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14. 苛々:Mighty Liquid

 暗くカビ臭い、水槽と化した床下で、ギリウスはただ一人もがいていた。


「クッ、この水……ただの水ではありませんね。抵抗が通常の水以上で重い。これではレイピアどころか拳さえ振るえない」


 首から下は液体に浸され、その抵抗力によって身体の自由は奪われる。

 酸素も薄く、呼吸が荒くなる。

 

「しかし……床下全てを浸水させるほどの液体を一瞬で発現させるとは。九道蒼牙、幼い子供のわりになかなか恐ろしい男ですね。負けたら承知しませんよ天夜」


 ギリウスは苛立ちを噛み締めた。不安を拭い去ることはできないが、それでも彼は相棒の力に期待した。


 白亜もいる。彼女の実力は不明だが、そのことを加味すれば、蒼牙のような強力な相手であろうとなんとかなるかもしれない。


 己にそう言い聞かせ、現状を打破しようとギリウスは目を閉じて黙考し始めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「オラァ!」


 天夜は怒号混じりの気合とともに拳を振るう。何度も叩きつけるようにして連撃を加える。が、あっさりとその攻撃は封じられる。いや、無力化されるといったほうが正しい。水面を全力で叩いた弾ける音が響く。

 天夜が両手にはめた戦闘用の黒手袋が濡れ、辺りに水が飛び散るだけ。

 相対する蒼牙の全身には液体がまとわりつくようにして厚い壁を()していた。



「無駄だよ……無駄無駄。僕の液体の防御の前では、物理的なエネルギーはほとんど減衰する。その拳にいくらスピードがあろうと、水中の抵抗力の中では遅すぎるのさ」


 全体重をかけて拳をねじ込まんとしてみせるが、それも間近まで迫った拳を軽々と躱され、蒼牙は後退して間合いを取る。勢いの死んだ攻撃など、誰にでも見切れるということだ。


「白亜、お前はこいつの兄貴を呼んでこいッ! それまでこのガキの暴走は止めておく!」


「分かったわ!」


 応答した白亜はただちに部屋から出ようと入口の扉に駆け出す。

 “理性の征乱者”である九道銀牙なら、彼の剥き出しになった黒い一面を抑え込める。二人はその共通認識に期待を抱いた。


 しかし、白亜は扉の前に立ち尽くし、その足を止める。


「あ……れ……?」


「どうした白亜! 早く行け!」


 いつまで経っても扉を開ける音がしないため、不穏な空気を感じ取った天夜は背を向けたまま白亜によびかけた。


「無い……の」


「何がだ?!」


「ドアノブが……無いのよ……」


「ハァ?! 何言ってやがる!」


 蒼牙の口角が、いやらしくニタァと吊り上がる。静かながら不気味な笑みを零す彼の表情は、狂気に満ちていた。


「僕が君たちを逃がすとでも思ったかい? ドアノブは消させてもらったよ。ドロドロに溶かしてね。ついでに、ドアの隙間は液状にしてから再度凝固させた。溶接と同じさ」


 この部屋に招き入れられた時から、蒼牙には既に戦闘の意思があったということだ。その真意は測れないが、何か激情に駆られ力を思うままに振るう狂戦士だ。


「いつの間に……どうやってあそこまで天力を(はな)った」


「放ってなんかいないよ。簡単な話さ。天力というエネルギーは自分の操れる物質の範疇なら、溜め込むことも、それを時限爆弾のように発動時間の設定なんてこともできる。ま、これほど出来るようになるまで相当練習したけどね」


