4. 可能性:Perplex
「他は、誰かアリバイが証明出来る奴居るか?」
「ボクは寝てた。が、アリバイは無い!」
この明鏡は全く、ちょいちょい議論を引っ掻き回しやがって。
「明鏡、お前はもう分かったから黙ってろ。お前の性格上殺しなんてやりそうに無いしな」
すると明鏡は鼻をフフンと言わせ、舌をチッチッチッと三回打ち鳴らす。
「それはどうかなぁ。案外人を殺さなさそうな人ほど犯人だってのがミステリー物とかのお決まりじゃないかな〜? だからボクだって人を殺すかもしれないじゃないか。何より人は腹の底で何を考えているのか分からない生き物じゃないか」
言われてみれば一理あるのは事実だ。しかし肯定すると調子に乗りそうなのであえて何も言わずに黙り込む。
「あぁ〜っ、無視かい? 無視なのかい? 酷いなぁ。波流ちゃんに夜這いのみならず、ボクみたいな、いたいけな少女を放置プレイだなんて……」
「だぁぁぁッ!! もう、うぜえな! 変な言い回しをするんじゃねぇ!」
「天夜、セクハラね……」
「白亜……それ、意味分かって言ってる?」
セクハラだと? そんな馬鹿な。この状況ではむしろ俺が被害者じゃないか。俺は何も性的な発言や行動をした覚えは無い。
「天夜ったら変態……なのは周知の事実ですかね」
「うるせえギリウス、テメェはいつも通りのノリだけどこの流れで言うのは、なんか途轍もない悪意を感じるな、うん。そしてどうして若干オネエ口調?」
ギリウスが悪ノリを被せてくる。さすが天夜をいじることにおいてだけは全力を尽くす男である。
「まあまあ、天夜はん。落ち着きぃな。俺も男やさかい、気持ちは分かるけど……」
「そうだよ天夜さん、まずはその性欲をなんとかしようよ」
「九道兄弟、乗っかるな!」
「調律者さん、アンタ……」
「哀れな目で見るんじゃねえ星村!」
「なんとなくそんな感じはしてたけど、コレが国家の一端を担う調律者だなんて……」
「冬真……コレとか言うなよお前まで……」
「天夜さん、信じてたのに……」
「しかも波流ちゃんまで! お前らさっきから寄って集って、なんなんだよこの変な流れは! 打ち合わせでもしたのか?! 台本でも用意したのか?! 新手のイジメなのか?! なぁ?!」
一息で一気に悪ノリを捌くのは流石にキツい。息切れが激しくなり肩を上下させる。
悪辣なセクハラ容疑と悪意の塊が波状攻撃となって迫り来る内に、俺は確信してしまった。今この瞬間、ツッコミという必要性皆無のスキルを習得してしまったようだ。
なんなんだこの茶番は。ギリウスに執拗にいびられた時より調子が狂う。
「全然落ち着いてないじゃんテンヤン〜。早く犯人を見つけなきゃいけないんじゃないの〜?」
他人事のように飄々とした口振りで明鏡が茶化す。辛うじてテーブルの上に残った朝食の残骸をつまみ食いしながら。
「元はと言えばお前のせいだろ……」
「遊んでないで早くしないか、議論が進まんぞ」
「そりゃねぇぜ刀条……」
俺が何をしたって言うんだ。
それを尻目に口を開いたのは、大柄な体躯に相応しい毅然とした態度の星村だった。
「とりあえず俺も言わせてもらうが、ハッキリ言って明鏡ってガキ同様にその時間は寝てたぜ。生憎証拠も同じくねぇから、アリバイは成立しねぇけどな」
少し残念そうに嘆息した星村は壁にもたれかかり、目を瞑って気だるい仕草を見せる。
昨日の一件同様、束縛を嫌う彼にとって容疑者候補から完全に外れないこの空間と時間は苦痛でしかないのだろう。
「で、九道の二人は?」
「俺は一晩中ペットの世話に付きっきりやったわ。証人は一応その場に居合わせとったメイドやけど、雇い主である俺を庇う事がいくらでも可能やさかい、信用はされんやろうなぁ」
「いや、そのペットの鳴き声なら頭が割れそうなくらい聞こえたぜ。だから信用出来ないことは無い……けど、可能性もゼロではない」
銀牙は視線を落とすと、思い詰めた顔を見せ、少しはにかんだ。
「僕も寝ていたなぁ。一度も起きることは無かったよ」
蒼牙が証言したところで、星村が壁にもたれかかった姿勢を起こし、銀牙に詰め寄る。
