8. 推理:Idea of Genius
少女は、懐かしい夢を見ていた。
遠く遠く幼いころの、少女の目に映る世界が、まだあざやかな色彩に満ち溢れていたころの夢を。
春の日差しと薫風が立ち込める大自然の中、あぜ道を駆け抜けて無邪気に笑う少女。それをゆっくりと追う父親は同じく柔和な笑みで少女を見守る。少女は、この穏やかな日々が好きで好きでたまらなかった。
虚弱だった母親は少女の出産時に亡くなっていた。しかしそれでもなお平和な日常に、少女は不満を抱いてなどいなかった。
そんな日常の中から得られる様々な刺激は、少女の桁外れな知的好奇心を大いに煽っていた。当たり前のように世界は回っているが、そんな当たり前の情景にはあらゆる世界の理が内包されている。そのことに気付いていた聡明な少女は、気になることや分からないことがあればすぐに父親に問いかけた。博学で優しい父は、いつも笑顔で誤魔化すことなくすべてを教えてくれた。
そんな父と過ごす世界が、音が、色が、匂いが……すべてが幸せだった。
だがある日、日常とは突如として瓦解するものであることを少女は知ってしまう。
夜な夜な鍵を閉めて自室に籠り、何かに没頭している様子の父。少女はそれがどうしても気になってしまった。少女は好奇心を抑えきれないあまり、父が仕事から帰ってくる前にこっそりと父の自室に忍び込んで夜を待った。
そして時計の針が0時半を過ぎたころ、父が帰宅する。
綺麗好きな父の部屋は整頓されており、身を隠す場所はせいぜいクローゼットくらいしかなかった。古い衣服特有の匂いが鼻につく。
クローゼットのわずかな隙間から垣間見たのは、上着も脱がずに重そうなデスクを動かす父だった。デスクを移動し終えた父はポケットから鍵を取り出し、床に差し込んだ。すると床が蓋のように開き、あらわれた地下への階段を父は降りて行った。
その時の少女の胸の高鳴りは並々ならぬものであった。あの地下の下に何があるのか、どうしても見たい。そんな想いでいっぱいだった。
音を立てぬようにひっそりとした足取りで息を殺し、開け放したままの地下へと伸びる深淵に足を踏み入れる。不思議と恐怖心はなかった。一歩ずつ、裸足の少女が石製の階段をペタリペタリと降りる。
階段を降りた先では鉄製のドアが半開きになっており、中から青白い光がこぼれ出していた。
地下の隠し部屋……それを見つけただけでも、少女は満足だった。だが目の前には、それを上回る何かがある。ここで中を覗かずしてどうするというのか。
とめどなく溢れる濁流のような少女の好奇心。その部屋を覗いてしまったのは、もはや必然であると同時に、彼女の人生を狂わせた瞬間でもあった。
「おとう……さん……?」
少女は、次の言葉を失った。
目の前に広がる光景は、もはや少女の理解の範疇を超越していた。
ナマモノと鉄と薬品のような臭いが部屋中を覆い尽くすなか、父は赤々と煌めくモノを手にし、それにかぶりつき、口いっぱいに頬張ってもごもごと咀嚼していた。
ところどころ筋が走りぬらぬらと赤い光沢を放ち、滔々と噴出する赤い液体……それがなんであるかは、聡明な少女にはなんとなく察しがついた。書庫にあった医学書などで何度か目にしたことのあるものを、父は食していたのだ。
そう――人の、心臓を。
「おやぁ……どうしてここにいるんだ。悪い子だね……」
「お、とうさん、それ、な、に、して、るの」
「相変わらず勉強熱心だね、お前は……仕方ない。すべて教えてあげよう」
父の顔に張り付いた笑みは、いつも少女に何かを教示するときの優しい笑みと全く同じだった。父が喋りながらまたひと齧りする。不思議だったのは、迸る鮮血にくわえて青白い光の粒子のようなものも同時に心臓から漏れ出していたことだ。それは煌めきを放ちながら浮遊し、照明のほとんどないこの部屋ですら青白く照らしていた。
「これはね、新たな力を得る実験なんだよ。征乱者という者たちが、天力と呼ばれる高エネルギー体を心臓で生成・貯蔵することは知っているね? 私はこれを喰らうことで新たな力が手に入る仮説を証明したいのだよ……そして、これも見てくれ」
人道に反する惨たらしい研究であるというのに、父は嬉々として語る。すると何やらスイッチを作動させたようで、本棚がスライドし、奥から液体の詰まったカプセルが現れる。なかにぷかりぷかりと浮かんでいたのは、肉はほとんどなく骨・皮・脳・内臓のみの、おそらく人であっただろう何かだった。
「な、に……これ」
「お前の母さんだよ」
