第6章 暗渠の上の亡霊たち
街へ出ると、ケイは独特な歩き方をした。
ただ目的地へ向かうのではない。
路地の入り口で立ち止まり、坂道の傾斜を確認し、マンホールの蓋の種類をチェックしながら進むのだ。
「いいかミズハ。
都市には『暗渠のサイン』がある」
ケイは細い路地を指差した。
住宅街の中を、不自然に蛇行しながら続く細長い道。
「車が通れないほど細く、かつ蛇行している道。
これは元々、川だった可能性が高い。
家々の裏側を縫うように走っているのが特徴だ」
言われてみれば、その道は周囲の土地よりも僅かに低くなっている。
ミズハはその道に足を踏み入れた。
(――ああ、聞こえる)アスファルトの底から、微かな水音が響いてくる。
チャプ、チャプ、と。
まるで迷子の子供が泣いているような音。
「ここ、私の支流だった場所だわ。
名前は忘れたけど……よく子供たちがザリガニを捕っていた」
「今は『古川排水路』という味気ない名前で管理されている」
二人は暗渠の上を歩いた。
途中、銭湯の煙突が見えた。
コインランドリーやクリーニング店が多い。
ケイによれば、これらもかつての川沿いに多く見られる施設だという。
水を使う商売は、水辺に集まる習性があるのだ。
しばらく歩くと、周囲の景色が変わってきた。
平坦だった道が、急な上り坂に突き当たる。
「ここから先は**河岸段丘(RiverTerrace)**だ」
ケイが坂の上を仰ぎ見た。
階段状になった地形。
川が長い時間をかけて大地を削り、作り出した天然のテラス。
「下段はかつての氾濫原。
上段は武蔵野台地。
人間は安全な高台に住みたがるが、水は低い場所に集まる。
この境界線こそが、都市の中で最もドラマが生まれる場所だ」
坂を登り切ると、古い神社があった。
『水神宮』と彫られた石碑が、風雨にさらされて角が丸くなっている。
神社の裏手には、枯れた池があった。
かつてはここから水が湧き出し、眼下の街を潤していたのだろう。
だが今、そこにあるのは静寂だけではなかった。
「……臭うな」
ケイが鼻を鳴らした。
ミズハも顔をしかめる。
腐った卵のような臭い。
硫化水素の臭気だ。
「澱みね。
でも、先日のような暴れまわる気配じゃない。
もっと陰湿で……粘り気がある」
ミズハは神社の境内へと足を踏み入れた。
枯れた池の底。
泥と落ち葉が堆積したその中心から、黒い靄が立ち上っている。
「誰だ……誰だ……」
靄の中から、怨嗟の声が聞こえた。
ミズハは息を呑んだ。
それは、彼女がよく知る声に似ていたからだ。
「あなた……まさか、ヌシ?」
かつてこの湧水を守っていた、巨大な鯉の精霊。
ミズハの眷属の一人だったはずだ。
「水ヲ……水ヲ寄越セ……!」
黒い靄が凝縮し、巨大な魚の形をとった。
しかし、その体表は鱗ではなく、投棄された空き缶やビニール袋、ヘドロで構成されている。
「**ジェントリフィケーション(Gentrification)**の成れの果てか」
ケイが冷ややかに呟いた。
「は?」
「この辺りは最近、再開発でお洒落なカフェやマンションが増えた。
地価が上がり、古くからの住民が出ていき、土地の記憶が上書きされた。
祀る人を失った土地神が、ゴミを依り代にするしかなかったんだ」
ケイはタブレットを取り出し、素早く操作した。
「ミズハ、戦闘準備だ。
ただし今回は力押しじゃ勝てない。
相手は『枯渇』そのものだ。
水を吸い取られるぞ」
その言葉通り、泥の魚が口を開けると、周囲の空気が乾燥していくのを感じた。
境内の木々の葉が、一瞬で茶色く枯れていく。
「渇き……渇きヲ癒ヤセ……!」
泥魚が飛びかかってきた。
ミズハはとっさに水の盾を展開しようとしたが、出した端から水分が蒸発していく。
「きゃっ!?」
衝撃波に吹き飛ばされ、ミズハは石灯籠に背中を打ち付けた。
「ミズハ!」
「大丈夫……でも、魔法が効かない!吸われる!」
「当然だ、相手はスポンジみたいなもんだ。
水を与えれば与えるほど巨大化するぞ!」
「じゃあどうすればいいのよ!」
ケイは周囲を見回した。
神社の地形。
枯れた池。
その下にあるはずの地層。
彼の脳内で、GISデータと地質図が高速で結合される。
「……あるぞ。
一発逆転の水源が」
ケイは叫んだ。
「ミズハ、奴を引きつけろ!その間に僕が『道』を開く!」
「道!?どこに!」
「地下5メートルだ!ここには**被圧地下水(ConfinedGroundwater)**が眠っている!」




