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20. 酷薄:Second Victim

 ちょっと胸糞悪い描写有り。

 苦手な方はご注意を。

「……それで? 他の連中はどうした」


 野太い声の星村がサラダを咀嚼して飲み込み、メイドに問いかける。

 食堂では天夜、ギリウス、白亜の調律者三人と、星村、橘、刀条の征乱者三人に加えて、一般人の冬真が食卓を囲んでいた。


「銀牙様と蒼牙様はお部屋でお休みになられております。明鏡様は何かやることがあると仰られて、お部屋から一歩も出て来られないのです」


「なんだそりゃ……どうも怪しいな」


 厳つい顔つきに不機嫌さを添えてこの場に居ない者たちを訝る。

 三人のうち二人が何故夕食の席を外したのかは天夜たちには察しがついた。


 銀牙はメイドの荒瀬真希が殺されたことによるショックと憤りで情緒不安定なのだろうか。それとも、例の“ペット”とやらの(しつけ)に奮闘しているのか。今朝から食事時になっても顔を見せる気配が一向に無い。

 蒼牙はといえば昼間の天夜たちとの戦闘によって天力の無理な扱い方をした結果、“零落”寸前にまで追い込まれた反動で肉体が著しく疲弊しているそうだ。今はメイドたちの看病のもと安静にしている。


 加えて明鏡(メイキョウ)臨哭(リンネ)が顔を見せないというのも何処か気がかりだ。一体何を企んでいるというのだろうか? 彼女にはアリバイも無ければ行動が不明瞭だ。容疑者としての有力候補ではある。

 一方、抜き打ちで審問が行われていることすらまだ知らない刀条(トウジョウ)冬真(トウマ)は完全に話についていけていない様子だ。邸主とその弟が姿を現さないことに不信感を募らせているのが目に見えて分かった。


「ま、九道兄弟が精神的に参るのも無理はねえだろ。あいつらはあくまで被害者なんだ。俺らには分からねえ重りを背負いこんで生きてるはずさ」


 天夜は悟ったように言う。蒼牙の審問の際、彼の強い想いが“メモリア・デウス”を介して感じた天夜だからこそ分かることだった。


「……彼らのこと、どうしてそんなに分かるんです? 昨日会ったばかりの他人のくせに」


 突然天夜に横槍を入れる形で冬真が口を挟む。やや険しい表情だ。

 怒りも垣間見えたような気がして、背筋に寒気がすうっと通り抜けた。


「人を見る目くらいはそれなりにあるんでな」


 本音を言うと、調律者としての経験に基づいた直感めいたものもある。

 天夜がオーサライズ・チューナーの称号を叙勲(じょくん)され、匡冥獄から任務を斡旋されるようになってから、もう五年が経つ。天夜はこの五年間で目も覆いたくなるような現実や惨状をも目の当たりにしてきた。

 征乱者の欲と力の前に死体と成り果てた者、調律者の制圧部隊によって肉塊と成り果てた征乱者。どちらにせよ、醜い争いの結果に変わりは無かった。

 だが調律者にも征乱者にも、戦う者たちにはそれぞれ何かしらの譲れない想いがある。それを考えれば、彼らがどれだけ心に重いものを抱えてるかくらいは見抜ける。


「それじゃあ天夜さん。僕がなぜ九道銀牙を殺そうとしたか分かりますか?」


「なぜってそりゃあ……お前の近所じゃ銀牙がひねくれジャックだって噂が立って、その噂を信じて恋人の仇を取ろうとしたからじゃあないのか?」


 冬真は一瞬俯くと、残念そうな顔で溜息を吐いた。そのままナイフとフォークを4時の方向に揃えて置いて席を立つ。それは食事が終わったことを示すサインだったが、彼はあまり食べていないようだった。今朝の死体を見てしまえば、無理もないが。


「半分正解。でも、少し違う」


「……どういうことだ」


「彼女を殺したのはひねくれジャックだ。でも僕のこの復讐心は結局、私怨による殺意。そんな衝動的なものであって、僕が僕自身を保つための責任転嫁。そして自己の証明。彼女を救えなかった自分を心底恨み、とにかく彼女を殺された怒りを誰かにぶつけ、無力な自分を奮い立たせたかった。ただその一心だったのさ。つまりは“自己満足”であり“自己防衛”だった。彼女のためではなく、僕自身のために一人の男の命を奪おうとしたのさ」