意味が解らなかった。母は自分を生んだ時に死んだ。そう聞かされていた少女にとっては、何もかも父の悪い冗談だと思いたかった。
「美しいだろう……? 私が殺したのだ。そして生かしている。細胞も脳機能も普通の人間と変わらず機能している。母さんは征乱者だった。ずっと……ずっと解剖して神経の一本一本までを調べ尽したかった。だが私の仮説を証明するには、チャンスは一度きりだった……。母さんはひとり、心臓はひとつ。他の征乱者なんて普通の人間の私には簡単には殺せない。藁にも縋る想いで母さんを半殺しにし、心臓を食べた。おいしかったよ……そして不思議な感覚だった。けど、私の体に力は宿らなかった。もう実験は失敗したと思っていた……。けどね、母さんは特別だった。心臓の再生スピードが異常に早い体質だったんだ。三日もすればすぐに生えてきたよ」
この男は何を言っているのだろうか。狂っている、何もかもが狂っている。
「その後、私は何度も何度も何度もなんどもナンドモなンどもナんドモむさぼったッ! 彼女の心臓をッ!」
くるっている。
「それなのに、なぜだ! なぜ何も起きない! ワタシはこの神秘を解き明かしたいだけなのだ! 神にも匹敵するこの力の神秘をッ! それなのに、ナゼッ!」
狂っている狂っている狂っている狂っている狂っている狂っている狂っている……。
「母さんは死んではいないッ! ワタシも母さんも生きている限り、この研究をあきらめることは決してないッ!!」
――こんなの、クルッテイル。
その瞬間、少女の中に何かが宿り、何かが爆ぜた。
少女は叫ぶ。それと同時に、少女の幼い体躯から青白い光がとめどなく溢れだす。暴発したその光は荒れ狂う竜巻のようなうねりを描いて部屋中を満たし、照らし出す。
父のおぞましい所業を、醜い声を、鼻がもげるような臭いを、すべてをかき消したいという純粋な願いの下に、少女は叫ぶ。
その叫びは轟音と化し、大気を震わせ、周囲の物体をことごとく破壊する。
やがてその咆哮がやむと、父は耳から血を垂れ流して倒れ、少女もまた眠るようにして倒れた。
少女は気がつくと、病院にいた。なんだかとてもすがすがしい気分だった。
しかし、何故か目の前は真っ暗だった。
入院中はいろんな人が訪ねてきた。学校の友達や親戚がお見舞いに来てくれたり、警察の人も来た。
警察曰く、少女の家は倒壊し、瓦礫の奥深くで少女だけが無傷だったという。父は瓦礫によって轢死したというが、それ以前に死んでいた可能性もあるらしい。父の行っていた恐ろしい研究も含めて調査中らしい。
その後もうひとり、医者でも警察でもない者が来訪した。
「君が例の……辛かっただろう。でも今の君には身寄りが無いんだってね。どうだ、僕のところへ来ないか」
少女は新たな力を手にして、新たな一歩を踏み出す。
――たとえその瞳が、光を捉えることはできずとも。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ん……」
「あら、やっと目が覚めたのね」
仰向けで倒れたまま、明鏡は声のする方に目をやる。
「あなたが寝ている間に、審問をさせてもらったわ……どうやらあなたは、ひねくれジャックではないようね」
声の主は白亜だった。おまけに天夜とギリウスもいる。おおかた白亜が呼んできたのだろう。三人は車座になって話し合っていた途中らしい。射撃訓練場だと言うのに何故かコンロと鍋を三人が囲んでおり、空腹を刺激する濃厚な香りが漂ってきた。
「アハハ……まさかこのボクが負けるなんて……天才のこのボクが」
「ねぇ、明鏡。あなたの審問を行った際に、あなたの過去が視えたのだけれど……このこと、この二人に話すのはマズいかしら?」
「なんだ、いいよそんなことくらい。なんならボク自ら話そうか?」
「まさか白亜にも過去が視える現象が起こるとはな……こりゃやっぱり要報告事項か。さ、もう夜の9時だぜ。今夜は冷えるし、鍋でも食いながら話そう」
明鏡は起き上がると、三人の輪の中に入り、彼女は自らの過去を少しづつ話し始めた。
父が狂気に駆られ、非人道的な行いをしたこと。父への恐怖と怒りに打ち震えたとき、突然征乱者の力が宿ったこと。そしてその際に、大きな力をいきなり使った反動のせいか視力を失ってしまったことも。
凄絶な過去を語っているはずなのに、明鏡はずっと明るい調子だった。
