7. 音花:Haze Sound
昼食を終えた後、皆はそれぞれの部屋へと帰って行った。だが射撃訓練場には一人、部屋に帰らず黙々と引き金を引く者がいた。
的を射抜く物体は実弾。立ち込める香りは硝煙。軽快なリズムではあるが、その銃撃音は低く重く響く。
彼女の両手に握られた二丁の銃は、拳銃とは思えぬスピードで銃弾をばらまく。まるで楽器でも演奏しているかのように軽やかな指の屈伸が、引き金を操る。
その狙いは正確無比。長方形に伸びるだだっ広い部屋で一人。弾や銃を置くための長台を挟んで25m離れた的に描かれた人間の急所は的確に貫かれていく。まるで銃そのものが喜んでいるかのようだ。
リロードの動作にも無駄はない。弾が切れれば弾倉をそのまま下に落として抜き、腰のベルトに備えつけられた弾倉を直接差し込むようにして入れ換え、フレーム上部の凹凸を互い違いに引っ掛けてスライドを引く。かなり特殊なリロード方法だが、熟達されたその動きに狂いはなく、確実かつ効率的な手法。
これらは単調作業のように見えるが、瞬時に行うともなればとても集中力のいる技術だ。二丁拳銃を扱うことは決して簡単ではない。
だが銃を握る白亜は、次々と自動で現れる的を冷徹な眼差しで撃ち抜きながらも深く深く思案していた。
まだ審問を終えていない者がいるということについてだ。抜き打ちなので、まだ審問が行われていることを知らぬ者もいる。それらは調律者の三人がただ単に事件の調査だけをしているとでも思っている。
残る征乱者は明鏡、刀条、銀牙の三名のみ。
銀牙の場合は後で審問は行うよう、天夜との間で既に約束が交わされていると聞いた。
刀条は衰弱しきっているため審問を行うには危険な状態だ。となれば必然的に明鏡の部屋へと三人の足は向いていた。
そもそもこの審問を行う順序は、最初の事件が起きた時にアリバイを証明出来なかった者たちから当たっている。
刀条、冬真、橘は三人一緒に居たためにアリバイが保証されていたが、星村、蒼牙、明鏡のアリバイは無かった。つまり可能性の高い人間から潰していこうという白亜の提案によって決められた順序であった。
だが、誰が犯人であってもおかしくないこの状況で、可能性など無限に存在する。現状犯人への直接的な手掛かりは何一つとして見つからない……。
「そんなに難しい顔して考え事? でもちゃんと的に当てられるなんてすごいねぇ」
「誰?!」
突然耳元で喋りかけてきた少女の声。驚いた白亜は、反射的に声のした方へと銃口を向ける。
「うわぁ! タイムタイム! そんなに怒らなくてもいいじゃないか!」
ぶんぶんと大仰な動きで無抵抗を示したのは明鏡だった。
――おかしい。気配はしなかった。いくら銃声で周りの音が聞こえづらいとは言え、幾度となく銃弾の飛び交う状況下で暗殺や制圧任務をこなしてきた経験がある。武器を手にした緊張状態で、この私がここまで接近を許すはずがない。
「面白そうな部屋があると思って入ってみたら、ちょうどボクが用のあるキミがいてさ、ついイタズラしちゃった。驚かせちゃってゴメンね」
「私に用……? なによ、有益な情報でもあったの?」
「察しがいいじゃないか。その通りだよ、“鍵”の継承者」
「っ……! なぜそれを?!」
明鏡は狼狽える白亜を無視して、6個の弾倉を懐から取り出して白亜に放り投げた。
「手っ取り早く話を済ませたいなら、ボクとゲームをしよう。その中身はアメリカのケーサツさんとかがよく使うゴム弾。今まではライフルやショットガン用しか無かったけど、つい最近拳銃用がやっと実用化にこぎつけたとか。めちゃくちゃ痛いけど気絶や骨折程度で済む代物だ、運が悪いと死ぬけど。ボクは銃があまり得意じゃないから、このゴムナイフでキミに三回斬りつけることが出来たら勝ち。キミはボクを戦闘不能にさせることができたら勝ち……それでいいかな?」
「私の過去と素性を知っているということね……事件の情報も含めて、あなたには聞きたい事が山ほどあるわ。私にそれほどのハンデを与えたことを後悔しなさい、あなたに教えることなんて一つもないの」