 凍てついた空気。

 思わずその場の全員が食事の手を止めて沈痛な面持ちだった。自嘲気味に笑う冬真は自席の椅子を押して定位置に戻すと、頼りない足取りで扉の方へと向かう。


「おい待てよ冬真!」


「冬真殿!」


 天夜と刀条が咄嗟に立ち上がり呼び止めると、冬真は振り向きもせずに掠れ声を漏らした。


「昨日天夜さんに気絶させられた後冷静に考えてみて、自分はその程度の卑小な人間だったってことを思い出したよ…………ク……この言葉が、僕じゃない僕への、精一杯の反抗だ……」


 逃げるように、操られるように歩み出す冬真。軋み一つなく開いた鉄扉は冬真を玄関ホールへと呑み込み、虚しく扉の閉まる音が響いた。


「あの馬鹿野郎……」


「放っておきな、調律者さんよぉ。もうあのモヤシが何言ってんのかわけわからんが、殺されても俺は知らねえぜ。俺ら人外の集まる場所に一般人が自ら足を踏み入れちまったんだ。“自己責任”ってやつだ。ロクな死に方しねえぜありゃ」


 星村が食事を再開して吐き捨てると、天夜と刀条も渋々席についた。


 ――何か、嫌な予感がした。

 柱時計の厳かな鐘が鳴り、二十一時を告げる。


 不安を煽るようにして窓の外の吹雪は一層強まっていった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 雪が止んだ屋敷の庭を一つの黒い影が疾風の如く駆け抜ける。

 静かな夜には似つかわしくない、けたたましい吠え声を上げながら。


 ツヤのある黒々とした毛並みに、立派に生え揃った鋭い牙。何度も何度も繰り返される咆哮は、自分の守る庭に起こった異変を察知したからであろう。

 雪に彩られた芝生を四本足で蹴って進む影は、とうとう裏庭へと侵入する。

 裏庭は高さ2メートルの草木の茂みが正確な長方形に剪定された、いわゆる庭園迷路が大部分を占めている。影はその中をぐんぐんと迷いもなく走り抜けて突き進む。ただただ、自分の嗅覚だけを信じて。


「ちょっとエリック! どうしたの! エリック!」


 すると一人の若いメイドがその後を追うようにして、黒い影に大声で呼びかけながら駆けてくる。

 影はそんな静止など耳に入らぬかの如くただ吠えるばかりで足を止めない。左へ右へと忙しなく直角を曲がり、迷路の奥へ奥へと進んでゆく。


「エリック! お願いだから止まって!」


 メイドが必死の思いで叫ぶ。

 一転して、影は素直にピタリと止まった。


 獰猛な声音で喉を低く唸らせ、一瞬身を屈めた直後、影は横の茂みへと飛び込んでしまった。

 

「この向こうは確か、蒼牙様の菜園……」


 どうしてこんな所にエリックは来たのだろうかと思い、メイドはつぶやく。

 すぐに裏手へと回り正規のルートから菜園へと足を踏み入れる。


 極寒地帯でも色とりどりの鮮やかさを見せる特殊な花々が辺りに咲き誇るが、今では雪化粧をして白銀の華となっていた。

 瑞々しく湧き上がる噴水を横切って奥へ進んだ所にエリックは居た。


 そこは蒼牙が趣味で珍しい野菜や植物を栽培している小さな畑だった。

 エリックはメイドに尻を向けながら前足を器用に使って、菜園の畑を掘り起こしていた。


「こらエリック! 蒼牙様の畑を荒らしてはいけません!」


 メイドがエリックと呼ばれる大型犬を大声で(たしな)めると、エリックはぐるりと身体を反転してメイドの方を向いた。


 鼻を突き刺すような臭いがした。

 まるで魚が腐ったような――いや、それ以上に強烈でおぞましい臭いが。


 エリックは口に何かを咥えていた。細い棒のような何かを。

 暗くてよく分からない。これは一体なんなのだろうかと、メイドは手にしていた懐中電灯でその何かを照らして覗き込む。


 次の瞬間、おぞましい物をメイドは目にした。


 黒いぬるぬるとした液体がその“何か”の中からズルリと零れた。土とともにおびただしい量のウジ虫が集り、強烈な腐臭を放っている。


「あ、ああ……ああああ…………キャアアアアアアアアアアアア!!」


 たまらず甲高い悲鳴を上げたメイドは咄嗟に後ろに飛び退いて腰を抜かした。


 彼女は見てはいけない物を間近で見てしまったのだ。


 ――腐敗して千切れ落ちた、人の腕を。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ――深夜二時。


 この地に天夜たちが訪れてから二度目の夜が舞い降りた。日付けが変わって屋敷の中は静まり返っており、扉下の隙間から差し込む灯りも夜間用の薄暗い物に切り替えられている。


