第2章40話 祭りのあと、あるいは「姉妹」と「本当のサラダボウル」
(視点:レリア/第3教室担任)
ザハル博士が倒れ、広場には一瞬、時が止まったような静寂が落ちた。 だが、それは絶望の静けさではない。 嵐が過ぎ去り、すべてを出し尽くした後の、張り詰めた糸が切れるような静寂だ。
「……生きてる。脈はあるわ!」
リゼラが叫び、震える手で父の口元の血を拭う。 彼女はすぐさま懐から数種類の薬瓶を取り出し、恐ろしい手際で調合して父に飲ませていく。
「ショック状態よ。魂の器がひび割れてる……! ネーヴ! 魔力供給! 『維持』に回して!」
「……ん。やる」
ネーヴが父の手を握り、自らの膨大な魔力を、細く、慎重に送り込む。 その横顔は、いつもの無表情ではない。 必死で、父親をこの世に繋ぎ止めようとする「娘」の顔だった。
やがて――ザハルの呼吸が、浅いけれど安定したリズムに変わる。
「……峠は越えたわ。 でも、いつ意識が戻るかは分からない。魂が削れすぎている」
リゼラが額の汗を拭い、その場にへたり込んだ。 彼女自身も、傷だらけでボロボロだ。
「……お姉ちゃん」
ネーヴが、父の手を握ったまま、リゼラを見上げる。 リゼラは一瞬、バツが悪そうに視線を逸らし――それから、乱暴にネーヴの頭を撫でた。
「……その呼び方、まだ慣れないわね。 でもまあ、今回だけは許してあげるわ。 おかえり、私の可愛い妹(失敗作)」
「……うん。ただいま、お姉ちゃん」
不器用な姉妹の再会。 その周りで、ガルドやアルたちが、安堵の息を漏らしているのが見えた。
■ 混ざり合う「味」
その時。 広場の隅で、リゼラたちを守るために立っていたエルフたちが、ふぅ、と長い息を吐き出した。
「……終わった、のか?」 「私たちが、守りきった……?」
彼らは自分の手を見つめ、隣にいるドワーフや獣人たちと顔を見合わせている。 記憶がないわけではない。 ただ、**「無気力だった自分たちが、こんなに熱くなって、誰かのために体を張れた」**という事実に、自分自身で驚き、震えているのだ。
「……頭にかかっていた霧が、完全に晴れたみたいだ」 「体が軽い……。それに、なんだか急に……」
彼らを10年間蝕んでいた「無気力」という重石が消え去り、張り詰めていた緊張が解けた瞬間。 代わりに湧き上がってきたのは――猛烈な、生き物としての欲求だった。
グゥゥゥ……。
誰かのお腹が、間の抜けた音を立てた。 それを合図に、あちこちでお腹の虫が鳴き始める。
「……お腹、空いたな」
その一言が、こわばっていた空気を完全に解いた。
「さあさあ! 悪霊退散のあとは腹ごしらえだ!」
屋台エリアから、リオとレムス(義手バーナー全開)の元気な声が響く。 大鍋で煮込まれていた「薬入りポタージュ」と、魚介のスープが、湯気を立てている。
「腹が減ってるだろ? 食ってけ食ってけ!」 「北の魚はうまいぞー!」
ゴブリンたちが皿を配り、獣人たちが椅子を勧める。 普段なら「魔物だ」「野蛮だ」と避けていたエルフたちが、今はもう躊躇わなかった。 だって、さっきまで背中を預け合って戦った「仲間」なのだから。
「……いただきます」
一人が一口すすり、目を見開いた。
「……温かい」
その一言が、最後の壁を壊した。
「私も!」「僕も!」 エルフ、ドワーフ、獣人、人間、ゴブリン。 種族ごちゃまぜの行列ができ、同じテーブルで肩を並べ、同じスープを啜る。
「……見て、レリア」
リゼラが、眠る父の髪を撫でながら、ふっと笑った。
「私の言った『サラダボウル』……間違いだったわね」
「え?」
「サラダは、冷たいまま混ぜるだけ。だから味が染み込まない。 でも、これは違う」
彼女は、湯気を立てる広場を指差した。
「それぞれの具材(種族)の形は残ったまま、 『危機』という熱で煮込まれて、互いに味を出し合って、一つのスープになってる。 ……これは、サラダじゃない。熱い『ごった煮』よ」
私は確信した。これが、アルの目指した世界だ。
■ 学園への「お土産」
その光景を見つめていたエリシア殿下が、そっと私の隣に来た。 胸元のペンダントは、役目を終えて静かに光を潜めているが、とても温かそうに見えた。
「レリア先生」
「はい、殿下」
「アル君の領地には、もっとたくさんの種族の子どもたちがいるそうです。 獣人の子も、それに……ゴブリンの子たちも」
エリシアは、スープを配って走り回るゴブリンたちを見て、優しく微笑んだ。
「あの子たちは、学ぶ場所を持っていません。 でも、ここなら……この『ごった煮』の学園なら、彼らも一緒に笑えるんじゃないでしょうか」
彼女は私に向き直り、真剣な瞳で言った。
「先生。 アル君の領地にいる子たちも、この学園に通いたいと言っているそうです。 ……受け入れて、いただけますか?」
ゴブリンに、獣人に、北の荒くれ者たち。 エルフの聖地であるこの学園に、そんな連中が押し寄せたらどうなるか。 ……考えるだけで頭が痛い。校舎の修繕費も、胃薬の量も倍増するだろう。
でも。
「……ふふっ」
私は思わず吹き出した。
「いいわね。望むところよ」
私は胸を張った。
「私はここの教師よ。 学びたいと願う生徒に、種族の壁なんて作らないわ。 ……北の子たちにも伝えておいて。 『いつでも来なさい。ただし、校則違反は厳しく指導するわよ』ってね」
エリシアが、パァッと花が咲くように笑った。
「はい! きっと、みんな喜びます!」
アルが、少し離れた場所でそれを聞いていて、 「先生、胃薬の経費請求書、先に作っておきますね」とニカっと笑った。
……まったく、手のかかる生徒たちだ。 でも、この騒がしさこそが、これからの世界樹学園の日常になるのだろう。
■ エピローグ:吟遊詩人の記録
こうして、前代未聞の「世界樹文化祭」は幕を閉じた。
後にこの出来事は、吟遊詩人セリナによって 『歌姫の祈りと、ドワーフの血と、野菜のスープが世界を救った夜』 として、少しだけ脚色され(野菜が光る部分は特に強調され)、大陸中に広まることになる。
世界樹の根元には、今日も種族の違う子供たちの笑い声が響いている。 それは、かつての静寂よりもずっと、森を生き生きと輝かせていた。
「……まったく、退屈しないわね」
私は騒がしい校庭を見下ろし、 冷めた紅茶を飲み干して、満足げに微笑んだ。
2章はいったんこちらでおしまいです。いかがでしたでしょうか?
コメント等、お待ちしています。
エピローグを明日公開予定です。 あと数章外伝も公開予定です。




