【第2章 外伝 1】 ガラス越しの記憶と、禁断の培養槽
【本文】 (視点:リゼラ)
【0歳:培養液の温度】
私の最初の記憶は、母の腕の中ではない。 淡い緑色の液体と、冷たいガラスの感触だ。
――ハイエルフ社会における「効率的育成システム(インキュベーター)」。
近年、エルフの貴族や研究者の間では、胎内での育成時間を短縮し、最適な魔力調整が施されたカプセルで子供を育てることが「流行」になっていた。 母体への負担を減らし、より優秀な個体を生産するための合理的選択。
私は生まれつき魔力が高すぎたせいか、あるいは脳の発達が早すぎたせいか、その時の光景をうっすらと覚えている。
プクリ、と泡が昇る音。 ガラスの向こうに並ぶ、無数のカプセル。
右隣のカプセルには、毛深い手足をした赤ん坊がいた。 左隣には、獣の耳が生えた赤ん坊(獣人)。 斜め向こうには、人間の特徴が混じったハーフエルフ。
種族など関係なく、ただの「検体」のように並べられた命たち。 でも、不思議と不快ではなかった。ガラス越しに目が合うと、言葉はなくても通じ合える気がしたからだ。
だが、ある日。 白衣を着た大人たちが来て、カプセルを選別し始めた。
「ドワーフ種、廃棄」 「獣人種、労働区へ」 「純血エルフ種、上層区へ」
隣の「友達」たちが、ベルトコンベアのように運ばれていく。 私はガラスを叩こうとしたが、小さな手は水流を掻くだけだった。
そんな時。 私のカプセルの前に、一人の男性が立った。 白衣を着た、疲れ切った顔のダークエルフ。父、ザハルだ。
彼は選別係を押し退け、私のガラスに額を押し当てた。
「……すまない。お前だけは、私が守る」
ガラス越しに伝わってきた体温。 それが、私が知る最初の「愛」だった。
【5歳:賢すぎる姉妹】
「父様! 見て! ネーヴがまた魔力回路をショートさせた!」
父様の研究室。 床一面に広げられた設計図の上を、よちよち歩きの幼女――妹のネーヴが這い回っていた。 彼女はまだ言葉も話せないのに、私の描いた魔方陣の上に、積み木を正確な「増幅配置」で並べて遊んでいた。
「あはは! こらこらネーヴ。お姉ちゃんの邪魔をしちゃ駄目だぞ」
父様が笑いながら、ネーヴを抱き上げる。 ネーヴは無表情のまま、父様の胸ポケットからペンを抜き取ろうとしていた。
「すごいな、リゼラ。ネーヴのこの配置……魔力効率が15%も上がっているぞ」
「むぅ……悔しい! 私の方がお姉ちゃんなのに! もっと凄い回路を作るもん!」
私が頬を膨らませると、父様は大きな手で私の頭をクシャクシャに撫でた。
「いい競争相手だな。 リゼラは理論の天才。ネーヴは感覚の天才だ。 いつか二人で、世界樹の謎を解き明かすんだぞ」
「うん! 任せて!」
ネーヴが「ん」と短く声を上げ、私の服の裾をギュッと掴んだ。 温かかった。 父様がいて、ネーヴがいて、世界はキラキラした知識で満ちていた。
――父様の目から、少しずつ「光」が消え始めていることに、私は気づいていなかった。
【10歳:ノイズ】
変化は、少しずつ、けれど確実に起きていた。
ここ数ヶ月、父様が口を利いてくれなくなった。 部屋に閉じこもる時間が増えた。そして、夜になると……。
「うっ……ぐぅ……! やめろ……私の思考を……!」
薄い壁越しに、低い唸り声が聞こえてくるのだ。 それは肉体の痛みではない。自分の頭の中にある「何か」と必死に戦っているような、苦悶の声だった。
翌朝、「父様、大丈夫?」と聞いても、父様は虚ろな目で私を見て、何も答えてくれなかった。
そして、あの日が来た。 ひどい雨の日だった。
父様が、研究所の奥深くにある「特別封鎖区画」へ異動することになったのだ。 そこは一度入れば、二度と戻れないと言われる場所。
私は荷物をまとめて、父様のコートの裾を掴んだ。
「父様、私も行く! 私も手伝うよ。魔力制御の計算ならできるもん! 足手まといになんかならない!」
父様なら、「よし、一緒に来い」と言ってくれると思っていた。 私たちは最強の研究パートナーだったから。
でも。 父様は、私を見なかった。 冷たい手で、私の指をコートから引き剥がした。
「……来るな」
「え?」
「お前は連れて行けない。ここに残れ」
父様の声は、まるで機械のように抑揚がなかった。 私は必死に食い下がった。
「どうして!? 私、もっと勉強するよ!? 効率的な助手になれるよ!? だから……!」
父様が振り返った。 その目は、暗く濁っていた。かつての温かい光はどこにもない。 彼は私を見下ろし、吐き捨てた。
「お前は『ノイズ』だ、リゼラ。 感情的で、うるさくて、非合理的だ。私の崇高な研究には邪魔なんだよ」
「……っ!」
心臓が凍りついた。 邪魔? 私が?
