第43話 南の夜、闇にうごめくもの、あるいは「歌とスープ」の防衛戦
(視点:ドワルガ)
「……このニンジン、うんまい!!」
獣人の子供が、耳までぴこぴこさせて叫んだ。 ここは南部の難民キャンプ。 さっきまで怒号と投石が飛び交っていた暴動の中心地だが、今は湯気と咀嚼音に支配されている。
「腹が減っては戦はできぬ、とはよく言ったものね」
私は仮設テントの影から、その光景を眺めていた。
北から運んできた支援物資――乾燥野菜、干し魚、そして例の「歌うニンジン」。 それをリオとレムス(義手の火力を絞って参戦)が大鍋で煮込み、飢えた人々に配っている。
アルの作戦は単純だ。 「まず腹を満たす。話はそれからだ」。
そして、その配膳を仕切っているのは、以前アルたちが助けたウサギ獣人、ラビィだ。
「みんな、慌てないで! おかわりはあるから!」 「怪我人はこっちよ! 先に診てもらいなさい!」
彼女が間に入り、「この人たちは敵じゃない」と説得してくれたおかげで、獣人たちの警戒心は急速に解けていった。 殺気立っていた男たちの目から険しい色が抜け、代わりに安堵の涙が浮かび始める。
やがて、全員に行き渡り、満腹の吐息が広場に満ちた頃。
「……あ」
誰かが空を見上げた。 雲が切れ、月が顔を出している。
その静寂に、澄んだハミングが重なった。
――〜〜♪
エリシア殿下だ。 エプロン姿のまま、子供をあやすように、優しく歌い始めたのだ。 それは聖歌というより、子守唄のような、柔らかい旋律。
「……きれいな声」 「なんだか、心が落ち着くわ……」
獣人たちが耳を傾ける。 鍋の中の残りのニンジンたちも、それに合わせて小さく共鳴し、広場全体が温かい光と音に包まれていく。
完璧な大団円。 ……そう思われた、その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ……。
歌声の裏側から、異質な音が近づいてきた。 規則正しすぎる足音。 金属が擦れる、冷たいノイズ。
「……誰だ?」
ラビィが耳をそばだてる。 広場の入り口、闇の向こうから現れたのは――
純白の甲冑に身を包んだ、聖騎士団の列だった。
「……聖騎士様?」 「助けに来てくれたのか?」
獣人の一人が安堵の声を上げて近づこうとする。 だが。
ヒュッ!
無言のまま振り下ろされた剣が、獣人の肩を浅く切り裂いた。
「ぎゃあっ!?」
悲鳴が上がり、広場の空気が一瞬で凍りつく。 歌が止まる。
「な、何を……!?」
エリシア殿下が前に出る。 だが、騎士たちは答えない。 松明も持たず、無言で整列するその姿は、人間というより「自動人形」のようだった。
そして、よく見れば―― 兜の隙間から、どす黒い液体のようなものが漏れ出している。
「――構えろ! 普通じゃねぇぞ!」
ガルドが吼える。義足の駆動音が唸りを上げる。 ラビィたちが、素早く子供や老人を後ろへ誘導し、自ら盾になるように立ちはだかる。
彼らの瞳は虚ろで、どこか焦点が合っていない。 鎧の隙間から、どす黒い「糸」のようなものが蠢き、彼らの手足を操り人形のように動かしている。
(……寄生体!)
私は息を呑んだ。 教会の聖騎士団、その全員がすでに「中身」を食われているのか。 自我を奪われ、ただの「殺戮システム」の一部にされている。
「排除シマス。排除シマス」
騎士の一人が、壊れたレコードのように呟き、剣を振り上げた。 声に抑揚がない。
「やめなさい! 剣を収めて!」
エリシア殿下の命令も届かない。 彼らは無機質に、殺戮を開始しようと迫ってくる。
「殿下、歌ってください!」
アルが叫ぶ。ハルバードを構え、殿下の前に立つ。
「あなたの歌なら、その『支配』を揺らげるはずです! さっきみたいに、彼らの心を呼び戻して!」
「は、はいっ!」
ネーヴが設置した「音響拡張機」が低く唸る。 エリシア殿下が息を吸い、声を放った。
――〜〜♪
祈りの歌。 さっきの子守唄とは違う、悪を祓う清冽な響き。
その瞬間、騎士たちの動きがピタリと止まった。 黒い糸が嫌がるように震え、彼らの体から煙が上がる。 苦しんでいるのではない。「バグ」を起こしているのだ。
「効いてる……!」
だが、決定打にはならない。
殿下の歌声が、何かに阻まれているように感じる。 喉の奥で詰まり、広がらない。 胸元のペンダントが、ドクン、ドクンと嫌なリズムで脈打ち、彼女の魔力を吸い上げているのだ。
黒い宝石が、彼女の声を喰らっている。
「……やっぱり、それが邪魔なんですね」
アルが、歌い続ける殿下の背後に回った。 抱きしめるような距離。
「殿下、失礼します」
彼の手が、殿下の首筋に伸びる。鎖を掴む。 バチッ! 黒い火花が散った。ペンダントが抵抗している。
「うぐっ……!」
「アル!?」
「歌い続けてください! 止めたら飲み込まれる!」
アルの手が、黒い光に焼かれながらも、鎖をギリギリと締め上げる。 殿下の白い首筋に、彼の手の熱が伝わる。
「その鎖は、あなたを守るものじゃない。 あなたを縛り、喰らうための『檻』だ。 ……こんなもの、いらない!」
パキィィィン!!