「ちょいと待てよ九道の兄ちゃん。まさかとは思うが、その凶暴なペットとやらがひねくれジャックの正体じゃねぇだろうなぁ? 聞いてる限りじゃあ、随分と暴れん坊なペットのようじゃねぇか……。それに、アンタが朝から痛々しそうに抱える腹と腕の傷……ペットの躾の最中にやられたモンじゃねぇのか? つまりそいつは、飼い主であるアンタでも抑え込めないペットなのかい?」
星村のその発言に、誰もが息を呑んだ。誰もかれも、ひねくれジャックである可能性が低い今、斬新かつ有力な可能性が見えてきたからだ。
一同がどよめき、胸中がざわつく。
皆の疑いの眼差しは銀牙に向けられている。その一方で、星村の眼光は彼を殺さんとばかりに爛々と輝いている。
「そんなわけない!!」
予兆も無く、突然絞り出すような声を張り上げたのは弟の蒼牙だった。
おとなしい印象の彼から発せられた雄叫びに、誰もが驚いた。さざめきを打ち破った声は、食堂の大理石の壁を叩きつけるように反響し、微々たる反芻を轟かせた。
「兄さんが、兄さんがそんなことするわけないだろッ?! ひねくれジャックの正体がウチのペットだって……? 笑わせんなよクソッタレ!!」
「落ち着け蒼牙!」
突然荒ぶる蒼牙を、銀牙が制止しようと羽交い締めにする。腕中でもがく蒼牙はまるで理性を失ったかのような瞳だ。
「ひねくれジャックはお前らの中の誰かだ! そうに決まってる! 僕たちは母さんを……母さんを奴に殺されたんだぞ! 頭が熱暴走を起こしそうなくらい調べて、色んな角度から見て、考察して、それでも結論に至らなかったんだよ!」
「だから落ち着けや蒼牙! お前らしくもない!」
――ここで、新たな関係性が見えてきた。
彼らもまた、ひねくれジャックに身内を殺されたのだ。それも母を。
しかし奇妙なのはここに集まった者の関係者が何人かひねくれジャックに殺されているということだ。
一人は恋人を、また一人は兄を。そしてあの兄弟は母を。
何か法則性があるというのか? まさか他にも身内を殺された者がこの中にいるのだろうか?
――いや、今は考えても無駄だろう。判断材料が少なすぎる。
「この中にひねくれジャックが居るという確証は、あなたにあるのですか?」
声を荒げる蒼牙とは対照的に、落ち着いた静かな声音で語りかけるギリウス。蒼牙は血走った目を右往左往させ、低く唸る。
まるで別人だ。そして再度暴れだす青年は、その兄の拘束を振り解こうともがき続ける。
「あかん! しゃーなしや!」
羽交い締めを保ったまま、銀牙の右手が空と雲を混ぜ合わせたかのような色合いで輝く。“理性の征乱者”としての力を発動させたのだ。
発光する右手が蒼牙の後頭部に押さえつけられる。数秒経過したのち、銀牙の手から光は消え、彼は拘束を解いた。
銀牙の能力によって“理性”を取り戻した蒼牙は打って変わって以前と変わらぬ物静かでおとなしい様子にコロリと戻った。
四方八方に忙しなく動いていた定まらない視線も、床の一点を見つめるように固定されている。ぐったりとうなだれるように椅子に腰掛けた蒼牙は陰りのある声で、再び想いを言の葉にして紡ぎ始めた。
「確証? ハハ、無いさ。でも、でもこの状況でウチのメイドが殺られたんだ……。もう君たちしか疑いようがないじゃないか……」
「そうでしょうか? 本当に私たちだけが容疑者というのはいささか納得が行きません。先ほど天夜は“この場の全員が容疑者”と言いましたが、もっと視野を広げるべきと私は推察します」
「確かに俺はそう言ったが……視野を広げる、と言うと?」
「この屋敷に第三者が忍び込み、潜んでいる可能性があります。もしくはメイドの中にひねくれジャックが紛れている……」
ギリウスの意見により、再び議論の場が動揺し始めた。次々と浮上する可能性に誰もが翻弄され、脳のシナプスが根底から混乱してきている。
常識が覆されてゆく気分だ。
そもそも征乱者と調律者がこの世界に現れた時点で本来の“常識”の定義はとうの昔にひっくり返されているのだろう。
一瞬にしてつんのめったような空気が立ち込め、暫く食堂は、形容し難い静寂に包まれた。




