第2章 第32話 亡き父の血文字、あるいは「世界樹文化祭」の起案
(視点:リゼラ/特別研究棟主任)
午前三時。 地下特別研究室。 静寂の中、フラスコの中で液体が沸騰するコポコポという音だけが響いている。
「……素晴らしいわ」
私は試験管を光にかざし、恍惚としたため息をついた。 中身は、ルシアから採取させてもらった血液と、魔樽のエキスを反応させた試薬だ。
「ふふ、あの子のおかげで数年分の遅れを取り戻せそうよ。 お父様……あなたの狂った理論、もうすぐ追い越せるかもしれないわ」
楽しくて仕方がない。 知的好奇心が満たされる快感に、脳が痺れている。 ここ数日、カフェインとポーションで騙し騙し稼働させてきたけれど、眠気なんて感じない――はずだった。
ガタン。
不意に、視界が揺れた。 ペンを持った手が重い。急激な虚脱感が、鉛のように体を押し潰す。
「……あら。限界、かしら」
机には、父・ザハルが遺した古い研究ノートが広げられたままだ。 私は、自分の指先を見た。さっき採血したばかりの、私の血が入ったビーカーを持っている。
「これを……保管庫に……」
伸ばした手が、空を切る。 意識が、プツリと途切れた。
カシャン。
倒れる拍子に、ビーカーが傾く音を聞いた気がした。
■ 隠された遺言
冷たい。 頬に触れる液体の感触で、私は目を覚ました。
「……ん」
どうやら、机に突っ伏したまま数時間寝てしまったらしい。 慌てて体を起こすと、赤い液体――私の血が混じった試薬がこぼれ、父のノートを汚していた。
「最悪……! 貴重な資料が!」
私は急いで布を掴み、濡れたページを拭おうとした。 その時だった。
ジュワッ……。
微かな音がして、ノートに染み込んだ私の血液が、紙の繊維に吸い込まれるように消えた。 そして――
ボゥッ。
血液が触れたページから、赤い燐光が浮かび上がった。 文字だ。 今まで空白だったページに、隠されていた文字が、同族の血(娘の血)に反応して炙り出されていく。
「……な、に……これ?」
震える手でランプを近づける。 そこには、私が憎んでいた父・ザハルの、不器用すぎる本音が走り書きされていた。
『……リゼラ。お前を置いていくことを許してくれ。 お前は繊細すぎる。ハイエルフの血が濃く、回路が美しすぎる。 **“空の捕食者”**に連れて行かれれば、真っ先に精神を食い破られ、ただの“電池”にされるだろう』
息が止まる。 私へのメッセージ? あの日、私たちを捨てたあの人が?
『だから、置いていく。 “失敗作”として廃棄扱いにすることが、唯一、お前をあいつらの目から隠す方法だった』
「……うそ」
喉の奥から、ひきつった声が出た。 捨てられたんじゃなかった。守られていた? 私が、「失敗作」だと言われたのは……私を生かすため?
『そして、ネーヴ。 ……すまない。私はお前を連れて行く。 お前は、私の最高傑作であり、最後の希望だ』
『ドワーフの強靭な肉体と、ダークエルフの魔力適性。 その融合は、偶然にも**“対寄生体ワクチン”**としての特性を生んだ。 お前の肉体は、あいつらの浸食を拒絶する』
ワクチン。 あの無口で、不器用な妹が?
