F「親活」
【第一部:「親ガチャ」という言葉】
娘からの連絡は、あなたが帰宅した直後だった。
「ママ、ちょっと聞いてもいい?」
LINEのテキストだった。
「何?」
返信を待つ間、彼女は何度も「入力中...」という表示を出した。
長い。何か重いことを伝えようとしているんだな、と直感で感じた。
「実は、最近、『親ガチャ』って言葉、よく聞くんだけど」
彼女の文は続いた。
「親ガチャって知ってる?」
知っていた。インターネットでも新聞でも、この言葉は見かけるようになっていた。
「どのような親に生まれるかは運任せ。その親によって人生が左右される」
そういう意味だった。
「親を選べない」
その一言に込められた、若い世代の無力感。
彼女は続けた。
「友達が、『俺、親ガチャ失敗した』って言ってて。親が離婚したからって」
「そっか」
返信を返した。
でも、心は、別のところにあった。
俺も、そう思ってた時期がある。
その思いが、胸を横切った。
その夜、彼女は何も言わなくなった。
おそらく、母親の反応が薄いことに気づいたのだろう。
あなたは、スマートフォンを置いた。
そして、天井を見上げた。
親ガチャ。
その言葉は、確かに、あなた自身を貫いていた。
20代の時、あなたはそう呼んでいたわけではなかった。でも、感覚は、その言葉と同じだった。
【第二部:経済的な窮屈さ】
あなたが高校生だった時、両親は離婚した。
離婚の理由は、「性格の不一致」だった。
でも、本当の理由は、経済的な圧迫だった。
父親は、バブルの崩壊で失職した。母親は、スーパーのレジ打ちで生活を支えていた。
あなたは、その時点で、親を「失敗」だと判断していた。
なぜなら、他の友人たちの親は、そんなことになっていなかったから。
友人の親は、子どもを塾に通わせることができた。あなたはできなかった。
友人の親は、子どもに新しい服を買い与えることができた。あなたの母は、バザーで買った服を着せた。
友人の親は、「将来のことを考えて」と言う余裕があった。あなたの母は、「今月の家賃」という言葉を何度も繰り返した。
あなたは、進学を諦めた。
大学に行きたかった。でも、「そんなお金はない」という母の言葉が、あなたの夢を潰した。
その時、あなたは思った。
この親は、失敗だ。
その想いは、20年間、あなたの心の奥底に、沈殿していた。
36歳の時、あなたは結婚した。
相手は、まあまあの企業に勤める男性だった。
「普通」の人生を求めていたあなたは、「普通」の男性を選んだ。
その結婚も、どこか、冷徹だった。
なぜなら、その男性を「好き」だったのではなく、「この人となら、経済的に安定した人生が送れる」と判断していたから。
あなたは、親のような「貧困」を、何としてでも避けたかった。
その恐怖が、あなたの人生選択を、強く支配していた。
【第三部:親の衰え】
今年の春、母から電話が来た。
「ちょっと、体調が悪い」
その一言が、あなたの生活を変え始めた。
検査の結果、母は「軽い脳梗塞」だと診断された。
幸い、後遺症はなかった。でも、医者は言った。
「今後、気をつけてください。再発の可能性があります」
その言葉を聞いた時、あなたは初めて気づいた。
親が、死ぬかもしれない。
その現実は、あなたが想像していたより、ずっと早く、あなたの前に立ちはだかった。
母が退院してから、あなたは毎週、実家に通うようになった。
夫に勧められて、だ。
「お母さんが一人で暮らすのは危ないんじゃないか」
その夫の言葉は、あなたの罪悪感を刺激した。
親を放置していた自分。
その自覚が、あなたを実家に走らせた。
その日も、あなたは実家に行った。
母は、リビングで、テレビを見ていた。
「来たか」
その一言は、いつもと変わらなかった。
あなたは、夕食の支度をし始めた。
冷蔵庫の中は、スカスカだった。
野菜が少ない。肉もない。
代わりに、缶詰めと、安い豆腐が、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。
