17. 心情:Inexperienced
「ふ〜ん。こいつが何かで負けるとこなんて初めて見たよ」
「九道蒼牙のアニムスだな。俺らは匡冥獄の調律者だ。名は?」
「僕かい? 僕はドロス=アリレイドってんだ。ドロスでいいよ」
無邪気な口ぶりで名乗るドロスは、水の柱に乗ることで空中に浮いている。蒼牙とは少し違って明るい性格のようだ。
「じゃあドロス。単刀直入に言うが、蒼牙の“デウス・メモリア”を渡してくれ。俺らが此処にいるということが何を意味するか、分かっているだろ?」
「定期審問ってやつだね……嫌だって言ったら?」
「規則違反ってことで、力尽くで奪うのみだな」
「……冗談だよ。僕はそんなに意地悪じゃない。欲しけりゃあげるよ」
そう言ったドロスは気を失った蒼牙に近寄り、少年の額に手を翳した。そしてヴォルガルド同様にぶつぶつと人外の呪詛を唱え始める。ギリウスも耳を傾け、その詠唱に聞き入る。
詠唱に呼応するようにして蒼牙の額から青白い糸が現れ、収束し、ドロスの手中に球体が形成される。
天夜は顕現されたメモリア・デウスをそれを受け取ると、手際良く煌覚神石にメモリア・デウスを吸収させる。
追加で覇力を流し込むと、赤と青の光が石の中で混じり、絡み合い、揺蕩う。
その光の波長のヴィジョンから、記憶の読み取りを開始する天夜。目を瞑り、神経を尖らせる。
光が天夜の右腕に雪崩れ込み、溶けてゆく。
同時に天夜の脳内に、蒼牙の記憶が映る。映し出されるのは“天力を使用した”という情報についてのみだ。記憶から読み取れる情報を識別し、規則違反は無いか、力を行使し殺人等の犯罪行為をはたらいていないか。それらを判断する。
その結果、ここ五年で行われた力による犯罪行為は無し。違反行為は先ほどの戦闘による調律者への反駁のみと分かった。
後日、彼は匡冥獄から呼び出しを喰らい、裁判にかけられるかもしれぬが、精神状態の不安定さと若さゆえに、罪は軽い物となるだろう。
だが、大方の記憶を確認し終えると、天夜はそれ以外の“何か”を記憶の波長パターンから感じた。
――蒼牙の……心か。
母が殺され、途轍もない怒りを抱いていたこと。ひねくれジャックを自らの手で殺すために、毎晩毎晩遅くまで天力のコントロールの特訓をしていたこと。
母の死について調べることを放棄し、非協力的だった警察と匡冥獄に憤りを感じていたこと。
天力を使った場面に伴って、それらの負の怨念が脳内にこれ見よがしに投影される。
天夜は悟った。
彼が自分たちに怒りの矛先を向けていたのは、これが理由だったのかと。思わず涙腺が緩みそうになったが、記憶のヴィジョンを読み取ろうと必死に堪える。
深い悲しみと怒りは、人をここまで変えてしまうのだ。心理的に発達段階のこの年頃ならば尚更である。
前の定期審問から数えて約五年分の記憶に目を通し終えると、ドロスを呼び出す前に感じたやりきれない気持ちの正体はこれだったのかと納得する。メモリア・デウスを煌覚神石から抜き取ってドロスに返還する。
匡冥獄でベテランの調律者連中から聞いたことはある。あまりにも執念深い記憶のヴィジョンには、力を行使した際の征乱者の心境までもが現れるという。
だが天夜自身、これを体験するのは初めてであった。過去の征乱者の心の声を聞くことができるという今までに目にしたことの無い現象に、天夜は驚きを隠せない。
「天夜……? どう?」
白亜が天夜の茫然自失とした顔を覗き込み、問いかける。
だがその耳には届かない。蒼牙の想いの丈が手に取るように理解でき、さらには感情の流入という、未だかつて類を見ない現象をまざまざと見せつけられたのだ。常識が覆される感覚の片鱗を味わった気がした。それは、意識が遥か彼方へと連れ去られた気分にも等しかった。
「こうすれば良いのですよ」
それを見兼ねたギリウスが脚を持ち上げて構えると、流麗かつ静かに腰が回され靴の甲が急加速して孤を描いた。洗練された動作が天夜の大腿を強かに打つ。
回し蹴りを入れられた天夜はその衝撃によって我に返り、その場にくずおれた。
「ッ……いっ……てェェェェェ!!」
思い出したように激痛が下半身を駆け巡った。みっともなく悶絶して転がり回る天夜。
「うるさいですね。早く何が視えたのか教えてください」
「蹴ることねぇだろうがよ!」
「もう、早くしなさいよ天夜」
