第2章 第29話 酔いどれの説教、あるいは「空白の三ヶ月」の請求書
(視点:ルシア/魔族穏健派・留学生)
「……はっ!?」
店を出て、ドワーフ街の冷たい夜風を浴びた瞬間。 私の頭の中に漂っていた、ふわふわしたピンク色の霧が、一瞬で晴れ渡った。
と同時に、さっきまでの記憶が、鮮明すぎる解像度で蘇る。
『あるぅ……』 『寂しかったんですよぉ……』 『もう、どっか行かないでくださいね……』
アルの胸にダイブして、グリグリして、上目遣いで甘えた記憶。 尻尾まで巻き付けていた感触。
「…………ッ!!!」
カァァァッ!
魔力酔いとは違う種類の熱が、顔から火が出る勢いで吹き出した。 な、な、な、何をやってるんですか私は!? 将軍の娘としての矜持は!? 留学の目的は!? これじゃただの、彼氏に放置されて拗ねていた面倒くさい女じゃないですか!
「ルシア? 大丈夫? まだふらつく?」
隣でアルが心配そうに覗き込んでくる。 その無邪気な顔を見たら、恥ずかしさで死にそうになった。 と同時に――
**「この男が全部悪い」**という、八つ当たりに近い怒りが湧いてきた。
「……アル」
「は、はい?」
「さっきの店、説明がひどかったと思います」
私は歩き出しながら、早口でまくし立てた。 照れ隠しだ。分かっている。でも止まらない。
「“ここの料理は魔力効率がいい”って、普通、女の子相手に言う言葉ですか?」
「え、褒め言葉じゃ……」
「違います! せめて“美味しい”とか“雰囲気がいい”とかあるでしょう! いきなりスペックの話をするのは、デリカシーがなさすぎます!」
「ご、ごめん……」
アルがタジタジになっている。 石段を登りながら、私はさらに追い打ちをかけた。 この恥ずかしさを中和するには、彼を攻めるしかない。
「それに! 一番言いたいことは別です!」
■ 展望台での尋問
石段を登り切り、ドワーフ街を一望できる展望台に着いた。 街の明かりと、遠くの世界樹の輝きが綺麗だ。 ……でも、今の私には景色なんてどうでもいい。
私は手すりに背を預け、腕を組んでアルを睨みつけた。
「単刀直入に聞きます。 あなた、この三ヶ月間…… 私への手紙、一度でも書こうとしましたか?」
アルの目が泳いだ。
「あー……その、書こうとは、したんだ。何度も」
「書こうとしたけど、書かなかった?」
「いや、研究が忙しくて……魔樽の調整で工房に泊まり込みで…… ドワルガ先生への報告書と一緒に、近況は伝わってるかと……」
「**“つもり”**で済ませないでください!」
私は一歩詰め寄った。
「こっちは心配して……! 魔族領から手紙を出すのがどれだけ大変か知ってるんですか!? 検閲を潜り抜けて、セリナさんのルートに乗せて、毎月送ってたんですよ!? なのにあなたは、音沙汰なしで……いきなり『試飲に来てくれ』だなんて!」
「ご、ごめん! 本当に悪かった!」
アルが深々と頭を下げる。 その姿を見ていると、怒りよりも「寂しかった」という気持ちが溢れてきて、鼻の奥がツンとした。
「……生きてるかどうかすら、分からなかったんですから」
ぽつりと言うと、アルが顔を上げた。 その表情は、言い訳がましいものではなく、真剣で、少し痛ましげだった。
「悪かった。 ……言い訳にしかならないけど、中途半端な状態で連絡したくなかったんだ」
アルは、街の灯りを見つめた。
「“宿題”の答えが見つかるまでは、合わせる顔がないと思ってた。 ただの『元気だよ』なんて言葉じゃ、君の覚悟に見合わない気がして。 ……でも、それがルシアを不安にさせてたなら、俺の間違いだ。ごめん」
その横顔を見ていると、毒気が抜けていく。 この人は、こういう人だ。 一つのことに集中すると周りが見えなくなる。 でも、その根っこにはいつだって「誰かのため(私との約束)」がある。
「……はぁ」
私は大きなため息をついた。
「分かりました。今回は許します。 魔樽の出来栄えと、あのニンジンの味に免じて」
「本当か?」
「その代わり――条件があります」
私は指を一本立てた。
「次に三ヶ月以上返事を放置したら、 父も含めて正式な**苦情文(抗議書)**を送りつけます。 外交問題にしますからね?」
「ごめんなさい絶対に書きます」
食い気味に返事をするアルを見て、私はようやく小さく笑った。
■ 元ペアの距離感
風が吹く。 私は寒さを紛らわせるふりをして、アルの隣に立った。 その位置は、無意識に**“半歩左・半歩後ろ”**。 軍学校時代、ペアとして戦っていた時の定位置だ。
「……寒くない?」
アルが、当然のように聞いてくる。
「これくらい、北の大陸に比べれば春です」
「だよね」
何気ない会話。 でも、この距離感が心地いい。 三ヶ月の空白なんて、最初からなかったみたいに。
「……アル」
「ん?」
「魔樽……すごかったです。 三杯目も、今はまだキツいですけど、 あれがあれば“戦場の景色”が変わると思います」
私は真面目なトーンで言った。
「魔石切れで倒れる兵士も、飢える子供も減らせる。 あなたの作ったものは、間違いなく希望です」
アルは、照れくさそうに鼻をこすった。
「……そう言ってもらえると、徹夜した甲斐があったよ。 でも、まだ完成じゃない。 もっと効率よく、もっと安全に。 ルシアが毎日飲んでも平気なくらいに改良するから」
「期待してます」
私は、アルの袖をちょいと摘んだ。
「……あと、エリシア殿下にも。 ちゃんと手紙、書いてあげてくださいね」
「えっ」
「殿下も心配してましたから。 ……私だけ特別扱いされたら、それはそれで寝覚めが悪いですし」
アルは苦笑いして、「善処します」と敬礼した。
ドワーフ街の夜景を見下ろしながら、私は思う。
留学期間は一年。 その間に、この魔樽を完成させて、故郷へ持ち帰る。 そして――この鈍感な元相棒との関係も、少しは進展させたい。
(……まあ、前途多難そうですけど)
私はこっそりと、摘んだ袖を握り直した。 その温かさが、さっき飲んだ魔樽の熱のように、じんわりと体に染み渡っていった。




