第2章39話 極上の火力、あるいは「呪い」を食らう鳥
(視点:リゼラ/特別研究棟主任)
熱い。 背中が焼けるように熱いのに、指先は氷のように冷たい。
視界が赤い霧に覆われている。 ああ、これは私の血か。 随分と派手にやられたものね。内臓がいくつか潰れた感覚がある。これじゃあ、自慢の再生薬も間に合わないかもしれない。
「……無駄デス。 弱者ガ群レタトコロデ、世界樹ノ『循環』ニハ勝テマセン」
頭上から、あの怪物の無機質な声が降ってくる。 ネーヴが私の手を握りしめて泣いているのが分かる。 バカね、逃げなさいよ。あんたは私の最高傑作なんだから、こんなところで壊れちゃダメなのよ。
怪物が、黒い刃を振り上げる気配がした。 終わりか。 ……まあ、悪くない最期だったわね。少なくとも、妹の前で姉らしいことはできた。
私は目を閉じた。 その時。
ガギィィィン!!
硬質な音が響き、衝撃が走った。でも、痛みはない。 目を開けると――そこには、見慣れた広い背中があった。
「……させねぇぞッ!!」
ドワーフの親方、トルノス。 彼が巨大なハンマーを掲げ、怪物の刃を受け止めていた。
「親方!?」
それだけじゃない。 私の周りに、次々と影が落ちる。
「先生を守れ!」 「この人は、俺たちの子供に飴を作ってくれたんだ!」 「『マッドサイエンティスト』なんて言わせない! あの子たちを救ってくれた恩人よ!」
ドワーフが盾になり、エルフが防御魔法を展開し、獣人が私とネーヴを安全な場所へ引きずっていく。 信じられなかった。 かつては「地下室の魔女」と恐れられ、石を投げられた私だ。 禁忌に手を染め、効率のために倫理を踏み躙ってきた私が。 今は、種族の壁を超えて、こんなにも必死に守られている。
「……なによ、これ」
喉の奥から、乾いた笑いがこぼれた。 視界が滲む。血のせいじゃない。涙だ。
「……私の実験、成功したみたいね。 ……あんなにバラバラだった連中が、こんなに『混ざり合って』……」
私が夢見た「ごった煮」の完成形が、ここにあった。 皮肉な話だわ。私が死にかけて初めて完成するなんて。
「王女ヨ。貴女モ同ジデス」
怪物が、標的を変える。 その視線が、ステージ袖のエリシアを捉えた。
「貴女ハ、歌ウタメダケノ『道具』。 我々ニ管理サレ、効率的ニ魔力ヲ供給スルコトダケガ、貴女ノ存在意義デス」
怪物が黒い波動を放つ。 また誰かが犠牲になる――そう思った瞬間。
「……いいえ」
凛とした声が、闇を切り裂いた。 エリシアだ。 あのお人形のようだった王女が、今は戦士のような目で立っている。
「私は、道具じゃない」
彼女は胸元のペンダント――緑色の宝石を強く握りしめた。
「私は、エリシア。 この人たちを……みんなが作ってくれた、この温かい場所を守りたいと願う、一人の人間よ!」
彼女が息を吸い込む。 その瞬間、世界中の大気が震えた気がした。
――〜〜♪
歌が、放たれた。 それは祈りでも、嘆きでもない。 「守る」という意志を込めた、物理的な圧力を持つ障壁。
カッ!!