 昼に気絶してから眠りこけていたせいか、天夜は全く寝つけずにいた。

 完全に睡眠サイクルが狂ったことに溜息を漏らしてベッドから身体を起こし、携帯端末を開く。

 ディスプレイの強い光に網膜を刺激されて目をしばたたかせる。


「なんなんだよこのふざけた不在着信の件数は……」


 不在着信の欄には、わざとらしい666件という不吉な件数の同じ名前が連なっていた。

 審問を兼ねて捜査を開始すると三人で決定した時から、マナーモードにして自室に放置していたのだが、わざわざこんなアホらしいことを楽しんでしてくるのはあの女しかいない。


 実に腹立たしい。

 夜中に掛け直すという非常識な報復に出ることにした天夜はコールボタンをタップする。

 しばらくコール音が続いた後、相手が着信に応じた。


 ――嘘だろ、出やがった。


『もしもし天夜? どうして私の電話に出てくれなかったのよ』


 艶かしい声が電話越しに流れる。

 大人の女性っぽさが美しい声音に現れており、大概の男は耳元で囁かれればイチコロだろう。


「ハァ……あのな、仕事中だったんだよクソ姉貴。ブッ殺すぞ」


『ホントに殺してくれるの? 私、天夜に殺されるのなら本望だわ。早く殺してよ、ねえ』


 彼女――黒霧 天夜の姉、黒霧 千夜ちよは異常である。

 異常なほどに弟である天夜を愛しすぎているのだ。放っておけば一日中くっつかれてたまらないからと、天夜が別居を懇願するほどに。だから天夜は極力連絡も取りたがらない。

 電話をかけなおしてみて天夜は本気で後悔している。


「死ね、メンヘラブラコン女。さっさと用件を言え」


『お姉ちゃんって呼んでくれたらね』


「あのなぁクソ姉貴。流石の俺にも恥じらいってもんが……」


『じゃあせめてクソ姉貴じゃなくて、いつもみたいに千夜(ちよ)(ねえ)って呼んでよ』


「ハァ……。分かったよ、千夜姉。それで、何の用だったんだよ」


『あなた今、崩月に定期審問に行ってるのよね?』


「ああ、そうだ」


『さっき匡冥獄直々の依頼で、匡冥獄のデータベースを整理をしていたのよ。その中でたまたま一人の調律者の名前を見つけたんだけど……この子、何かおかしいのよねぇ』


「何がだ」


『特務状況のところに“特務同行中”って表示してあるのよ。しかもあなたたち二人と同行と表記してある』


 それが誰なのか、天夜には身に覚えがあった。頭を過った彼女の名前かどうか慌てて確認を取る。


「それってまさか、白亜 閃?」


『もう会ったの?』


「俺らも昨日……いや、日付変わったからおととい会ったばかりだ。今は同じ屋敷の中にいる。同じ場所で同じ特務を二組以上の調律者が請け負うことは規則上ありえない。だからお互い警戒していたが、何か企んでるってわけじゃなさそうだ」


『つまりあなたたちは何も事情を知らずに鉢合わせ、何故か一緒に特務を遂行することになってしまったってわけね。それにしても天夜とお泊り……添い寝…………ハァ、いいなぁ』


「なんで同じベッドで寝る前提なんだよアホか。あんま気持ち悪ィこと言ってるなら切るぞ」


 電話越しにクスクスと可愛らしい笑い声がさえずった。溜息を吐く天夜はベッドから降りてデスクの前に鎮座する椅子に腰掛ける。


「で、用件はそれだけか?」


『いえ、まだあるわ。あなたたちが他の調律者と組んで同行するなんて滅多に無いからおかしいと思って、その白亜って子のデータを解析してみたのよ。するとデータの改竄(かいざん)が施された痕跡が見つかったの』


「データの改竄?」


『うん。気になったから改竄元を追跡(トラッキング)してIPアドレスを割り出してみると、少し驚いたわ』


「誰がそんなことを?」


 匡冥獄のサーバセキュリティは絶対防御のはずである。国家機密レベルの情報フィルタリングがかかったセキュリティに不正アクセス、ましてやデータをイジるなどという凄腕クラッカーとも云える芸当を一体誰がなし得たのだろうか。