硬質な音が響き、鎖が砕け散った。 ペンダントが地面に落ち、黒い煙を上げて消滅する。
その瞬間――
キィィィィィン……!
歌が、解き放たれた。
今まで「檻」の中でくすぶっていた力が、爆発的に広がる。 それは優しさだけじゃない。 理不尽への怒り、悲しみ、そして「守りたい」という強烈な意志を乗せた、光の奔流。
光が、騎士たちを飲み込む。 鎧の中から断末魔が上がり、黒い糸が蒸発していく。 次々と膝をつく騎士たち。 彼らの体から黒い霧が抜け、ただの気絶した人間に戻っていく。
だが、静寂は長くは続かなかった。
「……惜しい。実に惜しい」
闇の奥から、拍手が聞こえた。 乾いた、冷たい音。
黒い法衣を纏った男――グレオスが、ゆっくりと歩いてくる。 その姿には、焦りも怒りもない。 ただ、「実験が失敗した」とでも言うような、無機質な落胆があるだけだ。
「あれほどの出力……。あと少しで、完全に『熟した』というのに。 ……なぜ摘み取ってしまったのかな、アル君?」
「あんたの餌にするためじゃない」
アルが、ハルバード(伸縮式・ドワルガ製)を構え、エリシアを背に庇う。
「それにグレオス。あんた、俺のことを勘違いしてただろ」
「勘違い?」
「ああ。俺のことを『お仲間』だと思ってたみたいだが…… 残念だったな。俺はただの人間だ。 あんたたちの『計画』なんて知ったことじゃない」
グレオスは、首をコテリと傾げた。 ありえない角度まで。ボキリ、と骨が鳴る音がした。
「……そうか。 **『あの施設』**で調整された同胞だと期待していたのだがね。 やはり、不良品は処分するしかないか」
メリ、メリメリ……。
不快な音が響き、グレオスの背中が盛り上がり、法衣が裂けた。 中から現れたのは、人の肌ではない。 黒い甲殻と、濡れた羽。そして無数の赤い眼を持つ異形。
「排除シマス。排除シマス」
怪物が跳躍した。速い。 狙いは――歌い続けて動けない殿下だ。
「させるかよッ!」
アルが割り込む。ハルバードを一閃。 ガギィン! 怪物の爪とぶつかり、火花が散る。
「ルシア!」 「はい!」
影から飛び出したルシアが、風を纏った剣で怪物の側面を薙ぐ。
「ガルドさん!」 「おおおおっ!」
新型義足のブースト全開で、ガルドが上空からカカト落としを見舞う。 ズドォォン! 怪物が地面に叩きつけられる。
「ネーヴ! 照明!」 「ん」
広場の投光器が一斉に点灯し、怪物を照らし出す。 光に怯む怪物に向かって、アルが叫んだ。
「聞け、グレオス! お前らは『効率』だの『浄化』だの言ってるが、一番効率が悪いのは戦争だ! 奪い合えば足りなくなる。だから争うんだ!」
アルは、背後のラビィたち、そして北の方角を指差した。
「貧困が戦争を生むなら、俺たちが豊かさで殴り返す! 北には飯がある! 仕事がある! 帰る場所がある! だから――こんな戦争、やる意味なんてねぇんだよ!!」
その言葉と共に、エリシア殿下が最後の一節を歌い上げる。 高らかに響く、勝利の歌。 その波動が、怪物の核を直撃する。
「エラ……ー……理解、不能……」
怪物は断末魔を残し、光の中で崩れ去った。 黒い灰となって、風にさらわれていく。
「……終わった、か」
私は大きく息を吐いた。 騎士たちは気絶しているが、命に別状はない。獣人たちも無事。
アルが振り返り、へたり込んだエリシア殿下に手を差し伸べる。
「……歌、すごかったです」
「バカ……! 無茶ばっかりして!」
殿下がアルの手を握り、泣き笑いの顔をする。 アルの手の甲には、鎖をちぎった時の火傷が残っていた。 名誉の負傷だ。
その光景を見ながら、私はセリナに声をかけた。
「セリナ。あとで酒を三本用意して」
「りょーかい。……でも、これで『教会』と全面戦争ね」
「望むところよ。 あんな化け物がトップにいた組織なんて、一度解体して大掃除するいい機会だわ」
南の夜が明けていく。 動乱は終わった。 だが、これは終わりじゃない。 私たちが「世界」という巨大な敵に喧嘩を売る、最初の狼煙だ。
これから1時間ごとに投稿します。1章完結45話、クライマックスまでお楽しみください!