そう言うや否や、白亜はすぐさま実弾入りとゴム弾入りの弾倉を入れ替えて二つの銃を構える。
「フフ……キミはボクのことをあまり知らないかもしれないけど、ボクはキミのことをよく知っている。けど、もっと知りたいことがあるから、ゲームで互いの知りたいことを賭ける――さぁ、キミにも知りたいことがあるのなら、ボクをスマートに倒してみせてくれ……!」
明鏡は言葉を言いきらないうちに強く踏み出して走り出すと、一息のうちに台を踏み越えて的のある広い場所へと躍り出てしまった。
白亜は不気味な感覚を覚えた。ナイフと銃を持った者同士なら、常識的に考えて銃を持っている方が圧倒的に有利だ。もちろん広ければ動きやすくはなるが……近接武器を持つ者は通常、いかに距離を詰めようかと考えるはず。それなのに距離を取ったのは何故なのか。あの瞬発力であれば、一気に間合いを詰めて一撃加えることもできたはず。
……などと、あれこれ考えたままでいると明鏡は何もせずにその場で立ち尽くしていた。何を仕掛けてくるのか分からない以上、先んじて膠着を破ろうとするのも危険だ。
「三つ目だ」
「は?」
「銃とナイフのハンデ、距離のハンデ、そして隙だらけのハンデ。これで三つ。さぁ、何処からでも攻撃してくれたまえ」
清々しいほどの挑発。ここまで言われては、さすがの白亜にも我慢はできなかった。
「ナメられたものね……なら、すぐに寝てもらうわ」
白亜の両手に携えられた二つの銃口から、勢いよく飛び出すゴム弾。その群れは一陣の嵐となって明鏡へと襲い掛かる。
ダダダ、と鈍い着弾音。
だが、弾丸の飛散した場所に明鏡の姿はなかった。
気づけばいつの間にか、彼女は大きく右へと移動していたのだ。
――避けられた?!
両者の彼我は約15m程度。この程度の距離でヒットさせることなど、白亜にとっては造作もないこと。ならば何故回避されたのだろうか。だがそもそも銃弾を人間が避けられるなど超人的な身体能力でもなければ不可能だ。
「ほらほら、もっとちゃんと狙わなきゃいけないで……しょっ!」
ふたたび大きく踏み込み跳躍する明鏡。それに応じるようにして銃撃を放つも、ひらりひらりと躱される。
ありえない。明らかに常識の範疇を超えている。拳銃とは言え、銃弾の速さなど人間が到底見切れるような速さではない。
そして明鏡は「そろそろかな」と呟き一足飛びに間合いを詰めてゆく。
――ガンナーが最も無防備になる瞬間……それは、リロードの瞬間だよ!
「バァ!」
明鏡は舌をべろりと出し、ひょうきんな顔を見せると、軽々と台を跳び越え、喰らいつくように白亜にナイフを振るう。
マズい――と思うと同時に白亜は度肝を抜かれた。
――何この子……目を閉じてる……?!
動揺したがすぐに引き金を引く。しかし間の悪いことにリロード途中だ。弾は射出されない。
咄嗟に上体を反らすが、額には鞭が掠めたかのような感触。ぐにゃりと曲がるゴム製ナイフの切っ先。
互いに反撃と追撃を警戒し、すぐさま後退して距離をとる。
白亜は、まんまと一手遅れを取ってしまった。
「フフフ、まず一本。ちょろいねぇ」
「やってくれるじゃない……」
白亜が二丁拳銃を構えなおすと、再度怒涛の連射が始まる。だが明鏡はそんな猛攻も涼しい顔であざやかに回避してみせる。
ここまで華麗だと、闘牛士が牛を弄ぶようにも見えてくる。
「このっ!」
「あははっ! 当たらないよぅ!」
――けど狙いと構えには全くブレがない。取り乱して乱射しているように見せかけてはいるけど、表情や口調とは裏腹に何かを探っているようにも見える。この状況下でありながら心拍数も安定しているようじゃないか……このお姉さん、かなりの凄腕だね。もっとも、天才のボクには敵わないだろうけど。
「悪いけど二本目もいただくよ!」
嵐を掻い潜り、再度台を踏み越えようと接近する明鏡。先刻と同じく白亜がリロードするタイミングに合わせて飛び込む。