『当然カモフラージュのために複数の海外サーバを踏み台にしてはいたけど、一応は突き止めたわ。大元は警察庁警備局公安課のサーバからアクセスされていたのよ』


「何っ?!」


 狼狽える天夜は、思わず椅子を蹴って立ち上がっていた。予想もしなかった警察という侵入者に困惑せざるをえなかった。


『公安警察が彼女のデータを改竄し特務状況を書き換え……ないしは何者かが匡冥獄からの特務と偽ったメールを送りつけ、彼女を崩月へと(おもむ)かせた。そう考えるのが妥当ね』


「なるほどな。警察庁には問い合わせてみたのか?」


『それはまだよ。もしかしたらこれもフェイクで、公安以外の部外者の手による可能性も充分あり得るし、もう少し様子を見てから――』


「ちょっと待て! ……何か聞こえる」


『どうかした?』


 千夜の言葉を無視し、天夜は耳を澄ます。天夜の耳は、静寂に揺らぎをもたらす音の乱れを察知した。

 二種類の音が確かに何処かから鳴り響いているのだ。


 ――犬の吠える声? かなり大きい。それにこれは……悲鳴!


「悪い千夜姉! 話の続きはまただ!」


『えっ、ちょ、天夜?! 待っ――』


 通話を一方的に切った天夜は、 コートを羽織るとすぐに自室の外へと駆け出した。


 聞こえたのは外からだ。

 大理石の螺旋階段を二段飛ばしで駆け下りてゆき、玄関ホールに降り立つとまたすぐに床を蹴って走り出す。

 玄関の扉を押し開けると身も心も凍るような突風が全身を蹂躙するように吹きつける。その勢いに思わず腕で顔を覆って立ち止まってしまうが、今は焦りで寒さも風も気にしてはいられない。

 こんな真夜中に(つんざ)くような女性の悲鳴とおぼしき声が聞こえてきたのだ。異常事態と捉えても過言ではない。

 しかも犬の咆哮まで断続的にけたたましく聞こえてくる。何かあったとしか言いようがないだろう。


 導かれるようにして必死に足を動かす。

 雪は既に止んでいるが、降り積もった白銀たちが足取りを重くさせる。地を踏みしめるたびにザクザクと独特の感触。

 スリップしないように気をつけながら屋敷の角を曲がると、裏庭へ出た。


 上部だけに雪の積もった背高い生垣が、迷路のように細道を成している。辺り一面真っ白で方向感覚が狂ってしまいそうだが、今だ鳴り止まぬ犬の咆哮を頼りに走り続ける。


 爆発しそうなほど、心臓の鼓動は速まってゆく。嫌な汗を拭い、前進する。


 ――何処だ、何処だ、何処に居る?!


