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13. 液体:Liquid Boy

「白亜。一応言っとくけど、さっきの俺の力のことは秘密な?」


 次の征乱者を審問するために歩く廊下の途中、天夜は白亜に念押しする。


「さっきギリウスにも説明されたから分かっているわ。でも、“矛盾者(パラドクサー)”なんてあり得るのかしら……」


「さぁな、分からん。ハッキリ言って、俺の天力は生まれつきらしい。征乱者は力が覚醒する時に、全身が青白い光を放つ発光現象を引き起こすが、俺はそんなもん体験した覚えもねぇからな」


「生まれつき……? ますます理解不能よ。調律者の子や征乱者の子は親の遺伝のせいか力が覚醒しやすいだなんて言われてるけど、だからと言って二つの能力を有するなんてありえない」


「まぁ、正直なところ、俺自身もこの力はよく分かってねえんだよな。危険過ぎるってことくらいしか」


 客間の並ぶ二階から大理石の階段を三人は肩を並べて降りる。天夜は負傷した右手の傷が(うず)くようで、しきりに掌を開閉している。

 止血・消毒・包帯の応急処置三点セットで白亜に手早く手当してもらったが、ヴォルガルドとの戦いで負った傷はかなり酷いものだ。


 右手に大穴が開いているため、かなりの血を垂れ流した。暫く激しい動きや戦闘は控えるべきだろう。


 できることなら蒼牙と刀条と橘の三人による連携で、昨晩の星村の手の怪我のように瞬時に治療してもらいたいが、今は抜き打ちの定期審問だ。


 誰がひねくれジャックなのか分からない以上、一人ずつ行わなければならない。邸主である銀牙には念のため事情を伝えたが、彼も容疑者の一人であることに違いはない。

 とはいえ、今の彼は雇っていたメイドを死なせてしまったことに酷く落胆している。それが演技であっれ真実であれ、そっとしておくべきだ。


 もし全員が同時に審問を行うとなると、その場でひねくれジャックの正体はすぐに割れるだろう。だが正体がバレそうになったひねくれジャックはヤケを起こしたとしたら、その場で新たな犠牲者を生むかもしれない。そのようなリスクは避けるべきだ。

 本来ならば最初に銀牙が用意してくれていた“聖霊の間”で一堂に会して審問すべきではあったが、今回ばかりは抜き打ちで審問することに意味があるのだ。


「さて、じゃあお邪魔しますか」


 そうこうしているうちに一つの部屋の前に到着した。

 九道邸一階の大広間から見て北西に位置するその部屋の入口は鎮座していた。

 天夜や星村などの客人のために用意された部屋の扉とは一味違い、煌びやかな装飾の施された扉。


 軽く三回ノックすると、ドアの向こうから返事は届いて来ず、ノックの残響が霞むように消えていった。


「あれっ、いねえのか?」


 もう一度、荘厳な扉を叩く。

 しかし訪れるのは静寂のみ。


「おっかしいなぁ。いるはずなのに――ウガッ⁈」


 天夜が首を傾げた瞬間、その扉は勢いよく開き、中から部屋の主が姿をのぞかせた。

 それと同時に、扉が天夜の鼻柱へとヒットし、見事な衝撃を与えた。


「聞こえてるよ。うるさいな……ってアレ、どうしたの?」


「フガァ、お前のぜいだろうが……」


「ハァ? 何言ってんの調律者さん、大丈夫?」


 天夜は虚を突かれた一撃のあまりの激痛に、鼻を押さえて悶絶する。


「気にしないで。このバカがドアの真正面に突っ立ってるのが悪いのよ」


「ドアはまじょうめんがらはいるもんだろ!!」


 鼻をつまみ、鼻血が出てくるのを押さえようとする天夜は、否応無しに鼻声で文句を飛ばす。


「天夜、その愚かしい口を閉じなさい。鼻を削ぎ落としますよ」


「ギリウズざんじょうだんでず。ずんまぜん、マジでずんまぜん」


「とりあえず中入りなよ。何か用があって来たんでしょ?」


 部屋の主であり、邸主の弟。

 つまりは次の審問対象と決めていた征乱者である九道(クドウ 蒼牙(ソウガ。彼は女性と見紛うほどに美しく整ったその横顔に、少し暗い陰を落とした。どうやらあまり歓迎はされていないようだ。


 彼にとっては招かれざる客かもしれないが、一応客人ということもあってか三人に自室への入室を促した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「はい。これティッシュ」


