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1. 腐乱:Slaughter


 とうとう九道邸で二人目のひねくれジャックによる被害者が出てしまった。

 天力の征乱者である(タチバナ)波流(ハル)

 虚弱な性格だったが、晴れやかな笑顔と時折見せる芯の強さはまるで一輪の美しい花。

 だがその花は、惨たらしく命を摘み取られて枯れ果てた。


 騒ぎを聞きつけたメイドたちの中には、あまりの惨状に卒倒する者もいた。

 異臭の漂う菜園に、土の中から現れた腐乱死体。並大抵の精神力では近寄ることすら億劫(おっくう)になるだろう。


 致し方なしと覚悟を決めた天夜は、目眩と吐き気を堪えながら指示を仰いだ。


「メイドさんたち、死体から有毒ガスが発生してるから危険だ。屋敷の中にいてくれ。それと悪いけど、スコップとマスクと軍手、大きなブルーシートを二つずつ持って来てもらえるか。あと、刀条を呼んできて欲しい」


「さっすがテンヤン、切り替えが早い。まずは死体を掘り起こさないと全身が調べられないもんね」


「うるせぇ……こんなこと、本当はやりたくもねえ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 メイドたちは天夜の指示通り、道具一式を抱えて急ぎ足で駆けてきた。


 コートを遠くに脱ぎ捨てて厚手の軍手をはめ、天夜はスコップを肩に乗せて担ぐ。明鏡も同じように軍手をはめ、右腕をぐるんぐるんと振り回して張り切っている。


「明鏡、手伝ってくれるか?」


「お安い御用さっ!」


 ドーベルマンが掘り返した地面にスコップを突き立ててさらに深く掘り下げると、時折スコップの先が遺体に当たって腐肉が剥がれ落ちた。

 血が土に浸透し、暗がりでも土が変色しているのが分かった。

 それに畑の肥料の一部だろうか? ちらほらと土に枯葉の破片が混じっているのにも気付いた。


 泥臭さと腐臭が混じり合い、むせ返りそうになるのを必死で堪えると息苦しさが襲いかかってきた。


 遺体の全容が明らかになりその異常さは格段に増した。

 予想していた通り首から下は螺旋状に捻れ、骨格も変形している。

 ヒトの体と呼べる原型は既に見る影も無い。腹部からは肉を突き破って露わになった肋骨。

 黒く変色し、伸びきったボロボロのゴムのような長い肉片。

 これは腸だろうか?

 ……想像するだけでおぞましい。


 死体を見る限りやはりひねくれジャックの手口と見て間違いないのだが、捻れる度合いが強まっている気がする。

 今までは手加減でもしていたのか?


 腐敗した肉の隙間からは内臓や黒変した血液、さらには大量のウジ虫が溢れ出てきていた。


 遺体をこれ以上傷つけぬように、明鏡と二人がかりで慎重に地上へと運び出す。ズルズルとした感触が軍手越しに伝わってきて気持ち悪い。

 指先でウジ虫を潰してしまい、プチプチという不快な感触も同時に来る。

 その嫌な感覚に背筋が思わず伸びた。ついでに変な声も出た。


 あらかじめ敷いていたブルーシートの上にゆっくりと降ろし、状態を確認する。左腕こそ犬が食い千切ってしまったが、それ以外に大きな欠損は無い。

 ただ一つだけ、気がかりなことがあった。


 遺体の左胸にぽっかりと(いびつ)な穴が空いているのだ。刃物か何か、鋭利な物で切開したような穴が。


 何処かとても不自然で不気味だ。

 なぜ胸部を切り開いたのだろう?

 やはりひねくれジャックには殺人に伴って死体を弄ぶ嗜好(しこう)でもあるのだろうか?


「これは一体何事なのだッ⁈」


 胸部の大穴を覗き込もうとした瞬間、マスクを付けた刀条が馳せ参じた。

 深夜ということもあってか、非常事態に機敏な行動力を持つ彼女でさえ到着に時間がかかった。それ以外の他の者たちは恐らく眠りこけているのだろう。


「こんな夜中に起こして悪いな刀条……波流ちゃんが、死んだんだ……」


「橘殿が……?!」


「とりあえず遺体の状態を見てもらえるか? お前の樹の能力なら、有機物の反応を応用した検死が可能なんだろ?」


「あ、ああ。だがしかし……これは酷いな……」


 勇壮な立ち振る舞いの彼女でさえ、その凄惨な遺体に戸惑いを隠せなかった。

 たじろぎながらも横たわる亡骸に屈み込んで目を閉じ、手を合わせた。


「すまぬ橘殿。そなたの身体、(あらた)めさせてもらう」


 この異様な検死方法を見るのも二度目となる。

 木々が刀条の手元から青い燐光とともに現れ、生き物のようにうねる。

 植物は蛇にも似た動きで橘の遺体に絡みついた。


 すると天夜が気になっていた胸の穴に木が滑り込んでゆく。内部までをも隅々まで調べるつもりなのだろう。


「奇妙だ……奇妙すぎる……」


「何か分かったのか?」


「橘殿の心臓が……無い」


 心臓が無い。

 わざわざ切開された上に心臓が失われている。

 それは犯人が心臓を故意に奪ったのだと考えるのが妥当だろう。

 ……余計に混乱してきた。これもひねくれジャックの仕業なのか? 撹乱させるための罠なのだろうか?