緑色の衝撃波が広場を駆け抜け、怪物を直撃する。
「ガ、アアア……ッ!? 警告! 雑音、増大! 感情エネルギーガ……!」
怪物が頭を抱えてのけぞる。 凄まじい魔力密度。 私の計算を遥かに超えている。これが「感情」という不確定要素の力なのか。
「今だ! 畳み掛けろ!」
アルの声が響く。 でも、足りない。 あの怪物は再生する。中身の寄生虫を物理的に排除しない限り、終わらない。
そのための「毒」は――私の白衣のポケットにある。 でも、今の私には、指一本動かす力も残っていない。
「……くそっ」
歯噛みした時、私のポケットに小さな手が伸びた。 ネーヴだ。 彼女は私のポケットから、最後の一本――赤黒い血清の入った注射器を抜き取った。
「……ネーヴ?」
「……行ってくる」
彼女は涙を拭い、立ち上がった。 その顔は、もう怯えた子供じゃない。 私の妹として、そして一人の技術者として、覚悟を決めた顔だった。
彼女は走り出す。 アルではなく、前線で水魔法を構えているリオの元へ。
「……リオ! 手、出して!」
「ネーヴ!?」
「……お姉ちゃん(リゼラ)が、みんなのために作った薬。 これ、あいつの毒。 ……リオなら、届く!」
託された。 私の執念と、ネーヴの「抗体」。 二人の姉妹が作った、最後の切り札。
「……へっ、任せとけ! 姉貴の仇討ちだ!」
リオが吼える。 水流加速。魚人の瞬発力を限界まで乗せた特攻。 アルが道を開け、ガルドが腕をこじ開ける。
そして――
ドスッ!!
リオの一撃が、怪物の心臓部を貫いた。 私が精製した全量の血清が、その体内へ叩き込まれる。
「ガ、アアアア……!? 異物、検知! コ、コレハ……『拒絶』ノ意志……!?」
怪物がのたうち回る。 見ていなさい、お父様。 これが、あなたが「失敗作」と呼んだ娘からの、精一杯の親孝行(返品)よ。
「器、崩壊。制御不能……! ……損切リ、シマス! 撤退ッ!」
バシュッ!!
背中が裂け、黒い結晶体が飛び出した。 それはお父様の肉体を捨て、逃げるように空へ急上昇し――海の向こうへと消えていった。
「……逃げた、か」
私は安堵の息を吐き、そのまま意識を手放しかけた。 だが、まだ眠るわけにはいかない。
視線の先。 泥が抜け落ち、本来の痩せ細った姿に戻った父が、倒れている。
「……お父様!」
這うようにして近づき、抱き起こす。 軽い。恐ろしく軽い。 長年の寄生で、生命力のすべてを吸い尽くされていたのだ。
父が、うっすらと目を開けた。 その瞳には、もう狂気の色はない。 あるのは、疲れ切った、懐かしい父の色だけだ。
「……リゼラ。……ネーヴ」
掠れた声。 父は、震える手で私たちを見つめた。
「……すまなかった。……お前たちは、私の……自慢の……」
震える指先が、ネーヴの頬に触れようとした。 その時。
ゴフッ!!
父の口から、大量の鮮血が噴き出した。 体がビクリと跳ね、白目をむく。
「きゃあぁッ!?」 「……父さん!?」
拒絶反応だ。 寄生虫を追い出すための劇薬に、弱りきった体が耐えられなかったのだ。 分かっていた。こうなる可能性が高いことは、計算済みだった。 それでも――。
「……死なせない。死なせてたまるもんですか!」
私は残った魔力を振り絞り、応急処置の魔法を編む。 でも、魔力が足りない。指が動かない。
「……ネーヴ! 魔力を!」
「……ん!」
ネーヴが私の背中に手を当て、魔力を流し込んでくる。 温かい。 これが、家族の体温。
父の手が、だらりと落ちる。 呼吸が浅くなる。 でも、止まってはいない。微かに、けれど確かに、命の灯火は残っている。
歌が止まる。 広場に、重い静寂が戻った。
私たちは勝った。 黒い悪夢は追い払った。 けれど――その代償として、父は深い、深い眠りについた。
私は父の痩せた体を抱きしめ、 空っぽになった注射器を見つめた。
これが、私の選んだ結末。 後悔はない。 だって、この人はまだ生きている。 いつか目を覚ますその日まで、今度は私が守ってみせる。
「……おやすみなさい、お父様」
私は血に濡れた手で、父の瞼をそっと閉じた。
次回でラストです。公開は明後日になります。