相変わらずだ。
そう思った。
でも、その時、母は、あなたに声をかけた。
「なあ、ちょっと聞いてくれ」
あなたは、包丁を止めた。
【第四部:親が何気なく昔の話をする】
母は、テレビを消した。
そして、ゆっくりと、口を開いた。
「お前さ、昔から、俺たちのこと、恨んでるんじゃないか」
その言葉に、あなたは、息を止めた。
母は、続けた。
「俺も、お前のお父さんも、『失敗だ』って思ってるんじゃないか」
あなたは、返答ができなかった。
なぜなら、その通りだったから。
母は、自分の手を見た。
「お前を見てると、俺たちから逃げてるのが、わかる」
その言葉は、確実に、あなたを刺した。
「お前は、良い人生を歩んでる。いい企業に勤める旦那さんもいるし」
母は、少し微笑んだ。
「でもな、お前は、俺たちとは『違う道』に行った。その『違う道』を、必死に守ろうとしてる」
あなたは、泣きそうになった。
母の言葉は、あなたの心の奥底の秘密を、全て暴いていた。
その時、母は、昔の話を始めた。
「お前のおばあさんがな、俺を産んだ時、俺のお父さんは、ろくな仕事もしてなかったんだ」
あなたは、初めて聞く話だった。
「俺のお父さんは、酒飲みで、毎日、俺のお母さんに暴力を振るってた」
その言葉を、あなたは、ゆっくりと、吸収した。
「お前のおばあさんは、『子どもだけは、良い人生を歩ませたい』って思ってた。だから、俺に勉強させた」
母は、続けた。
「でもな、その時代は、『進学』なんて、金持ちの家だけの話だったんだ。俺たちは、貧乏だった」
母の目が、遠くなった。
「中学を卒業したら、工場で働いた。俺は、その給料を、全部、家に入れた」
あなたは、初めて知った。
親の世代も、貧困に支配されていたのだ。
「その後、俺は、お前のお父さんと結婚した」
母は、微笑んだ。
「お父さんも、同じように、貧乏な家に生まれた。でも、『子どもは違う人生を』って思ってた」
「だからな、お前が生まれた時、俺たちは、『何とか、子どもに、良い教育を与えよう』って決めた」
母は、深呼吸をした。
「でも、バブルが崩壊した。お父さんも失職した。俺たちの『夢』も、一緒に崩れた」
その時、あなたは、初めて理解した。
親の経済的な困窮は、親の『失敗』ではなく、『時代』のせいだったのだ。
「お前を見てると、俺たちの『夢』が、お前の中に、生きてるんだな、って思う」
母は、あなたの目を見た。
「お前は、いい企業に入った。いい人間と結婚した。俺たちが『できなかった』ことを、全部、やってる」
「でも、お前は、その『成功』の中で、何かを失ってる。それが、わかるか?」
あなたは、泣いた。
なぜなら、母の言葉が、正確だったから。
【第五部:親ガチャを乗り越えるということ】
その夜、あなたは、母と一緒に寝た。
20年ぶりのことだった。
母の隣で、あなたは、初めて、親の人生を『人生』として見つめた。
親は、『親』ではなく、『人間』だったのだ。
その『人間』も、貧困と闘っていた。
その『人間』も、子どもを『よくしたい』と思っていた。
その『人間』も、『失敗』していた。
でも、その『失敗』は、親の『能力のなさ』のせいではなく、『時代』や『状況』のせいだったのだ。
朝になった。
あなたは、母を起こさないようにして、キッチンに行った。
冷蔵庫を開けた。
相変わらず、スカスカだった。
でも、今度は、あなたは、その『スカスカ』を、『親の失敗』だと思わなかった。
代わりに、『親が、今、どれだけの経済的困難の中で、生きているのか』という現実を、見つめた。
あなたは、買い物リストを作った。
母が好きなもの。栄養価の高いもの。毎週、実家に来るたびに、これを繰り返そう。
その時、あなたは、気づいた。
『親ガチャを乗り越える』ということは何か。
それは、以下のことを意味していた。
第一に、『親の失敗』を、『親個人の能力不足』ではなく、『人生選択の結果』として見つめること。
