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18. 猛獣:Roaring

 九道蒼牙の審問は終わった。

 彼にはアリバイが無かったが、正真正銘“液体の征乱者”であることを確認し、殺人等に能力を使った記憶も無かった。天夜たち三人の調律者に危害を加えたことは確実に罪となるが、ひねくれジャックでない以上今は何も問い詰める必要は無い。彼もまた、被害者の一人なのだ。やぶさかなことをしてはいけない。


 メイドたちには大方の事情を伝えた。気絶してしまった蒼牙の介抱はメイドたちに任せるとして、三人は次の審問に足を運ばなければならない。

 銀牙にも現状報告をしに行こうとしたが、今はかなり気が立っているとのことでメイド長に制止された。母を殺された上にメイドを殺されたのだ。邸内にその仇敵がいる。その現状だけで、彼自身も蒼牙のように怒り狂いたい気持ちでいっぱいのはずだ。

 だが九道家次期当主である以上、皆の混乱を煽らぬようにこの場は毅然とした立ち振る舞いを心掛けているのだろう。人の上に立つ者としての領分を(わきま)えた実に(たくま)しい青年だ。理性を操る征乱者だけのことはある。

 当の本人である銀牙は一階の自室で休息を取っているとのことだ。銀牙の私室のほうに目をやると、大仰な鉄扉が守衛の如く睥睨する。


 そこを横切ってすぐのところに、一階から二階と三階に繋がる螺旋階段への第一歩が鎮座していた。蛇のような螺旋階段はホールの吹き抜けを貫いて、蜷局(とぐろ)を巻いてうねり立つ。

 一歩踏み締めるごとに靴底とかち合う快活な音が鳴り響いて耳を楽しませる。堅牢な造りだが相対的に手すりには繊細なゴシック様式の彫刻が施され、天使たちのじゃれあう姿が描き出されている。


 階段一つをとってもこれほどまでに洗練された芸術的な空間が創造されているのだ。これでは美術館に行った時にゲーテやシュレーゲルなどの作品を見ても感動を得られなくりそうで、少しばかり得をしたような損をしたような、曖昧な気分になる。


 だが今はそれ以上に、天夜の中では疲労が圧倒的に勝っていた。足取りは重く、不安定で頼り甲斐の無い様だった。


「天夜、大丈夫? 顔色があまり良くないけど」


「あ、あぁ……大丈夫。ちょっと疲れただけだ」


 上半身をフラつかせ、両手をだらしなく揺らしながら階段を昇る。鬱陶しくまとわりつく倦怠感の原因が一体何なのかは分かっていた。多分さっき無茶したからだろう。慣れない天力を使い過ぎた。覇力と比べて熟練度はまだまだだ。

 体内では常に二つの力が(せめ)ぎ合っている。その一方が空っぽになり、力の均衡が崩れてしまったのだ。それによって生じた反動が、疲労感として全身を襲っていると思われる。それ以外に考えにくい。

 だが細かい理屈は抜きにして、今はとにかく休みたいというのが本音である。


 朦朧とした視界の向こう、階段の上から誰か降りてくる。疲れで誰なのかさえ認識できない。

 黒ニーソを穿いた細い脚とフリルの付いた可愛らしい服が視界の端に映る。

 天夜の頭には休息への欲求が溢れかえっていた。休みたくて休みたくてたまらない、他のことを何も考えられない状態だ。


 瞬間、全てがスローに見えた。胃の中身を全てぶちまけてしまいそうだった。

 体がゆったりと後ろに傾倒する。大理石の地からその足はほとんど離れつつある。階段の上にいる誰かは、危ないと叫びながらこちらへ手を目一杯伸ばしながら階段を駆け降りる。


 天夜の背中は、ギリウスが即座に片手で支えた。階段を転げ落ちずには済んだが、彼の顔はもう見飽きるほどに憎たらしく、やれやれと言うムカつく表情だった。

 休息への欲求は頂点へと達し、世界は暗転する。蒼牙が生みだしたフィーネの夜を打ち消した時点で、とうに我慢の限界を迎えていた。

 意識を維持するための精神の太い糸が天夜の中でプツリと切れた。名状し難い不快な感覚に引きずられ、天夜は深い微睡(まどろ)みの底に堕ちた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「……説明してください、ギリウスさん。天夜さんに何故天力が宿っているのかを」