しかし今度は明鏡の予想に反して、白亜も台に接近した。
「そう何度も同じ手は喰らわないわよ!」
怒号と共に台に登り、繰り出された鮮烈な蹴り。同じく台に登ろうとする直前だった明鏡の腹部ど真ん中を、蹴り下ろすように白亜の靴底が綺麗に貫く。
タイミングといい踏み込みといい、完璧なカウンターを見舞う形となった。
……が、蹴られた足を、明鏡はそのまま抱くように両腕でがっちりとホールドし後ろへ倒れこむ。
「え?! ちょっ、キャッ!」
二人そろってもつれあい、床へと叩きつけられる。そしてこの機を待っていたと言わんばかりに、ナイフの一振りが白亜の豊満な胸を叩いた。明鏡がとどめの追撃を放とうとしたそのとき、最後の一撃だけは喰らうまいと白亜の銃口が火を噴く。倒れこみながらもリロードは完了していたようだ。
明鏡は慌てて距離を取り、姿勢を低めて身構える。
「ゲホッ! ガハッ! ……お~痛い痛い。まさかリロード動作そのものをエサにしてボクの特攻を誘うなんて……やっぱ一筋縄じゃいかないなぁ」
「悪いわね……そう易々と負けるわけにもいかないのよ」
――アイツがどうして銃弾をああも容易く避けられるのか……そのロジックはなんとなく掴めた。人外じみた芸当だけど、アイツが本当に天才であるというのなら、私の仮説は証明される。
まずアイツが“音の征乱者”であることを失念していたことが腹立たしい。さっき銃弾に覇力を込めて乱射してみて確信した。アイツは恐ろしく精密で高性能なセンサーを持っている。センサーと言っても、それはアイツ自身の聴力なんかじゃないし、ましてや道具を持っているわけでもない。
その正体は感知できない天力の塊。どういう理屈かは分からないけど、アイツの感知できない天力にはどんなささいな音であろうとキャッチするセンサー能力があり、アイツはそのキャッチした音を己が耳で共有することができると仮定できる。覇力入りの銃弾で乱射すると、天力と覇力が衝突しあうエネルギーを感じられたのがその証拠。
つまり天力の塊を部屋中に浮遊させ、私の呼吸音、心拍音、グリップを握りこむ音、引き金を引く音、銃の中で撃針が雷管を叩く音、銃弾が空を切って飛翔する音……枚挙に暇がないほどのこの空間に充ち満ちた音を瞬時に察知し、分析することで未来予知にも近しい弾道予測をやってのけた。
そして現に私は見た。アイツが目を閉じたままこちらへ向かってくる姿を。あのとき空目したのかとも思ったが違った。あれは視覚をシャットアウトし、聴覚のみをフルに使うことで分析に集中するための瞑目であったのだろう。
ならば……そのセンサーの役割を果たす天力を破壊する!
「フフフフフフ……ハクアン、甘いね。甘い甘い。人の心臓は、すべてを物語る。喜怒哀楽はもちろんのこと、何かを考えるときや何かを閃いたときにだって、独特の音の波長がある」
「ッ?!」
「どうやら、ボクが如何にして銃弾を躱しているかが分かったようだね。……あ、今心臓が少し大きく動いた。図星かな? もうひとつ当ててみせよう。『空中にあるアイツの天力を潰せばどうにかなる』……なんて考えていないかい? いいかい、この部屋に仕掛けた音雲は約500。超高密度の覇力で正確に撃ち抜かなければ消えはしない」
「……気持ち悪い。あなた、恐ろしすぎて気持ち悪いわ。本当に16歳?」
瞼をおろしたまますべてを淡々と言い当てる明鏡は、恐ろしく不気味な化け物に見えた。その威圧感は、彼女の幼い体躯を何倍にも大きく錯覚させるほど。
「ボクはただのしがない天才だ。ずっとそう言っているだろう? ふふ、でもボクの“音雲”の存在を看破したことは賞賛に値するね。さすがはオーサライズ・チューナー」
音雲、というのは恐らく例の感知できない天力の塊のことだろう。
しかし、どれほど能力の扱いに熟達すれば天力という高エネルギー体を不可視・不感知の形で展開できるのだろうか。
「さぁ……そろそろチェックメイトだ!」
「調律覇術……“迷宮の神託”」
