第2章 第16話 東の匠、しぶしぶ一歩踏み出す
(視点:レリア/第3教室担任)
「レリアー! 見に来たよー! 今日はとびきりの大物釣れたよー!」
翌朝。 優雅に朝の紅茶(胃薬入り)を飲んでいた職員室に、セリナの能天気な声が響き渡った。
バーン!!
扉が悲鳴を上げて開く。
「……魚釣りじゃないんだから、静かに入りなさい」
私が呆れて顔を上げると、セリナの後ろに―― 扉の幅の半分を埋め尽くすような、巨大な肩幅の影があった。
煤けた革のエプロン。ごわごわの髭。 そして、この世の終わりのように不機嫌そうな顔。
東の匠、トルノスだ。
「……珍しいわね。工房の主が、山を降りてくるなんて」
「あぁ? ……セリナが勝手に引っ張ってきたんだよ」
「はいはい、素直じゃないねぇ。『怖くて一人じゃ来れなかったから付いてきてくれ』って言ったくせに〜」
セリナが横から茶化す。
「うるせぇ!! 誰が怖がるか! ここはエルフの香水臭くて落ち着かねぇんだよ!」
見事な即反応。本当に扱いやすい人だ。
■ 親方の悩み
「で? 二人揃って何の用?」
私がペンを置くと、セリナがニヤニヤしながらトルノスの背中をバシッと叩いた。
「ほらトルノス。言いなよ? あんた、朝から胃薬飲むくらい悩んでたでしょ」
「……っ、余計なことを!」
トルノスは髭をわしづかみにして、視線を床に泳がせた。 あの頑固おやじが、借りてきた猫のようにモジモジしている。 これは天変地異の前触れかしら。
「……あのな、レリア」
「何かしら?」
「……預かってくれ」
蚊の鳴くような声(ドワーフ基準)だった。
「え?」
「だ・か・ら! ガキどもだよ!」
トルノスは、爆発するように叫んだ。
「うちの弟子たちだ! あいつら、最近ネーヴの野郎に感化されて、『魔導回路を勉強したい』だの『ノームを作りたい』だの言い出しやがって……! 仕事中もうわの空で、隠れて教科書読んでやがるんだよ!」
「……なるほどね」
私は苦笑した。 アルやネーヴが持ち込んだ「新しい風」が、東の工房にまで届いてしまったらしい。
「俺は、石を削るのとなじるのは得意だが…… 座学なんて教えられねぇ。文字も計算も、俺のやり方は古すぎる」
トルノスは、悔しそうに唇を噛み、そして深く頭を下げた。
「あいつらは、筋がいい。 俺よりずっと器用で、飲み込みも早い。 ……だから、俺の工房(ふるい場所)に縛り付けて、才能を潰したくねぇんだよ」
その一言で、職員室の空気が変わった。
ただの照れ隠しじゃない。 これは、一人の師匠が、弟子たちの未来を一番に思って下げた頭だ。 自分のプライドよりも、寂しさよりも、子供たちの可能性を選んだのだ。
セリナが、小声で補足する。
「要約すると、『俺はバカだから勉強は教えられん。頼むから賢いお前らが代わりに育ててやってくれ。寂しいけど我慢するから』……ってことね」
「通訳すんな!! ぶっ飛ばすぞ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るトルノスを見て、私はふっと笑ってしまった。
■ 窓の外の景色
「……いいわよ」
私が答えると、トルノスがパッと顔を上げた。
「責任を持って預かるわ。世界樹学園として」
「……恩に着る」
トルノスが、深く息を吐いた。 その岩のような肩から、重荷が降りたように見えた。
「でも、条件があるわ」
「なんだ、金か? 素材か? いくらでも出すぞ」
「違うわよ」
私は窓際へ歩き、カーテンを開けた。 そこからは、中庭が見える。
そこには―― ネーヴの連れているノーム十体が、チョコマカと花壇の手入れをしている。 そしてその周りで、数人の**「ちびドワーフ」**たちが、目をキラキラさせてノームを追いかけ回していた。
「……あいつら、もう来てたのか」
トルノスが呆れたように呟く。 弟子たちだ。師匠が頼み込む前に、もう我慢できずに遊びに来ていたらしい。
「見て」
私が指差す先で、エルフの生徒がドワーフの子に何かを教えている。 ドワーフの子が、お礼に小さな木彫りの人形を渡している。
言葉も、種族も違う。 でも、そこには確かに「交流」があった。
「条件は一つ。 『たまには、あなたも授業を見に来ること』」
「はぁ!?」
トルノスがのけぞる。
「俺がかよ!? 冗談じゃねぇ、俺はエルフの魔術なんざ……」
「子供たちが頑張ってる姿、見たいでしょう?」
「うっ……」
「それに、魔導工学の実技なら、あなたの方が私より上手に教えられるわ。 特別講師として、たまに顔を出してちょうだい。 ……あの子たちも、師匠に見てもらえたら張り切るはずよ」
トルノスは口をパクパクさせて、それから観念したように頭をかいた。
「……ちっ。 ドワルガの弟子に、お前の生徒に…… 俺の周りは、人使いの荒い連中ばっかりだ」
「類は友を呼ぶのよ」
セリナが笑い、トルノスの背中をバン! と叩いた。
■ 笑い声の混じる朝
トルノスが帰ったあと(弟子たちはそのまま教室へ拉致された)、 私は窓の外を眺めながら、自分の頬が緩んでいるのに気づいた。
「……あら」
触れると、熱い。 胸の奥から、くすぐったいような、温かいものが込み上げてくる。
「ふふ……あははは!」
笑い声が出た。 乾いた愛想笑いじゃない。お腹の底からの笑いだ。
「レリア。また笑ってる」
セリナがニヤニヤしている。
「……うるさいわね。 ハイエルフが笑っちゃいけない決まりはないわよ」
「ないけどさ。 今のあんた、すごく『先生』っぽい顔してるよ」
私は窓ガラスに映る自分の顔を見た。 そこには、退屈で死にかけていた王女の顔はなく、 騒がしい未来にワクワクしている、一人の教師の顔があった。
中庭から、ドワーフたちの元気な声と、エルフたちの困惑した(でも楽しそうな)声が聞こえてくる。
――世界樹学園が、音を立てて変わり始めている。 その中心にいるのが、私と、あの子たちだ。
「さあ、机が足りないわね。 倉庫から予備を引っ張り出してこなくちゃ」
私はヒールを鳴らし、軽やかな足取りで職員室を出た。 胃薬のことは、すっかり忘れていた。




