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第2章 第6話 歌って……こんなに響くの?

視点:レリア/第3教室担任)


「――先生。この国って、どうしてこんなに『静か』なんですか?」


 ホームルームの時間。  リオが手を挙げてそう言ったとき、私は一瞬、返答に詰まった。


 窓の外には、世界樹の巨木。  風の音、葉擦れの音、精霊の囁き。  ここには常に「音」がある。私たちはそれを聞き分け、魔力を読み取る訓練を受けてきた。


 けれど、リオは首をかしげて続けた。


「音はあるんです。でも、『歌』がない」


 教室がざわつく。  エルフの生徒の一人が、不思議そうに反論した。


「歌ならあるよ。儀式の詠唱とか、精霊を呼ぶ旋律とか」


「違うんだよなぁ」  リオは困ったように笑う。


「僕が言ってるのは、そういう“機能”としての歌じゃなくて……  こう、心が震えたり、泣きたくなったりするような歌のこと。  人魚の国にも、人間の国にもある。でも、ここにはない」


 私はハッとした。  言われてみればそうだ。  最近の妖精大陸には、効率的な「魔術」はあっても、無駄を楽しむ「音楽」が極端に減っている。


 感情を揺さぶるものは、魔力制御を乱すから。  静寂こそが美徳だから。  そうやって削ぎ落としていった結果、残ったのは――


(……ただの、機能的な静けさ)


 私は胸の奥が冷えるのを感じた。  それは、私が一番恐れていた「緩やかな死」の正体かもしれない。


「だから今日は、僕の故郷の友達……人間の国の『聖歌』を聴いてもらいたいんです」


 リオが前に出る。  その提案に、教室の空気は「ふーん、人間ごときが?」という冷ややかなものだった。  私自身、半信半疑だった。人間の歌ごときで、この数百年の静寂が破れるものかと。


「でも、僕が歌っても説得力ないし……  ネーヴ、準備いい?」


「……ん。セット完了」


 教室の後ろで、ネーヴがガサゴソと動いた。  机の上に置かれているのは、青白く光る無骨な箱。  あちこちから配線が飛び出し、スピーカー部分には魔石が埋め込まれている。


「それは?」


「魔導蓄音機・改。  王都で録った音、増幅して再生する」


 ネーヴが淡々と説明する。  この子、いつの間にそんなものを持ち込んで……。


「再生するのは、僕たちの友達……エリシア王女の歌です」


 アルが補足する。


「ただの歌じゃありません。  聴けば分かります。……たぶん、あなたたちが忘れている『熱』です」


 エルフたちが顔を見合わせる。  冷ややかな視線。無関心な空気。


「……再生、開始」


 ネーヴがスイッチを入れた。


 ザザッ……


 最初はノイズ。  けれど次の瞬間、澄んだソプラノが教室の空気を切り裂いた。


 ――〜〜♪


 言葉の意味は分からなくても、その「響き」は強烈だった。  誰かを想う祈り。守りたいという願い。  純粋で、力強い感情の塊が、音に乗って鼓膜を揺らす。


 ビリビリと、空気が震える。


「……ッ!?」


 私は息を呑んだ。  ただの「音波」じゃない。  これは、魔力を乗せた「感情の波動」だ。


 私の肌が、粟立つ。  心臓が、早鐘を打つ。  200年間、凪いでいた湖に、巨大な石を投げ込まれたような衝撃。


(……痛い)


 胸が痛い。  あまりにも鮮烈すぎて、乾いた心が悲鳴を上げている。  でも、心地よい。  この痛みこそが、「生きている」という実感そのものだ。


 歌がサビにかかると、異変が起きた。


 ポロッ。


 最前列の女子生徒が、涙をこぼした。  それを見ていた隣の生徒も、目元を拭っている。


「……あれ? なんで?」 「悲しくないのに……勝手に……」


 教室のあちこちから、鼻をすする音が聞こえ始める。  彼らは戸惑っていた。  自分たちが「泣いている」という事実が理解できないのだ。


 リオが、優しく言った。


「それが『感動』だよ。  魔法の効果じゃない。君たちの心が、音に反応して震えてるんだ」


 私は、教壇で立ち尽くしていた。  私自身、視界が滲んでいくのを止められなかった。


(……そうか。  私たちは、忘れていたんじゃない。  “乾いて”いただけなんだ)


 世界樹のノイズによって感情を摩耗させられ、心の水分がなくなっていた。  そこに、エリシアの歌という「雨」が降った。  だから、乾いた土が水を吸うように、感情が溢れ出したのだ。


 再生が終わると、教室は静まり返っていた。  いつもの「死んだような静寂」じゃない。  余韻を噛み締める、温かい静けさだ。


「……すごい」  一人の生徒が呟いた。


「歌って……こんなに響くの?」


 その言葉に、アルがニカっと笑った。


「響きますよ。  心があるなら、誰だって」


 私は震える手で目元を拭い、アルを見た。  この少年は、知っていたのだ。  私たちが何を失い、何を求めていたのかを。


(……完敗ね)


 私の「教師」としての仮面は、もはや形を成していなかった。  ただ一人の、心を震わせた「観客」として、私は彼らに拍手を送った。


 授業の後。  生徒たちが帰った教室で、私はアルたちに残ってもらった。  興奮が冷めやらぬまま、お礼を言おうとして――


 ネーヴが、機械を撫でながらボソッと言った。


「……でも、ノイズ混じってた」


「え?」


 私が聞き返すと、ネーヴは真剣な目で機械を指差した。


「歌の裏。  ジジッ、ていう、黒い音。  ……ペンダントの音」


 アルの表情が、スッと曇る。  さっきまでの温かい空気が、一瞬で張り詰めた。


「……やっぱり、入ってたか」


「どういうこと?」  私が聞くと、アルは真剣な顔で答えた。


「この録音をした時、エリシアはまだ『呪われたペンダント』をつけていました。  あのペンダントは、彼女の歌を吸い取り、どこかへ送信するための装置でした。  ……ネーヴの機械は性能が良すぎて、その『送信ノイズ』まで拾ってしまったんです」


 背筋が寒くなる。  あんなに美しい歌の裏に、そんな呪いが潜んでいたなんて。


「でも、だからこそ」  アルは顔を上げた。その瞳は、狩人のように鋭い。


「このノイズを解析すれば、  『誰が』『どこで』歌を吸い取っていたのか……その尻尾が掴めるかもしれません」


 私は息を呑んだ。  この子たちは、ただ留学に来ただけじゃない。  王都の闇を暴くための「証拠」まで持ち込んでいたのか。


 そして今、その解析を――この私に手伝えと言っている。


「……分かったわ」


 私は涙の跡を拭い去り、ニヤリと笑った。  王女としての、そして「共犯者」としての顔で。


「その解析、リゼラにも手伝わせましょう。  私の心をこれだけ揺さぶった責任、きっちり取ってもらうからね」


「はい!」


 アルとリオが笑う。  ネーヴも、小さくコクンと頷いた。


 窓の外、世界樹の葉がざわめいている。  それは、久しぶりに聞いた「生きた音」のような気がした。


 私の退屈な毎日は、完全に終わった。  これからは、この愛おしいノイズと共に、世界の裏側を暴く日々が始まるのだ。

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