↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

◯活

F「親活」

作者: 三田智
掲載日:2026/11/01

【第一部:「親ガチャ」という言葉】

娘からの連絡は、あなたが帰宅した直後だった。


「ママ、ちょっと聞いてもいい?」


LINEのテキストだった。


「何?」


返信を待つ間、彼女は何度も「入力中...」という表示を出した。


長い。何か重いことを伝えようとしているんだな、と直感で感じた。


「実は、最近、『親ガチャ』って言葉、よく聞くんだけど」


彼女の文は続いた。


「親ガチャって知ってる?」


知っていた。インターネットでも新聞でも、この言葉は見かけるようになっていた。


「どのような親に生まれるかは運任せ。その親によって人生が左右される」


そういう意味だった。


「親を選べない」


その一言に込められた、若い世代の無力感。


彼女は続けた。


「友達が、『俺、親ガチャ失敗した』って言ってて。親が離婚したからって」


「そっか」


返信を返した。


でも、心は、別のところにあった。


俺も、そう思ってた時期がある。


その思いが、胸を横切った。




その夜、彼女は何も言わなくなった。


おそらく、母親の反応が薄いことに気づいたのだろう。


あなたは、スマートフォンを置いた。


そして、天井を見上げた。


親ガチャ。


その言葉は、確かに、あなた自身を貫いていた。


20代の時、あなたはそう呼んでいたわけではなかった。でも、感覚は、その言葉と同じだった。



【第二部:経済的な窮屈さ】

あなたが高校生だった時、両親は離婚した。


離婚の理由は、「性格の不一致」だった。


でも、本当の理由は、経済的な圧迫だった。


父親は、バブルの崩壊で失職した。母親は、スーパーのレジ打ちで生活を支えていた。


あなたは、その時点で、親を「失敗」だと判断していた。


なぜなら、他の友人たちの親は、そんなことになっていなかったから。


友人の親は、子どもを塾に通わせることができた。あなたはできなかった。


友人の親は、子どもに新しい服を買い与えることができた。あなたの母は、バザーで買った服を着せた。


友人の親は、「将来のことを考えて」と言う余裕があった。あなたの母は、「今月の家賃」という言葉を何度も繰り返した。


あなたは、進学を諦めた。


大学に行きたかった。でも、「そんなお金はない」という母の言葉が、あなたの夢を潰した。


その時、あなたは思った。


この親は、失敗だ。


その想いは、20年間、あなたの心の奥底に、沈殿していた。




36歳の時、あなたは結婚した。


相手は、まあまあの企業に勤める男性だった。


「普通」の人生を求めていたあなたは、「普通」の男性を選んだ。


その結婚も、どこか、冷徹だった。


なぜなら、その男性を「好き」だったのではなく、「この人となら、経済的に安定した人生が送れる」と判断していたから。


あなたは、親のような「貧困」を、何としてでも避けたかった。


その恐怖が、あなたの人生選択を、強く支配していた。



【第三部:親の衰え】

今年の春、母から電話が来た。


「ちょっと、体調が悪い」


その一言が、あなたの生活を変え始めた。


検査の結果、母は「軽い脳梗塞」だと診断された。


幸い、後遺症はなかった。でも、医者は言った。


「今後、気をつけてください。再発の可能性があります」


その言葉を聞いた時、あなたは初めて気づいた。


親が、死ぬかもしれない。


その現実は、あなたが想像していたより、ずっと早く、あなたの前に立ちはだかった。




母が退院してから、あなたは毎週、実家に通うようになった。


夫に勧められて、だ。


「お母さんが一人で暮らすのは危ないんじゃないか」


その夫の言葉は、あなたの罪悪感を刺激した。


親を放置していた自分。


その自覚が、あなたを実家に走らせた。




その日も、あなたは実家に行った。


母は、リビングで、テレビを見ていた。


「来たか」


その一言は、いつもと変わらなかった。


あなたは、夕食の支度をし始めた。


冷蔵庫の中は、スカスカだった。


