをなし、走りかかって押し寄せるその数の暴力は理不尽な恐怖と形容できる。
人の枠組みを超えた征乱者が二人がかりになっても手こずるほどだ。危険であることは言わずもがなである。
「訳が分からない……たぶんコイツら、“フィーネの夜”の集合体のようなものだ……!」
「あぁ?! なんでそんなもんでできてんだ?!」
「僕に聞かれたって分からないさ! さっきメイドに調律者さんたちを呼びに行かせた! じきに増援が来るまでの辛抱だ!」
「クソッタレ! どうして手ェ空いてるのが俺だけなんだ! テメェの兄貴はどうしたんだよ!」
「兄さんは他にやる事があるのさ! いいから目の前の敵を叩き潰すことだけを考えろ!」
「うるせぇ! こちとら冬真とかいうクソガキと寝込んだままの刀条の護衛を任されてたんだよ! なのに、 テメェんとこのメイドが助けを求めるからこっち来てやったんだ!」
星村が叫ぶが、蒼牙はそれを無視するかのように、星村へと向けて水柱を発射する。消火ホース以上の太さと水圧を誇るその水柱を星村は咄嗟に回避。水柱は星村の背後に迫っていた複数の異形を、綺麗にまとめて一掃した。
「危ねえな! 殺す気か!」
「でも助かったでしょ? まあ、油断していたにしてはなかなか良い反応じゃないか。ちょっと見直したよ」
「うる……せぇ!」
すると星村はお返しと言わんばかりに大剣を突き出し、土手っ腹を貫かんとするほどの強烈な突きを蒼牙に向けて繰り出す。だが蒼牙も持ち前の戦闘センスからか、スムーズにサイドステップで躱す。切っ先は狙い通り、蒼牙の背後に迫っていた複数の異形を串刺しにする。
お返しだ、と言いたげな顔で星村は笑う。
「ハッ、テメェごと貫きゃよかったぜ」
二人は背中合わせで互いの死角を補う陣形をとり、構え直す。
「言うじゃないか筋肉ダルマ……不本意だけど、背中は任せられそうだ」
「先にくたばんなよ! 温室育ちの軟弱坊っちゃん!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
天夜、ギリウス、白亜、明鏡の四人は、メイドに言われた通り聖霊の間を目指して階段を駆け上がる。一刻を争う事態。よそ見をする暇など無いほどの速さだったが、天夜が立ち止まる。
「あれは……刀条!」
二階の客人用の部屋が並ぶ廊下前には、刀条と冬真がいた。だが冬真は、この屋敷に張り巡らされているというパイプにもたれかかるようにして気絶していた。
「刀条! どうした⁉︎」
「冬真殿が……また倒れてしまったのだ。さっきから呼びかけているのだが、目を覚まさないのだ……」
「ん? 一緒にあなたを護衛していたはずの星村さんがいませんね」
「さっきメイド殿が我々のいた部屋へ慌てて入ってきて、助けてくれ……と。すると奴はすぐに出て行ってしまったのだ」
「クソ、そういうことか! あいつ先に蒼牙の援護に行ってやがる!」
「天夜殿……一体何が起きているのだ……もう私は、これ以上耐えられぬ……」
「大丈夫だ。災厄は全てぶっ潰すからよ。明鏡、この二人の護衛を頼む。もし何かあったらお得意の音で知らせてくれ」
「うん、任せておくれ。気をつけてねテンヤン…………それと、きっと全ての答えは、君自身にあるはずだ。君自身の中にある力こそがこの事件の答えになると僕は直感している。それを忘れないでくれ」
「なんだそりゃ……でもまあ、よく分かんねぇけど分かった! 少しばかりそこで待ってな!」
調律者の三人は踵を返し、三階へと急ぐ。
大理石で出来た壮大な螺旋階段を登り終えると、奥の部屋を目指して走る。
「ねぇ……天夜」
走りながら、横から白亜が呼びかけてきた。
「なんだ!」
「ごめんなさい、なんでもないわ」
「……そうか」
――言えない。私が“鍵”の継承者であることなど。これは命を賭しても死守すべき秘密。いくら天夜にでも告げられない秘密。なぜ明鏡がこの秘密を知っていたのかは分からないが、誰にも打ち明けることなどできない。
鍵は私の中で、何かに反応するようにして胎動していることが確かに分かる。これが何を意味するかは分からないけれど、嫌な予感だけはハッキリとある。だからこそこのことを言うべきか言わざるべきか、迷いを断ち切れない。
白亜が煩悶と懊悩しているうちに、三人は巨大な鉄扉の前へと辿り着いていた。
「行くぜ……!」
突撃するようにドアを蹴り開けた天夜と共に、ギリウスと白亜は聖霊の間へと突入。
三人の視界に飛び込んできたのは、黒き異形の群れと交戦する二人の征乱者だった。
「大丈夫か、星村! 蒼牙!」
天夜たちはそれらの渦中へと飛び込み、援護を始める。
襲いかかる異形たちは蒼牙の水柱によって宙を舞い、そこにすかさず弾丸を叩き込む白亜。天夜とギリウスは複数の異形たちを相手に徒手空拳のみで叩きのめし、それによって一箇所にまとまった異形たちを星村が斬り伏せてゆく。
五人がそれぞれ一切の合図も無しに完璧な連携で死体の山を築き上げる。同じ要領で苛烈な攻撃によって、各々の戦闘力は圧倒的不利を覆す。
だが、コンビネーションによる波状攻撃を繰り返せども、終わらない攻防。相手は倒せども倒せども立ち上がる人外の存在。このままではきりがない上に、体力が尽きるのも時間の問題だ。