あなたは、母の失敗を、『能力不足』として見ていた。
だが、本当は、『時代の圧力の中での選択』だったのだ。
親も、最善を尽くしていた。ただ、その『最善』は、あなたが期待していた『完璧』ではなかったのだ。
その『完璧』でない『最善』を、『失敗』と呼ぶのではなく、『人間らしい選択』と呼ぶこと。
それが、『親を受け入れる』ということなのだ。
第二に、『親の貧困』を、『親個人の責任』ではなく、『時代と社会の責任』として理解すること。
バブルの崩壊。企業のリストラ。そういった『個人の力では抗えない力』が、あなたの親の人生を左右していた。
その『力』に対して、親は『抵抗』し、『工夫』し、『必死』に子どもを守ろうとした。
その『必死さ』を、あなたは、これまで『失敗』と呼んでいたのだ。
でも、本当は、『限定された選択肢の中での最善の選択』だったのだ。
その『最善』を『完璧』ではなく『必死』として認識すること。
それが、『親を理解する』ということなのだ。
第三に、『親も、親ガチャという言葉を知ったなら、自分たちも、そうだったのだと思うだろう』ということ。
母が話してくれたように、あなたのおばあさんも、経済的困難の中にいた。
その『おばあさん』も、『親ガチャに外れた』と感じていただろう。
だが、その『外れた』という感覚を、『子どもに繰り返させない』という『想い』に変えた。
そして、母も、その『想い』を受け継ぎ、あなたに『できるだけのこと』をしてくれた。
その『できるだけ』が、『不十分』だったから、あなたは『親ガチャ失敗』と感じた。
でも、本当は、『できるだけ』を『完璧』だと受け入れることが、『親ガチャを乗り越える』ということなのだ。
つまり、『親も同じように苦しんでいた』という認識が、『親を赦す』ことにつながるのだ。
第四に、『親の不完全さ』を、『人間らしさ』として愛すること。
これまで、あなたは、親を『失敗した人間』と見ていた。
でも、今、あなたは、親を『不完全だが、必死に生きた人間』と見ることができた。
その『不完全さ』の中に、親の『必死さ』があった。
その『必死さ』を感じた時、初めて、あなたは『親を愛する』ことができた。
これまでのあなたの『愛情』は、『親への感謝』ではなく、『親への期待値の失望』だったのだ。
親に『完璧さ』を求めていたのだ。
でも、『完璧な親』なんて、この世に存在しない。
『親ガチャを乗り越える』ということは、『親を完璧だと思う』ことではなく、『親が不完全であることを受け入れ、その不完全さの中に親の人間らしさを見つけること』なのだ。
あなたは、母を呼んだ。
「ママ、今日のご飯、何が食べたい?」
その言葉は、25年ぶりのものだった。
母は、目を丸くした。
そして、泣いた。
あなたも、泣いた。
その時、あなたは、初めて理解した。
『親ガチャを乗り越える』ということは、『親を否定する』ことではなく、『親を受け入れる』ことなのだ。
それは、『親の失敗』を『人生選択の結果』として見つめること。
『親の貧困』を『時代の犠牲』として理解すること。
『親の不完全さ』を『人間らしさ』として愛すること。
その『受け入れ』『理解』『愛情』の中に、初めて、『親ガチャを乗り越える』ことが成立するのだ。
しかし、同時に、あなたは、気づいた。
あなたの子ども世代も、やがて、何かの『ガチャ』に直面するだろう。
気候変動。AI。戦争。何か、あなたが想像もしないことで。
その時に、あなたの子どもも、『親ガチャ失敗した』と言うかもしれない。
でも、あなたは、その言葉を受け入れられるようになった。
なぜなら、あなた自身が、『親ガチャ』という言葉を通して、親を赦したから。
そして、その赦しは、『完璧な親になること』ではなく、『親らしく、失敗すること』を、あなたに許したのだ。
つまり、『親ガチャを乗り越える』こととは、『次の世代に、その赦しを渡すこと』なのだ。




