第2章 第28話 ニンジンバーで、はじめての「同じごはん」
(視点:ルシア/魔族穏健派・留学生)
「ここ?」
ドワーフ街の路地を抜けた先。 アルが足を止めたのは、石造りのこじんまりとした店の前だった。 看板には、デフォルメされたウサギの絵と『Rabbit's Kitchen』の文字。
「ちょっと変わった店なんだけどさ」
アルは、いつもの落ち着いた声で、とんでもないことを言った。
「ここの料理、魔力効率(燃費)がいいんだ」
「……その説明から入るの、どうかと思いますよ?」
私は思わずツッコミを入れた。 普通、女の子を食事に誘うなら“雰囲気がいい”とか“美味しい”とかでしょう。 いきなりスペックの話をするのは、軍人か研究者くらいです。
アルは不思議そうに首をかしげた。
「え、褒め言葉じゃないの?」
「少なくとも、親睦を深める場では違います。色気ゼロです」
ため息をつきつつ、私は店の扉を見上げた。 胃のあたりが、きゅっと縮むのを感じる。
(……食事、ですか)
アルは、忘れてしまったのだろうか。 私にとって――魔族にとって、「人間の食事」がどういうものかを。
彼は気づいていたはずだ。 学食で私がいつもサラダをつつくだけで、実際には何も喉に通していないことを。 それなのに、なぜ?
私たちにとって、魔素を含まない普通の食べ物は、「食べ物」に見えない。 皿に乗ったパンは「乾いたスポンジ」、肉は「焼けたゴム」、野菜は「色のついた木切れ」。 視覚的にも、本能的にも、それを「口に入れるもの」として認識できないのだ。
無理して食べたこともある。人間社会に潜伏中、付き合いでどうしても断れなくて。 ……結果は、悲惨だった。 体が生理的に拒絶し、トイレに駆け込んで戻すしかなかった。
だから、魔石を握って魔力だけを吸う。 それが私たちの「食事」だ。 味気なくて、冷たくて、ただ生きるための補給作業。
『いつか、私もみんなと同じご飯を“ちゃんと”食べられたらいいのに』
昔、ぽろっとこぼした言葉が蘇る。 あれは、叶わないと分かっていたからこその、ただの愚痴だったはずなのに。
「……入ってみようか。 ダメなら、サラダをつつくふりだけでいいから」
アルがドアノブに手をかける。 ……あ、気を使わせちゃいましたね。 私は覚悟を決めて、その背中を追った。
キィ、と静かに扉が開く。
中は薄暗く、暖色のランプが灯っていた。 奥のカウンターで、長い耳がぴょこんと揺れる。
「いらっしゃいませ〜!」
出っ歯を見せて笑う、ウサギの獣人。 アルが旧領から連れてきたという、ニンジンのスペシャリストだ。
「アル君、今日は〜?」
「前に話してた“ニンジン好きの友達”を連れてきたよ。 いつものコースで」
「合点承知!」
ウサギ獣人が張り切って奥へ消える。 しばらくして――テーブルの上が、鮮やかなオレンジ色で埋め尽くされた。
一皿目。柑橘の香りが立ち上る、ニンジンマリネ。 二皿目。甘辛いタレで照り輝く、きんぴらニンジン。 グラスには、とろりとしたニンジンジュース。
「……徹底してますね」
見た目は、綺麗だ。 でも、私の目にはどう映るだろうか。 また「色のついた木切れ」に見えるのだろうか。
恐る恐る、皿を覗き込む。
「……あ」
声が漏れた。
見えたのだ。 それは「木切れ」じゃなかった。 内側からぼんやりと温かい光を放つ、**「魔力の塊」**に見えた。
(……これ、は)
「どうしたの? 顔色が悪い?」 アルが心配そうに覗き込んでくる。
「……いえ。ただ、驚いて」
私はフォークを手に取った。指先が少し震える。 マリネをひと切れ、刺す。 口元へ運ぶ。柑橘の香りと共に、濃厚な魔素の気配が鼻をくすぐる。
パクッ。
口に入れた瞬間――
じわぁ……
舌の上で、温かいものが溶け出した。 酸味と、甘み。そして何より、体の中の枯れた水路に染み込んでいく「熱」。
「……っ」
戻さない。気持ち悪くない。 それどころか、喉を通ったそばから、魔力回路が潤っていくのが分かる。
(……美味しい)
これが、味? これが、食事?
魔石を握って吸うだけの「冷たい補給」とは、次元が違う。 体の芯から満たされていく、圧倒的な幸福感。
「どう? 口に合う?」
アルの声に、ハッと顔を上げる。 彼は、私が「美味しい」と言うかどうかよりも、「食べられるかどうか」を、本気で心配していたのだ。
忘れていたわけじゃなかった。 この店を選んだ理由。 「魔力効率がいい」と言った意味。 それは全部――
**「魔族の私でも、拒絶反応を起こさずに食べられる料理」**を探してくれたからだ。
食べられなかった時の言い訳に、「効率の話」なんて無粋な言葉を用意して。
「……アル」
「ん?」
「あなた、やっぱり説明が下手すぎます」
私は目尻に浮かんだものを指先で拭って、精一杯の皮肉を言った。 でも、声は震えていたと思う。
「“魔力効率がいい”じゃなくて…… “これなら君も食べられると思うよ”って、そう言ってくれればよかったのに」
アルはきょとんとして、それから照れくさそうに頭をかいた。
「だって、もし食べられなかったらショックだろ? だから、あくまで『効率』の話ってことにしておけば、残しても言い訳が立つかなって」
「……バカ」
本当に、この男は。 どこまで合理的で、どこまで不器用な優しさを持っているんだろう。
私はきんぴらを口に運び、ジュースを一口飲んだ。 どれもこれも、温かくて、力が湧いてくる。
「……ちゃんと、魔力になります」
私は噛み締めるように言った。
「魔石を握ったときと同じ……ううん、それ以上に自然に、体に馴染みます。 これなら、生きていけます」
アルが、ほっと息を吐いて笑った。
「よかった」
その笑顔を見ながら、私は気づく。
今、私はアルと同じテーブルで、同じ料理を食べている。 「魔族だから」と隠れることもなく。 「人間だから」と遠慮することもなく。 ただの「食事」を、共に楽しんでいる。
(……あ。 私の言ったわがまま、叶っちゃいましたね)
『いつか、みんなと同じご飯を食べたい』。 そんな子供じみた願いを、この男は、3年越しの宿題として提出してみせたのだ。
私はグラスを掲げた。
「アル。乾杯しましょう」
「え、何に?」
「この……“変なニンジン”と、あなたの“変な気遣い”にです」
カチン、とグラスが鳴る。 オレンジ色の液体が揺れる。
魔石の代わりなんて言葉じゃ足りない。 これは、私たちが「隣り合って生きる」ための、最初の一皿だ。
店を出た後も、お腹の奥はずっと温かかった。 ドワーフ街の夜風が、心地よく頬を撫でていく。
「ごちそうさまでした」
隣を歩くアルに、私は小さく、でもはっきりと伝えた。 その言葉の意味が、鈍感な彼にどこまで届いているかは分からないけれど。 今はただ、この温かさを噛み締めていたかった。




