第2章41話(エピローグ2) 煮込まれた熱、あるいは「ただいま」を言うための旅路
祭りの熱気が引いた世界樹の森は、以前よりも深く、穏やかな呼吸をしているように感じる。
エリシアも王都に帰り、ようやく少し落ち着いたようだ。 誰もいなくなった広場のベンチに座り、俺はぼんやりと夜空を見上げた。
本来、この留学の目的は「魔導技術の習得」と「魔樽の研究」だった。 静かに学び、技術を持ち帰り、北の領地を豊かにする。 それが当初の「最適解」だったはずだ。
だが、蓋を開けてみればどうだろう。 ニンジンを光らせ、ノームを社員化し、あまつさえ世界樹の下で大宴会を開いてしまった。 魔樽の研究も、まだ完成形には至っていない。
「効率」という観点で見れば、予定調和とは程遠い。 いつの間にかに、感情の思うまま、変な方向へ走り抜けた気がする。
……でも。
(リゼラ先生の言っていた『ごった煮』……か)
その言葉を、つい反芻してしまう。
冷たいまま混ざり合わない「サラダボウル」ではなく、熱を加えて味を染み込ませ合う「シチュー」。 その熱源になったのは、間違いなく、みんなの「感情(非合理な熱量)」だった。
レリア先生は、教師としての情熱を取り戻した。 リゼラ先生は、封印していた姉としての愛情を認めた。 ネーヴは、新しい師匠、そしてノーム50体という相棒、姉妹の絆を手に入れた。 そしてエルフたちは、「無関心」という殻を破り、隣人と笑い合うようになった。
――計算機では弾き出せない「幸福の総量」。 それが増えたのなら、このドタバタ劇も「大成功(黒字)」と言っていいはずだ。
それに、エリシア殿下が動いてくれたおかげで、エルフ評議会やドワーフ組合との間に、正式な「貿易ルート」も開通した。 俺の仕事は、彼らが動ける「場所」と「流れ」を作ることだった。 魔石の代わりはまだ未完成だが、それを作るための「最高のチーム」と「環境」は整った。
「……うん。上出来だ」
肩の上で、ちょん、と何かが突く感触がした。
「……痛いって、フワ。腹減ったのか?」
相棒の精霊――フワだ。 力を使い果たして眠っていたかと思えば、もう起きて俺の頬をくちばし(のようなもの)でペチペチと叩いている。 どうやら「魔力をよこせ」と催促しているらしい。
「はいはい。……ほら、これで満足か?」
俺は指先に少しだけ魔力を灯してやる。 フワは「ピィ!」と嬉しそうに鳴いて、それを啄んだ。 こいつも、最初は謎の羽根だったのに、ずいぶん逞しくなったものだ。
「……さて」
立ち上がる。 感傷に浸っている時間は、もうない。
今朝、リオの元に、魚人大陸から急使が届いたのだ。 『――父、急逝。至急戻れ』と。
リオの養父であり、俺にとっても育ての親である、あの頑強なオヤジさんが。 信じられない。だが、行かなくてはならない。 最後のお別れをするために。
「行こう、フワ」
フワが「ピィ」と鳴き、俺のポケットに潜り込む。
広場の隅には、すでに旅装を整えた二人が待っていた。
「……親父……なんでだよ……」
リオが膝を抱え、うなだれている。 いつもなら太陽のように明るい彼が、今は小さく震え、今にも壊れそうだ。
その隣に、ネーヴが静かに寄り添っていた。 彼女は無言で、自分の大切にしている工具箱の中から、一番きれいなナットを取り出すと、リオの手に握らせた。
「……リオ。泣くな」
いつもなら「うるさい」と言うだけの彼女が、今日は優しく、リオの背中をポンポンと叩いている。
「……親父は、強かった。 だから、リオも強くあれ。 ……私が、ついてる。アルも、ついてる」
たどたどしい、不器用な慰め。 でも、それは彼女なりの精一杯の愛情表現だった。 リオが顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでも微かに頷く。
「……うん。ありがとな、姉貴」
そんな二人の背中を見て、胸が熱くなった。 いいチームになったな、と。
「行こう、二人とも」
声をかける。 森の風が、背中を押してくれた気がした。
あの怪物が逃げた「海の方角」。そして、リオの故郷。 すべての因縁が、海へと繋がっている気がする。
さあ、新しい冒険なんていらない。 ただ、家族を送るために帰るんだ。 しめやかに、静かに送って、すぐにここへ戻ってくる。
……そう、願いたいけれど。
「行ってきます」
三人で肩を並べ、夜明け前の森を背に、海へと続く道を踏み出した。
俺たちが、本当の「ただいま」を言うための旅は、まだ終わらない。




