第2章 第24話 三年前の答え合わせ、あるいは「魔女」のほろ酔い実験
(視点:レリア/第3教室担任)
放課後の特別研究室。 薄暗い部屋の中、テーブルには濃度を変えた3つのグラスが怪しく光っている。 準備を終えたリゼラは、白衣を翻し、完全に「マッドサイエンティスト」の顔だ。
そこへ、ノックの音が響いた。 コン、コン。
「――入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
扉が開く。 そこには、制服姿のルシアが立っていた。
ただし、いつもの彼女ではない。 学園規定の幻術偽装を解いた、**「素顔」**のルシアだ。
透き通るような褐色の肌。宝石のような琥珀色の瞳。 艶やかな黒髪の間から伸びる、優美な二本の角。 そして背中には、畳まれた黒い皮膜の翼。
「……っ!?」
私は思わず息を呑んだ。 制服の上からでも分かる、その圧倒的な存在感。 細く引き締まったウエストとは対照的に、胸元や腰回りは女性らしく成熟し、魔族特有の妖艶なフェロモンを隠そうともしていない。
(……嘘でしょ。中身、こんなに育ってたの?)
普段の「真面目な委員長」風の姿からは想像もつかない。 隣に立つセリナ(歩く公然猥褻)と並んでも、全く引けを取らない迫力だ。 魔族の将軍の娘、恐るべし。
「お待たせしました。……アルは?」
ルシアが小首をかしげると、角につけた飾りがチリンと鳴る。 その仕草だけで妙に艶っぽい。
「廊下のベンチで待機中よ。『今日は彼女が主役だから』って」 セリナがニヤニヤしながら答える。
私はルシアに席を勧めた。 ……目のやり場に困るけど、いよいよ採点開始よ。
■ 試飲:厳しい現実
ルシアは席に着き、翼を畳んで居住まいを正した。 目の前のグラスを見つめる眼差しは、真剣そのものだ。
「……これが、魔樽の中身ですか」
「ええ。濃度を変えた三種類よ。 あなたの体で、どれくらい魔力に変換できるか確かめてほしいの」
ルシアは頷き、まずは一番薄いグラスを手に取った。 「……いただきます」
一口、口に含む。 彼女は目を閉じ、味と、体の中の反応を確かめるように沈黙した。
長い沈黙の後、彼女はグラスを置いた。
「……どう?」
私が恐る恐る聞くと、ルシアは研究者顔負けの冷静な分析を口にした。
「……熱は、感じます。 体の中に魔力が染み込んでくる感覚は、確かにあります。 でも――」
彼女は首を横に振った。
「薄いです。 魔石を直接吸った時の、ガツンとくる充足感がない。 効率で言えば……魔石の4分の1、良くて半分といったところでしょうか」
リゼラが悔しそうにペンを走らせる。 「……クソッ。やっぱり、樽での自然熟成だけじゃ変換ロスが出るか」
ルシアは、厳しい顔で続けた。
「これでは、『魔石の代わり』にはなりません。 非常食やおやつにはなりますが、これを主食にして生きていくのは不可能です。 ……軍用レーションとしても、まだ不合格です」
重い空気が流れる。 3年間の研究の成果は、「未完成」だった。
けれど、ルシアはそこで力強く顔を上げた。
「――だからこそ、私がここに来た意味があります」
「え?」
「完成していないなら、完成させればいい。 魔族の体の仕組みを知っている私と、あなたたちの技術があれば、この『ロス』を埋める方法が見つかるはずです」
彼女は私とリゼラを見据えた。
「だから、父(将軍)に留学を願い出ました。 完成品を受け取るためじゃなく、一緒に完成させるために」
私は思わず息を呑んだ。 この子は、最初からそのつもりだったのだ。 ただの「お客さん」ではなく、「共同研究者」としてここに来たのだ。
「……合格よ、ルシア。 あなた、いい研究者になれるわ」 リゼラが満足そうに笑った。
■ 魔力酔い(デレ)の暴発
「では、最後の一つを」
リゼラが差し出したのは、一番濃度の高い原液に近いグラスだ。
「……飲みます。アルが作った『全部』を受け止めたいですから」
ルシアは躊躇いなく、一気に飲み干した。
カッ!!
