3. 銀光:Secret of Silver
優しくそよぐ風に大木がその葉を揺らし、カサカサと音を立てて中庭の中心に鎮座する。陽射しで溶けた雪の合間からは美しい芝草が緑の顔を覗かせていた。
大木の根元には、日陰に隠れて溶け切らない雪がひっそりと眠る。
真冬の昼前だと言うのに、少し汗ばむほどに太陽がギラギラと輝く。
そんな中銀牙は陰鬱な表情を残したまま大木の根元で雪のカーペットに腰を下ろしてため息を吐く。
自分には何も守れないのだろうか。何も救えないのだろうか。そんな無力さばかりが己を苦しめる。
このままひねくれジャックの凶行を止められなければ、この家を継ぐ資格など許されないだろう。ゆくゆくは日本経済を左右するほどの一大組織を束ねる者として、その頂点に君臨せねばならない。
だが母も客人も街の人々も守れなかった……そんな者にこの九道家を継げるのだろうか。
ただただそんなことばかりが思考を支配する。
「なんだ、こんな所に居たのか」
「天夜はん……」
「そろそろ昼飯だぜ。メイドさんたちがあんたを探してた」
「おお、わざわざおおきに」
銀牙は尻をはたいて雪を払いながら立つ。その動作ですら、彼の陽気さは何処かに消えていた。
「考え事か? ……と言うよりも、悩み事って感じだな」
「まあ、そらこんな状況やしな……」
「……気にすんなよ。荒瀬真希や波流ちゃんの死は、あんたに落ち度は無い。あんたは立派に邸主としての責務を全うしてるさ」
「さよか。そう言ってくれるだけで有難いわ」
俯く彼はただ茫然と立ち尽くす。朝食の時のような明るさは何処にも無い。あるのはただ、自責の念だけ。
「実は、俺があんたを呼びに来たのは俺自身あんたにサシで聞きたいことがあるからだ」
「なんや、うちのメイドは嫁にやらんで」
「ちげーよ!」
「ほんならなんや? 腹減ったし、メシの後やったらあかんのか?」
「今聞いておきたい……。あんた、俺たちに隠してることがあるだろ」
俯いていた顔が一瞬で持ち上がった。
眉間に皺を寄せ、眉が釣り上がり、鋭い眼光が天夜を突き刺す。
「うちのペットのことやな」
声色も覇気も、強者のそれだ。相手を威嚇し、己の縄張りへと寄せ付けぬ強者の風格。
カリスマだけでなく、その覇気をもつ銀牙だからこそ、蒼牙も次期当主の座を譲ろうと決心したことに合点がいく。この威圧感を見せつけられればそのことについて納得するには充分だ。
「あぁそうだ。昼夜問わずに聞こえる割れんばかりの天を穿つような咆哮、あんたを傷だらけにするほどの獰猛さ……どう考えてもそのペットとやらは普通じゃない。あんたが隠したがる理由は分からんが、ひねくれジャックとの関連性があるかどうかも分からん。ただ、不安要素は早めに消しておきたい。あんたさえ良ければ教えてくれないか」
黙り込んだ銀牙は曇りの晴れぬ険しい顔で目を伏せると暫くしてまた口を開いた。
「そいつはできひん相談や、悪ぅ思いなや」
「……なぜだ」
「うちの最高機密やからや。この秘密だけは何があっても隠し通すつもりや。せやけどどうしても聞きたいっちゅうんやったら……力ずくで来いや!」
並々ならぬ殺気を放ち、銀牙は背広を脱ぎ捨ててネクタイを解いた。その気迫と立ち振る舞いだけで一筋縄では行かないことは明白だった。
静かな闘志。しかしそれとは裏腹に熱く燃える瞳の奥。表裏のあるその精神は弟の蒼牙と瓜二つだ。
「やるしかねぇのか……多少予想はしていたが、これでハッキリした。あんたはペットとやらのことを、相当秘密にしたいらしい」
「どうした? かかってけえへんのか」
「おもしれえ、受けて立とうじゃねえか!」
天夜もコートを勢い良く脱ぎ捨て、拳を固める。