『……こんな父ですまない。 効率と研究のために魂を売った私だが、 最後に残った感情が“娘たちへの愛”だったとは。 ……まったく、非合理的で、笑える話だ』
最後のページには、走り書きの化学式が残されていた。 寄生体を焼き殺す毒の配列。未完成だが、理論値は出ている。
私はノートを閉じた。 涙は出なかった。ただ、胸の奥に重たい塊が落ちた気がした。
「……許せるかどうかは、正直よく分からないわ」
私は独りごちた。 だって、あんなに酷い捨てられ方をしたのだ。 「愛ゆえの行動でした」と言われて、はいそうですかと抱きしめられるほど、私は聖人じゃない。
でも――
「分かるのよ。……痛いほど」
研究に没頭し、周りが見えなくなり、不器用な「正解」を選んでしまうその思考回路。 非合理的だと笑いながら、娘を守るために計算式を歪めたその矛盾。
だって私自身が、その血を引く「研究大好きっ子」なのだから。
「……バカなお父様。 あなたのその不器用さごと、私が引き継いでやるわよ」
私はノートを白衣のポケットに深くねじ込んだ。 これは誰にも見せない。 私と父だけの、秘密の通信だ。
私はフラスコを掴み、夜明けまで試薬の調合に没頭した。
◇ ◇ ◇
翌日の放課後。 私はレリア、セリナ、アルを参謀室(という名のレリアの私室)に招集した。
「……で? 深刻な顔してどうしたの、リゼラ」
レリアが紅茶を淹れながら尋ねる。 私は単刀直入に切り出した。
「エルフたちの無気力症の原因が判明したわ。 ……そして、特効薬の目処も立った」
全員の顔色が変わる。
「本当か!?」 アルが身を乗り出す。
「ええ。原因は、世界樹の根に紛れ込んだ寄生体よ。 そいつらが宿主の『感情』を食って、廃人に変えている」
「それで、薬は?」 セリナが問う。
私はテーブルの上に、一本の小瓶を置いた。 ドス黒く、泥のように濁った液体。
「……これが、試作品よ」
「うわ、色が……」 アルが顔をしかめる。
「実はこれ、4年前……私がヴェルトランを治療した時に使ったものと同じベースなの」
私は告白した。
「あの時は、原因(寄生虫)が特定できていなかったから、勘と理論だけで作った『劇薬』だった。 効果はあったわ。でも……」
「でも?」
「ヴェルトランが助かったのは、彼が**『超・高位精霊使い』**だったからよ。 彼は並のエルフの数十倍の魔力容量を持っていたから、薬のショックにも耐えられた。 ……それでも、一週間は寝込んでたけどね」
アルの顔色が青ざめる。
「じゃあ、今の弱り切った一般のエルフたちに、これを飲ませたら……?」
「ショック死するわ。 良くて精神崩壊。悪ければ、寄生虫と一緒に宿主も死ぬ」
沈黙が落ちる。 薬はある。だが、強すぎるのだ。
「でも、今は違う」
私は白衣のポケット(父のノートが入っている場所)を軽く叩いた。
「原因(寄生虫の構造)がハッキリ分かった今なら、改良ができる。 毒性を抑えて、一般人でも耐えられるレベルまで調整できるわ。 ……ただし」
私は小瓶をアルに差し出した。
「……ちょっと舐めてみて」
「え、俺ですか?」
アルはおそるおそる指先に一滴つけ、口に含んだ。
瞬間。
「ぶふぉっ!? ……うぇぇぇ、苦っ!! 渋っ!! 泥!?」
アルが悶絶し、テーブルに突っ伏した。 水、水をくれ、とのたうち回っている。
「……見ての通りよ」
私は肩をすくめた。
「毒性は抜けても、味は最悪のままなの。 良薬口に苦しとは言うけど、限度があるわ。 泥と雑巾と焦げたゴムを煮詰めたような味がする」
セリナが引きつった笑いを浮かべる。 「……表現だけで吐きそう」
「ただでさえ生きる気力がない『無気力組』のエルフたちに、 『これを飲めば治ります』ってこの激マズ汁を差し出しても、飲むわけがないでしょう?」
沈黙が落ちる。 確かに。 「どうでもいい」と思っている人間に、苦痛を伴う治療を強いるのは至難の業だ。
「……飲ませなきゃ意味がない。 でも、強引に口をこじ開けて流し込むわけにもいかない」
レリアが腕組みをして悩む。
「どうにかして、この『苦み』をごまかして、 彼らが自分から口にしたくなるような……そんな方法はないかしら」
重苦しい空気が流れる中、 復活したアルが、水を飲み干してニヤリと笑った。
「……ありますよ、先生。 苦い薬を、甘い『イベント』で包んでしまえばいいんです」
「イベント?」
「はい。 みんなで集まって、美味しい料理に混ぜて、楽しい雰囲気の中で摂取させる。 ……僕の故郷(日本)にあった、とっておきの行事を使いましょう」
アルの目が、悪戯っぽく輝く。
「先生。この世界樹の下で、**『文化祭』**をやりませんか?」
その提案が、 亡き父の遺した「苦い愛」を、 世界で一番「美味しい治療薬」に変えるための、最初の一歩だった。
年末ということで、早めの投稿にしました。