 白亜は扉の足下に視線を落とした。

 そこには液化してしまったドアノブだと思わしきスライム状の物体があった。

 完全に溶けきっていないのか、金属の粒子が弱々しい煌めきを放つ。


「ドアノブの何処に液体なんて仕込んでやがった……」


「なんでそこまで教えなきゃならないのさ……いいかげん殺すよ」


 冷ややかな双眸に、天夜は背筋を凍らせた。

 殺意の塊のような狂気的な人間には、今まで嫌というほど会ってきた天夜でさえも、これほどだと戦慄せざるをえなかった。


 静かだが荒々しい気迫と好戦的な瞳。

 思わず、蒼牙(こいつ)がひねくれジャックなのではないかと錯覚するほどに。


 その姿は、先ほどの激昂したギリウスにも何処か似ていた。


「白亜、銀牙はもう呼びに行かなくていい」


「えっ……?」


「こいつは一度痛い目に会わねえと分からねえタイプの人間だ……。

 銃を抜け! トリガーを引け! 体感したことの無い苦痛を味わわせてやれッ!」


 天夜は叫ぶ。焦燥に煽られたような声だったが、苛立ちを抑えられなかった。

 我慢の限界を迎えた天夜は、明確な敵意を向けていた。死すら恐れぬ気迫の者には殺す気で挑まねばならない。でなければ、先に殺されるのは己である。


「……分かったわ」


 白亜が両腰から大型二丁拳銃を引き抜き、構える。右手には落ち着いた赤に黒みを帯びた銃身の“シクザール”を。左手にはシルバーを基調としたカラーリングに所々黒いパーツでカスタマイズされた“セリカ”を。

 ラテン語でシクザールは“運命”。セリカは“天空”を意味する。


「二丁拳銃なんて当てられんのォ? 現実じゃ当てられないって聞いたことあるんだけどさぁ、ガッカリさせないでよね」


「あら。あなたみたいな子供でも、的にしては大きすぎるくらいよ」


 狙いを定め、その引き金を人差し指で軽く絞り、白亜は躊躇なく弾丸を放った。黄金の銃弾には赤黒い光が絡みつき、“覇力”が込められていたことを暗に示していた。


「だぁかぁらぁさぁ〜〜〜無駄だって言ってんでしょ!!」


 蒼牙は怒ったような笑ったような気怠く荒々しい罵声を響かせる。

 その右手からは、さらに厚い水の防御壁が次々と幾重にも形成されてゆく。


 二秒ほどの溜めがあるとは言え、一瞬にしてここまで無から有を生み出すとなると非常に強力な力だ。

 彼がかなり力の扱い方を訓練したというのはあながち嘘ではないらしい。征乱者がここまで力をコントロールできるレベルに達すると使い方次第では一種の大災害を引き起こせるほどになってしまう。


 弾丸が水の壁に着弾する瞬間、天夜はそれを危惧してゾッとした。

 だがそれでも拳銃とは言え大口径のマズルから吐き出された銃弾の威力は、伊達ではなかった。音速で飛翔する弾丸はみるみるうちに何層にも連なる壁を突破し、蒼牙本体を覆う最後の障壁に到達しようとしていた。


 通常、ハンドガン程度の弾丸なら水中での抵抗によって殺傷力とスピードを保つのは難しい。

 約2〜3メートルも進めば速度は停滞し、人を傷付けるほどの殺傷力は無くなってしまうと言われている。しかし天力で形成された水は、銃弾に込められた覇力によって打ち消される。ゆえに銃弾を阻害する液体は、触れた部分から蒸発するかのようにして消える。まるで水の方から銃弾を避け、通り道を開けていくようにも見える。