「おう、悪いな」


 天夜は蒼牙からティッシュを受け取ると、螺旋状に捻じって棒状にし、鼻の奥へとゆっくり突っ込んだ。


「ひねくれジャックも、そんな風にして僕たちの母さんやうちのメイドを殺したんだろうね……。指先でティッシュを捻じるように、いとも容易く……」


 溜息を吐きながら三人の向かいのソファへと腰掛ける蒼牙は、相変わらず憂いた表情のままだ。


 調律者たち三人は蒼牙から見てソファの左にギリウス、真ん中に天夜、右側に白亜という形で座る。


 部屋は窓もカーテンも閉め切っており、照明もほとんど点いていないためにかなり暗い。

 広さは縦横20メートルほどの広大さを誇っており、流石は邸主の弟の自室というだけのことはある。


 高そうな家具と調度品が並べられ、スッキリと整理整頓されているあたり、彼の几帳面さが出ているのか。それともメイドの卓越した仕事っぷりの賜物(たまもの)か。


 向き合う形で配置されたソファの隣では、暖炉の穏やかな炎が、煌々と盛んに輝いていた。


「……それで? 君たちは一体僕に何の用があるんだい?」


 前屈みで膝に両肘をつくような姿勢で、彼は視線を下に落としたまま問いかける。

 その問いに対して、白亜が口を開いた。


「実はね、今私たちはひねくれジャックをあぶり出すために定期審問を一人ずつ抜き打ちで行っているの。あなたのお兄さんにはメイドさん越しに伝えておいたけど、聞かなかったかしら?」


「うーん、確かに定期審問の要領で行けば確実に犯人が誰かは分かるね。でも僕の耳には入っていなかったなぁ。……まぁいいや。続けて」


「さっきも一人審問を終えたところなの。対象は星村昂鬼。彼は潔白だったわ。で、次はあなたにしようと決めていたわけ」


 そう告げた瞬間、蒼牙の眉が僅かながらに上下した。


「やっぱり……少し予想はしてたけど、そんなことか」


「急なことで申し訳ないとは思ってるわ。でも、これはひねくれジャックを突き止めるために必要な――」


「ふざけんな! 笑わせんじゃねえよ!!」


 白亜の言葉を遮り、憤る蒼牙は声を荒立てる。その顔は、先ほどまでの陰鬱な表情とは正反対の、怒りと憎しみに染まっていた。

 言葉使いもまるで別人のように豹変する。


 確か星村が銀牙を疑惑視した時も突然人が変わったようだった。月並みな表現ではあるが、二重人格というやつなのだろうか。どうも彼は情緒不安定な性質たちらしい。


「なんで僕が今このタイミングで審問なんて受けなきゃあならないんだい……? もしかして僕を疑ってるって言うのかい?」


 再度穏やかな口調に戻り、震えわななく声の彼の右手から、ゴポゴポという不気味な音がした。


 三人の調律者は咄嗟に立ち上がってソファの後ろへと飛び退き、反射的に臨戦態勢を取る。


「違うわ、落ち着いて。誰にも証拠が無い以上、(しらみ)潰しに調べるしかないのよ。だから、あなたにも協力して欲しいだけなの。母親の仇なんでしょう? それならもう少しよく考えてちょうだい」


