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4. 調律覇術:Tuning Skills

 陽射しの照りつける中庭。そこで二人の男は対峙していた。まだ昨日の吹雪で積もった雪も溶け切らない不安定な足場で二人は拳と脚を交える。


 肉と肉のぶつかり合い。戦いの基礎であり戦いの境地。


 一人は神速の突きと蹴りの連携。もう一人は相手の力を利用した絶技と凄まじい蹴り。

 “剛”と“柔”が入り乱れ、闘志の華は咲き誇る。洗練された互いの格闘術が、互いの肉体と精神を猛スピードで削り合う。


「オラァァァァ!!」


「オオオオオオ!!」


 だが、この戦いには戦況を複雑化させる二つの要素がある。


 “一物万能”の神の如き力を授ける“天力”と、天力を掻き消すことの可能な“覇力”。


 征乱者と調律者が戦う時、この二つの相容れぬ人智を越えたエネルギーこそが、勝敗を(わか)つ。


「どうした天夜はん! 動きが鈍っとるで!」


「ほざけ!」


 残酷なまでに猛烈な蹴りを浴びせられた天夜は、なんとかその暴風域を抜けて起死回生の足払いを繰り出す。

 銀牙は跳んでそれを回避。だが、これは天夜にとって好機だ。


 相手は一瞬とは言え宙に浮いている。回避行動の取れない無防備な態勢。


 立ち上がる反動で中腰から態勢を立て直した天夜は、すかさずその勢いを利用して銀牙の顎下へと掌打を打ち込む。会心のクリーンヒットは脳を揺らし、激しい目まいを誘発する。

 よろけた銀牙は頭を激しく振り回して目眩を振りほどく。


「つぅぅ〜〜やるなぁ天夜はん」


「ハァ…ッは……どうだ、一撃くれてやったぞ」


「あかん、今ので頭くらっくらするわ。えらい強烈なもんかましてくれたやないか」


「あんたの動きも、そろそろ読めてきたぜ」


「ハハ……まあええわ。せやけど天夜はん、まだまだやなぁ。その程度では俺には絶対勝たれへんで」


「はぁ? 何を言ってるのか……意味が分かんねえなぁ!」


 挑発に乗せられた天夜は、言葉を吐き出すのとほぼ同時に拳を振るう。


 一層力強く踏み込み、全体重を拳に預けるように腰を捻る。重心は腰から肩へ、肩から肘へ、肘から拳へと伝わってゆく。

 拳にはほとんど力みが無い。固く拳を握っても筋肉の硬直でスピードが落ちるだけだ。つまり、拳を完全に固めるのは当たる瞬間だけ。


 しかし、何かがおかしい。自分の拳が銀牙目掛けて飛んでゆくこのとき、違和感を感じた。その違和感のせいか周囲の景色と自分の動きが、全てスローモーションに見えるほどだった。


 ――何故だ……何故奴は1ミリたりとも動かない?!


 銀牙は余裕の笑みを浮かべて棒立ちのまま。構えも取らぬまま天夜を試すかのように一歩もそこを動こうとしなかった。身体を反らすわけでもなかった。

 恐れも迷いも無く一切動かなかったのだ。


 ――このままでは確実に当たるに決まっている。そうでなければおかしい。なのに、なのに何故、この男は笑ったまま動かない?!


 その疑問が浮かんだ頃には、拳が銀牙の顔面を破砕していた。


 ……天夜の脳内では。


 凄まじい一撃が、空気の塊を押し退ける。ブォン、という音から生まれた風圧が、ただ虚しく走り抜けた。


「は、外した……だと?!」


「何処を殴っとるんや。しっかり狙えや」


 額の真ん中をトントンと指先で叩くジェスチャーをし、挑発する銀牙。

 天夜が拳を突き出した位置は、銀牙の顔の30センチも横。擦りともしなかったのだ。


「クソがぁぁぁ!」


 ヤケになって何度も何度も殴ろうとする。だがそれは、蜃気楼を掴むように無駄なことであった。何度やろうとも当たらない。

 やはり銀牙は全く回避をしない。それどころか一切動く気配が無い。まるで当ててみろとでも言わんばかりに。


 ――回し蹴りなら……どうだッ!