 一人の少女が、天夜の自室でギリウスを問い詰める。その隣では泥のように眠る天夜の身体がベッドの上に横たわっていた。


「流石は“天力の征乱者”ですね。天夜の中にわずかに残った天力の気配を察知するとは」


 階段の上で天夜たち三人とたまたま鉢合わせたのは、天力を以って天力そのものを操る征乱者、(タチバナ)波流(ハル)だった。

 征乱者が能力を行使する際のエネルギーの源である天力を扱うことに長けている彼女には、天夜が征乱者としての能力も持ち合わせていることを看破されてしまった。


「どうしてもお話したくないというのなら、私はそれでもかまいません。でも、隠し事は無しにしていただきたいんです……兄の仇がこの屋敷に居ると考えただけで、全てが疑わしく思えてくるんです。そうなると私は、誰も信じられないし、定期審問も受けられません」


 弱々しい小動物のような彼女の雰囲気が一変し、覚悟と信念を持った目をしていた。


「ギリウス、ここはあえて話しておくべきじゃないかしら?」


「……そうですね、話しましょう。ただし橘さん、条件が二つあります。一つは我々の安全性の確保のため、天夜の能力の詳しい概要は伏せさせていただきます。二つ目は、この説明を終えた後は定期審問を受けていただく。よろしいですか?」


「分かりました……能力を隠していたということは、それなりの事情がある、ということですもんね」


 不安気な顔色を浮かべながら、橘は軽く頷いた。決して調律者三人を疑っているわけではないが、それでも胸中の動揺を拭い去ることはできないようだ。


「理解が早くて助かります。では、少しばかり長くなりますが話しましょう」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 時を同じくして、とある獣が暗い空間で激しく憤っていた。これから訪れる災厄を喰らわねばならぬと。

 その獣は、青い鎖に縛り付けられていた。唸る咆哮と荒ぶる巨躯を抑えるために。首元には同じように青い光で造られた巨大な槍が突き刺さっていた。

 鎖と槍を具現化させた主は頬に血と汗を流している。荒ぶる獣を抑止しようと奮闘する青年は、薄暗い空間でも鈍く輝く金髪を右手でかき上げる。


「ええ加減落ち着けや……お前のそのやかましい声のせいで客人が迷惑しとるんや」


「黙れ小僧。貴様ら一族の長兄が代々その能力で我をずっと縛っているのは、我の力を恐れているからであろう。だが今はそのようなことを言っている場合ではない……すぐ近くまで我の守る物を狙う奴がおる。我が食い千切らねば、奴はもっと強大な力を以ってして貴様らを襲うこととなるぞ! 我に全てを委ねろ! さすれば貴様の危惧する敵を丸呑みしてやるわ!」


「お前がアレを守っとるんはよう分かる。せやけど、お前をこっから出すわけにはいかへんのや。お前の存在は簡単に誰かに見られてええようなもんやない。調律者もおる。政府の人間にバレるんはちと厄介や。うちの部下でもお前の姿をちゃんと目の当たりにしとんのはメイド長くらいなんやで」


 青年がそう返すと獣は何かを悟ったのか、不気味に低く重く笑った。

 その表情はおぞましく、この世のものとは思えない。別次元に映る幻影を現実に投射したような現実味を帯びない異形の姿。醜悪で下劣な見た目は獣と呼ぶべきか化け物と呼ぶべきか、はたまた人によってはこれを神と呼ぶ者もいるかもしれない。


 禍々しくも神々しい、矛盾した姿。


 薄赤の体毛が20メートルはあるであろう全身を覆い、双対の捻れた角に歪な形態の四本足。顔の中央には九つの目がギョロギョロと蠢く。長く垂れ下がる尾の先からは腐ったような強烈な臭いの体液が排出され続けていた。