野菜が少ない。肉もない。


代わりに、缶詰めと、安い豆腐が、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。


相変わらずだ。


そう思った。


でも、その時、母は、あなたに声をかけた。


「なあ、ちょっと聞いてくれ」


あなたは、包丁を止めた。



【第四部:親が何気なく昔の話をする】

母は、テレビを消した。


そして、ゆっくりと、口を開いた。


「お前さ、昔から、俺たちのこと、恨んでるんじゃないか」


その言葉に、あなたは、息を止めた。


母は、続けた。


「俺も、お前のお父さんも、『失敗だ』って思ってるんじゃないか」


あなたは、返答ができなかった。


なぜなら、その通りだったから。


母は、自分の手を見た。


「お前を見てると、俺たちから逃げてるのが、わかる」


その言葉は、確実に、あなたを刺した。


「お前は、良い人生を歩んでる。いい企業に勤める旦那さんもいるし」


母は、少し微笑んだ。


「でもな、お前は、俺たちとは『違う道』に行った。その『違う道』を、必死に守ろうとしてる」


あなたは、泣きそうになった。


母の言葉は、あなたの心の奥底の秘密を、全て暴いていた。




その時、母は、昔の話を始めた。


「お前のおばあさんがな、俺を産んだ時、俺のお父さんは、ろくな仕事もしてなかったんだ」


あなたは、初めて聞く話だった。


「俺のお父さんは、酒飲みで、毎日、俺のお母さんに暴力を振るってた」


その言葉を、あなたは、ゆっくりと、吸収した。


「お前のおばあさんは、『子どもだけは、良い人生を歩ませたい』って思ってた。だから、俺に勉強させた」


母は、続けた。


「でもな、その時代は、『進学』なんて、金持ちの家だけの話だったんだ。俺たちは、貧乏だった」


母の目が、遠くなった。


「中学を卒業したら、工場で働いた。俺は、その給料を、全部、家に入れた」


あなたは、初めて知った。


親の世代も、貧困に支配されていたのだ。




「その後、俺は、お前のお父さんと結婚した」


母は、微笑んだ。


「お父さんも、同じように、貧乏な家に生まれた。でも、『子どもは違う人生を』って思ってた」


「だからな、お前が生まれた時、俺たちは、『何とか、子どもに、良い教育を与えよう』って決めた」


母は、深呼吸をした。


「でも、バブルが崩壊した。お父さんも失職した。俺たちの『夢』も、一緒に崩れた」


その時、あなたは、初めて理解した。


親の経済的な困窮は、親の『失敗』ではなく、『時代』のせいだったのだ。




「お前を見てると、俺たちの『夢』が、お前の中に、生きてるんだな、って思う」


母は、あなたの目を見た。


「お前は、いい企業に入った。いい人間と結婚した。俺たちが『できなかった』ことを、全部、やってる」


「でも、お前は、その『成功』の中で、何かを失ってる。それが、わかるか?」


あなたは、泣いた。


なぜなら、母の言葉が、正確だったから。



【第五部:親ガチャを乗り越えるということ】

その夜、あなたは、母と一緒に寝た。


20年ぶりのことだった。


母の隣で、あなたは、初めて、親の人生を『人生』として見つめた。


親は、『親』ではなく、『人間』だったのだ。


その『人間』も、貧困と闘っていた。


その『人間』も、子どもを『よくしたい』と思っていた。


その『人間』も、『失敗』していた。


でも、その『失敗』は、親の『能力のなさ』のせいではなく、『時代』や『状況』のせいだったのだ。




朝になった。


あなたは、母を起こさないようにして、キッチンに行った。


冷蔵庫を開けた。


相変わらず、スカスカだった。


でも、今度は、あなたは、その『スカスカ』を、『親の失敗』だと思わなかった。


代わりに、『親が、今、どれだけの経済的困難の中で、生きているのか』という現実を、見つめた。


あなたは、買い物リストを作った。


母が好きなもの。栄養価の高いもの。毎週、実家に来るたびに、これを繰り返そう。




その時、あなたは、気づいた。


『親ガチャを乗り越える』ということは何か。


それは、以下のことを意味していた。




