第2章 第1話 静寂の森と、三人のノイズ (挿絵あり)
(視点:レリア/ハイエルフ・第3教室担任)
「――では、今日の講義はここまで。質問は?」
私がそう告げると、教室を埋める三十人の生徒たちは、示し合わせたように無言で首を横に振った。
衣擦れの音すらしない。 呼吸のタイミングまで同期しているんじゃないかと疑いたくなるほど、整然とした沈黙。 美しい所作。整った顔立ち。そして、硝子細工のように透き通った、感情のない瞳。
「……そう。じゃあ、解散」
私は教科書をパタンと閉じ、逃げるように教室を出た。
世界樹学区。 妖精大陸の中枢であり、魔導と学問の最高峰。 ここには、世界で一番濃い魔力と、世界で一番「死んだような」時間が流れている。
(……息が詰まるわ)
廊下を歩きながら、私は小さく溜息をついた。 すれ違う生徒も教師も、挨拶はするが目は合わせない。 誰も他人に興味がない。自分の研究と、内なる魔力循環の効率化にしか関心がない。 それが「ハイエルフの美徳」だと彼らは言うけれど。
私には、それが**「緩やかな自殺」**に見えて仕方がない。
世界樹の根から滲み出す、甘くて重い、正体不明の空気。 それが私たちの感情を削り、気だるさを植え付け、ただの「高性能な魔力タンク」に変えようとしている――そんな悪夢を、最近よく見る。
……私も、そうなっていくのかしら。 最近、心から笑った記憶がない。怒る気力もない。 皮肉を言う元気すらなくなって、ただ「王女」という役割と「教師」という仮面を張り付けて、今日をやり過ごしているだけ。
「……つまらない」
ぽつりと漏らした本音は、廊下の吸音結界に吸い込まれて、跡形もなく消えた。
◆ ◆ ◆
職員室に戻ると、私のデスクの上に分厚い封筒が置かれていた。 差出人は――人間大陸の「王国軍参謀・ドワルガ」。
嫌な予感しかしない。 私は封を切り、中の書類に目を通した。
『拝啓、親愛なるレリア王女殿下(笑)。 そっちの退屈な空気をぶち壊すための“特効薬”を送ったわ。 副作用は保証しないけど、効果は絶大よ。 ――せいぜい、胃を大事になさい』
「……あいつ、また余計なことを」
同封されていた身上書を見る。 三人の名前と写真。
アル・エルンスト。 リオ・アクアレイド。 ネーヴ・アクアレイド。
備考欄には、頭の痛くなるような記述が並んでいた。 『規格外の魔力(制御不能)』 『魚人ハーフ(声がデカイ)』 『ドワーフとダークエルフのハーフ(爆発物取扱注意)』
(……はぁ)
私は書類を机に叩きつけたくなったが、ぐっと堪えた。 静かすぎて死にそうなこの学園に、こんな劇薬を三つも放り込むなんて。 ドワルガとセリナの悪巧みに決まっている。
でも――。 心のどこかで、この「予想外のトラブル」に、少しだけ脈が速くなっている自分もいた。
◆ ◆ ◆
チャイムが鳴る。 私は気を取り直して、仮面(教師の顔)をつけ直し、教室へ向かった。
ガラリと扉を開ける。
いつもの静寂。 人形のように整列し、私の一挙手一投足を無感動に見つめる生徒たち。 その、水槽のような息苦しい空気を――
「うっわ! すっげぇ! 窓の外、全部世界樹じゃん!」
場違いな大声が、硝子を叩き割るようにぶち壊した。
教卓の横に、三人の影。
ひとりは、興奮して窓に張り付き、尻尾をブンブン振っている魚人ハーフの少年。 ひとりは、興味なさそうに教卓の裏側を覗き込んで、ドライバーでネジを回そうとしている小柄な少女。……ちょっと、何分解しようとしてるの?
そして――真ん中に立つ、茶髪の少年。
彼は、私の顔を見ると、 人懐っこい、けれど決して媚びない瞳で、ニカっと笑った。
「はじめまして、先生! 人間大陸から来ました、アルです! ここが『世界樹学区』ですか。……いい匂いがしますね!」
「……匂い?」
私は眉をひそめた。香水なんてつけていない。
「はい。樹液と、古い本と、あと……ちょっとだけ『寂しい』匂い」
ドキリとした。 この子は、何を見ているの?
教室の生徒たちが、ざわめき始める。 「人間だ」「うるさい」「野蛮な」「なんで笑ってるの?」……。 軽蔑と困惑。でも、それは久しぶりに見る「感情」の波だった。 無風だった湖に、石が投げ込まれたのだ。
私は、思わず口元を緩めてしまった。
(……なるほど。 ドワルガたちが送り込んできただけのことはあるわね)
私はチョークを手に取り、黒板に大きく名前を書いた。カツカツという音が、心地よく響く。
「静粛に。 今日から、あなたたちの新しい『異物』になる三人よ。 ……せいぜい、退屈させないでちょうだいね」
私の挑発に、アルが「望むところです」と言いたげに、不敵に笑う。
静止していた森の時間が、 カチリ、と音を立てて動き出した気がした。
――第2章 開幕。
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