「ネーヴは連れて行く。あいつは無駄口を叩かない。……静かでいい」
父様はネーヴの手を引き、私に背を向けた。 ネーヴは何度も振り返り、悲しそうな目で私を見ていたが、父様の力には逆らえなかった。
「二度と関わるな。……自分の才能だけで生きていけ」
バタン。 重い扉が閉まる音。
捨てられた。一番愛していた人に。 「感情」という理由で。
その日から、私は笑わなくなった。 父様を見返すために。 誰よりも「効率的」で、誰よりも狂った研究者になるために。
【そして5年前:冒涜の温室】
15歳になった私は、妖精大陸の学会から「永久追放」されていた。
理由は明白。私がエルフにとっての神聖なタブー――「世界樹の葉」を盗み出し、それをあろうことか「下等生物」に移植する実験を行ったからだ。
場所は、廃棄された地下水道の奥。 湿ったカビの匂いと、甘ったるい培養液の匂いが充満する、私だけの秘密の温室。
緑色に発光する水槽の中で、それは脈打っていた。
「……すごい。定着率80%を超えた」
水槽の中にいるのは、ゴブリンだ。 ただし、ただのゴブリンではない。 背中から世界樹の枝が生え、筋肉の繊維が植物の根のように太く、緑色に変色している。
私は震える手でデータを記録した。
「世界樹の葉に含まれる『高純度魔素』を、強制的に細胞へ融合させる……。 これなら、生まれつき魔力を持たない種族でも、エルフを超える再生能力と魔力を手に入れられる!」
水槽の中のゴブリンが、苦しそうに泡を吐き、ガラスを叩いた。 その腕は異常に膨張し、ガラスにヒビが入るほどの怪力だ。
「そうよ! もっと怒りなさい! 生命力を爆発させなさい! これこそが『効率的な進化』よ! 100年かけて修行するより、この葉っぱ一枚埋め込む方が早いのよ!」
父様が見たかったのは、これでしょう? 綺麗事だけの研究じゃ辿り着けない、生命の極致。
バリンッ!!
水槽が割れた。 培養液と共に床に投げ出された実験体が、奇声を上げて暴れ回る。
「ギギャアアアア!!」
植物に侵食された肉体が崩壊していく。 急速な進化に、器が耐えきれていないのだ。 ゴブリンは私の足元まで這ってきて、枯れ木のように干からびて動かなくなった。
「……チッ。また失敗か」
私は冷たく言い放ち、次の「検体」が入ったケージに手を伸ばした。 可哀想? まさか。 効率的なデータ収集のための、尊い犠牲だ。
「……趣味が悪いわねぇ」
突然、背後から声がした。 振り返ると、地下水道の入り口に、派手なドレスを着た女が立っていた。 鼻をつまみ、顔をしかめている銀髪のダークエルフ。セリナだ。
「誰よ。学会の使いなら、この失敗作と一緒に肥料にするわよ」
私がメスを構えると、女は肩をすくめた。
「まさか。あんな頭の固い連中とは違うわ。 ……でも、まさか『聖なる世界樹の葉』で、ゴブリンを野菜みたいに育ててるとはね」
セリナは、崩れたゴブリンの死骸を興味深そうに覗き込んだ。
「世界への冒涜。信仰心の欠如。そして、結果のためなら手段を選ばない狂気。 ……合格よ、リゼラ博士」
「はぁ? 何様のつもり?」
セリナは私の汚れた白衣の襟を掴み、ニヤリと笑った。
「知ってるわよ。ザハル博士のこと。 父親に『効率が悪い』と捨てられて、当てつけみたいに禁忌を犯してる可哀想な天才少女」
「……殺すわよ」
「図星か。 だったら、私に賭けてみない? こんなジメジメした下水道じゃなくて……国一つ巻き込んだ、もっとデカい実験場を用意してあげる」
セリナは手を差し出した。その目は、私の実験体を見るような「観察者の目」ではなく、共犯者の目だった。
「その代わり、力を貸しなさい。 私たちも今、世界に対して『復讐』を企んでるところなの。 あんたのその歪んだ天才的頭脳と、タブーを恐れない度胸……私たちのチームに必要よ」
復讐。 その言葉が、暴走していた私の脳を冷やし、そして熱くさせた。
父様を狂わせた「何か」。 私を切り捨てた「効率的な世界」。 それらに一泡吹かせられるなら――悪魔の手でも握ってやる。
「……いいわよ。 ただし、私の実験は金がかかるわよ? 世界樹の葉も、ルートごと確保しなさいよ?」
「望むところよ。影ギルドの力、使い潰していいわ」
薄暗い地下水道で、私たちは手を組んだ。
――これが、私が「アル被害者の会」……もとい、最強の保護者チームの一員になった理由。
(……待っていて、父様。ネーヴ。 いつか私の科学力で、エルフの常識も、あの扉も、全部ぶち壊して迎えに行くから)
私は白衣を翻し、腐臭漂う実験室を後にした。
――外伝・完
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