 明らかな怒りの色を浮かべる蒼牙をなだめようと、白亜は冷静かつ慎重に言葉を選んで説得を試みる。


「落ち着いているさ。落ち着くのは君たちの方だよ。ソファから立ち上がることないじゃあないか。僕は座ったままだろう?」


 神経を逆撫でされるほどに清々しい平然とした態度で、蒼牙は言葉を紡ぐ。

 しかし突然、思い出したように再び身体を震わせ始めた。


「母さん……そうだ、母さんだ。僕たち兄弟は母さんを殺された。ひねくれジャックにね。そんな僕が……そんな僕がッ! なぜ疑われなくっちゃあならないんだい!!」


 不意に彼は右手を勢い良く振るった。

 その手から液体の塊のような物が白亜目掛け、淡い尾を引いて飛翔する。

 白亜は回避しようとしたが、一瞬反応が遅れる。直撃は免れない。


「オイ、ふざけんな。八つ当たりも大概にしろよクソガキ」


 ――かと思われたが、白亜の横から伸びた天夜の左手が、その物体を鷲掴みにする。

 天力で生み出されたであろう物体は、天夜の掌から発現した覇力で相殺されて消え去った。


「ありがとう、天夜……」


「なんだよ。邪魔するなよ」


「うるせえ、ブチのめすぞクソガキ。俺は今虫の居所が悪い。つべこべ言わずに審問を受けろ」


「はんっ! 僕とそう歳の差も無いくせに、何がクソガキだよ。それと、君は自分で自分の手を封じたような物だ。バカは君さ」


 嘲りを受け、天夜はハッとして自分の左手に目をやる。


「なッ……!」


「超濃密度の液体窒素だ。覇力ですぐに防いだから多少マシだったかもしれないけど、一瞬で皮膚の熱を奪われた君の左手は、悪いがしばらく氷漬けだ」


「御託の多い方ですね。殺されたいのですか?」


 調子付く蒼牙に対し、気付いた時にはギリウスがその背後を取っていた。

 敵意を剥き出しにする少年の首筋には細い抜き身の刀身がピタリとあてがわれる。


「ハァ……調律者っていうのは揃いも揃って短絡的な脅迫しかできないのかい? 愚直だねぇ……」


「はい? 死にたいのであれば、ハッキリそう申し上げてください。今すぐにでも穴だらけにしてさしあげますが?」


 ギリウスの怒りを買ってはいけない。天夜はそれを知っていながら、あえてそれを止めはしなかった。

 多少の制裁は必要だ。力を行使して調律者に刃向かうというのは立派な規則違反である。これはもう、蒼牙の行き過ぎた行動と言動が悪い。


「だーかーらー、お前らみんな無能過ぎだって言ってんの! ガキだからってナメてるんだろ……調子に乗らないでくれよ」


 もはやそこに、穏やかな彼の姿は無く、怒りで我を失っていると言うに相応しい。それどころか、年頃の少年特有の横柄な態度だ。


「おっと……そこを動かないでよ。執事の人。僕の後ろに立った時点で君の負けは確定している」


 ギリウスを再び挑発した蒼牙は、ソファを軽く叩く。

 するとギリウスはソファの後ろでガクリと膝からくずおれ、突如その姿を消した。


「ギリウス?! どうした! オイ! ギリウス!」


「ほぅら。言ったじゃないかァ。僕は“液体の征乱者”だってことを忘れたのかい? 彼は床下に閉じ込められたのさ。確か、その征乱者の操作可能な物質間ならば、天力ってのは自由に伝達させられるんだよね?」


 よく見ると蒼牙の足下が濡れている。恐らく天力は彼の足下から顕現させた水を伝わったのだ。そして濡れた床から伝達された天力によって大理石の床は液状化し、ギリウスは床下に吸い込まれた。

 液状化を解いて床下を塞いでしまえば、これでチェックメイトとというわけだ。


「勉強熱心なガキだな」


 全く別の物質を変化させるとなれば、相当なレベルの能力だ。


 征乱者にとって“自分の操れる範囲外の物質”を“自分の操れる物質”へと無理やり変化させることは極めて難度の高い奥義と言える。膨大な天力を酷使するのはもちろんのこと、相当な熟練度でないと別物質への変換という摂理の超越は難しい。


 また、これは操れる事象の定義の問題でもある。星村のように一種類の物質を操る者もいれば、蒼牙のように“物質の形態”と液体という定義に該当する物質全てを操作する者もいる。


 つまり、蒼牙は元より強力な系統の能力を持っているということである。


 だが、天夜はそこまでギリウスのことを心配してはいなかった。彼ならば、床程度の強度なら破壊できるだろうと確信していたからである。


 ヴォルガルドのような爆発的な破壊力とは少し異なるが、鋭い破壊力を持った彼のレイピアならば、壊すことなどわけない。


「ハハッ。床くらい壊せる……なんて思ってるんでしょ? 甘い甘い。僕の能力は液体を操る。あらゆる物質を液体に変化させるとこも可能だけど、あらゆる液体を生むことも可能だ」


 その顔には、既に勝利を確信した笑みが浮かぶ。


「まさか……!」


「床下はさっき水浸しにした。呼吸できるようにギリギリ頭一つ分のスペースは残しておいたよ。僕って良心的だなー。でも、水の抵抗の中で、果たして威力のある攻撃が可能かなぁ?」


「テメェ、さっきからナメたマネばかりしやがって……! 決めたッ! この場で今、調律者の名の下にテメェを裁く!」


「やってみなよ……僕を怒らせたこと、後悔させてやるからさぁ」

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