 狙いは銀牙の側頭部。これなら確実に抉るだろう。そう確信していた。

 が、その期待は大きく裏切られた。


 当たるはずだった。当てるつもりだった。筋肉が、骨が、神経が、その脚を動かし、相手の頭を砕くはずだった。


 けれど、当たらなかった。


 天夜の脚は銀牙の側頭部に当たる寸前で停止していた。脚を押し込もうと天夜は踏ん張る。しかし、体が言うことを聞かない。

 見えない糸に操られたかのように。


 呆気に取られたが、すぐに我に返った。脚を下ろし、間合いを取って構え直す。

 幻でも見たのだろうか。視覚が狂ってしまったのだろうか。

 いや、そのどちらでもないだろう。自分の身に何をされたのか、もうその察しは大体ついていた。


「また俺の“意思エネルギーをゼロ”にしやがったのか……」


「今度はちょっと違う。“意思エネルギーのベクトルを別方向に変えた”。攻撃をしようとしても攻撃を当てられんようにな」


 理性の征乱者。その名に違わぬ能力だ。

 理性を操ることで攻撃しようと思っても、攻撃しようとする意思や感情を抑え込まれてしまう。そのせいで無意識に攻撃を外してしまったのだ。


 当てたつもりが、自分の意思とは無関係に当たらなくなる。理性をコントロールするとは、その人間の行動に大きな枷を付けることに他ならない。


「似たような手に二度も引っかかるとはな。天力を帯びた攻撃には気をつけなあかんで」


「あんたみたいに直接人体に天力を流しこんでくるような相手は久しぶりでな。ちょいと面倒だ」


 全身が赤黒い光に包まれた天夜。血管内の覇力を活性化させ、天力を相殺して理性の呪縛を断ち切る。

 蒼牙が天力で発現したアンモニア水を体内に流し込まれた時、自身の覇力で打ち消したように。


「俺からもいくつか教えてやるって約束だったな。これが“調律覇術”のひとつ、“清浄なる調和(クラルス・コンコルディア)”。体内で覇力を活性化させ体内に侵入した天力を相殺する術の名だ」


「“調律覇術”……どうやら俺がその名前すら知らんかったってことは、なかなかの機密事項なんやな」


「当然だ。わざわざ征乱者どもに対策を練られるような情報を流すアホが何処にいる。暴動を起こす無秩序な征乱者は何処にでも湧く。年々その巧妙さも凶悪さも増している。そいつらの抑止力となるのが俺たち調律者でなければならない。

 ……だから、本来なら調律覇術は名称の情報すら門外不出だ」


「ほんならなんで俺に教えた? 自分からそんな手の内明かしてどうするんや」


「あんたは……信頼出来る男だ。例のペットとやらのこと以外はな。できるだけ小細工なしで戦いたい」


「腑に落ちひんことがあるのに信頼、か……ハッキリせえへんなぁ。それに能力使ってる時点で小細工もクソもあらへんで」


「優柔不断で悪かったな」


 二人は軽口を叩くと静かに笑った。

 ただならぬ闘気に気圧されたのか、絶え間無く(さえず)っていた小鳥たちがいつの間にやら忽然と姿を消していた。


 一陣の風が、雪解け水に濡れた芝生を騒がせながら吹き抜ける。少し遅れて大木の梢と葉が怯えたように、擦れ合う鳴き声を上げた。


 そしてまたどちらからともなく攻撃を繰り出す。

 手加減無しの、本気の拳と本気の蹴り。痛々しい残響を伴って、お互いの骨肉を潰し合う。

 天夜は銀牙の蹴りを喰らうたびに、調律覇術によって体内に侵入せんとする天力を掻き消す。銀牙は天夜のわずかな隙すらも突いて天力を流し込まんとする。

 

 しばらく攻防が続いていたなかで、不意に銀牙が踵落としを放った。対する天夜は紙一重で躱しつつカウンターの突きを放つ。

 それを見切った銀牙は、天夜の手首を掴んで腕を絡めた。そのまま態勢を崩しながら体重をかけることで、二人揃って雪の上に転倒。


 銀牙は体勢をすぐに変え、ホールドしていた天夜の腕を両足で挟み込む。そのまま体重を後ろに預け、天夜の肘関節の可動領域を越える方向へとねじ曲げんとする挙動を見せる。


 ――関節技(サブミッション)……!


