1. 序章:Journey
体が揺られる。穏やかに。
列車の揺れには独特なリズムがあり、不快な物ではない。
だがこの男は、昨日夜遅くまで色々と準備していたせいか、深刻な寝不足に悩まされていた。どうしても眠気に勝てず寝落ちしてしまったのは仕方ないとしても、流石に気の緩みすぎではないのかと相席していた相棒が辟易する。
「……今どこだ?」
「おや、お目覚めですか、天夜。もうだいぶ北に来ましたよ」
マヌケなあくびを零して窓の外へ目をやる天夜は、軽く伸びをして体をほぐす。
あらゆる者を魅了するような、その視界に飛び込んだ光景。降りしきる雪を、朧げな夕陽が照らす。
オレンジの光が雪を溶かすように乱反射し、鮮やかな煌めきを放つ。
幻想的で、現実離れしていたそれは、今のこの世界を体現しているようにも思えた。
「ほー、“征乱者”と“調律者”が世界中で現れて100年以上経つが……その影響で異常気象が多くなったとはよく聞く。けど北の辺境とはいえここまで感動的光景とは思わなかった」
「確かに。しかし、あなたにそのような風情の心があるとは思えませんがね」
もう一人の男は分厚い本から目を1ミリたりとも逸らさず、呼吸をするように皮肉を吐き捨てた。
バカにされた男は、チッ、と小さく舌打ちをし、脛を蹴ろうとする。
躱され逆に足を踏まれる。
「痛って!!」
「バカなのですか……? そんなことより、気付いてますか? あなたの席の後ろ、あなたより気が狂ったバカが何人かいますよ」
彼らは今、日本最北端のとある辺境の地、“崩月”と言われる場所に向かうために列車に揺られている。目的は仕事のためだが、仕事の内容というものが少し特殊である。
「ギリウス、そんなこととっくに気付いてる。俺はそこまで鈍くねえ」
面倒な連中が世の中蔓延り過ぎだと、天夜は常々痛感する。
「そのことに気付くのも含めて俺らの仕事だろ?」
座席から僅かばかり身を乗り出して、天夜は後方を一瞥する。怪しい乗客がちらほらと視界に映った。
「やれやれ、特務外の仕事はやる気が出ないのですが……どうします? 先手を打ちますかね?」
分厚い本を閉じ、ギリウスは気だるいが透き通った淡い紺の瞳をこちらへ向けた。
「まあ慌てんな、バカは自爆するって言うだろ?」
ギリウスに返答した刹那、ヒンヤリとした金属質の冷たさがこめかみに押し当てられた。
「それは……俺たちのことを言ってんのかぃィ?」
耳元でケタケタと嗤う男は、狂った目をしていた。人間としての理性はほとんど崩壊しているようで、口調も終わっている。オマケに銃ときた。
――溜め息一つ。
苛立ちと共に、大きく息を吐き出す。
「おっと、物騒なもん出してくれるじゃねえか……」
「黙れぇえ! 我らはアグニの転生者、クラッド様の代理人であり、執行人! 貴様ら、見たところ政府の狗どもだな! 貴様らのような愚かな人間など、クラッド様が業火で焼き尽くす裁きを下すまでも無いわぁ!!」
――溜め息二つ。
鬱陶しい。
たまに征乱者をこうやって信仰して神扱いする狂った連中がいる。俗に言うカルト教団というやつだ。
各地で時々起きる暴力事件やデモはそういう連中が関わっていることも少なくはない。
即座に周りを見渡し、状況を確認する。敵はこの車両には七人といったところだ。
「ウゼェな……そのオモチャをさっさとしまえよ。他の乗客がビビってんだろうが……よ!」
座席から立ち上がり、体を180°ひねる。その腰の回転を活かして脚を持ち上げ、男の大腿に回し蹴りを入れた。直後、流れるような動作でふらつく男の顎に裏拳を叩き込む。
「あがッッッ!!」
男の瞳孔は開ききり、裏拳が当たった時に首の骨が軋む感触がしっかりと伝わった。
コイツはじきに死ぬだろうと思った天夜は、座席に瞳孔の開いたその男を放り投げた。
「さーて……次は誰が泡を吹きてえんだ?」
「待ちなさい天夜。よく見てください。乗客が人質に取られています」
――溜め息三つ。
俺は面倒事が心底嫌いだ。
征乱者絡みで民間人が傷付けられると、調律者としての責任問題に関わるので、天夜とギリウスにとっては特に面倒だ。
「ああもう、めんどくせぇ! ギリウス、お前のレイピアを貸せ」
「お断りします」
嫌味な微笑を浮かべるギリウスに、天夜の殺意が一瞬で高まる。
――なんだコイツの顔! 腹立つ!