「あーあ……今まで他の人にはあんまり話したことなかったんだけど、あらためてあの人のことを思い返してみると、やっぱりボクはあの人の子供なんだなぁってつくづく思うよ。征乱者や調律者のことを調べ尽して、この世のすべてを解き明かしたい。その欲求はボクの中にも確かにある。もちろんボクはあの人のようなやり方はしない、ボクは人間だからね。人間であることに誇りと尊厳を持っている。世間じゃ征乱者の力はバケモノ扱いされてたりもするけど、本物のバケモノってのは、人間であることを放棄したヤツのことを言うのさ」
「人間であることを放棄したら……か。そりゃ一理あるな。ところで、ずっと気になっていたんだが、お前は本当に天才なのか?」
天夜は明鏡が天才と自称することにまだ半信半疑であるようだ。
「もちろんだとも」
「嘘くせぇなぁ……」
「彼女が天才であることは本当よ。じゃなきゃ、あんな天力の扱い方はまず不可能だとさっきも教えたじゃない」
「ま、ボクがIQ300の天才であるということはとりあえず置いといて……」
「いや待て待て待て! めっちゃ気になるっての!」
「確かに興味深いですね……それだけ知能指数が高い上に全盲だというのに、白亜さん風情に負けるとは」
ギリウスが毒を吐くと、白亜と明鏡が息を合わせたように睨む。
が、我関せずといった顔でギリウスはスルーする。
「もう! ボクが天才とかって話は今どうでもいいから、そろそろ本題に入らせてくれないかな!」
「な、なんだよ急に」
「ボクは白亜たんと戦う前に約束したんだよ。ボクがもし負けたら、色々教えてあげるって」
「色々ってなんだよ?」
「ひねくれジャックに関するボクの推論さ」
それは、調律者である三人が現状最も欲していた言葉だった。
「へぇ、そりゃ興味深いな」
「仮説の段階であってボクにもまだ確証があるわけじゃないんだ。だから、キミたちとはよく話し合いたくてね」
「じゃあ天才とやらの推理、じっくりと聞かせてくれ」
「あぁ。まずは殺害現場についてだ。人を殺す時の場所選びにおいて、キミたちならどんなことに気をつける?」
明鏡は問いを投げかけると鍋をつついて回答を待つ。
「俺はシンプルに人目につかないようにってことだな」
「ふむ……迅速かつ適切に処理できるよう、出入りが簡単な場所を選ぶようにしますね」
「私の場合銃を使うから……やっぱり音が響きやすい場所は嫌ね」
「なるほどなるほど。その中だとボクの求める答えとして最も近いのはハクアンかな」
「その呼び方やめなさい」
明鏡の命名した軽率なニックネームに白亜はジト目でふてくされる。だが明鏡はそれを無視して続ける。実に白々しい。
「ひねくれジャックは何が目的なのかは不明だけど、わざわざこの屋敷内で殺人を行った。つまり自分の能力に自信があり、かつその能力に見合った計画的なものだろう。ならば招集される征乱者や調律者の能力などを予め下調べは済ませている……。もちろんこのボクの能力も。ボクが悲鳴や殺人時の微細な音までも聞き取れることを知っていて警戒したものだとしたら、ひねくれジャックは一体何処で殺人を行うだろうか?」
「……まさか、この射撃訓練場……?」
白亜の言葉は的を射た。
この射撃訓練場の内壁は、外に発砲音が響かぬよう完璧な遮音性を保っている。つまり喚こうが叫ぼうが銃声であろうが、外には一切音が漏れない。
明鏡はコクリと頷くと、突然部屋の端をおもむろに指差した。
「あの端っこをよく調べてみてくれ。ごく少量だが血痕の拭き残しがあるはずだ。ひねくれジャックの殺害方法は基本的に流血を伴わないが、橘波流の死体の胸には大きな穴が開いていた。おそらく切開した際の返り血だろう」
「それだよそれ、俺らもずっと気になっていたのは。巷でのひねくれジャックの殺害方法は今まで流血すら無く全身が捻れて死んでいたんだろう? まるでその殺し方にこだわっていて、何かしら様式美のようなものを奴は抱いてるんじゃないかと感じるくらいだ。それなのに何故心臓を抜き取ったりしたんだ?」
「ふふ、ちょうどそれも話そうと思っていたところだよテンヤン。ボクもこの抜き取られた心臓についてはとても引っ掛かっていた。だからボクなりに調べて考えてみたんだ」
ポケットからペンとメモ帳を取り出した明鏡。ペラペラとめくる中にはどれも複雑な計算式や難解な単語がびっしりと埋まっているのが垣間見えた。さらに、ポケットから6枚の写真を出す。