「調律者さんよぉ! コイツら、どうしようもねぇぜ! いくら殺っても復活しやがる!」
「調律者さん、僕にもよく分からないんだけど、コイツらって“フィーネの夜”かい⁈」
「あぁ、どうやらそのようだな……俺も見たことがない現象だが、だとしたら何か原因があるはず……自然の摂理が大きく歪み、コイツらが次から次へと湧いて出る原因が――」
「天夜! あなたの例の力じゃダメなの⁈ 天力も覇力も、それに弾だって無限じゃないのよ! 早くなんとかして!」
「ダメです。数が多すぎて、それでは天夜の身が持ちません。あまりに膨大なフィーネの夜を消そうとすれば、それ相応の天力を消費する。それでは“零落”するリスクが大きすぎます」
零落してしまえば、それこそ天夜がフィーネの夜に包まれて亡き者となるだろう。それでは本末転倒だ。
「じゃあどうしろってんだよ……! クソッタレぇ!!」
為す術のない状況に怒りと無力感に苛まれ、天夜は絶叫する。
だが、その絶叫に共鳴するかのように、ガラスを砕いたような破砕音が鳴り響いた。音の発信源は部屋の中心。そこを見れば、創造神を祀る高さ約5メートルの神塔が粉々に砕け散っていた。
そして神塔が砕けたことに五人が呆気を取られた数瞬のうちに、窓の無いはずの聖霊の間には起こり得ない旋風が巻き起こった。嵐のような風に巻かれるようにして数十は居たであろう異形の群れは八つ裂きにされ、霧散して泡沫の如く消え去り、蘇生してくることはなかった。
まるで、獣のように獰猛で荒々しく、それでいて鋭く美しい殺戮。
突然全ての事象をひっくり返した張本人は、息切れもせずに、佇んだまま言葉を紡ぎ始める。
「獣の直感が告げたんや。神塔を触媒として歪みが生じていると。ほんなら、その神塔を壊せばあいつらは復活できひんからな」
一瞬で全てを解決したのは、身体の一部のみを銀狼へと獣化させた銀牙だった。
「兄さん……!」
「おう、みんな無事か。どうやらこの屋敷の天力パイプを、勝手に使うてる奴がおるみたいや。そいつはパイプを通して天力を伝達させることで、この“聖霊の間”にある神塔を触媒として何らかの自然の摂理に干渉し、大きすぎる歪みを起こしとるようや……」
「まさか、その者がひねくれジャックということですか?」
「断定はできひん。せやけど、それでほぼ間違いないやろな。今までの殺害方法もそれによって引き起こされたもんやと考えていい。ただ、奴本体の能力を無効化せんと恐らく摂理の歪みは元に戻らんやろうし、最悪あのバケモノどももまた湧いてく……る……あ? 蒼……牙……? お前……なんでそないなとこにおるんや……?!」
上を見上げ、唐突に驚嘆した声を上げる銀牙。意味も分からず、全員が銀牙の視線の先を追って振り返り、見上げる。
「か……は…………ッ……! に………さ…………ん………………!」
そこには、少しずつ全身がねじ曲がり、身体が変形してゆく蒼牙が、空中に浮いていた。
それはあまりにも惨たらしく、現実とは思えない光景だった。
顔色がみるみるうちに青紫に変わり果て、全身の骨がひしめき合い折れる音が響き、その歪になった骨が皮膚を突き破って飛び出し、深紅の液体が溢れた。まるで見えざる手によって持ち上げられ、人間雑巾絞りをされているようにしか見えなかった。
やがて上半身と下半身が千切れ、ボトボト、と嫌な音をたてて蒼牙だったモノが転がる。たちまちヒトの臓器特有の凄まじい激臭が辺りに立ち込めた。
銀牙の足は震え、今にも崩れ落ちそうになった。それでもなんとか力無く駆け寄り、蒼牙の上半身を抱きかかえた。
「そう…………が…………うそ……やろ…………? なんでや……なんでや…………蒼牙アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「……ァ…………ッ………」
蒼牙は最後の力を振り絞り声を出そうとする。しかし、声帯が潰されたのか、全ては掠れて消える。言葉を伝えられないことを悟ると、蒼牙は微笑みを残したまま、銀牙の腕に抱かれて事切れた。
「ふざけんなや……なんでこないなことされなあかんねん、許さん…………もう絶対に許さんで………! 何がなんでもひねくれジャックを殺したる……!」
他の者たちは俯くしかなかった。下手な慰めの言葉もかけられない。弟が目の前で凄惨な殺され方をしたのだ。もはや同情など、今は刃としかならないだろう。
「何、これ……」
だが皆が口を塞いだままの中、白亜がボソリと、何かに気づいたようにつぶやいた。いつの間にか足元には、蒼牙を中心として巨大な血文字による五芒星が描き出されていた。
「ダイイングメッセージ……なのか……?」
自らの体内から溢れ出した血液を操り、最後の最後でメッセージを残したのだろう。それは、液体の征乱者である九道蒼牙の最後の抵抗。儚くも大いなる爪痕。ひねくれジャックへの執念を、身体を引き千切られようが絶やすことなく燃やした蒼牙の遺志だ。
「俺の弟は天才や……多分、ひねくれジャックについてももっと気付いてることがあったんかもしれん……こいつは、それを伝えようとしたんや。蒼牙、待っとれや。俺が仇を討ったる……!」
そして兄の怒りと執念は頂点へと達し、その気魄と眼光は、とうとう戦士から鬼神へと昇華した。