「いいからさっさと貸せ!」
そう言うやいなや、天夜はギリウスの隠し持つレイピアを無理矢理引き抜いた。
刃と鞘が擦れ合い、気持ちの良い抜刀時の金属音が耳を撫でる。
無駄な装飾の少ないシンプルなレイピアが銀の輝きを携えて、天夜の右手に収まった。
狙いは、奥で人質を抱えてる男だ。
「おいおい! こっちは銃だぜ! 剣なんかで勝てると思ってんのかクソガキ!」
最近の日本は安物のアサルトライフルを民間人が持ち歩いていても当たり前になってきた。
この国も物騒な所になってしまった。列車の中でカラシニコフを持ち歩かれては、おちおち座って雪景色を楽しむこともできないというものだ。
無粋な連中は、さっさと始末するのが得策である。
天夜は溜息をまた一つ吐き、レイピアの柄を逆手に持つ。
床を力強く踏み込み、大きく振りかぶる。
「バカかよ! 殺ってみろよ!」
テロリストは怒鳴るように叫ぶ。
がなる怒号を切り裂くようにしてレイピアを投擲。
針のような剣尖は、ダーツの矢の如く男へと一直線に向かう。
その細い刀身はメリメリと音を立てて、男の体に吸い込まれるように深々と突き刺さり、肉を抉った。
「本当にただのガキだと思ったかアホども」
「あ、あぁ……ゔあ''あ''ぁぁぁぁ!!!!」
「ギリウス! やれ!」
天夜が叫んだ時、既にギリウスは床を蹴り走り出していた。
残りの6人がレイピアを刺された男に気をとられ、唖然としている隙にギリウスは男達との距離を詰める。
一人を殴り、その頭を引っ掴んで顔面を座席の背もたれに打ち付け破砕。するとすぐさま他の男が発砲してくる。だがギリウスは掴んでいた男を盾にして身を守る。
男の身体には自動小銃の鉛弾が次々と穴を穿った。
さらに盾にしつつ前進し、男ごと他のテロを押し退けると、勢いに2人が体勢を崩された。
ギリウスはすかさずその2人の襟首を掴んで互いの頭を思いっきりかち合わせる。
脳震盪でフラついた2人を連続で蹴り飛ばし、後ろに控えていた残り3人にぶつける。
例に漏れず、体勢を崩された3人。たまらず1人が発砲しようと引き金を絞ろうとした瞬間、ギリウスはその銃口を蹴った。
銃口はあらぬ方向を向き、反動で引かれたトリガーによって弾丸が吐き出される。明後日の方向に飛んだ銃弾は仲間の眉間にクリティカル。
ギリウスは発砲した男の顔面を蹴り潰す。
圧倒的すぎる鬼神の如き強さを目の当たりにした最後の1人は、もうダメだと悟った。
その場にへたり込んで、股の間を濡らす。
だが、ここで容赦しないのがギリウスの流儀である。
いやらしい笑みを浮かべながら最後の男を軽々と持ち上げる。
男の衣服の襟首と背を掴み、振り子のように勢いをつけてから窓ガラス目掛けて放り投げる。男は派手な破砕音と共に窓をぶち破って列車の外へと放逐された。
鮮やかな手際で制圧された映画のワンシーンのような出来事に、安堵を露わにした乗客たちの拍手喝采が起きる。
「黙れクズどもォォ!」
だがその歓声を切り裂くような怒鳴り声を上げ、天夜の後方の座席からもう一人の男が立ち上がった。
乗客たちは一瞬で萎縮し、拍手を止める。
「あーらら、あんたお仲間?」
「我が同胞を傷付けた罪は重いぞ」
「あぁ、あんた、征乱者だろ。気配で分かるよ。最初から俺もギリウスも気付いていた。ただ征乱者は能力を使おうとした意志が認められないと現行犯逮捕は難しくてね。ほら、来いよ」
「バカにしやがって……死ねェ!」
声を荒げる男の右手が青白い光を放つ。
それに対してすぐに反応した天夜は、一気に距離を詰めて男の腹に前蹴りを入れる。
鳩尾に直撃した男は悶絶しうずくまる。
「バカが、分かりやすすぎるんだよ。征乱者と言えども、無から有を生み出すには溜めが大きい。そこに生じた隙を突くのは、俺ら調律者にとっちゃ鉄則なんだよ」
しかし、男の右手から光が消えることは無い。男は何かを顕現しようとしているのだ。
だが天夜は、男の光ったままの右手に拳を叩きんだ。
天夜の拳には、対照的な色合いを持つ赤黒い光。
その赤黒い光と、男の右手の青白い光が絡み合う。最終的には赤が青を飲み込み、喰らうかの如く消滅させてしまった。
「悪いが、生憎お前みたいな小物を相手にする暇は無いんだ。能力のお披露目は諦めな」
天夜が吐き捨てるように言うと、脚を高らかに振り上げる。立て膝をついて悶絶したままの征乱者の男の後頭部目掛けて、天夜は豪快に踵落としを極めた。
気を失った男が、完全に倒れ込む。
そして再び、歓声が湧き上がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あなたたちの仲間は他に?」
気絶してくたばった男を蹴って叩き起こして拷問するギリウス。
これこそが真性の鬼畜。
これこそがリアル死体蹴り。
非常にえげつない行為をいとも容易く行ってしまうギリウスの冷酷さには脱帽せざるをえない。
「他はいねえよ、俺らだけだ……あとで分散して全車両を乗っ取るつもりだった……。クソッタレ、運が悪かったぜ……」
「運も何も、無計画に一つの車両へ乗り込むとは……馬鹿ここに極まれり、ですね。では、現地の警察に引きとってもらいましょう」
「そうだな。早いとこ本来の仕事を済ませたい。こんな下らねえ連中を相手にしてる暇はねえよ」
「あなたの思考も十分下らないですがね」
ギリウスはやれやれと言った風に天夜を軽く罵った。
その後は一旦列車を停めてもらい、テロリスト一味は現地の警察に引き渡した。
そしてまた列車は動き出す。人の皮を被った、偽物の神達が集う場所へと。
黒衣の二人の物語もまた、胎動し始める。
――盤上で踊る道化であるとは知らずに。