「良いかい。こっちの4枚は図書室の資料にあった、今までの被害者の写真。そしてこっちの2枚はここでの被害者2人の写真。比較すると、日に日に捻れ方が強烈になっていることがから分かったんだ。こうして並べてみると、少しずつだが遺体の捻れ具合が違うのが分かるだろう? 橘波流の遺体なんて明らかに最初の被害者より強く捻れている。おそらく能力のコツを掴み始めたことで力が増したと考えられるんだけど、メイドの荒瀬真希と橘波流の遺体だけはどう見ても異質なんだ」
太い白縁の目立つポラロイド写真を二枚、明鏡はピックアップする。
「この二人の遺体は皮膚が千切れて骨が飛び出そうなくらいに捻れている。対してそれ以前の四人は多少捻れてはいるものの、これほど強く捻れてはいない。警察の司法解剖では巧妙に神経系を切断するように捻り殺されていたらしい。けどこの二人はもっと大味な殺し方だ。全身の骨肉と内臓を強く圧迫するだけのような大雑把な殺し方。ギリたん、これどう思う?」
またもや明鏡が雑なあだ名でギリウスに問いを振るが、ギリウスは一瞬困惑する。
「ギ、ギリたん……? そうですね……どう考えても繊細な力のコントロールが出来なくなっている、と考えるのが妥当でしょうか。それどころかこの二人の殺し方からは焦りすらも見える。まるで己の力が抑えきれないかのような――――いえ、なるほど、分かりました。能力そのものを扱うのに必要な天力量とひねくれジャックの持つ天力量が釣り合ってないのですね。故に、力の制御が不安定になる。おそらくこの者の能力は現在、一度行使するだけでも莫大な天力を使うほどに成長しており、人間の身に宿る天力量だけでは手に負えなくなっていると推測できます」
パズルのピースがはまったかのように、ギリウスは一息に己の推論を吐き出した。明鏡はやるじゃないか、と拍手を打つ。
「その通りだ。ボクもその推測を導き出した。そもそもおかしいとは思わなかったかい? あれほどの殺し方が出来る力を持っておきながら、なぜ一気に全員殺そうとしないのか、なぜこの閉鎖された空間でコソコソと隠れて時間を空けながら殺人を犯すのか。それは一人を殺すのに消耗する天力が多すぎるためだ。時間を空けなきゃ天力の回復ができないのだろう。…………そしてここからは、ボクの経験則と併せた妄想レベルの仮説だ。ボクのお父さんが、征乱者であるお母さんの心臓を食べて力を得ようと実験していたという話はしたよね? ホント胸糞悪い過去なんだけど、まさかこんなところでボクの知恵となるとは思わなかったよ」
嘆息するように息を吐く明鏡。
「明鏡……まさかひねくれジャックが橘波流の心臓を抜き取ったのは、彼女の天力を自らに補填するため……ということなの?」
白亜の震え声の確認に、明鏡は苦い表情で無言のまま頷いた。
この時点で、調律者の三人にもなんとなく察しがついた。
『ひねくれジャックは橘波流の有り余るほどのエネルギーを得るがために彼女の心臓を抜き取った』という仮説が四人の中で真実味を帯びてきた。天力の征乱者の天力量は推定でも通常の征乱者の約50倍というのが定説だ。征乱者にとってその心臓は無尽蔵のタンクと言っても過言ではない。
だが経口摂取によってそのエネルギーを取り込むことなど出来るかは不明だ。明鏡の父親は一般人であったが故に力が宿らなかっただけであり、征乱者にはその力を吸収することが可能であることが十分に考えられる。
ひねくれジャックは能力の行使に尋常ではない天力量を消費するため、それを何度でも使えるように、橘波流の心臓を抜き取ったのかもしれない。
「なぁ明鏡。一応確認だが……本当に心臓を食って天力の補給なんて可能なのか?」
「あぁ……実は理論上は不可能じゃないんだ。けど一般人には天力や覇力のようなエネルギーを貯蓄する機能が無いせいか、ボクのお父さんは実験に失敗した。データこそ無いけど、征乱者ならたぶん可能だろうね」
明鏡は鍋のスープを飲み干すと、小さなげっぷを鳴らしてご馳走様と手を合わせた。
「では……そろそろひねくれジャックの能力と正体、あなたの考えを聞かせていただきましょうか」
ギリウスは明鏡に核心を問う。
「そうだね……能力はおそらく――」
だが、明鏡が答えようとした矢先、射撃訓練場の扉がバタン、と大きな音を立てて勢いよく開いた。
「た、大変ですっ‼︎」
息を切らしながら青ざめた形相で入ってきたのは、鍋を用意してくれたメイドの一人だった。
「3階の“聖霊の間”に、大量の化け物が!」
「……話は後だ、すぐに向かうぞ!」
「ええ、すぐに叩き潰しましょう」
「全く今度は何かしら……」
「ボクの話を邪魔する奴らなんて、すぐに殺しちゃわないとね!」
四人は重い腰を上げ、新たな火種の元へと走り出す。