「させるかッ!」


 それを瞬時に察知した天夜は、銀牙の金的に強烈な殴打を一発。


「うぐおっ!」


 関節技は危険だ。もしまともに喰らい肘を潰されれば理屈抜きの激痛が襲いかかり気力も攻撃力も削がれる上、手数が減る。脚にでも食らえば機動力は落ち一層不利になる。

 金的への痛烈な一撃で銀牙のホールドから切り抜け、なんとか難を逃れた。すぐさま立ち上がると、悶えながらうずくまる銀牙を睥睨(へいげい)する。


「やってくれたな……天夜はん。さっきの突きは(おとり)で、わざと俺と密着する状態に持ち込んだんやな。しかも男の大事なとこを……」


「ハッ、そこは鍛えようとしても鍛えられないもんだ。けど、やっぱ油断できねえな。関節技までやられちゃ流石にマズい」


 策略が上手くいったことを確認すると天夜の顔が綻んだ。

 下手を打ったと顔をしかめた銀牙はその場にへたり込んだままだ。呼吸が荒くなり膝を地から引き上げるも、己の意思とは無関係に脱力してしまう。必死に立とうと足を踏ん張るが、身体が命令を聞き入れない。


「これも……調律覇術っちゅうやつか……」


「“災厄の鏡(メルム・スペクルム)”。征乱者が体内から発現させる天力を逆流させて押し戻し、相手にそっくりそのまま同じ効果を与える調律覇術だ。

 基本的に直接天力を流し込んでくるタイプの相手ぐらいにしか使い道が無いんだが……あんたにはうってつけだったな」


 わざと天力を流されやすい状態に陥ることで、調律覇術によるカウンターの増幅効果を狙ったのだ。

 天夜の目論見は見事に成功したと言えるだろう。


「まあええわ。こんなことになるんやったら、最初から天夜はんが覇力を使えんように理性をコントロールしとくんやった……」


 不敵な笑みを零した銀牙は、自分自身に跳ね返された理性の呪縛を己の天力によって解除し、何事も無かったかのように立ち上がる。


「無駄だぜ。覇力そのものの行使は、天力による精神干渉の影響を受けない。過去のデータでそれは検証済みだ」


「なんや、それもバレとったか……ほんま天夜はんにはかなわんなぁ」


 ふらつきながら笑い続ける銀牙。

 その全身からは青白い光が滲み出ていた。


「……おい待て、何をする気だ」


 明らかに様子がおかしい。これまでの銀牙の天力は体外へと放出し、相手に流し込むだけの使い方だった。だが今は、まるで己自身の体内に天力を注いでいるようだ。それも、異常な量だと感知できるほどに。


「理性は抑え付けるだけやない。取り払うことも可能や」


「まさか……やめろ! それ以上は危険だ!」


「もう止められへん……“銀狼”と恐れられたこの力、とくと味わいなや」


 巨大な光球に包まれる銀牙。閃光が辺りを青白く染めた。桁違いの天力の波動が衝撃となってうねり、それに動かされた大気が狂気の舞を踊る。


 ――理性を取り払う。

 それはつまり、本能の赴くままに動く野性の力を解放するという意味だ。食欲、性欲、睡眠欲の三欲に基づいて行動する動物的な本性。

 だがこの状況において危惧すべきなのは、敵とみなした者への攻撃が圧倒的であるということ。縄張りに無断で足を踏み入れられた野生動物は、混じり気の無い純粋な殺意を持って獲物を狩る。


 それは、まるで――


「グアァァァァァァ……!」


 ――絶対的な捕食者、“銀狼”。


 銀牙の頭髪は逆立ち、その髪色は金から、鈍く乱反射する銀へと変色していた。

 赤く充血した眼球は一点にこちらを見据えている。地平を貫くかのような威嚇の眼光は、天敵を見つけた獣のそれだ。

 四つ足で地に伏せるように姿勢を低くしてこちらの様子を伺う。靴はいつの間にか脱ぎ捨てられて素足になっていた。口元からは(よだれ)が滴り落ちている。口内が垣間見えた。どういうわけか、歯であった物が牙へと発達している。

 刺々しく鋭利に伸びた爪は人肉を引き裂くことなど容易いだろう。


 理性を完全に失うだけで、人体はここまで変わることなどあり得るのだろうか。人間味がまるで無い。

 

「参ったな。資料にこんなこと書いてなかったぜ。ペットって、まさかてめー自身のことじゃねえだろうなぁ? ……ま、さすがにそれは無いか」


 青白い光が(まばゆ)く天夜の両腕を支配する。青白さは段々黒へと変遷し、濃厚な闇が煌々と現れた。


「ハァ……出来ればこの手は使いたくなかったんだが、仕方ねえか」


 それは、天を染め上げる夜。それは、天を堕とす夜。

 そして――


「終焉を告げる夜よ、黒き天の(みそぎ)の下に君臨せよ――」


 つぶやいた天夜の右手には、黒一色の長剣が収まっていた。フィーネの夜で精製された長剣は独特の艶を煌めかせる。


 大自然の狩人となった狼と、終焉の夜を携えて狼を狩る者。


 狩人と狩人が今、あいまみえる。

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