第11話:完璧聖女の逆鱗と、完全なる「ざまぁ」
「な、なんだよその魔力は……! ルミア、お前、本当にどうしちまったんだ!?」
ログハウスの玄関前。私を背中に庇って立つルミア様から放たれる、黒いオーラのような神聖魔力。その常軌を逸したプレッシャーの前に、ガイルは腰を抜かしたまま後ずさりした。
「どうしたもこうしたもありません。私は至って正気です。むしろ、アリスさんという唯一無二の宝石を失ってなお、己の無能さに気づかないあなた方の脳髄こそ、どうにかしているのではないですか?」
「む、無能だと!? 俺は次期Sランクの——」
「黙りなさい」ルミア様が冷たく言い放つと、まるで目に見えない巨大な手に押さえつけられたかのように、ガイルとリアの言葉がピタリと止まった。高位の『言霊』の魔法だ。
「アリスさんがかけた『弱体化の呪い』? 呆れて言葉も出ませんね。いいですか、よく耳の穴をかっぽじって聞きなさい」
ルミア様は、ヒールの高い靴でガイルの前に一歩踏み出し、虫ケラを見下ろすような視線を向けた。
「あなたの剣が鈍いのは、アリスさんの『身体能力五倍化』と『自動照準補正』が切れたからです。魔物の攻撃が痛いのは、『物理ダメージ極大軽減』と『痛覚遮断』がなくなったからです。そしてそこの三流魔法使いの炎がマッチの火になったのは、『魔力消費九割減』と『威力三倍化』の恩恵が消え失せたからです」
「……っ!? ……っ!!」
「呪いなどではありません。それが、アリスさんの魔法という下駄を脱いだ、あなたたちの『本来の姿(ただの凡人)』なのですよ。……まだ理解できませんか?」
事実を突きつけられ、ガイルの顔が羞恥と絶望で赤黒く染まっていく。隣のリアに至っては、自分の才能がすべてハリボテだったと知り、白目を剥いてガタガタと震え始めた。
「……っ、ふざ、けるなっ!! 俺が、俺が凡人なわけあるかぁぁぁっ!!」ガイルは咆哮を上げ、無理やり『言霊』の魔法を打ち破って立ち上がった。そして、泥だらけのミスリルの長剣を振り被り、ルミア様——いや、彼女の背後にいる私に向かって、狂ったように斬りかかってきた。
「死ねぇっ! アリス! お前さえいなければ、俺はっ!!」
「ルミア様! 危ないっ!!」私が悲鳴を上げた、その瞬間。「——本当に、どこまでも救いようのないゴミですね」
キィィィィィィンッ!!!
ルミア様は一歩も動かず、ただ冷たい目を向けただけだった。彼女の目の前に展開された、厚さわずか数ミリの『光の障壁』。ガイルの渾身の一撃は、その薄い壁に触れた瞬間に、ガラスが砕けるような甲高い音を立てて——ミスリルの長剣のほうが、根元から粉々に砕け散った。
「な、に……? 国宝の、剣が……?」
「遅い、脆い、そして……臭い。アリスさんの美しい空気を汚さないでいただけますか」
ルミア様が軽く指を弾くと、ガイルの体は見えないハンマーで殴られたかのように、数十メートル先の森の入り口まで吹き飛んでいった。
「ガハッ……! あ、あぁ……」
「ひぃぃぃっ! ガイル!!」
リアが悲鳴を上げてガイルの元へ駆け寄る。全身を強く打ちつけ、地面を這いずるガイルの前に、ルミア様は優雅な足取りで近づいていった。その純白の法衣には、泥一つ、ホコリ一つ跳ねていない。
「これで分かったでしょう。アリスさんの魔法がなければ、あなた方は最弱のゴブリンにすら劣る存在です。そして、私から見れば、息を吹きかけるだけで消し飛ぶ塵芥に過ぎません」
「る、ルミア……た、頼む、許してくれ……! 俺が悪かった、俺が間違ってた! だから、ヒールを……! アリスにも謝るから、パーティーに……!」
