第2章37話 星と森の歌会、あるいは「父」という名の悪意
(視点:レリア/第3教室担任)
私が開始を宣言すると同時に、会場の照明(魔導ランプ)が落ちた。 夕闇に沈む森の中、ステージだけが淡い月光のような明かりに照らされる。
静寂。 固唾を飲んで見守る数千の視線の中、純白のドレスを纏ったエリシア殿下が、一歩前に進み出た。
彼女は一度だけ深く息を吸い込み――そして、歌い始めた。
――〜〜♪
伴奏はない。アカペラだ。 その第一声が響いた瞬間、ざわついていた森の空気が、ピタリと止まった。
透き通るようなソプラノ。 けれど、それはただ綺麗なだけの歌声ではなかった。 寂しさ、痛み、そして誰かを想う温かさ。 言葉の壁を超えて、聞く者の魂を直接撫でるような、不思議な波動。
一曲目。『森の鎮魂歌』。
かつてこの森で失われた命や、凍りついてしまった心に捧げる歌だ。
「……あ」
最前列にいたエルフの老女が、口元を押さえた。 その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
それを合図にしたかのように、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえ始めた。 無関心を装っていた学生たちも、頑なだった大人たちも。 彼らが心の奥底に封じ込めていた「感情」の蓋が、歌声という鍵によって、静かに開けられていく。
アルが、舞台袖でじっと彼女を見つめている。 その横顔は、誇らしげで、どこか安心したように見えた。
やがて、最後のフレーズが森に溶けるように消え―― 長い、長い余韻のあと。
パチ、パチ、パチ……。
誰からともなく拍手が起こり、それは瞬く間に会場全体を包む喝采となった。 冷たいまま混ざらない「サラダボウル」だった会場に、ようやく、人々の涙という名のドレッシングが染み渡っていくようだ。
「……ありがとうございます」
エリシアは深く一礼し、顔を上げた。 その瞳には、迷いを断ち切った王女の光が宿っている。
「さあ、続いて第二曲です!」
彼女は笑顔で告げ、合図を送った。 ネーヴたちが操作する伴奏用魔導具が、軽快なリズムを刻み始める。
第二曲。『多種族の協奏曲』。
今度の歌声は、先ほどまでの悲しい鎮魂歌ではない。 足を踏みならしたくなるような、躍動的なメロディ。 それはまるで、複雑に絡み合った食材が、熱い鍋の中で踊り出すような音色。
会場に居た全ての者が、そのリズムに呼応する。 エルフたちは、隣に座る獣人たちの汗の匂いを気にせず、リズムに合わせて足を揺らす。 ドワーフは、ゴブリンが配った「歌うニンジン」のスープを啜り、無意識に「うまい」と唸る。
――種族という個性を溶かすことなく、ただ互いの存在を肯定し合う、非合理な空間。
それが、エリシアの歌の力だった。 アルが目指した「ごった煮」は、今、その香りを会場全体に広げようとしていた。
「もうすぐだ……。この歌が、全てを繋ぐ……」
私はそう確信した。 そして、その確信が、最も忌まわしいものを呼び寄せたのだ。
ズズズズズ……ッ!!
世界樹そのものが悲鳴を上げているような轟音が、広場を揺さぶった。
「キャアアアアッ!?」 「なんだ!? 地震か!?」
地面が割れ、世界樹の太い根の隙間から、ドス黒い泥のようなものが噴き出した。
リゼラは、先ほどまでの感動の涙を乾かし、その黒い泥を凝視した。
黒泥が凝固し、人の形を成していく。 それは白衣を纏っているが、背中からは禍々しい黒い管が無数に伸び、皮膚の下では銀色の虫が蠢いている。
(違う。これはランダムな怪物じゃない。誰かが意図して設計した『器』の形だ――)
リゼラの科学者としての冷静な思考が、極限状態で働き始めた。
「……その白衣。あの研究棟で着ていたものだわ」
怪物の首筋とこめかみに、不気味な紋様が浮かび上がっている。 そして、その顔貌。 エルフ特有の優美さを歪ませた、あの狂気的な目元。
「その管の配置……ネーヴの身体に接続されていた、あの**『強制魔力注入機構』**と完全に一致する!」
リゼラが息を呑む。 彼女の脳裏に、父ザハルが遺した血文字のノートの記述がフラッシュバックした。
(まさか、お父様は……『空の捕食者』に身体を明け渡して、自らこの“器”になったの!?)
「……嘘でしょ。 お父様……? ザハルなの!?」
怪物は顔を上げた。 その瞳に知性はなく、ただ冷徹な「殺意」だけを宿していた。
「標的、確認。……『抗体』ヲ、破壊シマス」
怪物の背中から、黒い触手が槍のように射出された。 狙いは――機材席にいるネーヴだ。
「ネーヴ!!」
私が叫ぶより速く、鋼鉄の影が動いた。
ガキィィィィン!!
ステージ袖から飛び出してきたガルドが、義足の踵で触手を蹴り落とした。
「へっ! 遅ぇんだよ、木偶の坊!」
ガルドの背後では、ムササビ部隊がネーヴの周りに防衛線を張り、ドワーフの工兵隊がハンマーを構えて壁を作る。 そして、エルフたちも逃げずに魔術で障壁を展開し、他種族たちを援護し始めた。 危機という熱で、会場は一つの**「ごった煮」**になったのだ。
だが、怪物は止まらない。 世界樹の根から魔力を吸い上げ、切られた触手を瞬時に再生させる。
「……あ、あ……」
ネーヴが、震えながら立ち上がった。 封印されていた記憶が、目の前の「父の姿」によってこじ開けられたのだ。
「お、とう……さん? 私……実験……ううん、逃がされた……?」
ネーヴがふらりと前に出る。 彼女にとって、ザハルは狂気の実験者であり、同時に自分を逃がしてくれた唯一の肉親。 その矛盾が、彼女の足をすくませた。
怪物が、無慈悲に腕を振り上げた。 巨大な爪が、ネーヴの頭上に迫る。
「対象、処理シマ――」
ドスッ!!
肉を貫く音がした。 ネーヴではない。
彼女の前に飛び出し、その身で爪を受け止めたのは――
「……っぐぅ……!」
リゼラだった。
「……おねえ、ちゃん?」
ネーヴの声が震える。 リゼラは腹部から赤い血を滴らせながら、それでもニヤリと笑った。いつもの、皮肉屋の顔で。
「……バカ妹。 ボサッとしてんじゃないわよ。あんたは『希望(抗体)』なんでしょ……? 父さんが命がけで守った『未来』が……こんなところで、壊れてんじゃないわよ……!」
リゼラが崩れ落ちる。 その瞬間、ネーヴの喉から、魂の叫びがほとばしった。
「――おねえちゃあああああんッ!!!」