瞬間、彼女の顔が朱に染まる。 褐色の肌が、内側から発光するように赤らむ。魔力酔いだ。
「……っ、ふぅ……熱っ……」
ルシアがふらりと立ち上がる。 瞳がとろんと潤み、尻尾(幻術で隠していたものまで出てきた!)がゆらゆらと揺れている。
「ルシア!?」
止める間もなく、彼女は勢いよく扉を開けた。 廊下で待機していたアルが、驚いて立ち上がる。
「ル、ルシア!? 顔赤いぞ!?」
次の瞬間。 ルシアは、アルの胸倉をガシッと掴んだ。
「……あ、あるぅ……!」
「ひっ!? よ、酔ってる!?」
「うるさいです! 黙って聞きなさい!」
ルシアは潤んだ瞳でアルを睨み上げ、ポカポカと胸を叩いた。 豊満な胸元がアルの腕に押し付けられ、甘い魔力の香りが漂う。
「3ヶ月! 3ヶ月も手紙よこさないで! こっちがどれだけ心配したと思ってるんですか! バカ! アルのバカ! ニンジン頭!」
「ご、ごめん! 悪かったって!」
「謝って済むなら軍隊はいらないんです! 寂しかったんですよ! 心配したんですよ! ……うぅ、もう知らない……」
彼女はそのまま、アルの肩に額を押し付けた。 怒っているのに、しがみついている。 尻尾がアルの足に巻き付いている。 完全にデレが漏れ出している。
オロオロするアルを見かねて、部屋の中からセリナが出てきた。
「はーい、ストップストップ! 痴話喧嘩はそこまで〜」
セリナは二人の間に割って入り、パンと手を叩いた。
「アルくんが悪い。これは確定。有罪判決」 「うっ……」
「でもルシアちゃん、せっかく妖精大陸まで来たんだし、 このまま帰るのはもったいないでしょ?」
セリナはニヤリと笑い、アルの背中をバンと叩いた。
「アル! 罰として、次回来た時はルシアちゃんを**『妖精街』の観光案内**に連れて行きなさい! 一番美味しいお店と、一番景色のいい場所、全部回って機嫌直してもらうこと。 ……いいね?」
アルは必死に頷いた。 「は、はい! 任せてください! 死ぬ気でリサーチします!」
ルシアはアルの胸に顔を埋めたまま、チラリと上目遣いで彼を見た。
「……案内、ですか」
ルシアは小さく鼻をすすり、 とろんとした目で、アルを見つめた。
「……分かりました。 アルがそこまで言うなら、付き合ってあげます。 ……ただし、エスコートが下手だったら承知しませんからね」
言葉はツンとしているが、その声は甘く蕩けていた。 アルの服を掴む指先が、離れたくないと言っている。
■ 「ただいま」を言うための約束
しばらくして、酔いが少し冷めた頃。 ルシアは帰路につくことになった。今日は一度、魔族領へ戻らなければならない。
学園の正門前。夕焼けの中。
「……お騒がせしました」
ルシアは赤くなった顔を隠すように、少し俯いている。 アルが、気まずそうに頭をかいた。
「気をつけてな。……その、次は絶対に楽しませるから」
「期待しないで待ってます」
ルシアはそう言って、一歩、転移門の前へ下がった。
「行ってきます」
その言葉は、単なる「さようなら」ではなかった。 アルが、ハッとして顔を上げる。 彼にも伝わったのだろう。 その言葉に含まれた、**「帰ってくる場所はここだ」**という響きが。
ルシアは微笑んだ。 素顔の、角も翼も隠さない、ありのままの笑顔で。
「――ちゃんと、『ただいま』って言えるように」
転移の光が彼女を包む。 光が消えたあと、そこには温かい余韻だけが残っていた。
「……『ただいま』、か」
アルが噛み締めるように呟く。
「あいつ、良い言葉を知ってるな」
「そうね。 『ただいま』には、“自分の居場所はここだ”っていう意味があるんでしょう?」
私が言うと、アルは嬉しそうに笑った。
「はい。 世界で一番、温かい言葉です」
夕暮れの空。 三ヶ月の空白と、一杯の魔樽と、少女のデレが紡いだ「約束」。
彼女が次に帰ってきたとき、 この学園は、本当の意味で彼女の「家」になるのだろう。
私は、空になったグラスを掲げるような気分で、 まだ見ぬ再会の日に乾杯した。