第一に、『親の失敗』を、『親個人の能力不足』ではなく、『人生選択の結果』として見つめること。


あなたは、母の失敗を、『能力不足』として見ていた。


だが、本当は、『時代の圧力の中での選択』だったのだ。


親も、最善を尽くしていた。ただ、その『最善』は、あなたが期待していた『完璧』ではなかったのだ。


その『完璧』でない『最善』を、『失敗』と呼ぶのではなく、『人間らしい選択』と呼ぶこと。


それが、『親を受け入れる』ということなのだ。




第二に、『親の貧困』を、『親個人の責任』ではなく、『時代と社会の責任』として理解すること。


バブルの崩壊。企業のリストラ。そういった『個人の力では抗えない力』が、あなたの親の人生を左右していた。


その『力』に対して、親は『抵抗』し、『工夫』し、『必死』に子どもを守ろうとした。


その『必死さ』を、あなたは、これまで『失敗』と呼んでいたのだ。


でも、本当は、『限定された選択肢の中での最善の選択』だったのだ。


その『最善』を『完璧』ではなく『必死』として認識すること。


それが、『親を理解する』ということなのだ。




第三に、『親も、親ガチャという言葉を知ったなら、自分たちも、そうだったのだと思うだろう』ということ。


母が話してくれたように、あなたのおばあさんも、経済的困難の中にいた。


その『おばあさん』も、『親ガチャに外れた』と感じていただろう。


だが、その『外れた』という感覚を、『子どもに繰り返させない』という『想い』に変えた。


そして、母も、その『想い』を受け継ぎ、あなたに『できるだけのこと』をしてくれた。


その『できるだけ』が、『不十分』だったから、あなたは『親ガチャ失敗』と感じた。


でも、本当は、『できるだけ』を『完璧』だと受け入れることが、『親ガチャを乗り越える』ということなのだ。


つまり、『親も同じように苦しんでいた』という認識が、『親を赦す』ことにつながるのだ。




第四に、『親の不完全さ』を、『人間らしさ』として愛すること。


これまで、あなたは、親を『失敗した人間』と見ていた。


でも、今、あなたは、親を『不完全だが、必死に生きた人間』と見ることができた。


その『不完全さ』の中に、親の『必死さ』があった。


その『必死さ』を感じた時、初めて、あなたは『親を愛する』ことができた。


これまでのあなたの『愛情』は、『親への感謝』ではなく、『親への期待値の失望』だったのだ。


親に『完璧さ』を求めていたのだ。


でも、『完璧な親』なんて、この世に存在しない。


『親ガチャを乗り越える』ということは、『親を完璧だと思う』ことではなく、『親が不完全であることを受け入れ、その不完全さの中に親の人間らしさを見つけること』なのだ。




あなたは、母を呼んだ。


「ママ、今日のご飯、何が食べたい?」


その言葉は、25年ぶりのものだった。


母は、目を丸くした。


そして、泣いた。


あなたも、泣いた。




その時、あなたは、初めて理解した。


『親ガチャを乗り越える』ということは、『親を否定する』ことではなく、『親を受け入れる』ことなのだ。


それは、『親の失敗』を『人生選択の結果』として見つめること。


『親の貧困』を『時代の犠牲』として理解すること。


『親の不完全さ』を『人間らしさ』として愛すること。


その『受け入れ』『理解』『愛情』の中に、初めて、『親ガチャを乗り越える』ことが成立するのだ。




しかし、同時に、あなたは、気づいた。


あなたの子ども世代も、やがて、何かの『ガチャ』に直面するだろう。


気候変動。AI。戦争。何か、あなたが想像もしないことで。


その時に、あなたの子どもも、『親ガチャ失敗した』と言うかもしれない。


でも、あなたは、その言葉を受け入れられるようになった。


なぜなら、あなた自身が、『親ガチャ』という言葉を通して、親を赦したから。


そして、その赦しは、『完璧な親になること』ではなく、『親らしく、失敗すること』を、あなたに許したのだ。


つまり、『親ガチャを乗り越える』こととは、『次の世代に、その赦しを渡すこと』なのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。