「……俺が悪いのコレ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……てなわけだ。蒼牙が俺らに理不尽な怒りを振りまいていたのはそういう事情があったんだと」
「なるほど。要は母をひねくれジャックに殺され、どう考えても匡冥獄の管轄のはずの事件内容でありながら、匡冥獄は調査に協力しなかった。そして匡冥獄の使者である我々調律者に怒りの矛先が向いていたというわけですね」
蒼牙の心境を審問によって察した天夜はギリウスと白亜に全てを伝えた。
匡冥獄が銀牙と蒼牙の母の事件を看過したことについては、人員不足とはいえあまりに調査が杜撰だ。上に報告し糾弾すべきだとは分かっていても、報告書の量がかなり嵩張りそうだ。天夜はネタには困らずに済みそうだと軽口を叩いたが、これほどイレギュラーが多いとそれなりに悩ましい問題だ。
そんな天夜はしばらく動きたくないと、ソファにだらしなく座って背もたれに体を預けてぐったりと項垂れる。フィーネの夜を天力で消滅させたために体力をかなり消耗してしまったためだ。
「じゃあ、終わったみたいだし、僕は戻るね」
「おう。サンキュー」
アニムスのドロスは、宿主である蒼牙の体内へと馴染むように消えてゆく。半透明になりながら宿主に吸い込まれ、ドロスはその場から完全に姿を消した。
蒼牙はまだ目を覚まさない。アニムスが精神の中に戻っても、一度天力を使い果たしたその肉体の負担は並々ならぬものだろう。しばらく安静にしておくしかない。
「では、メイドを呼んで彼を介抱してもらいましょう」
「あ。お前は床下に閉じ込められてたから知らねえと思うけど、俺たち閉じ込められてんだったわ。ドアノブが溶かされちまってよ……」
天夜が思い出したように言うと、白亜も失念していたそのことが記憶に蘇り、ハッとする。
部屋の出入口に付いていたドアノブは、蒼牙の能力によって液体状に変質させられていたのだ。それを聞いたギリウスは、呆れたように嘆息すると件の扉に歩み寄る。
「ドアノブが取れた? そんな扉、壊して開ければ――良いでしょうが!!」
ギリウスが叫びながら身体を一回転させ、その遠心力を利用して巨大な鉄扉に後ろ回し蹴りを放った。
凄まじい轟音が鳴り響き、金属質の反響が鼓膜を嬲る。
さらに二発、三発と足裏による猛烈な蹴りのコンボを見舞う。頑強な造りの扉には段々とヘコみが現れ、塗装が剥がれ落ちてきていた。一箇所だけを重点的に狙い、幾度となく繰り返される流星群のような蹴りの嵐。
そして、凄絶なフィニッシュの一撃によって、ついにその分厚い金属板に特大の風穴が空いた。
「ったく、相変わらず無茶苦茶しやがる」
「鉄の扉を……壊したの……?!」
呆れる者と驚愕する者。前者はもう見慣れた光景でやれやれといった感じだ。後者はあり得ないあり得ないという呟きを反芻させるばかり。
「さて、部屋から出ましょう。あとはメイドにでも頼めば全て対処してくれるでしょう」
「ま、それが得策だな」
「私たち、屋敷を破壊し回っているようにしか思えないんだけど……」
三人は蒼牙の部屋を脱出する。
思えば恐ろしい強敵であった。ひねくれジャックも蒼牙ほどの征乱者に襲われればひとたまりもないかもしれない。
“液体”という定義の範疇でなら、全ては彼の掌の上で踊ることとなっただろう。
彼はまだ幼い。成熟しきっていない精神の彼を挑発して天力切れを狙ったは良いものの、なまじ精神の鍛えられた者であったならもっと恐ろしいことになっていたかもしれない。未熟な者を心理戦に持ち込むのは容易いが、怒らせるとなかなか手が付けられないというのもまた事実。
「天夜。私の勝利のためのお膳立て、感謝いたします。あなたが彼を挑発し、天力を消耗させてくれたお陰で戦いやすくなりました」
「聞き捨てならねえな。最後にキッチリ決めたのはこの俺だ。感謝するのはこっちの方だぜクソ野郎」
「はいはい、皮肉の応酬はそこまでよ。さっさとメイドを呼びましょう。それと、九道銀牙にも色々と報告しなきゃいけないでしょ?」
「ハァ、めんどくせ」
不真面目な男と型破りな男。加えて真面目でクールな女。
デコボコで不整合。だがそれでいて妙にしっくりと馴染む。矛盾しているようで、曖昧ながら辻褄が合うような。
三人の間には、そんな奇妙な雰囲気が生まれつつあった。