右足を前にして左足を後ろに引き、やや腰を落として構えた。正中線上に位置する腹部は両腕の構えが隙をかき消す。右腕を腰の高さに、左腕を胸の高さに持ち上げたファイティングポーズ。
瞬時に動けるよう四肢を程良く脱力し、静かに一呼吸。
天夜お得意の、攻防一体のバランスが取れた構えだ。
「構え、気迫、呼吸、どれを取ってもええもん持っとるな。それにええ顔や……天夜はん、いざ戦う時になったらさらに男前やな」
「下手な世辞はよせ……行くぞ!」
雪の残る芝生を蹴り、天夜は5メートルほどの間合いを詰めた。
銀牙の懐に潜り込み、横腹へと拳を突き出す。精妙無比な先制攻撃。
「甘いで」
だがそうはさせまいと銀牙が後ろへ小さく跳んで回避。天夜は追ってさらに深く踏み込み追撃する。
様々な角度から間髪入れず連続で拳を振るうが、流れるような動きで躱される。横に身体を反らすことで紙一重で拳を受け流しているのだ。
――素早く柔軟な身のこなしと軽いフットワーク……相当場慣れしているな。
「やるなぁ天夜はん。ほんならこっちも反撃させてもらうで!」
刹那、銀牙の左脚が途端に高く跳ね上がり、天夜の顎を直撃した。銀牙は軸足を入れ替え、体を捻って一回転する。
そのまま追い打ちの後ろ蹴りが、ふらついた天夜の腹を貫いた。
ドスッという鈍く重い音が天夜の身体を後退させる。倒れまいと踏ん張り、なんとか構え直すと吐き気が込み上げてきた。
ダメ押しに銀牙は後ろ蹴りを容赦無く連続で叩き込む。
計六発の後ろ蹴りが天夜の身体を貫いた。放つたびに回転する身体と、放たれた六発の蹴りはまるで回転式拳銃のシリンダーと弾丸。
「やるじゃねえか……今のはかなり強烈だったぜ……」
「“破六蹴り”っちゅううちに代々伝わる蹴り技や。
ついでやし、天夜はんには俺のこといくつか教えといたる。うちの初代当主はなぁ、もともと旧大日本帝国軍の軍人やったんや。戦時中、旧ソ連軍にこの北の辺境を占領されたことがあった。そこで奪還作戦の指揮を取った司令官が九道財閥初代当主、“九道牙懺”やった。
牙懺はこの地を見事ソ連軍から奪還。それ以外にも数々の武勲をあげ、褒賞で莫大な富を得た。軍を退役した後はその富を元手に資産家となり、この地を治める領主にもなってこの屋敷を築いた。
そして牙懺が残した軍隊格闘術は、親から子へと代々受け継がれとるっちゅうわけや」
「なるほど、ね。軍人の子孫なら屋敷に道場があることも射撃訓練場があることも、オマケに武術の心得があることも全て納得いくぜ」
息を切らし、腹を押さえる天夜。不意に喰らったせいか、どうやら相当効いたらしい。
「どないした天夜はん、もう終わりか?」
「まだまだ……!」
再び拳を振るう天夜。荒れ狂うような突きと蹴りのラッシュが銀牙を襲う。
上中二連突きからの回し蹴り、距離を詰めて前進するような強烈な膝蹴り、後退した銀牙をさらに追い詰めんと回し蹴りからの後ろ回し蹴りを放つ。
格段に速さと勢いを増した怒涛のコンボ。
だが、どれもこれも当たらない。銀牙の流れるような動きは全ての衝撃を無にする。
――手数が増えた。
こんな爆発的なスピード、普通の奴やったらとっくに死んどるわ。
……せやけどおもろいなぁ。だからこそ俺の格闘術とは相性がええんや。
「おもろいなぁ天夜はん、ほんまおもろいで……。もうひとつ教えといたる。うちの格闘術は、“剛”よりも“柔”に重きを置いとる」
嵐の如き攻撃を受け流しながら銀牙はそう忠告した。
銀牙は嵐の中の一端である大振りな突きを躱すと、間合いを一瞬で詰めた。天夜の首に腕を押し当て、ラリアットのような形をとる。それとほぼ同時に、足元をすくわれた天夜の膝裏を軽く蹴り込んだ。
わずかな力だけで天夜の身体を支えるバランスが完全に崩壊。背中を強かに打ち付けながら倒れた天夜はさらに後頭部を強打する。