逡巡と躊躇いをかなぐりすて、小さな声で唱える。天空と運命の二丁を構え、トリガーを引き絞る。何度も、何度も、何度も、何度も。繰り返される引き金の感触。幾重にも反響する銃声。壁や床にぶち当たり、激しく跳ね回るゴム弾。もうどれほどの銃弾を吐き出したか分からない。
「アハハハハハハハ! 楽しい! 楽しいよ! まるで光を取り戻した気分だ!」
明鏡は妙な言い回しで歓喜の雄たけびをあげた。紙一重で銃弾の嵐を躱しながら、間合いを詰めるたびにナイフを振るう。
白亜もすんでのところでなんとか避けきるものの、スタミナも残弾数もギリギリだ。
「何故……何故当たらないの!」
「ほぅらほら! 早くボクを倒してみせてよ!」
狂ったようにナイフを振り回す明鏡。絶えず矢継ぎ早に放たれ乱舞する弾丸。
相対する戦意はいよいよ終着を予感させるが、反比例して互いの激しさはますますヒートアップする。
だが、とうとう白亜のゴム弾が尽きてしまった。
壁際に追い詰められ、逃げ場もない。諦観した白亜は両腕をだらりとおろした。
「まさか……ゲームとはいえ、なんてつまらない終わり方なの……」
「ほんとガッカリだよ! ボクの勝ちだ!」
最後の一撃を、少女は嬉々として振り翳す。
そして横一線に閃いた柔らかな凶刃。その切っ先は、白亜の喉元を捉えた。
――はずだった。そして、事象は反転した……たった一発の銃声で。
明鏡の腹部にめり込むゴム弾。後ろに思い切りよく飛び退くことでナイフから逃れた白亜。弾切れというのは、真っ赤な嘘だった。
「甘いわね、こんな簡単なフェイクに引っかかるなんて」
「いいや……甘いのはキミの方さ」
事象は再度反転する。
今まさに白亜の眼前に迫っていた明鏡が、白亜の視界から霧のように消えた。
白亜は己の身に迫る真実の刃が他にあることを察する。
ーー音雲を全て破壊したことは認めよう。 けど、“鬼音”による錯覚は見抜けなかったようだね。通常の人間には聞き取れない多種多様な高周波音を幾重にも聞かせ、脳に直接作用することで五感と平衡感覚を狂わせるボクの奥の手である鬼音。これは使わないつもりだったけど、ここまで追い詰められちゃ仕方ない。最後の一発も使い果たしたようだね……!
ずっと目の前にいたと思っていた明鏡は、気付けば背後から現れていた。
勝機を確信し、少女はナイフを突き立てる。それは、自らをここまで追い詰めた好敵手に敬意を表す渾身の一振り。目の前から倒すべき敵を見失って茫然とする白亜の背中に、その狂刃の軌道は滑り込む。
「ボクの勝ちだァーーーーーッ!!」
少女は勝ち鬨をあげた。
しかし、その雄叫びは現実と乖離した。
少女の叫びと同時に放たれたもう一つの咆哮。それは明鏡の両手を撃ち抜き、ナイフが宙を舞う。
「ごめんなさい、まだ2発残っていたの」
武器を失った明鏡には、振り向きざまに頸椎への回し蹴りが続けて放たれた。明鏡はゆっくりと膝から崩れ落ち、その意識は完全にはるか彼方へと遠のいた。
「戦いとは常にクールであるものよ。覚えておきなさい」
――とは言ったものの……正直、ギリギリの賭けだったわ。
“迷宮の神託”は覇力を蜘蛛の巣のように薄く張り巡らせるかのごとく放射し、広範囲の天力や覇力の存在を感知する調律覇術。彼女の“音雲”とやらはあまりにも精密な構造のせいで感知するだけに恐ろしい集中力を要した……。しかも弾は残り少なかったけれど、それらに覇力を込めて発砲。闇雲に撃つと見せかけて跳弾を利用して全ての音雲を破壊。3発のみを残し、弾切れの音すら感知できなくなった明鏡に対して、弾が無くなったふりをする。
あとはのこのこと寄ってきたアイツに、至近距離でトドメを刺すだけのつもりだった。まさかあんな奥の手を隠し持っていたなんて、予想外だったわ。“迷宮の神託”で強い天力の揺らぎが感知できたから対処することができたけど……。
「おやすみなさい……自称天才さん」
疲れ切った様子の白亜は、やれやれと嘆息してその場に座り込んだ。