「何がおかしいねんドアホ」


「どうなっても知らぬぞ。このままではじきに惨劇が訪れる」


「俺もそんなこと知ったこっちゃないわ。俺はオカンを殺した犯人をこの手でぶっ殺せたら、それでかまわへん」


「我をここから出さねば後悔するぞ、小僧」


「やかましいわ。それ以上言うたらほんまに殺すぞ犬っころ。お前のことは俺ら一族が隠す義務があるんや。せやけど隠す言うても、生きてようが死んでようが俺は知らん」


「我を愚弄し、そして殺すと言ったか……やってみろ人間!」


「上等やアホンダラ! おとなしゅう寝とけ!」


 少年は獣の巨体に向かって跳躍。空中で右手に青い光の槍が顕現し、強く握り締める。

 続けてスナップを効かせながら肩と腕を振ると、青の槍は鮮やかな軌跡を描きながら飛翔し、獣の背にめり込んだ。傷口から紫の毒々しい血液が溢れる。青年は矢継ぎ早に第二第三の槍を撃ち込む。

 三本目の槍の柄頭には鎖が付属しており、鎖の先端は青年が握っていた。ぐいと引っ張ると、その勢いに乗って青年の体は獣の体躯へと引き寄せされるようにしてダイブ。

 着地の瞬間脚を突き出し、青い光を纏った強烈な蹴りを見舞った。

 だが獣に倒れる気配は微塵たりとも無い。ゆらりゆらりと揺れ動くも、まるでダメージを意に介さない。


「やるではないか小僧。我の死角を的確に突いてきおったか。だが……まだまだだ」


 獣が短く吼える。すると青年が立っていた獣の背から茶色く薄汚れた刃が生えた。青年の身体を、何本もの鋭く硬質な刃が切り刻み、(なぶ)る。


「ほう、上手く躱したな。直接刺さるのだけは回避したか」


「これ、お前の肋骨やろ? 肉の上からでも大体の感触で何処から出てくるかぐらい分かるわボケ」


 獣は再度短く吼える。

 それに合わせて凶器となっていた肋骨が編むようにして組み合わさり、檻を形成。青年を閉じ込めてしまった。


「動けんようにしただけかい。つまらんなぁ」


「貴様は我の腹の中でも見学していろ」


「あぁ⁈」


 低く唸る獣の背がぐちゃぐちゃと音を立てて溶け、青年は獣の体内に飲み込まれる。首まで取り込まれた青年は呼吸を荒げる。


「ぐっ……なんやコレ……!」


 肉の内側に完全に吸収された青年の声は、もうその空間からは淘汰されてしまった。獣は激しく吼えた。慟哭を喉元で掻き鳴らしながら、まとわりつく青い鎖を強引に引き千切る。


 己を縛り付ける奴はもう居ない。これで自由だと獣は確信する。


 災厄の根源を断ち切るためには、まずここから外に出なくてはならない。獣は天井を破壊して脱出を試みるため、身を屈めて四本足の膝を折り曲げ、跳躍の体勢に移る。

 その大き過ぎる一歩を力の限り踏み締める。

 床から天井までの高さは約30メートル。軽く跳べばこの獣の図体なら頭突きで破壊できる高さだ。


 ――しかし、獣は動けなかった。

 自由の瞬間は、たった一歩しか許されなかったのだ。


「な、なぜだ……なぜ足に力が入らぬッ!」


『ナメんなよ犬っころ!』


 くぐもった声が獣の聴覚器官にははっきりと聞き取れた。錯乱する獣は気付く。


 ――この声は、我の体内から?!


 気付いた頃には遅かった。腹の底が切開されて、紫の血の塊と一緒に青年が流れ出て現れる。


「お前の足の神経、断ち切らせてもろたで。これでしばらくは歩けへんはずや」


「小僧……貴様今の一瞬で、これをやったというのか!」


「おうそうや。侮ってもろたら困るで。これが九道家次期当主であり、理性の征乱者である俺の実力や。久しぶりに本気でぶつかり合って、やっと俺の力に恐怖したやろ」


 青い光が青年の左手に収束され、長剣が形成される。大きく跳躍して振りかぶる。振り下ろされた剣によって、身動きの取れない獣の頭を一太刀のもとに両断した。ただ、先ほど腹を掻っ捌いた時と違うのは、血が流れないということだった。


「死にはせんから安心せえ。ちぃと寝てもらうだけや」


 それは殺傷力のある攻撃ではなく、天力による理性を縛り付けるモノであった。


「頭冷やせや、ボケ!」


 青年が用済みの長剣を宙に投げ捨てると、それは霧散して消滅した。青白い光の残滓はしばらく暗闇の空間を照らし続けた。

 一時的な沈黙の安寧が訪れ、獣の遺骸を残して青年はその場を後にした。


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