第2章 第35話 冷めたサラダボウル、あるいは「魔菜屋台」の小さな奇跡
「……はぁ。まだ、理想の『ごちゃまぜ』には、まだ遠いのね」
文化祭の開催を来週に控えた、ある日の放課後。 私は腕組みをして、ほぼ完成に近づいた会場を見渡しながら、深いため息をついた。
この一ヶ月、世界樹学園は激動だった。 ネーヴとノーム部隊、そしてドワーフの工兵隊が突貫工事を行い、世界樹の根元には巨大なステージと無数の屋台骨組みが立ち並んでいる。 物理的な準備は、順調そのものだ。
だが――
「綺麗に分かれてるわねぇ。水と油みたいに」
隣でリゼラが、試験管を振りながら皮肉っぽく笑った。
広場の東側エリアは、ドワーフたち。彼らはこの一ヶ月、黙々と鉄骨を組み続けたが、休憩時間もドワーフだけで固まり、他の種族を寄せ付けない。 西側エリアは、エルフの生徒たち。優雅に飾り付けの準備をしているが、視線は決して他種族と交わらない。
そして南側。 北の領地・第一陣(ゴブリンと獣人)のエリアだ。 彼らもまた、オルガン船長に連れられてきてからずっと、肩身の狭い思いをしながら準備を進めていた。
獣人一座が曲芸の練習をし、ゴブリンたちが資材を運んでいるが―― エルフたちは遠巻きに「野蛮ね」「魔物がいるわ」と囁いて、決して近づこうとしない。
「……アルが言っていた『サラダボウル』って、こういうこと?」
「ある意味、正解じゃない? トマトはトマト、レタスはレタス。 **『同じ皿に乗ってるけど、味は混ざってない』**状態よ」
リゼラの言葉が痛い。 一ヶ月もあったのだ。少しは交流が生まれてもよかったはずだ。 けれど、場所を共有したくらいじゃ、心の壁は壊れなかった。 それぞれが自分のコミュニティで固まって、互いに干渉しないようにしているだけだ。
「……残念ね」
私は、少しだけ期待していた自分を戒めた。 祭りをやれば、魔法みたいに仲良くなれるなんて、そんな都合のいい話はないのだ。
■ 悲鳴と、魔菜の暴走
そんな閉塞感を破ったのは、広場の中央からの悲鳴だった。
「ギャアアアアアアアアア!!」
マンドラゴラ・ニンジンの絶叫だ。 見れば、ネーヴとアルが準備していた「魔菜の実演販売ブース」で、トラブルが起きていた。
「抑えろ! カボチャが逃げるぞ!」 アルが叫んでいる。
一ヶ月かけて丹精込めて(魔改造して)育てた新商品、「ジャコランタン・カボチャ」が青白い炎を吹きながら転がり回り、歌う大根が低音で唸り、マンドレイク・リンゴが高笑いしている。 ネーヴ一人では手が足りない。 ノームたちも、暴れる野菜に弾き飛ばされている。
「……あちゃー。野菜の反乱ね。出荷拒否かしら」 リゼラが面白そうに見ている。
誰も助けに行かないだろう。 エルフは汚れるのを嫌うし、ドワーフは野菜に興味がない。 そう思った、その時だった。
「――おい! 手を貸せ!」
アルが叫んだ。誰にともなく、必死の形相で。
「こいつら、来週の主役なんだ! 逃がすわけにはいかない!」
その声に反応したのは――この一ヶ月、ずっと隅っこで小さくなっていたゴブリンたちだった。
「……ハコブ、トクイ!」 ゴブリンの一人が、運んでいた荷物を放り出して駆け出した。 ガシッ! と暴れるカボチャを押さえ込む。
「今だ! 縛るぞ!」 「紐がない!」
すると、近くで飾り付けをしていたエルフの女子生徒が、とっさに手元のリボンを投げた。 「つ、使いなさいよ!」
「サンキュ! ……でも、結ぶのが間に合わない!」
今度は、鉄骨を組んでいたドワーフの少年が飛び出してきた。 「貸せ! 結束なら俺たちの専門だ!」 彼が器用な手つきで、暴れる野菜を一瞬で縛り上げる。
さらに、獣人の軽業師が、高いところへ逃げたリンゴをヒョイと捕まえて降りてきた。
「……捕獲完了!」
■ 混ざり合う瞬間
騒動が収まった後。 カボチャを押さえ込んでいたゴブリンと、リボンを投げたエルフと、結束したドワーフが、肩で息をしながら顔を見合わせていた。
「……ふぅ。危なかったな」 ドワーフが汗を拭う。
「……アリガト。リボン、タスカッタ」 ゴブリンが、エルフにお辞儀をする。
エルフの少女は、一瞬ビクッとしたが、 泥だらけのゴブリンを見て、小さく、でもはっきりと答えた。
「……どういたしまして。 そのカボチャ、飾り付けに使ってもいい?」
「オウ! イイゾ!」
その光景を見て、私はハッとした。
混ざった。 一ヶ月間、分厚い壁があったのに。 「仲良くしよう」なんてお題目じゃなく、「トラブル」という共通の敵を前にして、必要に迫られて。 でも、その結果――彼らは今、同じ目線で笑い合っている。
「……先生」
いつの間にか、アルが私の隣に来ていた。 服は泥だらけ、髪にはニンジンの葉っぱがついている。
「まだまだ、ですね」
彼は、分断されたままの広場を見渡して、苦笑した。
「サラダボウルには程遠い。 具材が勝手に転がってるだけの、準備中の台所です」
でも、と彼は続けた。 あの中央の屋台――種族ごちゃまぜでカボチャを運んでいる一団を指差して。
「ドレッシングは、かかり始めましたよ」
その言葉に、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……そうね」
まだ、始まったばかりだ。 この一ヶ月の停滞は、きっとこの瞬間のための「溜め」だったのかもしれない。
「リゼラ。胃薬、まだ要るかしら?」
「さあね。 でも、食欲は湧いてきたんじゃない?」
リゼラが顎でしゃくった先では、 魚人が焼いた魚をドワーフが齧り、 エルフが淹れたお茶を獣人が飲んでいる。
少しずつ。本当に少しずつだけど。 味が、染み出し始めている。
「さあ、来週はいよいよ本番よ!」
私は手を叩いた。
「明日には、オルガンの蒸気船が戻ってくる。 **『最高の歌姫』**を連れてね。 ……舞台は整ったわ。あとは役者が揃うのを待つだけよ!」
私の号令に、 「「「オオオオオッ!!!」」」 という、バラバラだけど力強い歓声が、夕暮れの空に響き渡った。
それは、完成されたハーモニーではないけれど、 これから始まる物語の、頼もしいチューニングの音に聞こえた。