「なぜ心臓が……一体なんの意味があるんだ。腐った死体と言い、心臓を奪ったりと言い、これまでのひねくれジャックの犯行手口とは少し違う。これは何を暗示しているんだ……」


「実はひねくれジャックを装った別の犯人がいたりしてっ!」


「あのな明鏡……根拠の無い推測はやめろ」


「どうしてさ? ありえない話じゃないよ? ひねくれジャックが殺した死体そっくりな死体を作り上げる能力の持ち主が、模倣犯の可能性だって充分にありえる」


「確かに可能性がゼロなわけじゃない。けど、現状その推理は的外れだ。飛躍し過ぎている」


 こいつのペースに乗せられてはいけない。アホな振りをして抜け目の無いガキだ。腹の底では何を企んでいるのかさっぱり分からない。


「天夜殿……もう一つ気になったのだが」


「なんだ?」


「この死体、最初からこんなに腐敗していたのか?」


「ああ、そうだが」


「……天夜殿たちは、橘殿の死体を見て何も奇妙に感じなかったのか?」


「まあ確かに土ん中から出てきた時点で奇妙ではあったが……」


「違う! そもそも、なぜこんなに死体の腐敗が進んでいるのかということだ! どう考えても橘殿の死体は死後二週間は経過している! これを奇妙と呼ばずしてなんと呼ぶのか?!」


 刀条は声を荒げて天夜の胸ぐらに掴みかかった。あの冷静な刀条が酷く取り乱している。鬼の形相で怒鳴られた天夜は、その不自然さにようやく気が付いた。

 橘が死んだというショックとあまりの(むご)さに、そんな重要なことさえ見逃していたのだ。


「普通土の中に放置しても、短時間でここまで腐敗することなど、ありえない……しかも、しかもこの寒さなのだぞ! 土の中はもっと冷たい……それならば、腐敗など、腐敗などッ……さほど進まぬはずだ‼︎ それ、なのにッ……!」


 頬に雫が流れ落ち、嗚咽を堪えながら刀条はその場に膝から崩れ落ちた。


「こ、こんな、こんな酷いことなど、許されてたまるものか! 善良な者の命を奪い、あまつさえその亡骸を弄ぶなどッ! 父よ……私にどうか勇気を……!」


 強い正義感から来るその涙に、一点の曇りも無かった。見兼ねた天夜は脱ぎ捨てた自分のコートから土を払って、刀条の肩にそっとかけてやる。橘の遺体にはブルーシートをかぶせた。



 天夜は遺体の状態から推察できることを頭の中でまとめてみる。


 暖房などで遺体を腐らせ、数十分から数時間ほど死亡推定時刻を誤魔化して撹乱するという手口なら、推理小説などで見たことがある。

 しかし死後二週間経過するなど、普通に考えてありえない。


 犯行が行われたのは、晩餐を終えて解散した午後九時半頃から、天夜が千夜(ちよ)と通話していた午前二時頃までと推測できる。


 この間に殺されたのは間違いない。橘は食事の時、確かにあの場に居た。

 九道兄弟と明鏡以外の者たちはその姿をはっきりと確認しているはずだ。


 土の中に有機物である死体を放置しておくと、分解者である微生物が死体を分解する物だ。

 しかし、それでもたったの四時間半であれほどの腐食は早過ぎる。

 番犬が正門側から裏庭まで嗅ぎつけて飛んでくるほどの腐臭だったのだ。メイドはあのドーベルマンをエリックと呼んでいたが、そのエリックが気付かなければさらに発見が遅れていたことだろう。


 加えて失われた心臓の謎だ。

 わざわざ心臓が抜き取られたということは、ひねくれジャックの目的は橘の心臓が目的だったのだろうか?

 そういった性癖の持ち主とも考えられるが、根拠がはっきりしない。

 そしてその心臓は一体何処へ消えてしまったのか?


 考えれば考えるほど、蜘蛛の巣のように張り巡らされた罠に足を絡め取られるような気がしてならない。


 だがそれと同時に、改めて征乱者の恐ろしさを実感した気がした。

 奇妙などという言葉を通り越して、まさに神の御技(みわざ)

 常識に当てはめるにはあまりにも不整合で、不可能に等しい芸当。これこそが人間という定義を超越した、偽の神の力だと言うのか。


 いや、彼らを旧来の“常識”などに当てはめてはいけない。この世界の常識はとっくに捻じ曲げられている。


「つまりボクたちはこの約二日間、死体と喋り、死体と食事をし、死体と一つ屋根の下で過ごしていたってわけか……なかなか酔狂なシナリオじゃないか」


「明鏡……お前は倫理観とか持ち合わせていないのか」


「ふふん! 天才にモラルなんて観念は邪魔でしかないのだっ!」


 幼い胸を張って豪語する少女。

 なぜそんな誇らしげに、と言いたくなったが、あまりの腐臭にそろそろ耐え切れなくなってきた天夜は口を(つぐ)んだ。


「波流ちゃんは……一旦ここに置いてそろそろ中に入ろう。このままじゃ三人仲良く風邪を引いちまう」


「風邪なんかよりも、死体に湧いた細菌の方がボクは怖いねっ!」


 一人無邪気に走り出した明鏡は、十六歳とは言え幼い子どもにしか見えなかった。

 柄にも無く泣きじゃくる刀条に肩を貸して天夜もその後を追う。


 再び降り始めた柔らかな風と雪を頬で感じる。



 冷たい。



 そして、痛い。



 五感で感じる全てが苦痛に思える。

 例えようの無い苦しみが痛みとなって脳髄を(えぐ)る。

 人の死が、こんなにも、痛いものなのか。実感した途端に胸が張り裂けそうな思いだ。



 足下の白雪に淡い雫が零れ落ちる。

 頬を伝って熱く流れる雫は十円玉大のシミを作り、雪を溶かした。



「ひねくれジャック……お前には、死以上の苦しみを以って償ってもらわねえとな……」

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