「“虎落とし”。 ――相手が前体重で攻めてくる時ほど有効な技や……天夜はんみたいに威勢の良い相手には持ってこいやで」
ラリアットのような形で押し当てた腕が天夜の上半身を固定するためのストッパーとなり、その状態から足の支えとなる膝裏の関節を蹴ることで転倒させたのだ。
「なら……これはどうだッ!」
右拳で銀牙の顔面目掛けて思いっきり突く。これもあっさりと避けられるが、その動作に引き続いて天夜は回し蹴りを繰り出す。脇腹に直撃寸前の鋭い回し蹴り。
銀牙はその軌道を見極め、回避し、天夜のふくらはぎに平手を添えて押し込むように受け流す。
「くっ……!」
「“流転衝・雪崩”。 ――相手の動きと力のベクトルに合わせ、相手の体幹バランスを崩す技や」
受け流されたことによって天夜の重心は崩れた。腰を大きく回転させる回し蹴りはバランスこそが威力と精度に多大な影響を及ぼす。そのバランスを失った天夜は頬を地に擦り付けながら無様に転倒した。
受け身を仕損じた天夜の顔面に、銀牙は追い打ちの蹴りを一撃。
「どや? なかなかおもろい技が多いやろ」
「カハッ……! や、やってくれるじゃあねえか……!」
身体を起こそうと手足で身体を支える。……が、どういうわけか身体に力が入らない。指先は辛うじて動くものの、痙攣したかのように微かな反応だけだ。
「なん……だ⁈ クソッ! 身体が言うことを聞かねえ!」
蹴られた瞬間、同時に天力を流し込まれたようだ。これは銀牙の仕業なのだろうか。
「天夜はん、俺の能力をちゃんと説明すんの忘れとったなぁ。ついでやからこれも教えといたる」
「確か、“理性”を操る……」
「せや。理性っちゅうもんは、動物の中で人間だけが唯一獲得した、感情や本能を抑えるために備わっとる能力や。それを操れるっちゅうことは、脳領域の一部をコントロール出来るのとおんなじことなんや……理解出来たか?」
「随分と具体性を欠いた説明だな」
「せやなぁ。理性を司る大脳新皮質を天力で無理矢理操作する、とでも言うた方がええか?」
「そうか……つまりあんたは、俺の脳から肉体に伝達される命令を、理性を支配下におくことで行き届かなくしたってわけか」
「まあそんなとこやな。天夜はんが『何かするぞ!』と身体を動かそうと気張っても、脳の理性がそれを許さん。“意思エネルギーをゼロに還元してしまう”と言い換えても差し支えないで」
意思エネルギーをゼロに還元する……これがどれほど恐ろしいことなのか、身をもって理解し鳥肌が立った。
何かをしようにも、脳が身体に命令を下さない限り手足が動くことは無い。今の天夜はその脳の一部がフリーズしたのも同然なのだ。このままでは立つとこともままならない。
「強力な蹴り技と合気道のような“柔”の技術……ついでに理性を操るだと? ふざけてるくらいに厄介だな……」
「天夜はん、もうこれ以上はやめとき。俺の天力を含んだ攻撃が一発でも当たれば、大概の人間は相手にならん。降参しとくれや」
「大概の人間だと……? あんた、まさか俺が調律者だってこと、忘れたわけじゃあねえだろう……なぁ!」
怒号を上げる天夜。その声を切り口に、天夜の全身から赤黒い光が波打つように放出される。目に見えぬ縛鎖を断ち切り、無理矢理立ち上がった天夜は、赤く染まった唾液を吐き捨てた。
「筋肉を封じられて動けなけりゃあ、血液の中に命令すりゃあ良い。それだけだ」
「血管内に巡る覇力を活性化させて、脳に作用する天力を打ち消したんか……調律者には征乱者と戦うための覇力を使いこなす奥義が色々あるとは聞いとったけど、それもその一つやな。なかなかやるやないか」
「フンッ、オーサライズ・チューナーの名は伊達じゃあねえ。
色々とご丁寧に教えてもらって悪いなぁ。次は……俺があんたに色々と教える番だ」




