表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/97

第2章37話 星と森の歌会、あるいは「父」という名の悪意

(視点:レリア/第3教室担任)


 私が開始を宣言すると同時に、会場の照明(魔導ランプ)が落ちた。  夕闇に沈む森の中、ステージだけが淡い月光のような明かりに照らされる。


 静寂。  固唾を飲んで見守る数千の視線の中、純白のドレスを纏ったエリシア殿下が、一歩前に進み出た。


 彼女は一度だけ深く息を吸い込み――そして、歌い始めた。


 ――〜〜♪


 伴奏はない。アカペラだ。  その第一声が響いた瞬間、ざわついていた森の空気が、ピタリと止まった。


 透き通るようなソプラノ。  けれど、それはただ綺麗なだけの歌声ではなかった。  寂しさ、痛み、そして誰かを想う温かさ。  言葉の壁を超えて、聞く者の魂を直接撫でるような、不思議な波動。


 一曲目。『森の鎮魂歌レクイエム』。


 かつてこの森で失われた命や、凍りついてしまった心に捧げる歌だ。


「……あ」


 最前列にいたエルフの老女が、口元を押さえた。  その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


 それを合図にしたかのように、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえ始めた。  無関心を装っていた学生たちも、頑なだった大人たちも。  彼らが心の奥底に封じ込めていた「感情」の蓋が、歌声という鍵によって、静かに開けられていく。


 アルが、舞台袖でじっと彼女を見つめている。  その横顔は、誇らしげで、どこか安心したように見えた。


 やがて、最後のフレーズが森に溶けるように消え――  長い、長い余韻のあと。


 パチ、パチ、パチ……。


 誰からともなく拍手が起こり、それは瞬く間に会場全体を包む喝采となった。  冷たいまま混ざらない「サラダボウル」だった会場に、ようやく、人々の涙という名のドレッシングが染み渡っていくようだ。


「……ありがとうございます」


 エリシアは深く一礼し、顔を上げた。  その瞳には、迷いを断ち切った王女の光が宿っている。


「さあ、続いて第二曲です!」


 彼女は笑顔で告げ、合図を送った。  ネーヴたちが操作する伴奏用魔導具が、軽快なリズムを刻み始める。


 第二曲。『多種族の協奏曲コンチェルト』。


 今度の歌声は、先ほどまでの悲しい鎮魂歌ではない。  足を踏みならしたくなるような、躍動的なメロディ。  それはまるで、複雑に絡み合った食材が、熱い鍋の中で踊り出すような音色。


 会場に居た全ての者が、そのリズムに呼応する。  エルフたちは、隣に座る獣人たちの汗の匂いを気にせず、リズムに合わせて足を揺らす。  ドワーフは、ゴブリンが配った「歌うニンジン」のスープを啜り、無意識に「うまい」と唸る。


 ――種族という個性を溶かすことなく、ただ互いの存在を肯定し合う、非合理な空間。


 それが、エリシアの歌の力だった。  アルが目指した「ごった煮」は、今、その香りを会場全体に広げようとしていた。


「もうすぐだ……。この歌が、全てを繋ぐ……」


 私はそう確信した。  そして、その確信が、最も忌まわしいものを呼び寄せたのだ。


 ズズズズズ……ッ!!


 世界樹そのものが悲鳴を上げているような轟音が、広場を揺さぶった。


「キャアアアアッ!?」 「なんだ!? 地震か!?」


 地面が割れ、世界樹の太い根の隙間から、ドス黒い泥のようなものが噴き出した。


 リゼラは、先ほどまでの感動の涙を乾かし、その黒い泥を凝視した。


 黒泥が凝固し、人の形を成していく。  それは白衣を纏っているが、背中からは禍々しい黒い管が無数に伸び、皮膚の下では銀色の虫が蠢いている。


(違う。これはランダムな怪物じゃない。誰かが意図して設計した『器』の形だ――)


 リゼラの科学者としての冷静な思考が、極限状態で働き始めた。


「……その白衣。あの研究棟で着ていたものだわ」


 怪物の首筋とこめかみに、不気味な紋様が浮かび上がっている。  そして、その顔貌。  エルフ特有の優美さを歪ませた、あの狂気的な目元。


「その管の配置……ネーヴの身体に接続されていた、あの**『強制魔力注入ブースト機構』**と完全に一致する!」


 リゼラが息を呑む。  彼女の脳裏に、父ザハルが遺した血文字のノートの記述がフラッシュバックした。


 (まさか、お父様は……『空の捕食者』に身体を明け渡して、自らこの“器”になったの!?)


「……嘘でしょ。  お父様……? ザハルなの!?」


 怪物は顔を上げた。  その瞳に知性はなく、ただ冷徹な「殺意めいれい」だけを宿していた。


「標的、確認。……『抗体ネーヴ』ヲ、破壊シマス」


 怪物の背中から、黒い触手が槍のように射出された。  狙いは――機材席にいるネーヴだ。


「ネーヴ!!」


 私が叫ぶより速く、鋼鉄の影が動いた。


 ガキィィィィン!!


 ステージ袖から飛び出してきたガルドが、義足の踵で触手を蹴り落とした。


「へっ! 遅ぇんだよ、木偶の坊!」


 ガルドの背後では、ムササビ部隊がネーヴの周りに防衛線を張り、ドワーフの工兵隊がハンマーを構えて壁を作る。  そして、エルフたちも逃げずに魔術で障壁を展開し、他種族たちを援護し始めた。  危機という熱で、会場は一つの**「ごった煮」**になったのだ。


 だが、怪物は止まらない。  世界樹の根から魔力を吸い上げ、切られた触手を瞬時に再生させる。


「……あ、あ……」


 ネーヴが、震えながら立ち上がった。  封印されていた記憶が、目の前の「父の姿」によってこじ開けられたのだ。


「お、とう……さん?  私……実験……ううん、逃がされた……?」


 ネーヴがふらりと前に出る。  彼女にとって、ザハルは狂気の実験者であり、同時に自分を逃がしてくれた唯一の肉親。  その矛盾が、彼女の足をすくませた。


 怪物が、無慈悲に腕を振り上げた。  巨大な爪が、ネーヴの頭上に迫る。


「対象、処理シマ――」


 ドスッ!!


 肉を貫く音がした。  ネーヴではない。


 彼女の前に飛び出し、その身で爪を受け止めたのは――


「……っぐぅ……!」


 リゼラだった。


「……おねえ、ちゃん?」


 ネーヴの声が震える。  リゼラは腹部から赤い血を滴らせながら、それでもニヤリと笑った。いつもの、皮肉屋の顔で。


「……バカ妹。  ボサッとしてんじゃないわよ。あんたは『希望(抗体)』なんでしょ……?  父さんが命がけで守った『未来』が……こんなところで、壊れてんじゃないわよ……!」


 リゼラが崩れ落ちる。  その瞬間、ネーヴの喉から、魂の叫びがほとばしった。


「――おねえちゃあああああんッ!!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