 直角の曲がり角や緩やかなカーブを描いた細道を次々と走破してゆき、ついに犬の鳴き声の発生源へと辿り着いた。


「ハァハァ……ッハァハァ……ッハァ……この向こうか!」


 音の鳴る方は生垣の壁で隔てられていた。

 一刻を争う事態のため、天夜は慌てて天力を使って“フィーネの夜”を顕現する。続けてフィーネの夜を長剣の形状に変化させて振るった。


 縦横に四連続で斬撃を放ち、完成した小さな抜け穴に向かって飛び込み前転。

 もんどり打って着地すると、土混じりの雪が飛び散った。起き上がって前方を確認すると、腰を抜かして後ろ手を着いてへたり込んだメイドの姿。

 その奥には、畑に向かって吠え続ける大型の黒いドーベルマン。


 だがそれ以上に異様だったのは、菜園一面に立ち込める臭いだった。

 生ゴミを何日も何週間も放置し続けたような、そんな臭いだ。あまりの激臭に天夜は思わず顔をしかめ、鼻を手で塞ぐ。


 ドーベルマンが掘り返した穴を、天夜は恐る恐る覗き込む。嫌な汗が全身をズルリズルリと這いずった気がした。鼓動の高鳴りは止んでくれそうにない。

 喉まで吐瀉物が込み上げてきたが、必死に堪えて呑みこみ胃に押し戻す。


 間違いなく、不安の種がそこにある。


 それは、本来“人であったモノ”。

 それは、人道を大きく踏み外した“奇妙なモノ”。


「なんなんだコレは……!」


 あまりにも悲惨過ぎる光景に、天夜は脱力して膝がくずおれる。





 ――それは、変わり果てた(タチバナ)波流(ハル)の頭部だった。





 肩から下は地面の中に埋まっているようだが、頭だけでも見るに堪えない惨状である。

 左腕は肩ごと捥げ落ちて欠損。

 吠え続けるドーベルマンの足元に、その左腕は転がっていた。

 この下はどうなっているのかなど、考えただけでも胸糞が悪い。


 だが何故か、無意識にその“人であったモノ”に天夜は触れていた。

 腐敗が酷い。ウジ虫が群れを成して肉を貪っている。

 眼球は少し飛び出ており、角膜が混濁してしまっていた。

 肌には緑黒い筋が浮きたち、黒紫に変色。更には腐敗した体液の水疱がドロドロに混じり合い、見ているだけで吐き気を催す。


 左の頬からは白い頬骨が剥き出しとなっていて、もはやあの可愛らしい少女の面影など何処にも存在していなかった。

 在るのはただ、醜く変わり果てた少女の亡骸。


 あどけなくはにかむ橘も、兄のためにひねくれジャックと戦うと決意した強い橘も、自分を必要としてくれた橘も、励ましてくれた彼女も――


 ……もう、居ない。


 何もかも、全てが遅過ぎたのだ。


「おや、テンヤンじゃないか。こんな所で何してるのさ」


 地に膝をついて茫然としている天夜の背後から、冷めきった元気そうな声音の少女が声をかけた。


「明、鏡。お前こそこんなとこで何してんだ……」


「なんだか騒がしかったからね。“音の征乱者”である僕には、音の波長の不自然な揺らぎくらい簡単に分かるのさ。それで、これは一体全体なんなんだい?」


「おい、お前はなんでそんなに平然としていられる……」


「なんでって、今さら喚いたって仕方がないじゃん。もう手遅れでしょ、それ」


「ふざけんな!! そういう問題じゃねえんだよ……!」


 唇を噛み締めて立ち上がり、明鏡の両肩を強く掴んで震えわななく。無意識に天夜の語調は強まっていた。


「じゃあ、どういう問題なのさ」


「………………」


「人はいつか死ぬ。それは僕たちにとってはただの目の前で起こった事象でしかない。変わりばえの無い、不変の事実だ。死体は死体。落ち込んだって、文句を垂れたって、もうその人は帰ってこない」


 あまりにも非情過ぎる言葉にも聞こえたが、全てを否定しきることはできずに天夜は口を噤んだ。

 明鏡は落ち着き払った動作で天夜の手に自分の手を重ねる。


「でも……でももしその人が大切な人であったならば、その人の分までしっかり生き抜いて、自分の生き様を見せつけてあげようよ。それこそが、今やるべきことじゃないのかい?」


 己の無力さが憎い。

 少女一人すら守れないのかと思うと、呼吸が不安定で震えが止まらなかった。


 そして、また年下の少女に慰められたのかと思うと、情けなさのあまり正気でいられなくなりそうだった。


「それに君、思ったより平気そうじゃないか。自分が今どんな顔してるか、分かるかい?」


「え……?」


「“どうでもいい”。そんな顔してるよ」


 言われてみれば、不思議と涙は零れていなかった。

 天夜は自分の中に、言い知れぬ喪失感とやり場のない怒りが渦巻いているような気がした。いや、気がしただけなのかもしれなかった。

 泣きたいはずだ。怒りたいはずだ。大声をあげて、泣いて怒り狂って、そんな感情を滾らせているはずだ。

 

「心拍も呼吸も、走ってきた乱れだけで精神的な動揺による乱れのパターンじゃないね。気持ち的にむしろ余裕……うーん、余裕とも言い難いか。何も考えてないから余裕も動揺も、ヘッタクレも無いって感じだね。

 ねぇテンヤン……人間の真似するの、やめなよ」」


「やめろ‼︎ ……それ以上は……やめてくれ」


 気付けば、叫び、項垂(うなだ)れて懇願していた。

 それ以上言われると、本気でどうにかなりそうだったから。自分が自分でなくなるのが嫌だから制止した。

 どうしてこんなにも、少女の言葉が痛いのか分からない。けれど、今はそれどころではない。


「明鏡。今は俺のことなんかどうでもいい。彼女を掘り起こすぞ」


 前を向き直る。現実と向き合う。まずはそこからだ。だが天夜が己と向き合うのは、もう少し後のこととなるだろう……。


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