第2章 第3話 世界樹の下の爆弾処理、あるいは「死んだはずの妹」(挿絵あり)
「――いい? アルくん。 あなたの魔力は『大河』よ。普通の人間が『小川』だとしたら、あなたは決壊寸前のダム。 そのまま流せば、世界樹の根っこがびっくりして枯れるわ」
世界樹の根元。 薄暗く、濃密な魔素が漂う聖域で、私は白衣のポケットに手を突っ込みながら、目の前の少年に言い聞かせていた。
アル・エルンスト。 人間でありながら、私の測定器の針を振り切る魔力を持つ留学生。 レリアに押し付けられた、私の新しい「研究対象」だ。
「は、はい。ダム……決壊させないように気をつけます」
アルは魔法陣の中央で、ガチガチに緊張して座っている。 素直なのはいい。だが、魔力制御がお粗末すぎる。 蛇口をひねったら消防車のホース並みの水圧が出るようなものだ。
「イメージしなさい。 世界樹の“下”から吸い上げて、“上”に細く流す。 精霊は『命令』じゃ動かないわ。『お願い』して、一口分だけ分けてあげるの」
「一口分……一口分……」
アルがブツブツと呟きながら、魔力を練る。 周囲の空気がビリビリと震える。肌が粟立つような濃密な気配。
(……濃いな)
私は観察眼を細めた。 この魔力の質。人間特有の雑味がない。 まるで、もっと「原初的」な、世界樹そのものに近い純度だ。 7年間の空白。空の向こう。……こいつ、本当に何を見てきたの?
「――来てください、小さな友達!」
アルが目を開け、叫んだ。 その瞬間、魔法陣がカッと光り、空気が弾けた。
ポンッ!
可愛らしい音と共に現れたのは、ドラゴンでもゴーレムでもなく。
「……なにこれ」
アルの頭上に、一枚の「羽根」のような光が浮かんでいた。 鳥の羽ではない。虫の羽でもない。 透き通った、虹色の光の膜。 それがフワフワと漂い、アルの肩にぺたりと張り付いた。
「……先生、なんか乗りました」 「見れば分かるわ」
私は額を押さえた。 精霊学の教科書には載っていない形状だ。だが、純度は異常に高い。
「……変異種ね。 あなたの魔力が強すぎて、既存の属性に収まりきらなかったのかも」
「え、失敗ですか?」
「いいえ、大成功よ。 少なくとも世界樹を爆破しなかった点においてはね」
光の羽根は、アルの頬にスリスリと身体(?)を擦り付けている。完全に懐いている。
「名前、つけてあげなさい。 精霊は名前を『巣』にして定着するから」
「じゃあ……“ハネ”で」
「そのまんまね」
「センスなくてすみません」
アルが苦笑いしながら、肩の上の光を指でつつく。ハネは「ピィ」と鳴いて応えた。
(……やれやれ。まずは爆発オチにならなくて一安心ね)
私が息をついた、その時だった。
ガラガラガラ……!
静謐な世界樹の森に、台車を引きずるような騒々しい音が響いた。
「……遅刻」
木の陰から現れたのは、小柄な影。 灰銀の髪。目の下に隈。そして自身の体ほどもある巨大な工具箱を引きずった少女。
ネーヴ・アクアレイド。 レリアのクラスのもう一人の問題児だ。
「誰? ここは立ち入り禁止よ」
私が声をかけると、彼女は無表情のまま近づいてきた。
「見学。レリア先生に許可もらった。 あと、アルの魔力データ、採る。 ……その精霊、興味深い」
ネーヴは工具箱をドスンと置き、アルの肩のハネをジロジロと見つめた。
「構造、不明。魔力配列、ランダム。 ……きれい」
「きれい、って……」
その横顔を見た瞬間。 私の思考が凍りついた。
ドワーフ特有の、厚みのある手。 褐色の肌。 そして――髪の間から覗く、長く尖ったダークエルフの耳。
(……嘘)
10年前。 父の研究室で、隣の試験管に浮かんでいた「妹」。 ドワーフの骨格と、ダークエルフの耳を持つ、禁忌のキメラ。
死んだと聞かされていた。 父が「失敗作」として処分するために連れ出したと、そう思っていた。
なのに、なぜここにいる?
「……ねぇ」
声が震えるのを止められなかった。 私は、衝動的にネーヴの腕を掴んだ。
「あなた、どこから来たの?」
ネーヴが、キョトンとして私を見る。 その瞳の奥にある、紫がかった光彩。 私と同じ、「ゼロス家」の特徴。間違いない。
「……どこって。 人間大陸の、北の領地」
「その前は? 魚人に拾われる前は、どこにいたの?」
私の指が食い込む。ネーヴが痛そうに眉を寄せた。
「……知らない。 白い部屋。機械の音。 それしか、覚えてない」
――白い部屋。
記憶の蓋が吹き飛ぶ。 消毒液の匂い。魔力計の電子音。 そして、父の狂った笑い声。『素晴らしい、これぞ進化だ!』
「……父さんは?」
ギリギリと絞り出すように聞いた。
「ザハルは……一緒じゃなかったの?」
「ザハル……?」
ネーヴは首を傾げた。 その目に、嘘の色はない。本当に、何も知らないのだ。
「知らない名前。 私の父さんは、魚人の騎士団長だけ」
その言葉に、私は手を離した。 糸が切れたように、力が抜ける。
(覚えて、いない……?)
あんな地獄を。 私たちが「モノ」として扱われたあの日々を、この子は忘れている? あるいは――父が、消したのか。「効率化」のために。
「……先生?」
アルが心配そうに覗き込んでくる。 私はハッとして、白衣を整えた。
「……なんでもないわ。 ただの、人違いよ」
嘘だ。 間違いなく、あの子だ。私の妹だ。 生きていた。 のうのうと、幸せそうに、人間たちに混ざって。
黒い感情が湧き上がるのを、理性でねじ伏せる。 今は教師だ。研究者だ。 ここで取り乱しては、10年分の仮面が台無しになる。
「ネーヴ。 あなたも見学するなら、そこに座りなさい。 ……ただし、工具で世界樹を解体しようとしたら、減点よ」
「……善処する」
ネーヴは工具箱に腰掛け、アルの精霊観察を始めた。 その横顔は、かつてガラス越しに見た幼い頃のままで。
私は震える手をポケットに隠し、 見えない父の亡霊に向かって、心の中で毒づいた。
(……ふざけないでよ、お父様。 こんな「最高傑作」を、私の目の前に送り込んでくるなんて。 ――絶対に、調べ尽くしてやるわ)
世界樹の森に、風が吹く。 静かだった私の日常が、決定的に壊れた音がした。
明日の昼にリゼラの外伝 公開します!
12月1日から第2章スタートしました!
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