 つまりこれは、水中での抵抗力をほとんど無視できることと同義である。


 しかし、銃弾は蒼牙の胸の前で突然ピタリとその快進撃を止めてしまった。


「銃弾の一つくらい止められないで、征乱者と呼ばれるのは心外だよね」


 液体を操る少年は小さな声で呟いた。まるで自分を奮起させるかのように。それでいて余裕を含んだ調子で。


 呟きの直後、弾丸がベコベコとヘコみ始め、ついにはグチャグチャに圧縮されて原形は崩壊した。


「そんな……覇力は充分に込めたはずなのに……!」


「ナメないでよね。覇力は天力を相殺することができるけど、それは天力以上のエネルギー量をぶつけた場合でしょ?」


 銃弾は撃った瞬間に手元から離れてしまう。そのため覇力を追加で補給するということはできない。

 だが蒼牙は常に水と一体化したように壁を形成しているため、天力を追加で注ぎ込める。そのためパワー負けしたのだ。

 つまり、銃弾を覆っていた覇力は防御壁の中に存在する天力のエネルギー量に飲み込まれ、水の抵抗力を貫くことは不可能ということである。


「それと、僕は液体の征乱者だ。だから水流も操れるし、その中の水圧をめちゃくちゃに上げることもできるんだ。分かるかい? この圧倒的な力の差が」


 やれやれと言わんばかりに蒼牙は嘆息した。政府直属の調律者様もこんなもんかとバカにするように。


「まだよ!」


 白亜はさらに二発三発と、かまびすしい発砲音を立てて引き金を引く。

 しかし、今度は一つ目の防御壁で止められ、完膚無きまでに弾丸はすべて紙屑同然に圧縮された。


「効かないっつってんでしょ。ムカつくからさぁ、ちょっと寝ててよ」


 そう言うと蒼牙は、左手からおぞましい勢いの水柱を放出した。それはまるで、消防車の消火ホースを幾重にも束ねたかのような、荒れ狂う一筋の水流。胴体を激しく押された白亜は、その身を宙に踊らせて背から壁に叩きつけられる。後頭部を強打した白亜は呆気なく気を失ってしまった。


「ねぇ黒い調律者さん。ギリシア最古の哲学者、タレスって知ってるかい? 彼は『万物の根源は水』だと説いた。僕はこの力を持っていると、全く以ってその通りだと思うんだよね……。誰も僕に近付けないし、誰も僕を倒せない。そして皆最後は一様に黙るのさ。この圧倒的な力の前にね」


「なら、俺は延々と叫んでやる。黙るのはお前の方だ、慢心したガキが」


 天夜は先ほどの蒼牙同様にやれやれと肩を(すく)める。


「何ィ……?」


「テメェが水を好むってのなら、それは“井の中の(かわず)大海を知らず”ってやつだ。お前なんかより強い奴なんて、世の中腐るほど転がってんぞ」


「僕を倒すことも出来ない奴が……よくそんなことが言えるね。さっきから随分と上から目線じゃあないか」


「当たり前だ。俺はお前なんかよりずっと強いからな」


「ハァ? ちょっと何言ってんのか全然わかんないんだけど。とりあえず……黙っててよね!!」


 蒼牙は極大までに増幅させた水柱を二秒ほどの溜めののちに顕現、形成し、天夜へと撃ち込む。


「遅えッ!」


 その溜めの隙を、天夜はすかさず突いて至近距離まで詰め寄り、殴りかかった。至極単純な戦法ではあるが、対征乱者の戦いでは鉄板ともいえるパターンのひとつだ。しかし案の定水面を叩くだけの感触ばかりで、威力は虚しく減殺(げんさい)される。負けじと立て続けに突きと蹴りの連続攻撃を打ち込む。

 だが全くの無意味というわけでもなかった。拳と脚部に纏われた覇力によって、確実に水の防御壁は削られ、その厚みは徐々に薄くなってゆく。


 最初からこうしておけば良かった、と天夜は僅かな後悔に舌打ちを鳴らす。


 先ほど天夜があからさまな挑発をしたのには理由があった。苛立ちを見せた時の蒼牙には、癖があったからだ。

 それは、イラつくとすぐに征乱者の特性である“無から有を生む力”によって液体をその場に顕現することだった。能力の使い方のノウハウを熟知していると言えど、“無から有を生む”という行為は、征乱者にとって通常使用の場合より天力の消耗が激しく、溜めも長い。