ついに完全に心が折れたガイルは、プライドも何もかも投げ捨てて、地面に額を擦り付けながら命乞いを始めた。しかし、ルミア様の瞳に一切の慈悲は浮かばない。
「アリスさんに謝る? 汚らわしい。あなたのその卑しい口で、二度と彼女の名前を呼ばないでください。……これ以上、私のアリスさんの視界を汚すなら、今ここで『物理的』に消去しますが、どうしますか?」
ルミア様の右手から、周囲の空間が歪むほどの極大の光魔法が収束し始める。それは回復魔法などではない。かつて魔王軍の幹部を一撃で灰にしたという、伝説の攻撃魔法『天罰』の輝きだった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
「ご、ごめんなさい! もう二度と近づきません! だから殺さないでぇぇっ!!」
殺気——いや、本物の『殺意』に触れたガイルとリアは、ついに完全に発狂した。彼らは砕けた剣も、持ってきた荷車もすべて投げ捨て、泡を吹きながら、四つん這いになって王都の方角へと逃げ出していった。
二度と、冒険者として剣や杖を握ることはできないだろう。彼らの心には、永遠に消えない『完璧聖女の恐怖』が刻み込まれたのだから。
***
「……ふぅ。お見苦しいところをお見せしました、アリスさん」
二人の姿が完全に森の奥へ消えたのを確認すると、ルミア様はくるりと私の方を振り返った。そして、先ほどまでの絶対零度のプレッシャーが嘘のように、パァッと花が咲いたような、いつもの『完璧で慈愛に満ちた聖女の微笑み』を浮かべた。
「る、ルミア様……」
「アリスさん、怖かったですよね。私がもっと早くあのゴミどもを掃除していれば……。でも安心してください。もう二度と、誰にもあなたを傷つけさせませんから」
ルミア様は小走りで私に駆け寄ると、震える私の体を、壊れ物を扱うように優しく、けれど絶対に逃さない強さで抱きしめた。
「ルミアお姉ちゃん、すっごく怖かった……けど、すっごく強かった!!」
「ええ、ミオさんもよくアリスさんを庇いましたね。今日の働きは、特別に褒めてあげましょう」
「えへへっ!」ミオが私の腰に抱き着き、ルミア様が私の背中と頭を包み込む。先ほどの修羅場が嘘のように、甘くて温かいフローラルの香りが私を包み込んだ。
「ルミア様。……ありがとう、ございます」
私は、ルミア様の胸の中でそっと目を閉じた。私のために怒ってくれた。私のために、あんなに恐ろしい力を使って、かつての仲間だった人間を追い払ってくれた。
ルミア様の私に向ける感情が、ただの「友情」や「同情」などではなく、もっと重くて、深くて、仄暗い……執念のような愛情であることに、鈍感な私でもさすがに気づいていた。
でも、不思議と恐怖はなかった。むしろ、その重すぎる愛が、今はとても心地よかったのだ。
「ルミア様」
「はい、私のアリスさん」
「私……ルミア様に出会えて、辺境に来て、本当に良かったです」私が顔を上げてそう微笑むと、ルミア様は大きく息を呑み、その美しい頬を林檎のように真っ赤に染めた。
「あ、ああ……アリス、さん……っ!」
ルミア様の瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。彼女は私の手を両手で包み込み、そのままその場に崩れ落ちるように膝をついた。それはまるで、女神に祈りを捧げる熱狂的な信徒のような姿だった。
そして、彼女の口から、ずっと隠し持っていた『巨大な感情』が、ついに決壊の時を迎える。
「アリスさん。……聞いて、いただけますか。私が、ずっとあなたに伝えたかったことを」
ログハウスの前に、優しい風が吹き抜ける。私たちの長くて短い辺境での物語は、いよいよ最後の『誓い』の時を迎えようとしていた。




