第2章 第23話 三年前の宿題、あるいは「大人たち」の回答
(視点:レリア/第3教室担任)
「レリア、ちょっとちょっと。すっごいの持ってきた」
放課後の職員室。 開口一番、セリナが興奮気味に入ってきた。手には封蝋で厳重に閉じられた封書。
机の上の書類(ドワーフたちの授業レポート)とにらめっこしていた私は、ペンを止めずに返した。
「“すっごい”の定義によるわ。新しい飲み屋のクーポンでも見つけたなら、あとにして」
「今日は飲み屋じゃなくて、国家レベルの爆弾だから安心して」
「一ミリも安心できないわよ」
セリナがテーブルの上に、封書をドンと置く。 見慣れない紋章。けれど、その魔力の質には覚えがある。 北の大陸――魔族領のものだ。
「……誰から?」
「魔族穏健派の筆頭、将軍閣下から」
私はペンを取り落とした。 カラン、と乾いた音が静かな部屋に響く。
「ほら、中、読んで? 宛先は『世界樹学園』になってるから」
嫌な予感しかしない。 私は観念して封を切った。 中には、丁寧だが力強い、武人らしい筆跡でこう書かれていた。
『娘ルシアに、貴学の研究する“魔樽”の試飲を許可願いたい。 詳細は、アル・エルンストに問われたし』
「…………は?」
素の声が漏れた。 表を見ても裏を見ても、書かれているのは同じ文だ。
「ね? “すっごい”でしょ?」 セリナは肘をつき、にこにことこちらを見ている。
「将軍直々の指名よ。 “自分の娘をそっちに留学させるから、開発中の魔力酒を飲ませてやってくれ”って。 レリア、時代変わったよねぇ?」
「軽くまとめないでちょうだい」
深く息を吐き、もう一度読み返す。 娘ルシア。魔樽の試飲。詳細はアルに聞け。
「……よりによって、将軍の娘に?」
「よりによって、だからこそ、だと思うけど?」
セリナが肩をすくめる。
「こっちはもう、ニンジンと飴と魔樽で、魔石以外ルートをだいぶこじ開けちゃってるわけじゃない? 向こうも本気で確認したいのよ。それが『毒』か『薬』か」
「……リゼラも呼んできて。 あなたと、私と、この件。一度整理しないと」
「はーい。ちゃんとお菓子も持ってくるね〜」
■ 三年前の点と線
「――で、その信書がこれね」
少しして、白衣姿のリゼラが現れた。 テーブルには三人分の茶と、小さな皿に焼き菓子。その真ん中に、問題の手紙。
「ふむ」 リゼラは一読して、短く息を吐いた。
「ついに、こう来たわけね」
「“ついに”?」
「アルが以前、ポロっと漏らしたことがあるのよ」
リゼラは記憶を手繰るように言った。
「『三年前、彼の領地から届いた最初のニンジンを、ドワルガの部屋で試食した子がいる』って」
――三年前。 アルがまだ13歳で、領地の復興が軌道に入ったばかりの頃だ。
「その子は魔族ってことをボカしていたけど、人間の食べ物が食べられなかった子がいたんだってさ。 でも、あのニンジンだけは食べられた。 そして言ったそうよ。 **『これは、魔石を奪わなくても生きていける可能性だ』**って」
私はハッとした。
「その子が……ルシア?」
「十中八九ね。 アルは名前を伏せていたけど、状況証拠が揃いすぎているわ」
セリナが補足する。
「当時、ルシアちゃんは身分を隠して軍学校に潜入してた。 アルくんとペアを組んでたのもその頃よ」
点と線が繋がる。 三年前、ドワルガの部屋でニンジンを齧った少女。 その一口が、アルの研究の原動力になり―― そして今、その少女が「魔樽」を確かめるために、名指しで要請を送ってきた。
「……あの子たちの間には、私たちも知らない“約束”があるのね」
私は天井を見上げた。 教師としてアルを見てきたつもりだったけれど、彼が背負っているものの重さは、想像以上だったようだ。
「セリナ。あなたの言ってた『宿題』って、これのこと?」
「そ。 アルくんが言ってたの。 『今はまだお菓子だけど、いつか食事(主食)に変える方法を見つける。 それが、僕とあの子の宿題です』って」
胸の奥が熱くなる。 ニンジンも、飴も、ノームも、魔樽も。 全部、その「三年前の宿題」を解くための過程だったのか。
■ 大人の仕事
「……参ったわね」
私は椅子の背にもたれた。
「これはもう、生徒の自由研究じゃないわ。 国と国、種族と種族の未来がかかった、外交案件よ」
「断る?」とリゼラ。
「断れないわよ。 ここで断ったら、穏健派の顔を潰すことになる。 何より――あの子たちの『宿題』を、大人の都合で破り捨てることになる」
私は信書を指で弾いた。
「受け入れるわ。 ただし、責任は私たちが持つ」
リゼラがニヤリと笑う。
「そう来なくちゃね。 実験の安全管理は私がやるわ。 魔樽の濃度調整、身体検査、万が一の解毒……全部準備しておく」
セリナが手を挙げる。
「私は影ギルドと将軍側の根回しね。 『これはあくまで学術的な共同研究です』って、外堀を埋めてくる」
「私は……担任として、アルとルシアに話をしましょう」
私は新しい便箋を取り出した。 将軍への返信だ。
『拝啓、将軍閣下。 お嬢様の留学および魔樽の試飲の件、承りました。
当学園は、学びを求める者に対して門戸を閉ざしません。 それが、たとえどのような立場の方であっても。
ただし――』
私はペンを走らせる。
『これは政治ではありません。教育です。 彼らが三年前から積み上げてきた“宿題”の答え合わせを、 私たち教師が、責任を持って見届けさせていただきます。』
「……かっこいい〜」 セリナが覗き込んで口笛を吹く。
「うるさい。これくらい言っておかないと、ナメられるでしょ」
封蝋を押し、私は立ち上がった。
「さあ、忙しくなるわよ。 アルとルシアの『答え合わせ』、最高の舞台を整えてあげなくちゃ」
リゼラとセリナが頷く。 三年前の小さな約束が、海を越えて、今ここで実を結ぼうとしている。 それを守るのが、今の私たちの「宿題」だ。
窓の外、世界樹の葉がざわめく。 それはまるで、来るべき嵐と、その後の晴れ間を予感しているようだった。