 その不意を突いた結果、天夜は今、格段に攻めやすくなった。


「どうした! そんなもんかよ!」


「くそッ……小癪なマネを……!」


 天夜の突きと蹴りの連携は凄まじい。息もつかせぬ連撃が、液体の防御壁を次々と削いでゆく。防御壁の厚みはまだかなりあるとは言え、油断すれば直撃するリスクも大きい。そのためか蒼牙は回避に徹する。

 ヴォルガルドとの戦いでは大剣の間合いのリスクに尻込みしてしまい、連続攻撃はなかなか出来なかった天夜。だが不意打ちを食らった今の蒼牙には効果覿面(こうかてきめん)である。


「でもさあ君、さっきから右手での攻撃がやけに遅いし、少ないね。パンチに関してはほとんど左手じゃないか。その左手自体も、さっき僕が投げた液体窒素で凍っちゃってるけどさ、速度はなかなかじゃないか」


 追い詰められているように見ても、その余裕な態度が崩れる気配は無い。


「そうかァ?! そんなことどうだっていいが、ゴチャゴチャ言ってると完全にこの鬱陶しい壁を引き剥がしちまうぞ!」


「そう言えば、さっき星村って奴の審問終わらせたって言ってたよね。もしかして、彼ともドンパチやってたんじゃないの? 手袋着ける前もチラッと包帯巻いてるのが見えたし……もしかして右手は、その時の傷で痛めちゃってて、(かば)ってるとか……」


 戦った相手は星村ではなく星村のアニムスだが、それ以外は物の見事に見透かされ、言い当てられた天夜は驚嘆する。

 そして虚を突かれたその言葉に、天夜は思わず一瞬だけ攻撃の手を止めてしまった。


「おや、ビンゴか」


「うるせぇ……だからどうした。負傷なんぞどうでもいい!」


 ムキになった天夜が、その右拳で液体の防御壁を突いた。次の瞬間、蒼牙は予想外の行動をとった。

 蒼牙は天夜の突いた手を掴み、思い切り引っ張る。


「フン、そんなハンディを背負ったまま僕に勝とうとするから負けるんだ」


 蒼牙は何を思ったのか、防御壁から抜け出て、入れ替わるようにして天夜をその中に引き込んだ。

 天夜はもがいて脱出を試みるも、水圧をコントロールされているせいか身動きが一切封じられた。


 そして蒼牙はすぐさま防御壁に天力を注ぎ込み、みるみるうちに変質させる。液体の防御壁は無色のままだったが、部屋にはたちまち刺激臭が立ち込めた。


「つまんないな、やっぱ弱いじゃん」


「ッ……!」


 蒼牙は終焉の合図として、指を快活に弾いた。

 すると液体の防御壁は一つの生き物のようにうねりながら天夜の右手へと流れ込み、殺到する。奇妙なことに、天夜の傷口から染み込むようにして液体が入り込んで行っているのだ。

 手袋も包帯も有って無きものと化してしまった。物理的な障壁を無視して、液体は傷口から体内へと染みてゆく。


「うあ、ぁ……!」


 天夜の意識は朦朧とし、視界はぼやけ、少しずつ意識が遠のきかけていた。

 全ての液体が天夜の身体に侵入し、天夜はその場に倒れ込んだ。


「気を失う前に教えてあげよう。僕が変質させたこの液体。これはアンモニア水さ。人体にとってアンモニアは非常に有毒な物質だ。だから尿として排出される。

 そして、血中のアンモニア値が0.04%を越えた時、人は昏睡状態に陥る。それほどまでに人体にとっては危険な物さ」


「クソッ…………タレがああ……!」


「最後まで叫んでやるだって? 笑わせてくれるね。それは叫び声じゃなくて掠れ声だ。そして君は僕との心理戦に負けたんだ。僕を怒らせたのは逆効果だったんじゃないの?」


 天夜は嘲笑する蒼牙の姿を最後に視界に映し、目を閉じた。

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