第6話 もう一つの価値
白樺の湯の駐車場に停まった黒いセダンから、李はゆっくり降りてきた。
スーツ姿のまま、周囲を見渡す。
山。
田んぼ。
そして、白樺の湯。
静かな場所だった。
「……悪くない」
李は小さく呟いた。
入口の扉が開いた。
望月松之助が腕を組んで立っている。
「何しに来た」
李は軽く頭を下げた。
「株主ですので」
望月は鼻で笑った。
「9%のな」
その後ろから湯沢が出てきた。
「おはようございます」
李は微笑む。
「支配人さん」
湯沢は言った。
「まだ慣れません」
李は少し楽しそうだった。
「面白い村ですね」
望月が言う。
「観光じゃねえぞ」
李は首を振った。
「調査です」
「調査?」
「はい」
李は建物を見上げた。
「温泉施設の資産価値」
「周辺の土地」
「源泉」
「色々」
望月が吐き捨てる。
「値踏みか」
李は否定しなかった。
「投資です」
そのとき。
箕輪さやかが出てきた。
腕を組んで李を見る。
「温泉入ります?」
李は少し驚いた。
「いいんですか」
「株主なんでしょ」
李は笑った。
「では遠慮なく」
三人は浴室へ向かった。
湯気が立っている。
李は湯を手ですくった。
少し考える。
「いい湯ですね」
望月が言う。
「だから言っとる」
李は周囲を見回した。
天井。
壁。
浴槽。
そして窓の外の山。
「施設は古いですが」
「素材はいい」
湯沢が少し笑った。
「同じこと言いました」
李は言った。
「投資家の目線です」
湯沢は聞いた。
「本当にリゾート作る気ですか」
李は湯を見ながら言った。
「可能性の一つです」
望月が言う。
「信用ならん」
李は静かに答えた。
「正直に言います」
少し間を置く。
「私が一番興味があるのは」
床を指さした。
「ここです」
湯沢は眉をひそめる。
「地下?」
李は頷く。
「はい」
湯沢は言った。
「温泉でしょ」
李は首を振った。
「温泉だけではありません」
沈黙。
箕輪が聞いた。
「どういう意味ですか」
李はスマートフォンを取り出した。
画面を見せる。
地図だった。
地質図。
色のついた線が走っている。
湯沢は少し目を細めた。
「これ……」
李は言った。
「活断層です」
望月が言う。
「なんだそれ」
李は説明する。
「地下水が豊富です」
「温泉も出やすい」
湯沢は言った。
「それは知ってる」
李は続けた。
「もう一つ」
地図を拡大する。
「この地域」
「地下水量がかなり多い」
湯沢は少し考えた。
それから言った。
「……水利権」
李は微笑んだ。
「その通りです」
望月が眉をひそめる。
「なんの話だ」
湯沢が言った。
「水」
「資源です」
李は頷く。
「今、日本の水源は」
「海外投資家が買っています」
望月が怒鳴る。
「ここは村の山だ!」
李は静かに言った。
「土地は会社の資産です」
沈黙。
箕輪が小さく言った。
「温泉じゃなくて」
李は頷く。
「水です」
湯沢は腕を組んだ。
少し考える。
それから言った。
「なるほど」
李が聞く。
「理解しましたか」
湯沢は答えた。
「だいたい」
少し間を置く。
「ボトルウォーター」
李は笑った。
「それもあります」
「ホテル」
「温泉リゾート」
「水事業」
「色々できます」
望月は吐き捨てた。
「好きにさせるか」
李は穏やかだった。
「株主総会で決まります」
湯沢は天井を見上げた。
「本当に」
深く息を吐く。
「面倒な話になってきたな」
そのとき。
入口の方から声がした。
「おや」
振り向く。
上品な声。
そこに立っていたのは
滋野カメ子だった。
静かに笑っている。
「李さんでしたね」
李は少し驚いた顔をした。
「はい」
カメ子は言った。
「水の話」
少し首を傾ける。
「そんな簡単じゃないわよ」
李は興味を示した。
「と言いますと?」
カメ子はゆっくり言った。
「この温泉の土地」
少し間を置く。
「昔の村議会が」
「かなり複雑な契約をしてるの」
湯沢が振り向いた。
「契約?」
カメ子は微笑む。
「ええ」
「とても」
「面白い契約」
李の目が少し鋭くなった。
「……興味があります」
カメ子は言った。
「でしょうね」
そして
静かに笑った。
その契約を作ったのが
箕輪さやかの祖母
元村議会議員
箕輪キヨ
だったことを
まだ
誰も話していなかった。




